穿つ魔弾(1)

 「ウッソ…まじ? まだ二時間くらいしか経ってなくない…?」


 アケロスに連なる山々。 

その一角であるベニエス山で息を潜めるフィオナが、思わず声を漏らす。


 フィオナの視線の先。 直線距離で五百メートル近く離れたベニエス要塞では、今まさに三人の男達が馬を駆り、要塞から走り去って行くところであった。


 (まさかこんなに早くレイの言うとおりになるなんて…。 でもレイも丸一日何も起こらなかったら、なんて言ってたし。 ここまで早い決着は流石に予想外だったり……)


 予想を大きく上回る事態の進展スピードに、数瞬思考を囚われたフィオナだったが……。


 「…戻らなきゃ」


 直ぐに思考を現在に合わせ、行動を開始する。


 (もう、いつ全員が逃げ出すか分からないっ)





 ………だが…。



 「───えっ…?」



 足を踏み出すと同時に感じた…


 ……違和感。



 (見られてる…?)


 フィオナの身体に纏わり付く、知覚の糸。


 (…違う…。 視線じゃない、なんなの)


 何かが自分に触れている。だがそれが何なのか、答えを得る事が出来ない。 全くの、未知…。

 それが…恐ろしくて、気持ち悪い。


 フィオナは身体に悪寒が走るのをしっかりと自覚した。 この感覚は、初めて猿達に出会った時以来…。


 (私は何も感じられないのに、相手は私を補足してる? 一方的に? …それってつまり、格上? …じゃあ今ってつまり…)


 「…かなりヤバい?」


 フィオナは自身の置かれている状況の深刻さを理解した。


 「ふぅっ、落ち着け…。 まだ、大丈夫」


 フィオナは軽く息を吐き出し、脚に力を込めて前傾姿勢をとる。

 隠密状態も解除した。 補足されているのは確実。…なら、もはや忍ぶ意味は無い。


 (まだ、魔道具ってのに捕まっただけかも知れない…。 ──ならっ!)




 「──ブッちぎればいいだけでしょっ!?」



 ──ドゥッ!!


 気合いと共に踏み抜いた脚が地面を抉る。 次々と振り下ろされる一歩が地を叩き、瞬く間にフィオナをトップスピードまで加速させた。


 茂る草木を器用に避け、フィオナの視界は…まるで残像の様に辺りの景色を送らせる。


 ……途轍もないスピード。




 ───野生。 

 と、時折レイはその様にフィオナを表現する。

 気配の消し方や身体の使い方、そういったものが野生動物を彷彿とさせる。と言う、そのまんまの理解に起因した表現であるが…


 その評価に違わず、フィオナの瞬間スピードは…レイはともかくリアのそれを上回る。


 故に、純粋な肉体とオーラによるスピード勝負であれば、この戦場でフィオナに勝る者はいない筈であった。



 しかし……。



 (振り切れないっ?! 嘘…そんな、レイじゃないんだからっ)


 フィオナにべったり絡み付いて離れない、未知の力。


 (いやっ、違うって私。 これは魔道具なんだってっ。 本人に追い付かれなきゃ問題ない…大丈夫。 …だい‥‥ ────っ)


 そんな、フィオナの思考をあざ笑うかの様なタイミングで……、


 「…追い付かれたしっ──もうっ!」


 今度はフィオナの索敵網が、敵を捉えた…。


 

 (どうしよっ!?戦う?! でもレイは絶対戦うなって…。 でもっ…!)


 自身の索敵網…背面およそ百メートル地点に突如感じた敵の存在に、フィオナは動揺を抑える事が出来ない。


 迷いを断ち切る事が出来ない。 ─判断まで、辿り着けない。


 その時フィオナは、敵のスピードを無意識に過小評価してしまっていた。

 未だ逃げ切れる可能性を夢想した。


 

 故に、必然…



 (─────ッ!?)


 

 瞬間。 ひと息の間に、僅か五十メートルの距離まで迫った敵への反応が…遅れる…!



 


 ────ガキィインッ!!



