銀嶺纏武
…日を跨ぎ、夜明けが訪れる。
空が
敵はまだ、遥か地平。 …しかしそれでも、確かに確認出来る。 …風に揺れ動く、ファリウス帝国の旗印…。
警鐘を聞き付けた貴族達は、『
「…正面から来ましたな」
ムルカがダグラスに呟く。
「まだ分からんよ。 ビザードには、交戦の直前まで索敵を続けさせろ」
「はい。 …既に命じてあります」
「うむ…。」
「…………」
二人の間に、僅かな静寂。
「あの戦から、もう四十年以上になるのですな…。 閣下は、覚えておいでですか?」
「……忘れる訳が無かろう。 お互い、無力な子供であった」
「いえ、閣下はあの時からお強かった。 …そして今は、先代バーゼル卿から受け継がれた…神器がある。 …正に今生の誉です。 その神器を帯び、敵を屠る閣下が見られるというのは…」
「カッハハッ 何のつもりだ? その様におだてて。 まさか全てを俺に任せるつもりではあるまいな?」
「はっはっ …逆です。 少しは、私や他のみなの分を残して置いてください。 滅多にあるものでは、ないのですから」
要塞の指揮官とその補佐。 最年長でもある二人の、敵を目前にしての談笑にはまるで気負いがなく。 …それを目にしていた貴族達の心に、平静と余裕を与えた。
昨日の戦意の高揚が、未だ精神を燃やしている事と相まって…正に理想的な臨戦状態であると言える。
なのに…
ファリウスの一団が要塞へと近づく…唯それだけで…
ダグラスを含む、屋上へ集まった貴族全員から…
…一切の余裕と、笑みを奪い去った…。
「──は?」
(なんだ、これは?)
驚きの余り、ダグラスの精神は…一気に数十年歳をとったかの如く疲弊する。
それ程に信じられなかった。 …眼前に広がる光景が…。
…立ち並ぶ、四十を超える人間全員が…
(あり得ぬ、あり得ぬあり得ぬっ!あり得ぬっ! あり得ぬ!あり得ぬぅ!!)
「あり得るかっ! こんなことがっ!?」
呼吸が乱れる。
「…………」
状況が理解出来ず、思考が停止する。
…だが
(…そうだ、あり得ぬ…。 馬鹿馬鹿しい!不可能だ、四十を超える神徒を一カ所に集めるなど…。 現実的ではない、あり得ない!)
それがダグラスにとって、余りに非現実的な光景であった為…なんとか思考が戻り、踏み留まらせる。
…それが例え、現実逃避に限りなく近いものであったとしても…。
「…ムメア卿っ。 何を縮こまっておる。 あんなものはまやかしだ…恐れる必要はないっ!」
「し、しかし…間違いなく、全員が
神衣とは、天恵を受け覚醒した貴族が得る力の結晶…。
…神衣を纏えるという事、それは即ち…その者が神徒であることを意味していた。
(分かっておるっ、見えておるわっ! だが、そんなことはあり得んのだ)
この状況を合理的に説明しようと、頭を回す。
「……
「そ、それは…確かに。 可能性はありますが…」
「可能性ではない。 そうでしかあり得ぬっ!」
ダグラスが鈍く回転する頭で導き出した答えは、一応の理屈は通るものであった。
しかし…
「皆の者聞けぇ! あれは神器による偽装っ、愚にもつかぬ浅知恵に過ぎんっ! 恐れるなっ、作戦通りに行動せよ!!」
「「「……は、はっ」」」
「ディーンっ! こっちに来いっ!」
「は、はいっ、父上」
「皆に付いて鎮めよ。 この混乱こそが奴等の望むもの、術中なのだ。 …罠に嵌まるでない」
「しかし父上…」
偽装など、すぐに露見する。
『何故そんな事を?』という皆の疑問を払拭するには至らなかった。
そして……
「っか、閣下! あれをっ!?」
ムルカの指差す先で…
ファリウスの神徒およそ二十人が、刃渡り十センチ程の短剣を振りかぶる。
「待て…。 やめろ」
ダグラスは…振り下ろされる腕をやけにゆっくりと感じながら、声を発する…。
無意識に口から漏れ出たそれは、偽りのない本心。 …
だが、そんな祈りを断ち切るかの如く、鋭く、無慈悲に振るわれた短剣からは…神の波動を秘めた衝撃波が放たれ…。
要塞には軽微な損害を。
…ダグラスらの精神には、壊滅的な打撃を与えた…。
「─っ ち、父上っ!」
「ぐっ、閣下! …これはっ」
「…やはり、偽装ではない、か」
「ええ。 …恐らく『
「…分かっておる」
神器は
「ムメア卿。 諸侯に急使を出してくれ…出征命令だ」
「出征“命令”…? 閣下、無理です、それは出来ません。 越権行為になる」
「越権、ではなかろう。 俺には…我が領に留まらぬ国家の重大事に、命令を下せる権限がある」
「ええ。 ですがそれには陛下の勅許が必要です。 まずは‥‥」
「ムメア卿っ! 見よ、この状況を。 …現実を」
ダグラスは手を広げ、戦場全体を示した。
ダグラスとムルカが話している間にも、敵からの攻撃は続いている。
『
「…認めよ、異常事態だ。 …此度の戦は歴史に刻まれるだろう。 …心配せずとも勅許は得られる。 順番が変わるだけのことだ。 成すべき事を成せ、責は俺が負う」
「………閣下。 我らはこれから、どうするのです?」
「…どうするか、だと?」
ムルカの質問に、ダグラスは顔を綻ばせた。
「か、閣下…?」
「……父上?」
…ダグラスの身体から発せらているのは、間違いなく怒気だ。 で、あるのに…笑っている…。
ダグラスという男は、感情が表情に如実に現れる…二人はそれをよく知っていた。
…だからこそ、この感情と表情のギャップが気持ち悪い。
二人は、えも言われぬ恐怖を感じざるを得なかった…。
「カハッ 決まっておるだろう? 唯待つのよ、援軍を。 …奴等を殺しながらな」
…ファリウスの神徒が、ダグラスの精神に与えたダメージは甚大であった。
ダグラスは、ほんの数分前まで…此度の戦が勝ち戦であると確信していた。 容易く、とまで言うつもりはなかったが…必ず最後には勝利を掴めると信じて疑わなかった。
…ただ己への絶対的な自信故に。
敵も、味方も関係ない。 …自身が先頭に立てば、必ず道を拓くことが出来るという絶対的な自信。
だが…。
ダグラスにとって余りに埒外の出来事に際し…精神が、自信が、揺らいだ…。
勝利を疑った…。
あろうことか、一瞬…恐怖した…。
それが何より…
(許せぬ…)
ダグラスの精神に打ち込まれた楔は、奥深くまで届き…不可侵の領域に傷を付けた。
傷は痛みを伴い、グラスの生来の激情を暴き出す…。
身を引き裂かれるかの様な心痛は、表へと発露され、ダメージは…憤怒へと裏返り…
(…殺してやる。 餓鬼共めがっ)
…結果。
感じた事のない怒りが…ダグラスをかつて無い精神状態に誘った。
これが吉兆か否か、ムルカとディーンには分からない。
しかし…。
「…父上」
「ディーンよ…。 言ったはずだ、恐れる必要はないと。 やる事は変わらぬ、作戦通り戦い…敵を屠れ」
「…守り切れるでしょうか、我らに」
「無論だ。 俺が立つのだ、敗北はない」
「分かりました…。 父上、…御武運を」
「…ムメア卿、お主も早く行け。 もう二度とは言わんぞ?」
「……承知しました」
…表面上は冷静に見えるダグラスに従い、闘う以外に…今は、道などなかった。
ダグラスは要塞の
(余り調子に乗るなよ? いくら凡夫を揃えたとて、俺は
ダグラスはその場で振り返り、屋上に立つ貴族達を見渡す。 先程までの戦意は露と消え、敗北の文字を背に浮かべていた。
「どうした? まるで昨日の軍議の再来ではないか!? 些か予定と違ったが、結論は変わらんぞ? …闘い、勝利する! 援軍が来るまで死力を尽くし、アルストの意地を見せよ!!」
「…バーゼル卿……」
「俺を見よっ!! ただ俺を見て、俺の後に続けっ!!」
(そう、お主らは後に続くだけで良い。 ……道は俺が拓く)
ダグラスは貴族達に背を向け、両腕を広げる。
「───見やれぃ!! バーゼルに受け継がれし、特級神器を!!!」
叫ぶと同時……ダグラスの首に下げられたネックレスから光が溢れ…。
次の瞬間には、力そのものがダグラスを中心に渦を巻き…激しい奔流となって大気を震わせる。
渦の中心にいるダグラスに、外見的な変化は見られない。 …なのに。
先程までのダグラスとは、生物としての格がまるで違って見える。
…それ程までの、圧倒的存在感…。
ダグラスの身体を包み、淡く輝くそれは…神の意思。
……天より授かりし神の鎧
──神器 『
「貴様ら、一匹残らず
…瞬間
ダグラスが、屋上から凄まじいスピードで飛び出した。 脚力を使っただけの単純な跳躍が、まるで大砲の弾の様に自身を敵の元まで運ばせる。
『
(ぬぅ!? ぐっ、おのれっ…!)
『
…目標の遥か手前で落とされる。
ダグラスにダメージはない。 ……だが。
(ふざけた真似をっ! あの神器…!)
ダグラスは先の攻防で瞬時に理解する。 敵の布陣の意味、大量の『
(所詮は低位神器、取るに足らぬ物の筈っ…だのにっ! …衝撃が、重い。 多重攻撃で、動きを止められる…!?)
…『
その短剣形状の神器から放たれる斬撃は、“斬る”というより、“粉砕”するといった特性に特化していた。
『
…神器の格が違い過ぎるからだ。
しかし…例えダメージが無かろうと、低位の神器であろうと、数と使い方によっては…
その事実が、更にダグラスを苛立たせた。
(羽虫共がぁっ! くだらぬ闘い方をっ… 神徒の矜持すら持たぬかっ!?)
ダグラスは奥歯を噛み鳴らし…
「貴様らに神徒として立つ資格はないっ!! 此処で朽ちよっ!!!」
再び地を蹴り、突貫する。
(如何な攻撃が来ようと、次は止まらぬ! この両の手で引き裂いてくれるっ!)
ダグラスの、殺意を迸らせての
…だが、ファリウスの神徒達は極めて冷静に…
向かって来るダグラスに…すかさず斬撃の雨を打ち付けた。
「カハッ…。 効かぬ…効かぬなぁ!!」
だが、今度はダグラスも止まらない。 地面を踏み下し、一歩一歩確実に、しかし猛烈な勢いでもって接近する。
(届くっ!)
そう確信したダグラスの目の端に、影が一つ…。
「──なにっ!?」
巻き上げられた土煙を煙幕とし、ダグラスに接近したのだ。
肉薄した熟年の神徒は、流れるような所作で…ダグラスに人差し指と中指を揃えて向けた。
そして…。
…瞬間放たれる、凄まじい熱量の…炎線…!
「ぐぬぅ!」
(炎熱系…!? しかもこの熱量っ…中位以上は確実っ…!)
物理攻撃に対して無類の強さを誇る『
(長くは耐えられんっ…だが。 それで十分!)
炎を放つる神徒は、ダグラスの間合いの範囲内…!
「潰れよぉっ!!」
ダグラスの巨体から拳が打ち下ろされる。
相手の神徒に動きはない。 …ここからの回避は不可能、正に…死の一撃…!
(獲ったっ…!)
だが…。
「──何故だっ!?」
絶好のタイミングで放たれた一撃は、不自然に間合いを外される事で空を切る。
(あり得んっ! 完璧に捉えた筈っ…。それを、何の予備動作もなくっ!? クソっ………だがっ!)
炎使いは未だダグラスの正面約五メートル。 詰められない距離ではない…。
(
ダグラスは疑問を頭の隅に追いやり、透かさず追撃を打つ。
しかし、そこで再び横殴る…斬撃の嵐…! 動きを阻害され、土煙で視界を潰される。
(ぐぅ…。 おのれ…おのれぇ!)
何一つ、思うように事態が展開しないことに、ダグラスの苛立ちは臨界点を超え…
「…があぁあっっ!!!」
…爆発する…!
ダグラスが両の手を勢い良く広げる…。 それだけで、衝撃波が生まれ…土煙と斬撃を吹き飛ばした。
クリアになったダグラスの視界に映るのは、消えた炎使いと…まるで埋まらