復讐するは…

 (……嘘だ………こんな…。 あり得ない……。 こんなこと……)


 レイとエレナの会話、その最中…エリックはと言えば…。


 ──混迷の坩堝るつぼ。 


 自身の身に突如として降りかかった災厄に、理解も感情も、何もかもが追いつかない。 脳内にある思考の点が線となる事もなく霧散し、後に残るのは現実逃避の言葉だけ。


 極度のストレスから視野狭窄を起こし、視界すらおぼつかない。

 実はこの時、エリックはリアとエレナの存在にすら気付いていなかった。 


 …見えないのだ。


 今エリックの脳に映るのは、レイだけ。 レイの一挙手一投足にのみに注意が払われ…レイが目線をエリックに向ければ、身体を石の様に強張らせ。 レイに手を指し示されただけで身をすくませる。


 まさに、恐慌状態。



 (…なんで…? なんでこうなった…? 分からない…気づいたら、ミルコが……死んでいて……)


 …エリックに残る僅かな理性が、現状の把握を自らに促す。

 だが返ってきたのは、更に自分自身を深い迷宮に叩き落とす事実だけ。


 そう…。 何も、分からない。


 それも仕方のない事。 …先ほどの攻防は、既にエリックの常識の埒外。 理解の枠を、跨いでしまっていた。


 (…ミルコが殺されたのは、遠距離攻撃だ…。 間違い、ない。 目の前で、頭が吹き飛んだ…。 ──っ ならっ…その後は…?)


 レイはミルコを殺した後、ディーンとエリックの前に姿を現した。 レイにしてみれば…ただ走って、そして到着しただけ。


 だが、エリックの目には…突然現れた様に見えた。 


 いや、ディーンの声により振り返った際、こちらに向かうレイの影は…眼の端に捉えてはいたのだ。 

 何か思考する暇はなかったが、漠然とその影が敵であることは心の何処かで理解していた。


 だが…。


 そう思ってから目の前に現れるまでの、時間がおかしい。

 つじつまが合わない。 …あれでは殆ど、瞬間移動…。


 (……それで、その後…ディーン兄さんが死んだ…。 一瞬で…。 闘いにすらならずにっ…。 あり得ないっ…! 兄さんは純粋強化の使い手だった。 全身を無敵の神気で覆ってるっ…! ──それをっ)


 身体能力全体を万遍なく底上げ出来る純粋強化系神器は、優れた攻守バランスを持ち、とりわけ一対一の戦闘が得意とされている。


 中でも…その類い稀な防御力は、神器の位、出力によっては個人を不沈艦に見立てる事すら可能であり。 そして、鉄壁の防御から繰り出される無遠慮な攻撃もまた、多大な存在感を放つ。


 ─純粋強化を破れるのは、同じ純粋強化系。 或いは全く別の攻撃系神器。


 その常識が、エリックを捉えて離さない。


 そして、だからこそ理屈に合わないのだ。 ディーンを討った攻撃、ミルコの頭部を貫いた射撃、瞬間移動と見紛うほどのスピード。


 どれも、それ専用の神器を用いなければ不可能。


 …そう、エリックには思える。


 だから、迷宮はどうやっても抜け出せない。

 戦闘中、瞬時に二種類の神器を使い分ける者…二神憑ダブルロウラーは存在している。 英雄として…各地に名を馳せている。

 それはエリックも承知している。 分かっている。


 だが、三種の神器を操る者はいない。 それは寓話の中の存在だ。 神話上の人物なのだ。


 

 ──故に、あり得ない。



 エリックはその結論に立ち返る他はなかった。 

 …認められる訳もない。それを考慮する事は即ち、自身が十七年積み重ねてきた常識という大地を蹴り崩す事に他ならない。


 そんな事をすれば、立っていられなくなる…。



 だから、エリックは否定の言葉を積み重ねるしかない。


 (やはり違う…。 あり得ない。 こんな、こんなことは……)


 自分の立っている大地が、少しでも長く…真実として存在していられる様に…。




 ……だが、そんな無意味な逃避にも…当然終わりは訪れる。


 

 