 


 ─鋼鉄のつぶてが、フィオナの額を打ち付けた…。





ーーーーー





 ──およそ十五分前、ファリウス帝国陣地。



 「ユダンさん。 ダグラスが引きました」


 鮮やかな金の長髪を持つ青年は、隣に立つ人物に声を掛ける。


 「分かってるよ。 俺も見てんだから」


 声を掛けられた男…ユダンは、何とも素っ気なくそれに答えた。


 ユダンは、百六十センチに届かない小柄な体格と下顎に蓄えられた髭を特徴に持つ青年である。 

 ファリウス帝国で子爵位を持つ父親の次男として生を受け、この戦場では遊撃隊隊長を任せられていた。


 …まぁ、遊撃隊などと仰々しく呼称したところで実態は…。 ユダンともう一人…金色長髪男リジィとの、二人パーティーだったりするのだが。


 「それで、どうします?」

 「どうもこうも、作戦通り。 ダグラスが馬鹿でなけりゃあ、撤退以外はあり得ない。 俺達は先行して、それを叩く」

 「…でもあの戦いぶりを見るに、撤退を選ばない可能性もありますね」

 「まぁ確かに、猪みたいなヤツだったからな。 だが、そうなりゃまた直ぐ此処に戻ってくるだけの話だ」


 ユダン達の任務は、通常戦闘であれば味方の援護とサポートを担うものであるが…。 ダグラスの戦場離脱をトリガーにして、その任務の性質は大きく方針転換される。


 敵が撤退を選ぶ局面になった場合、二人は戦場を一時的離れ、離脱を図る敵貴族達を背後から奇襲せしめるのである。

 逃げる際には、防御が甘くなる。 この戦闘で、一人でも多くの敵を討つ為の作戦であった。


 「んな事より…おらっ、余計な事言ってないでさっさと始めろ…!」

 「…えぇ、分かってますよ」



 ユダンの催促を受けたリジィは、自身の神器を胸元に構え…。

 続けて、さながら楽団の指揮者の様に神器を振るった。


 リジィが手に持つ神器は、その所作のおかげで指揮棒の様に見える。 

 だが…それ単体で目にした者には恐らく、唯の細く整えられた棒切れと誤解するだろう。

 …それほどのみすぼらしさ。

 

 一見すると神々しさなどまるで感じられない代物であるにもかかわらず、人も神器も…見かけによらない。

 

 この神器は、ファリウス帝国にて上級下位に数えられる業物であった。



 名を──



 ───『風精の嚮導シルフ・ド・ソング』───


 索敵・攻撃感知・神器感知を、一体且つ高水準に為す事が出来る支援特化型神器である。



 『風精の嚮導シルフ・ド・ソング』が振るわれると同時。 リジィの周りの空気が優しく流動し、彼を中心にして渦を巻く。 

 そしてそのまま…周辺の大気を集めるかの如くとぐろを巻いた風は、やがてリジィに吸い込まれる様に収束した。


 「…ふぅ」


 風で乱れた髪を整えつつ、リジィは軽く息を吐く。 

 これで準備は整った。のかと思えば、リジィは間髪置かずに再び神器を胸元に構え…


 また、振るう。


 数秒前と全く同じ所作。 一連の流れ。


 事情を知らなければ、失敗を取り繕っているのかと疑われそうな行いであるが、勿論そうでは無い。


 『風精の嚮導シルフ・ド・ソング』は、それ単体で複数対象の感知が可能な優秀な神器であるが、実はもう一つ…大きな特徴を有している。

 

 感知対象を限定する事で、察知能力を大幅に高める事が出来るのである。


 つまり…。


 リジィが今行っているのは、防衛から索敵への作戦移行に対応する為の…効果の切り替え。 

 開戦時から展開している攻撃感知を主とする防衛陣、そこから人体特化の索敵陣への…張り替え作業。


 「毎回思うが、いちいち終わらせないと切り替えらんないの…不便だな」

 「…仕方ないでしょう? 全然違う効果なんだから」


 ユダンの憎まれ口を軽くあしらいながらも、リジィは集中を途切れさせない。


 神器を操り展開の工程を進めていく。


 先程はリジィに向かって収束していた風だったが、当然…今度は逆。

 渦巻く流れは、リジィを中心に徐々にその輪を広げ…。 


 そして。


 「よし。…散れっ」


 リジィが掛け声と共に腕を水平に薙ぐと……。

 

 …渦巻く大気の輪は急速に拡散し、吹き抜ける爽やかな風だけを残して…空気に溶けた。


 

 「…展開完了です」


 力が問題なく広がっていく感覚を確認したリジィは、一呼吸を置きユダンに報告する。


 「オーケー。 じゃあ、作戦開始だ…。 山沿いを走り、要塞横を抜ける」

 「ええ。 心得ています」


 二人は一度顔を見合わせると、ほとんど同時に動きだした。













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