穿つ魔弾(2)
──戦場の東西を壁の様に囲む山々。 ユダンとリジィはその西壁、ベニエス山に沿って歩を進める。
「リジィ。 お前子供は元気にしてるか?」
ユダンが脈絡無く、走りながら話し掛けた。
「なんです…急に」
「ただの世間話だろ、付き合えよ。 どうせ暇だろ?」
「我々は絶賛任務中なんですが…。 まぁ、構いませんけど。 …私は、しばらく会ってませんね。 訓練の日々だったもので」
「そりゃ可哀想に。 確か三歳とかだろ? 可愛い盛りだってのにな」
「…ええ。 多分帰っても父親だと気付かれませんよ…。 まったく」
「はははっ。 軍属の辛いところだなぁ。 だが、それももう直ぐ終わる。 この戦で変わるぞ? …世界が」
「いや、それは安寧とは真逆の変化になりそうですが…」
取り留めの無い会話。
万全の索敵網を敷いての移動という、比較的危険の少ない時間だからこそ得られる…精神的休息。
だったのだが…。
「────!! …ユダンさん、敵です。 対象は
リジィが急停止して放った一言によって…あっさりと幕を下ろされる事になった。
「
リジィの緊迫した声を受け、ユダンもスイッチを切り替え情報の開示を求める。
「凄まじい隠密能力ですからっ、隠密系の神器だと思われますっ! 場所はここより西、高い位置! 至急対応を決めて下さいっ。 敵もこっちに気付いてる!」
リジィは場所を指で示し、早口でまくし立てた。
「なんでバレた?」
「私の神器は対象に直接触れる。 感覚の鋭い者なら────ッ」
会話の途中。 リジィは言葉を詰まらせ、顔を驚愕に歪める。
「───そんなっ!なんでっ…! 速いッ!?」
「どうしたッ!?」
「動きましたッ! とんでもない速さだッ…とても追い付けないッ!!」
「俺が行くッ!
「付けてますっ!」
「なら良いッ!! お前は此処で待機っ!」
言うや否や。
ユダンは直立の姿勢から、一切の反動を付けずに空へ舞い上がる
そして…『
リジィの言う通り、超スピードでユダン達から遠ざかっている。
だが。
「スピード自慢か? なら、相手が悪い」
ユダンはニヤリと笑みを浮かべ、空中で前傾姿勢を取った。
「ユダンさん!
地上で叫ぶリジィには…、
(舐めてんのかリジィ…。 …俺を誰だと思ってる)
心中だけで言葉を返す。
その間に、ユダンは身体を地面と水平にまで引き倒し……、
そして
自らの身体を、射出させた…。
───『
「俺から逃げられるヤツなんざいねぇッ!!」
ユダンの叫びは、高速の空気に掻き消えた。
殆ど……弾丸。
障害の無い空を、対象を目掛け一直線に飛翔する。
ユダンの言う通り、如何に相手が速かろうと逃げ切れはしまい。 十数秒の後には会敵を果たす。
しかし…。 と、ユダンは思案する。
(リジィは敵を
そんな思考の間にも、ユダンの身体は速度を落とす事なく敵に接近し…
遂にユダンの視界に姿を捉える。
「女…? 幾つだありゃあ…?」
…ユダンの目に映ったのは、驚異的な身体能力で草木を避けつつ駆ける…みすぼらしい格好の女。
いや、少女と言った方が良いかも知れない。 ユダンには、女が成人してるとは思えなかった。
(おいおい…。 ますます分からねぇ。 …何者なんだありゃあ)
予想外過ぎる人物像との邂逅に、ほんの少し意気が削がれるユダンであったが…。
それだけで、手心を加える様なマネはしない。
─会敵まで残り、二百メートル。
「…気になるし、少し気が引けるが…任務だ。 悪く思うなよ」
呟き。 ベルトに取り付けられたホルスターに納められている弾を、一つ手に取り出した。
大きさは親指ほどで、形状は矢尻の様。 原料に最硬の鉱物と名高いラジウール鉱を加えて作られた、ユダン専用の魔弾である。
(その歳でよくもそこまで鍛えたもんだ…。 驚嘆に値するよ。 でも、単独行動ってのは…油断が過ぎるだろ?)