 「────っ…!」


 逃避に暮れるエリックに、エレナ達との会話を終えたレイの視線が向けられた。 

 今度は一瞬ではない、長く、射殺す様にエリックの眼を見据えて逸らされない。


 それだけで、エリックは空想の世界から現実に引き戻された…。


 「神器を寄越せ」

 「……え…?」


 そして、発せられる短い言葉。 


 「え、じゃない。 さっさとお前の神器を渡せ」

 「ぁ、あぁ…。 わ、分かった…。 これ…」


 そう言ってエリックは、素直に自身の左手首につけていたブレスレット型の神器をレイに差し出す。


 エリックには既に抗う意思などない。 最初の聞き返しにも、別に反問の意図や反抗の意思があった訳ではないのだ。 …ただ、怯えていただけ。

 故に、レイの要求には諾々と従う。 


 その先に、生存への活路があると信じて…。



 「…屋敷にもあるのか?」

 「…っ えっ…? な、何が?」

 「神器が。 あの農園の屋敷にもあるのか。 ないのか…」

 「──っ な、ないっ…! 在るわけないっ! なんで…お、俺がそんなコト…っ」


 レイをなるべく刺激したくないというエリックの思いとは裏腹に、会話は絶妙に噛み合わない。


 しかし、これは無理からぬ事。 …神器は肌身離さず持ち運ぶ物、という貴族における常識が、レイの質問を意図の読めないものに変えてしまっていた為である。


 「…ふーん。 …なるほど」


 だがレイは、そんなエリックの内なる狼狽など興味もないと言うかの如く視線を切り…。

 

…今度は、受け取った神器をまじまじと見つめる。



 エリックの神器『神鉄の手甲ビギンアサルト』は固有神器である。

 十五で神託を受け、神徒しととして覚醒してから約一年後に父であるダグラスから渡された…エリック専用に調整された固有神器。

 ただし、個人専用に調整を加えられた固有神器と言えど、受け取ってすぐに使いこなせる訳ではない。 神器の発動には長い訓練が必要であるからだ。


 事実、エリックが『神鉄の手甲ビギンアサルト』を使えるようになったのはごく最近の事。

 発動に、一年近くかかっているのである。



 しかし、そんなエリックの目の前でレイは…



 ─いとも容易く



 『神鉄の手甲ビギンアサルト』を、発動して見せる。


 しかも、同じ神器だと言うのにエリックの時と比べると、明らかに出力があがっていた。





 「───なっ、はぁっ?!」



 思わず、強い声が口をつく。 


 こんな事は、想定していない。 エリックが奥底で覚悟していた答えとも合わない、当たり前だ。 …こんな理不尽。


 長い訓練の果てに到達する、二神憑などともまた違う。 …たった今奪った神器を使いこなすという、神業を……。


 

 (…あり得ない…こんなっ……)



 エリックに再び押し寄せる、不条理と言う名の濁流。



 (─なんでっ…! そんなっ……こんな……っ 何なんだよっ…こいつは…うぅ…)



 だが、目の前で突き付けられた現実が…もはや逃避を許さない。



 真実が、音を立てて崩れてゆく…。

 

 エリックは…自分自身の何かが溢れ落ちていくかの様な、強烈な喪失感を味わっていた…。



 

 「なんで…? 俺の、神器だ…」

 「…? もうお前のじゃない」


 ただ、駄々っ子の様に俯き…声を絞り出す


 (違う…。 そう言う事じゃない…)


 「扱える訳がない…。 そんな、すぐに…」

 「ん? …あぁ。 そうだな。 お前らじゃ無理だろ」


 だが、レイはそんなエリックの心境などどこ吹く風。

 エリックの背後に回り込むように歩きながら、まるで独り…脳を整理するかの様に言葉を紡いでゆく。


 「この…神器ってのは、かなり繊細なオーラ制御が必要みたいだからな。 例えば…そう。 細くて複雑な鍵穴にオーラを整形し、流し込む。そんな作業が必要。 その早さと巧拙が即ち、発動スピードと出力に直結してる。 …まぁ、出力の方はどんなに正確にオーラを整えようと…お前みたいな下手クソの一・五倍程度が限界の様だけど…? そこは道具、限界があるのは仕方ない」


 しかし…


 そうして語られた言葉は、エリックの理解の遥か外側…。


 (…なに、言ってんだ、 …こいつ…は)


 …エリックの胸に穿たれた喪失感を埋めるなど、夢のまた夢。


 だが、レイは止まらない。 追い詰める様に、嘲笑うかの様に…。


 「…でも、だからこそ分からない。 あまりに不自然だろ。 …何でお前達はを鍛えようとしない? オーラの量ばっか増やして…どうしてそんな質や制御に無頓着でいられるんだ?」


 大真面目な表情でエリックの前に立ち、問う。

 

 レイがエリックの背後に回り込む様に歩いたせいで、エリックは先程までとは百八十度体向を回転させていた。


 「……元…?」

 「オーラ。 お前達の言葉で言うなら、神衣しんい

 「神衣を、鍛える…?」


 (…やめろ…。 出来る訳ないだろ…そんな事……)


 「…無理だ、そんな…。 神衣は、授かるべき…神聖な……」

 「…なるほど。 つまりお前は、自分で目覚めた訳ですらないのか」

 「……え…?」

 「自分の力と意思で覚醒させた人間は、そんな考えには至らない。 …絶対に」


 (……やめろ…)


