第3話 麗しきお義兄さまは大の女性嫌い
ヴィクトール・ハーカー。
乙女ゲーム『あなたと恋のワルツを』の攻略対象の一人であり、お助けキャラ兼ライバル(ライバルになる気はこれっぽっちも無いが)であるウィルヘルミナの義兄だ。
美しい濡れ羽色の髪に紅の優しげな瞳を持った、もちのろんイケメンです。攻略対象だからな。
この「義兄」という所がポイントで、彼はウィルヘルミナの実の兄というわけではない。私と彼の正式な繋がりといえば、従兄妹ということになるな。
では何故そんなヴィクトールがうちの家に来たのか。
それは彼の重~い過去によるもので、私の両親であるハーカー夫妻がそこを助けたことによって成り立ったんですけど。まぁ今は割愛します。
ハッキリしていることはただ一つ。
彼は重度の「女性不信」である。
特に貴族の女が大の苦手で、いつもニコニコと優しく微笑むその裏では、女性への不信感、嫌悪感でいっぱいになっているようなキャラだった。
そこを平民の主人公であるアイラちゃんが解きほぐし、彼女と共に幸せな結婚をする、というのがヴィクトールルートの大まかな筋となる。ウィルヘルミナの邪魔は面倒かつ思い出したくない事象だから何も言わない。
まぁそんなこんなでまだゲーム本編が始まるには遠い今、とりあえず重要なのは、義兄がとんでもなく女嫌いというその一点のみ。
(……私のことも嫌いってことだよな、それ……)
ちら、とバレないように、朝食を取る彼の姿を覗き見る。
恩があるハーカー夫妻にはそういったものは比較的少ないだろうが、ある日突然義妹となったウィルヘルミナのことは、当然のことながら通常運転で嫌いだろう。
というか、彼は女というだけで先に嫌悪感が勝ってしまうので、生理的なもの故しょうがない所もあるのだが。
今まであんなにニッコニコで優しく接してきたくせに、腹の中ではめっちゃ嫌悪だらけだったとか、怖え。
それまでのウィルヘルミナが、この美しい義兄に淡い憧れを持っていたが故に、尚更怖さが増すし前の自分が可哀想になってきた。
そりゃあこんな規格外のイケメンに優しくされて、唯一の妹とかになればテンションも上がるだろうし、好きにもなるだろうさ。
尚、ゲーム内でヴィクトールはウィルヘルミナのことを「本ばかり読んでいて鈍くさい義妹」と評しており、その表情も大変面倒臭そうなものだったので、残念ながら淡い憧れは粉々に壊れた方がよろしかったと言える。
「ウィラ?」
「ッ!!」
ヤバイ。ついつい見すぎてたか。だってまだ目の前に攻略対象が居ること自体に慣れないんだもの。
案の定私の視線を不審に思ったであろうヴィクトールが話しかけてくる。
「どうしたの。私の顔に何かついているかな」
「いいえ全然何にもついてないのでお気になさらず」
「……?」
焦りで早口になる私を見て、コテン、と首を不思議そうに傾ける義兄。
あ、あざてぇ~~~~ッ!! これがイケメンの“ワザ”ってやつか~~~~ッ?!