既に攻撃は射程圏内。 だが、ユダンは更に間合いを詰める…。
(気付かれるギリギリまで近づく…)
…一撃を以て、仕留める為に…!
そして、敵までの距離が五十を切り…
遂に、動く。
ユダンが右手に掴んだ魔弾を、敵に向かって放り投げる。
それは、自身の移動スピードと比べると酷く緩慢な動作の様に思われたが…。
刹那。 指から離れた魔弾は音速の壁を突き破り、小さな衝撃波を響かせた。
─直後、少女もユダンに振り返る。
だが。
(気付いたかっ?! …だが、もう遅い…! もはや回避は不可能ッ)
亜音速にて飛翔し、敵を穿つ…
「終わりだ」
『
─────
(最大出力の
ユダンは勝利を確信していた。 次に自分が耳にするのは、魔弾が少女の頭蓋を貫く音なのだと、僅かに心を痛めてさえいる。
しかし。
実際にユダンが聞いた音は…。
────ガキィインッ!!
さながら、鉄の塊を撃った時の様な……けたたましい金属音。
「………んぁ?」
予想の斜め上をいく音に、ユダンから言葉にならない声が溢れる。
(なんだぁ? 今の…)
この時、ユダンはまだ自身の勝利を疑っていなかった。
ただ、想像と違う音を不思議に思っただけ。
そして、それはある意味では仕方のない事であった。
彼の経験則、知識が…今の攻防での敵の生存を許さない。
それほどまでに、完璧な奇襲…一撃であったのだ。
だが…。
仰け反った少女の身体が…。
その身を起こし…あろう事か、半身で構えだす…。
「馬鹿なッ!!?」
今度はユダンも、キチンと事態を把握し声を荒げた。
(あり得ないッ!! なんで生きてるッ!
ならッ!。 と、ユダンは目の前に構える少女を凝視する。
(純粋強化の神器を持ってるってのか? その歳で…? それなら絶対にあり得ないって訳じゃねぇが…。 なら、なんで
ユダンは先程までは憐憫すら感じていた少女に対し、怒りを込めた眼で睨み付けた。
もっとも、少女にしてみれば甚だしく理不尽な怒りに他ならないのだが…。
(純粋強化。 厄介だ…。 出力によってはそもそも攻撃が通らない。 俺の天敵…。 だが…)
ユダンは少女の額の状態を確認する。 額の左辺りから、
頭蓋骨へ何らかの損傷を与えている可能性も考えられた。
(少なくともノーダメージではない…。 血で左目の視界が死んでる事も加味すりゃ…勝てない相手じゃあないッ!)
ユダンは戦闘方針を決定させ、足裏に『
「──あっ! このッ!」
ユダンが急に間合いを大きく外したことで、少女が何とも間抜けな声を発した。
「はっ! そうだ。 苦手はお互い様…! お前は俺を攻撃出来ねぇ!」
ユダンは上空で高笑う。
そして、ラジウールの魔弾を両手に掴んだ。
「─削り殺すっ!」
ユダンの選んだ作戦は至極簡単なものだ。
…相手の攻撃が届かない位置からの、一方的な射撃。
───ヒュンッ…!
──ビシッ!!
─────────────ゴッッ!!
ユダンは自身の小柄な体格を活かし、『
射出装置であるユダン自体が高速で動く、『
相手を選ばず格上にも通用し得る、基本戦術であり…奥義。
なのだが…。
「──ッ クソッ! 当たらねぇ…なんつー反射神経だ…!」
ユダンの放つ魔弾をフィオナは
どれだけ高速で動こうと、少女はユダンから視線を外さない。 …死角が、生まれない。
そればかりか、逆にユダンの方が木の陰に隠れる少女を度々見失う始末…。
(くそっ、あり得ねぇ…! 何なんだコイツは! 神器の能力だけじゃあねぇ…。 素の身体能力自体が馬鹿高ぇ…! どんな鍛え方したらそうなるってんだ! ……チクショウ……!)
