クラリッサ

 バケツをひっくり返した様な喧騒の中、屋敷を目指して歩く。


 周りでは兵士達が忙しなく走り回っており、俺が近くを歩くとその場で立礼を行い石の様に制止する。しかし、俺が彼らに一瞥もくれず脇を通り過ぎると、また恐る恐ると動き出す。

 …そんな事を何度か繰り返した。


 元々兵士達には私物などさほどないのだろう。 皆両手に収まる程度の荷物を持って次々と東に駆けて行き、あっという間に周りに人の気配を感じなくなる。

 …この様子では、三十分どころか十分程で退去は完了しそうであった。



 そして、そんな兵士達を横目にしばらく歩くこと五分弱。 兵士達の生活区画を抜け、居住区画に入る。 


 …そこに建てられていた家屋は、どれも悪い意味で特徴的だった。


 兵士達の家屋とは違い飾り気がなく、どこか薄汚れているのに…建材だけは頑丈そうな分厚い木材が使われている。 つ入口には、これまた頑丈そうな鉄製の錠前とオマケのつっかえ棒。 そして厩舎の更に天井を低くした様な外観であるにも拘わらず、出入り口は一カ所だけ…。


 もしかしなくても、これが恐らくラウル達の寝床だろう。



 しかし、立派な錠前だ…。 だが古びていて、最近取り付けられた物でもない



 「……………」



 燻っていた微かな疑念に再び火が付くのを感じつつ、居住区も抜けて…一際高所に建てられた邸宅敷地内へと足を踏み入れる。

 農園を一望出来るように構えられたその造りには、住む者の思想が透けて見え。

 …それが何とも、鼻についた。


 外から屋敷内部の気配をなんとなく探りながら近付くが…。

 どうやら、もう使用人達は退去済みのようだ。 …人の気配を感じない。


 騎士長殿が迅速に仕事をこなしてくれた結果なのだろうが…早速後悔している自分がいる。



 しまった。 これじゃ、例え書籍を見つけても…俺には内容の判別が不可能…



 今からでも走って一人呼び戻そうか。 そんな考えが頭をよぎった…



 …その時。



 「ん? …いや、一人居る、か?」


 微かに…屋敷内に残る人の気配を感知した。



 残ってるなら話しは早い。と、揚々屋敷の扉を開け足を踏み入れるが…。


 建物内に入ることでより鮮明に感じた気配は、何とも言えず変わったもので…。 一瞬、足が止まってしまう。



 薄いな…



 どうやら意図的に気配を殺している訳ではなさそうなのに、伝わってくる気配は何とも希薄なもので…。



 死にかけてるって感じでもなさそうだが…



 俺は、無意識にその気配に向かって歩き始めていた。


 本はとりあえず今はどうでも良い。


 …この気配の主を、見てみたかった。




 気配を追い、屋敷二階の一室の前に辿り着く。


 着いたその部屋は、扉からして異様だった。

 両開きの豪奢な扉の取っ手に、何とも不釣り合いな剣の鞘が…かんぬき代わりに通されている。


 軟禁されてるって事なんだろうが、扉に全く傷がない事や、閂に鞘が使われてる事から考えて…恐らくこの措置はつい最近から行われたものだろう。



 何となく“答え”が見えたような、そんな意識が身体に奔るのを感じつつ…鞘を外し、扉を開ける。



 …其処そこに居たのは、妙年の女性。


 軟禁状態であった扉が開け放たれ、人が押し入って来たというのに…こちらを一瞥もせず窓際の椅子に腰掛け、外を眺めている。


 かなり異様な光景だ。


 見た目は少し幸薄そうな深窓の令嬢といったところだが、纏う気配が余りに希薄。 …或いは、恐ろしく達観した雰囲気とも言えるだろうか。 

 …何しろ精神に全くの動揺が見られない。 普通、女性なら…いやそうでなくても、この状況なら必ず表れるだろう心の揺らぎが感じられない。


 それが彼女の容姿、所作と相まって、この場の空気感をよりミステリアスで…奇妙なものに仕立て上げていた。



 …不気味。 第一印象はそう断ぜざるを得ない。



 「…どうも」


 だが、とりあえずは基本の挨拶。 ジャブで様子を見る。


 「こんにちは」


 おっと。 これは予想外…


 何となく無視されるつもりでいたのだが、彼女はこちらに向き直り…丁寧に挨拶を返した。

 

 思ったより、不思議な人ではないのだろうか? 