 「授かるとか、ハハッ…くだらない。 …鼻で笑ってしまうよ」


 (…もう、やめてくれ…。 これ以上、訳の分からない事を、言わないでくれ……)


 「……でも、これでようやく少し分かった。 お前達の何とも言えない…歪さの訳」

 「……………」

 「…どうした? そんなに震えて?」


 レイからのあからさまな侮蔑の視線を受けてなお…。


 「…もう、やめてくれ」


 エリックには、そう声を震わせる事しか出来ずにいた。 …涙を見せなかったのは最後の意地だ。

 本当なら今すぐ泣き叫びたい気分なのだから……。



 しかし。


 そんな腑抜けたエリックの右腕を、レイの左手が掴み上げる。


 「やめる…? 俺はまだ何もしていない」


 そして…


 「──うっ あがッ! や、やめて」


 強い殺意と共に、エリックの腕をレイの万力が締め上げた。


 「何もかも、全部ここからだろ…?」

 「───ぁあ!! いぃやめ!」


 骨が軋み、砕けようかという…その時…。



 ───ドスッ!!



 エリックの背中に…刃が突き刺さった。



 「───つぅッ! なんッ!」

 「─やった…ッ!? ホントに…!」


 同時に発せられる…対照的な二人の声。


 エリックは反射的に後ろを振り返る。 レイによる腕への拘束は、エリックの背に攻撃が加えられた瞬間に解かれており、行動を阻害しなかった。



 そして目にしたのは、自身の背に突き立てられた長剣と…。 その柄を掴み、憎悪をたたえ、狂気に嗤う…エレナの姿。


 刺さった長剣の傷は深くない。二センチにも満たないもので、致命傷とはほど遠い。

 

 しかし、そんな事よりも……。



 (───っう この女っ…こいつはっ…!)



 「…今頃気付いたのか? まったく呆れる…。 よくここまでの殺気を放つ人間を無視出来るもんだな」


 エリックの背後から、呆れ蔑む声。 


 「──うぎぃッ!」


 …それと同時に感じる、脇腹への鋭い痛み…。 肋骨が軋み、悲鳴を上げる。

 

 この痛みは先程の戦闘で味わった。 殴られたのだ、背後から…。


 だが、それで終わらない。 


 続けて間を置かず、今度は正面から…エレナの長剣がエリックの腹に突き立てられる…。


 「──ぁあがっ!! ─なんでっ!!?」


 今回の傷も致命傷とまではいかない。 しかし、確かにエリックの身体に傷を付けている。


 ─神徒として神衣を纏う、エリックの身体を…。


 それが…今日何回、何十回と味わってきた絶望へとエリックを誘う。



 (───なんで…っ!?)



 何故なら…



 (──なんでっ…! なんでっ…!!!)



 エリックはこの女…エレナを知っている…



 (─なんでッ…?! 神徒でも何でもないただの女がっ…何故ッ?! ────……ッ!!)



 …散々と、自らの手でその心と身体を穢してきた…。

 何の力も持っていないことは、エリックが誰より知っている。






 ─────なのに


 

 「──あぐぅッ!」


 エリックの混乱を嘲笑うかのように。或いは、その混乱すら絶望という名の火にくべるかのように…。


 レイも、そしてエレナも…。何も語らない。



 ──ただ


 レイは、拳をエリックの身体を打ちつける。


 「───いッ! うがぁッ─!」


 そしてその刹那。 エレナは、すかさずエリックの身体に一つ…穴を開ける。


 ここまでが、一つの動作。 …一連の流れ。


 「──うごぉッ!! ッ────あぎぃィッ!!!」



 それを…繰り返す。



 「───あぁッ!───がぁッ!!!」


 「──やめッ──あがぁッ! ───ぉご…!」


 「────もう…───おぐッ……?!」


 「─────ぉねが──────ぁ、ぐァ…」




 ──ただ、繰り返す…。



 (─なんでぇ…?無理だろぉ…?? こんな……、出来る訳がないのにぃ…。 ただの女…メスなのにィ…。 いつでも殺せる…、いつでも壊せる……。そのはずだぁ…そうだろ…? ──そうだろだっただろぉおォ…?!)