ユダンは…自分より一回り年下の少女に対して、嫉妬心と劣等感を覚えている事をハッキリと自覚する…。
(駄目だ…勝てねぇ…。 完璧に見切られてる。 ……大見得切っておいて恥ずかしい事この上ないが…引くしかねぇか…)
だが…直ぐに自分の感情を諫め、冷静に次の行動を決定させた。
─戦況次第でいつでも戦闘から離脱出来る。
ともすれば…これこそが『
多種多様な能力を宿す神器と言えど、空を自由に往ける神器は希少であるからだ。
そして、ユダンはその事を重々と承知している。
『単独行動を許されている俺が何より重んじるべきは…生きて帰ること』
その思いが、ユダンに深追いを許さない。
今の退去判断も、タイミングとしては悪くない。
むしろ…攻防を最低限に抑えての、極めて合理的判断だと言えるだろう。
──だが
ユダンは一つ見落としていた。
…いや、そうじゃない。
ちゃんと見えていた。
ただ…見過ごした…。
さっきから、少女の姿が見えないことを…。
高をくくっていた。
空にいる自分への攻撃手段など無いのだと。
故に…
─────グシャッ…ッ!
自身への致命的な攻撃を、ダメージを…その身に受けて、初めて気付く…。
「───ぉ…ゴパァっ…!?」
ユダンの口から、空気と共に血が溢れる。
脳を灼かれたと錯覚するほどの、激しい痛みと衝撃…!
(──ッ なんッ攻撃?! 脇腹─痛ッ!)
痛みで脳が混乱し、思考もまともに紡げない。
だが…そんな中でもユダンは、辛うじて攻撃を受けたと思われる方向に身体を向ける
ユダンが涙で滲む視界で捉えたのは、今まさに何かを投げようと腕をしならせる…少女の姿。
「ぁ、が…、かいひ…を…」
痺れた頭で何とか『
身体は金縛りに遭ったように動かず、言うことを聞かなかった。
そして…。
────ゴシャッ…
少女の放つ二撃目が…ユダンの右胸に突き刺さった…。
「───ゴプッ──カヒュ…」
ユダンは自身の右胸に視線を落とす。
そこに見えたのは…拳大の、ただの石ころ。
(あり、得ない…。 どれだけ強く投げたって…、石で
肺の潰れる音を聞き、口から息を吐き漏らしながら…ユダンは落下する……。
──もはや、神器を制御する気力は無かった。
地上。 木に背中を預け、ユダンは虚ろに目を開く。
ユダンは軍医ではないし、医術の知識もない。 だが、自らの身体であるが故に分かってしまう。
間違いなく、致命傷であることを……。
そこに…。
少女が未だ警戒を怠らず、近づいてくる。
ユダンは…唯それを眺めているより他なかった…。
「…動かないでね。 ちょっとでも動いたら…もう一発食らわせるから」
淡々とした、抑揚のない声で少女が告げる。
心配せずとも、もうユダンは指一本とて動かす事が出来ないのだが…。
「…………。 あなたの魔道具を渡して。 …動けないなら、どれか教えて」
ユダンの沈黙を肯定と受け取った少女は、変わらず…平坦な口調で要求をユダンに告げる。
「……ぁ、魔、道具…?」
「…あっ、えと…。 あの、あなたが空を飛び回ってた…その、道具よ」
「………」
少女の口調が乱れ、どこか…年相応の幼さが見えた気がした…。
「……右手、くすり…指。 …指輪」
ユダンの言葉を受け指輪を取り外した少女は、注意深く…或いは興味深く指輪を観察していたが、やがて納得したのかポッケに仕舞い込んだ。
「………き、聞きたい、こと、が…ある」
神器を仕舞い、顔を上げた少女に…今度はユダンが話し掛ける。
死ぬ前に、聞いておかなければならない事があったからだ。
「……なに?」
「…お、お前、は…
「………ごめん。 答えてあげたいけど、あなたが何を言ってるか分からない。 ……でも最後の攻撃はただ…オーラを込めた石を投げただけだよ」
「…………そ、か…」
僅かに場に流れる沈黙。 ……そして。
「………もう一つ…」
「…うん…」
「…なんで、そ、そんな…顔を、している…?」
「…え…?」
「……なん、で…お前が、泣く…んだ?」
「──っ、な、泣いてなんてっ」
(…最初から、気になってた。 俺に近付いて来た時から、妙に辛気臭いツラぶら下げてるってよ。 …あげく俺の傷を確認してからは、なんとも分かりやすく涙を噛み殺してやがる…。 まったく。気になって仕方がねぇ。 …おかげで、魔道具やらオーラやら、他の訳分からねぇ単語を聞き飛ばしちまった)
「…いや、…泣いて、んだろ…」
「泣いてないって言ってんでしょっ! バカっ!」
「……く、ふは、は」
少女の、余りに飾らない態度に…ユダンは思わず笑みを溢す。
(なんなんだ、コイツは…。 …どうしたんだ、俺も)
「………傷、だい、じょうぶ…か?」
(分からねえ…。 何で俺は、敵とこんな話をしてるんだ?)