 …と、そう思った矢先。

彼女はまた身体を横を向け、窓の外を凝視する。



 やっぱ少し変わってる…



 「……何を見てるんです?」

 「山の民ラウルの皆さんを」 


 ラウル…


 「…気になる?」


 俺は彼女の横まで歩き、同じ窓から外を見る。 そこからは、リアが農地に散っているラウルの皆を集めているのが見えた。


 「はい」


 俺の質問に、彼女は即答で返す。


 「…今、ちょうど俺の仲間が彼らを集めてるとこだな」

 「……何の為に、ですか?」

 「逃がす為に」

 「逃がす…」


 彼女はそう呟き、初めて自分から俺の顔を見た。


 「…貴方は、ファリウス帝国の貴族だと思っていましたが…」

 「違う。 兵士と使用人達にはそう言ったけど、まあそれは嘘。 本当は…とある事情で神衣も神器も扱える一般人」


 俺はそう話しつつ、懐からディーンの魔道具を取り出して微笑んだ。


 「………………」


 彼女は、一瞬目を見開いたがすぐに表情を戻し…注意深く、疑う様に俺の眼を観察する。


 だが、やがて納得したのか…再び俺から視線を外し……


 「…では、本当に彼らを助けていただけると…」


 …そう、念を押す様に尋ねた。


 「そりゃあ、その為に来たので」


 その問いに俺は、一切の迷いなく答えを返す。


 「…そう、ですか」


 すると…彼女の纏う雰囲気が一気に和らぐ。 …心なしか、口角も上がっているように見えた。


 「…嬉しそうだな」

 「はい。 とっても」


 この質問にも、即答。


 どうやら、気持ちを隠すつもりはないみたいだ。


 「数日前、この農園からラウル達が脱走する事件があった筈。 …覚えてる?」

 「はい。 もちろん」

 「俺達は、その時脱出した人物の導きで此処に来たわけだが…。 貴方が手引きしたんでしょ? …脱出」


 核心を突く問い。


 だが、これにも…。


 「そうです」


 当然の如く即答。


 偽らないでくれるのは有り難いが、少し拍子抜けしないでもないと思うのは、我が儘だろうか。



 「ですが、私はただ錠を外し扉を少し開いただけ…。 選択したのは、エレナさんです」

 「エレナを知ってるのか?」

 「はい。 一方的に、ですが。 彼女が、彼らの中で一番私達を憎んでいて、一番…その機会を狙っている人物でした」

 「なるほど…」



 …しかしこれで、心に僅かにつっかえていたモヤモヤは晴れた。



 最初に違和感を覚えたのは、グエンと話した時だ。 

 グエンは俺から戦争の話を聞いて、エリック達が急に農園から消えた理由に得心を得ていたが…俺には少しの不可解さが残っていた。


 監視の人数が少なくなれば、当然脱出の可能性は高まるだろう。 それには異論はない。

 だが、そもそもの前段階…夜押し込められている家屋からの脱出が叶わなければ、その先などあり得ない。


 それをグエンに問いただしたところ、グエンはエレナに突然扉を開けられたと言っていた…。 

 グエンとエレナの寝所は別であったのだが、そこに夜中エレナがやって来て一言…『逃げるわよ』と言い放ったのだと…。


 その前の事も後の事も、必死であった為覚えてないし気にもしていないとのことで、俺もそれ以上聞かなかったし…エレナとも話す機会を逃していた。


 しかし、この屋敷へ到着する前に目にした家屋…。 その強固な施錠環境を見て確信した。



 これを自力で破るなど、不可能。 



 二カ所以上同時の施錠ミスなど、考慮にも価しない。


 故に、答えは一つ。


 何者かによる、意図的な脱出工作。



 そこに、どうやら最近軟禁された女性が一人…とくれば。



 まぁ、ほとんど答えみたいなものだ…



 「…何故彼らを助けようと思った?」


 聞きたい事の一つがそれだった。


 「…あの様な生き方を、強いて良いわけがありません。 …私の信仰が許さない」

 「信仰…?」

 「シェライルの教えです」

 「……シェライル」


 シェライル教。 確か、女神シェーラを始祖とする宗教…


 「…だがシェライル教は国教だ。 あれを始めたバーゼルも貴族…。つまりシェライル教徒である筈」

 「えぇ、そうでしょう。 ですがそれがどうだと言うのです? 上辺だけの信仰、くだらない解釈…どれも、私には関係ありません」

 「…つまり貴方は自分の意思に従った訳だ」

 「“私の信仰”に従ったのです…!」


 彼女が鋭い視線を向けてくる。


 さっきまでの薄く透明な気配が一気に色づく。