 何度も…。


 「───…………ぉぐぅ…──ガぁ……」


 (こんなの、違う…間違ってる…。 ………違う。違う、違う違うちがうチガウちがうちがチガう違………)






 ……何度も



 (……………………………………………………………………………なんでオレが、こんな目に……)




 




 



 間断無い痛みと、出口の視えない絶望。


 ──結果。


 エリックの精神は千々に乱れ……崩壊。


 身体も…幾十と重ねられた斬撃により、致命的なまでに傷付けられた。


 「──なん、でぇ…!? お、オレは、選ばれし…。 下賤なものとはぁ…!」


 エリックは涙を浮かべ、かつての真実に縋りつく。


 しかし。


 「…答えは簡単。 お前は…選ばれし者なんかじゃないからだよ」

 「はぇ…?」


 ようやっと、再び口を開いたレイがそんな逃げを…許さない。


 「むしろ、相当な愚物。 オーラの定着すらまともに出来てないおかげで、エレナでもお前を殺せるんだから」

 「…ぁ、……あぁァ…」

 「無様なもんだよな。 攻撃される度に、痛みを感じる毎に…オーラがあっちへこっちへ、行ったり来たり。 オーラが一カ所に集まれば、必然その他の防御力は著しく低下する。 お前はそれすら気付けない。 …いや、気付いたとしても同じ事。 お前は、お前の無意識を制御出来ない。 …なんだっけ?…言ってたろ、神衣はどっかの誰かから授かったんだってさ」

 「……ぅ…うぁ…あぁぁ──わかった…わかったから…。 も、もう、やめて……」


 最早、恥も外聞もなし。 エリックは流れ出る涙も血もそのままに、ただ懇願する。


 「…それは俺が決める事じゃないな。 どうする? エレナ?」


 レイが尋ね…


 「…あり得ないわね。 このまま、最後の最期まで」


 …エレナはそれを一笑に付す。


 「───っ そんな…なんでっ」

 「お前の悲鳴だけが、死んだあの達を慰める…。 楽には殺さない」

 「…ぅ……っ おね、がい…します…。 あやまる、ゆるして…」

 「………スーアちゃんを覚えてる?」

 「…ふぇ…? すうあ?  ───ぁがぁッ!!────いぎぃッ!!」


 エリックの身体に再び身体に奔る、鋭い痛み。 


 (──また…っ はじまった…! いやだっ…嫌だ…いやだイヤだっ……うぅ…)


 「……レラニアさんは?」

 「……ぁあう… ────かはッ!!───ぎゃッ!!」


 (──やめてくれっ! もう、やめて…っ! 知らないッ! わからない……! もうっ…、オレの…)


 「…謝るって言ったね。 でも、無理。 …絶対に出来ない…! お前にはッ!!」

 「……っ……あぅ…ぁァ…」


 エレナの…血走り、悲しみと憎悪を宿した漆黒の瞳がエリックを射貫く。


 怒気があふれ、語気が強まる。


 「覚えてないんでしょ…?! 一人もッ! 自分が遊び半分で殺した娘達のことをッ!! 誰一人ッ…覚えてないッ!! アンタはッ…!!!」

 「……ぁ、あ、あぅ…、ち…ちがう…。 しらない…しらない、から…」


 そしてエリックがこぼした言葉は…まさにエレナの逆鱗。

 瞬間。 エレナから、熱を感じるほどの凄まじい殺気が迸る


 「───レイッ!!!」


 呼ばれはレイは、すぐにエレナの意図を理解し、先程から幾度となく繰り返してきた作業を反復する。


 即ち…。


 レイが拳を打ち。


 「────あぅッ!!」


 エレナがつるぎで切り裂く。


 ただし、今回エレナの長剣は…水平に薙ぎ払われ…。 


 エリックの両眼を…真一文字に切り開いた…。


 「───あがッ!ぐあぁぁあッッ─!!!!」


 響く、今日一番の絶叫。


 「巫山戯ふざけんなッ!知らない訳ないでしょッ…! 私の前でっ…皆っ…─ッみんなアンタに命乞いしてただろうがッ!!!」


 エレナの瞳に、涙が滲む。


 怒りはある…当然、今も胸中に渦巻く憎悪が身を焦がしている。 …だが、この時エレナは…それに勝るほどの悲しみに支配されていた。


 ──何故……こんな男に…


 その思いが抑えられない。


 目の前の男を通して、殺された人達の顔と声が脳に迫ってくる…。 


 それが…堪らなく悔しくて、どうしようもないほどに悲しかった。



 ……だから。


 「お願いだから、簡単に死なないでよ?」


 エレナはまた、エリックの身体を切り刻む。

 その血の一滴、断末魔まで、搾り取る様に……丁寧に。


 さっきエレナが口にした言葉は本心だった。 エリックの悲鳴が、天にいる彼女たちを慰める唯一だと信じている。

 それが、自分に出来る唯一だと確信している。


 故に、エレナは決して止まらない。


 自分が耳にした彼女たちの悲鳴と同じ、いや…それ以上をエリックから引き出すまで……決して、終わらせない。



 それが、エレナにとっての…復讐だった。



 レイはそれに付き合い。 リアも、傍で見守る。




 ──エリックの命を消費つかった鎮魂は、その後もしばらく…続けられたのだった……。

















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