「…え、傷って、額…。 これ? …大丈夫じゃないっ! 滅っ茶苦茶痛いんだから! …もう少しで死ぬとこだったし」
「く、ふは…。……し、にかけた? 嘘、…お前、楽勝……だ、たろ?」
「嘘じゃないよ。 オーラを集めるのが少し遅れてたら…私は死んでた」
「……………はっ、そう、…かよ」
(まったく、訳が分からねえ…。 なんで俺は、笑ってるんだ…? …さっきからコイツの言ってる事は何一つ分からねえし。 コイツにも俺の言葉は通じねぇ…。 ……なのに、くっふははっ…。 それでいいと、思っちまってる…)
ユダンは…自らに致命傷を与えたその張本人と、信じられぬほど穏やかな気持ちで会話をしていた…。
それが、何故だか分からない…?
…いや、ユダンは本当は分かっていた…。 答えを求める必要性を、無意識に排除しているだけ…。
最期の時に、笑えている。 それだけで良かったから。
…ただその感情に、浸っているだけで…。
ただ、本気で笑えてしまったから。
「……き、君、……名前、は…?」
名を、知りたくなった。
「…………フィオナ」
「そう、か……フィ、オナ…」
悪くない最期だと、思ってしまったから。
「俺、は…ユダン、…だ」
「……ユダン、さん」
「…くは、は………………………───」
名を、伝えたくなった……。
それだけだ…。 そして…それで十分だと、そう確かに心に思いを抱いたからこそ…。
ユダンは、フィオナが自分の名を呼ぶ、その声に福音を感じながら…静かに眼を閉じた…。
呼吸が止まり、オーラも消失したユダンの身体を見下ろしながら、フィオナは唇を噛み締め…膝を震わせる。
涙は流さなかった。 それだけは相応しくないと、そう思ったから。
フィオナにとってユダンは…敵だった。
自分を殺そうとした敵で…。 ついさっき出会っただけの人物。
でも……。
ユダンはフィオナに、生まれて初めて…本気の殺意を向けた人間だった。
フィオナは生まれて初めて死にかけた。
ユダンはフィオナが生まれて初めて、本気で攻撃した人で……。
フィオナが初めて……殺した人だった。
だから。
「…ユダンさん。 忘れないから……あなたの事」
震える声で、ひと言だけ呟いた。
ユダンが最期、フィオナに名前を教えたのは、自分に覚えておいて欲しかったからだと…そう勝手に解釈したからだ。
冷静に考えれば、自分が殺そうとした相手に名前を覚えて貰おうなどと、厚かましい以前に非常識だと一笑に付して然るべきではある。 …だが。
フィオナにとってはどうでもいいことだった。
自分が思うように、自分の心に頷けるように、唯そう解釈するだけなのだから…。
その後、フィオナは数秒その場に立ち尽くし、やがてユダンの亡骸に背を向けて走り出す。
山を駆けるフィオナは、もう前を向いていた。
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