とか言ってる場合じゃないんだよ。
(前の自分だったら、きっと顔を真っ赤にして俯いてたりしたんだろうなぁ……)
かつてのウィルヘルミナを思い出してため息が出た。
気の毒だが、君が淡い憧れを抱いていた兄はちっとも君のことなど好きではないし、将来君とは似ても似つかないド・美少女と愛を育むことになるんだ。諦めてくれ。
あと人格がほぼ前世の私になっちゃったからもうそんな感情も抱けなくなったわ。何を好き好んで自ら猛毒に手を伸ばそうと思えるのか。無理です。というか、私には推しを幸せにする使命があるからそもそも。
未だに私を見定めるような瞳で見つめてくる義兄は無視して、私は努めて冷静に朝食を頬張るのであった。
気まずいから見るな。こっちを。
*
ゲーム本編の舞台である「ルルリエ王立学園」に通うのは15歳からとなる。
つまりそれまでは、私も普通の貴族子女として、授業を行ったりマナーを教えられたりといった日々を送る。
元々本好きなこともあってか、授業を嫌だと感じたことはなかった。ただコミュニケーション能力にちと問題があっただけで。
……ちょっとじゃないな、大分か。
元来、ウィルヘルミナは弱気な性格である。
引っ込み思案で、自分の言いたいことも上手く伝えられない。その割には攻略対象の情報やら好感度やらはスラスラと教えてくれたが。まぁそれは置いといて、彼女は所謂「引きこもり体質」なのである。
齢11歳にして既にその気は見えており、基本自室か書斎に引き籠もって本を読んでいる。授業や食事など、必要な時は大人しく出てくるが、それ以外ではまるで巣に篭って出てこない虫のようになるのであった。
と、いうことで。彼女は今、ろくに外へ出たことがない。
先日庭の池に落ちたと言ったが、それだって馴染みのメイドさんに説得されて渋々出てきたのだ。本が無かったら不安、だとか言って書物を持ち出し、それを読みながら歩いていたらドボンである。アホか? としかコメントが出なかった。
だがしかし。
前世の感覚が支配……もとい入り混じった今、適度に外で遊ばないとストレスが溜まる。いやオタクだから外出たくない気持ちは分からんでもないけど。生憎私は外に出過ぎても嫌だし引きこもり過ぎても駄目な奴なんだ。
そうして「外にもたくさん出たい」に思考が切り替わった時、考えついたことは。
「……乗馬……やりたいな」
前の記憶を取り戻してから密かに思っていた。
こんな中世だの近世だのっぽい世界観なんだから、当然移動手段は馬車とかになるだろう。そう、馬。
かわいいよね、馬。綺麗だよね、馬。
現代日本では牧場とかそういうのに行かないと乗馬体験出来なかったけどさ、今の時代なら普通に出来るんじゃない?!
と、動物好きな私は思い立った。
以前のウィルヘルミナなら「馬なんて大きいし高くてこわい」って言ってただろうけど、今の私は違うよ。馬に颯爽と乗りたくてしょうがないよ。かっこええやんけ。
後日、早速両親に「乗馬を習いたい」と話を持ちかけてみると、二人の目がみるみる内に大きく見開かれていった。
え、なにその反応。と心の中で訝しんでいた私の目の前で感動したように目を潤ませる二人。
「あなた、あの弱気なウィラが、あんなにも外に出たがらなかった子が……! 乗馬を習いたい、ですって! なんて素晴らしいのでしょう!!」
「ああ、こないだとても重い風邪を引いた時は、この子を喪ってしまうのではないかと本当に恐ろしかったけれど……、子供というのは、知らぬ内にこうして成長してゆくものなのだね」
「さぁさぁ、こうしてはいられないわ。早く教師を手配しましょう!」
……薄々感じていたが、うちの両親はちょっと色々大げさなのではないだろうか。
まぁ、今まで半引きこもりみたいな生活してた娘が急にアクティブなこと言い出したらびっくりはするんだろうけど。そんなに言われるほど酷かったか、と今更ながら少し申し訳なく思ってしまった。
両親の反応はちょっと予想外だったが、子供のやりたい習い事をノリノリでさせてくれるのは有り難い。素直に恩恵に預かっておこう。
それに、乗馬を習おうと思ったのは単に私が馬に乗れるようになりたいだけのことではない。
(いざとなったら、馬に乗って颯爽と逃げおおせよう……)
主人公と攻略対象の仲を邪魔するキャラなのだから、当然、それに対する何らかの制裁はある。
話し合いで解決するのならまだ良い。だが、武力行使で来られたら自分には太刀打ちできない。
グッドエンドではまだ平和的に解決していたが、バッドエンドを見てみると、ウィルヘルミナが死亡なり大怪我なりするルートがあったりするのである。勿論主人公のために奮闘しようとした攻略対象によって、とか。
勿論、そうならないように最大限の努力はする。
する、けれども。この世界じゃ、一体何がどう転ぶかも不明なのだ。
────元々ここは、主人公至上主義なゲームの中で。
恋は盲目、ないし人の心を大いに乱れさせる。
だから最終手段として、自分で危険地帯からさっさと逃れられるような術は持っておいた方がよいと私は思うのである。
いざとなったらその辺に居る馬とかパクってね。華麗に死地から逃げ出したりね。するかもしれないしね。
かくして私は夢の乗馬を習い始め。
予想以上に揺れる馬の上で必死に体幹を鍛えることとなるのだった。
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