 まぁそれも当然。 軟禁覚悟で奴隷の逃亡を手助けするような人間が、あんな薄味な訳がない。


 だから。


 俺はそんな彼女の視線に、笑顔を返してしまう。


 「…なにを笑ってらっしゃるのです?」

 「いや。 何とも俺好みの回答だったもんで、つい」

 「…どう言う意味でしょう?」

 「まぁまぁ、それはともかく。 そろそろ名前を聞きたい、貴方の。 …ちなみに俺はレイと言いますが」

 「……………クラリッサと申します。 クラリッサ・ラ・メルエスティン」


 俺の強引な自己紹介に、クラリッサは渋々といった感じで応える。

 だが、不承ながらも椅子から立ち上がり優雅にお辞儀をした辺り、育ちの良さが窺えた。


 「それじゃ、クラリッサ。 貴方は何故この屋敷に? バーゼルとの関係が知りたい」

 「嫁いで来たのです。 私は」

 「……え?」


 マジ…? それってーと、つまり……


 「…あー、じゃあつまり、相手は…」

 「エリック・バーゼル」


 マジか…


 「そのご様子なら、あの男の事もご存じなのですね」

 「…いや、ご存じもなにも…。 ついさっき、殺してきたとこだ」


 一瞬、言うべきか迷った。


 それは…エリックが家族に対しては人格者であり、クラリッサもそんな彼の事を愛している可能性を考慮した逡巡だったが…。


 文字通り一瞬で捨て去った。 

目の前のクラリッサの様子を見るに、その可能性は低そうだし…何より、俺はエリックの死を欠片も悼んでいない。


 つまらない取り繕いをするつもりはなかった。



 そして、そんな俺の爆弾に成りかねない発言に対するクラリッサの反応は…。



 …笑顔だった。


 それも、満面の。



 頬が今日一番のせり上がりを見せ、白い歯を覗かせる。


 「嬉しそうだな」

 「えぇ。 とっても」


 変わらぬ即答。


 だが、歯を見せて笑う事は憚られるのか、クラリッサは口元に手をやり頬を抑え付ける。 

 …それでも下がりきらない口角に、気恥ずかしそうに目を逸らすのが…なんとも可笑しかった。



 「……………」


 …それ故に、解せない。


 「………クラリッサ。 もう一つ、気になってる事があるんだが」


 未だ嬉しそうに頬を緩ませているクラリッサに、ごく真面目な声色で語りかける。


 「……なんでしょうか…?」


 そうするとクラリッサも、すぐに真剣な表情を取り戻し…纏う雰囲気すら変化させる。



 これだ…


 助けようとした理由は分かった。 エリックとの関係も、今の反応でおおよそ想像出来る。 


 だが…。 いくら笑おうと、強い意思を覗かせるようと…この消え入りそうな気配を振り切れない。


 …どうにも噛み合わない。 当初から感じる印象と、話した印象が…。


 クラリッサの停滞。 …その根源が、分からなかった。



 「……あんたはこれからどうするんだ? エリックは死んで、兵士と使用人も消えた。 …もう、自由の筈だが」


 しかし…。


 「どうも致しません…。 私は此処で死にます」


 クラリッサは事もなげに、そう言い放った…。



 「…ハァ」


 思わず溜息が漏れる。


 まぁ、分からないと言いつつも…そうじゃないかと予想はしてた。


 軟禁状態とはいえ、元々この部屋がそれを目的に造られてはいないのだ。 脱出の手段は幾らでもある。


 だが、クラリッサはそのいずれも…試してすらいなかったのだから…。



 「…だが、なんで死ぬ必要が?」

 「罪を償う為です。 …私は罪を背負って生きる事は出来ない」

 「罪…? あんたに何の罪があるって言うんだ?」

 「この地で多くの命を見殺しにしてきた。 …私の罪です」

 「いや、そんなのは俺に言わせりゃ…罪でも何でもないんだが…」

 「…貴方の価値観は関係ありません。 私は、“私の信仰”に従います」

 「…本気か?」

 「はい」


 見つめるクラリッサの心に、一切の揺らぎ無し。


 なるほど…


 「…凄まじいな」


 まったく、これは想像以上に潔癖。 と言うか狂気じみている。

 …一言、異常だと言ってしまえるほど…。


 俺が可能性に思い至っても、最後まで確信を持てなかった理由がこれだ。



 俺が思うに…自分自身を本当の意味で裁く事が出来る人間など、そうは居ない。


 …人は本質的に自分に甘い。


 どんな過ちを犯そうと、どんな後悔を背負い込もうと、他の誰も味方がいなくたって、最終的に…自分だけは自分自身を赦す。


 それが普通。 そうでないと、生きていけない。

 そうでなければ…すぐに死へと辿り着く。


 ましてこんな、貰い事故の様な案件で…そんな裁定を下せる人間などいないと思っていた。


 …だが、実際に目の前に存在している。


 それは一種のホラーではあったが、同時に珍獣に出会ったかの様な興奮を俺にもたらした。



 「…クラリッサの考えは分かった。 …でもそれ無しにしてくれ。 あんたの手を借りたい」


 だから俺も、事もなげに言い放つ…。


 「…? なんですか?急に…」

 「此処で死ぬのは止めて、俺達と一緒に来てくれ。 いやホント、ちょうどあんたの様な人を探してたんだ。 貴族社会や歴史に詳しいだろうし、当然読み書きも出来るだろ?」


 …ただ己の要求を、淡々と。


 元々は今言ったように、彼女の立場や能力に期待していただけだったが…もはやそれと同じくらい、精神性にも興味を持ってしまっている。


 …今更逃すつもりはなかった。


 「ですから、なんです急に…。 嫌です」


 しかし…クラリッサは突然会話の毛色が変わった事に僅かに戸惑いながらも、守りを崩さない。


 流石…。 信じられないほど頑固で、潔癖な精神。 普通なら動かせそうもない。


 「絶対に…?」

 「そう言っています。 …貴方方には感謝していますが、私の意思は変わりません」

 「…そうか。 でもやっぱりあんたは、俺達と行く事になると思うよ。 …勿論、自分の意思で」


 …でも、だからこそ付け入る隙になる。


 「……根拠はなんでしょう? 今の所そんな感情は一ミリたりともありませんが…」

 「だってクラリッサ。 なんかゴチャゴチャ言ってるが、実のところあんたも逃げてるだけだろ?」


 昔、リアにも同じ様な台詞を言ったことを思い出す。

 …だが強い人間程、潔癖である程…この言葉は心に刺さる。


 「逃げる…? …意味が分かりません」

 「違うのか…? 『罪を背負って生きる事は出来ない』って言ってたろ。自分で。 つまり辛いから逃げるって事だ」

 「違います。全く。…私は私の罪を贖う、そう言ったのです」

 「おぉそうか。 だがそこがおかしい。…間違ってる」


 潔癖だからこそ…見過ごせない。


 「え…?」

 「…なんで、あんたが勝手に償い方を決めてんだ…?」


 小さな矛盾を、捨て置けない。


 「…っ…………」


 クラリッサが初めて言い淀む。

  

 「…罪を認めるまでは勝手にすればいい。 誰にもそれは止められない。 だがは、逆にあんた一人じゃ絶対に決められない。 …許可をとれよ、死にたいなら」

 「………許可…?」

 「分かってるだろ? …から。 あんたが自分を加害者だと言うなら、彼らの裁きこそ受けるべきだ。 何を横着してる」

 「……………」


 クラリッサの瞳が、初めて揺れる。


 「あんたが本当に償うつもりなら、逃げじゃないって言うのなら、その作業は抜かせない。 そうじゃなきゃ、償いにはならない」

 「……………………」

 「…クラリッサ。 今のままじゃあんたは、ただ訳もなく死にたがってるだけの女でしか無い。 ……それを、“あんたの信仰”は許すのか?」


 真っ直ぐにクラリッサの瞳を見つめ、問い掛ける。


 結果。


 ここにきて、これまで淀みなく紡がれてきたクラリッサの言葉が止まり。 石の様に不動であった心が瞳と共に揺れ動く。


 俺の眼をしっかりと見据えながらも、俺の言葉は無視できないほど精神に浸透し…その動揺を隠す事さえ今の彼女には出来ないでいる。



 それを確認して…


 「……じゃ、俺は皆の所戻るから。 クラリッサも早く来てくれよ? 十五分以内だ」

 「───え…?! ちょ、ちょっと…! 何を勝手に…!」


 …話を強引に切り上げる。


 「あと、本もあるなら持って来てくれ。 歴史、地理、文字の訓練に使えそうな物…適当に見繕ってくれればいいから」

 「い、いやっ…! あのっ…!」


 そして言うだけ言うと、クラリッサに背を向け…


 「…………えぇ……」


 …部屋を後にした。



 残るのは、クラリッサの困惑だけ…。


 でも、これでいい。 あれ以上は蛇足だ。


 一度動いてしまった心を彼女は無視出来ない。 

 クラリッサの頑固さ、潔癖さが…さっきまでと逆に作用する。



 クラリッサは今度は死んでも部屋を出て…再び俺達の前に現れる。



 “彼女の信仰”を、穢さない為に……。













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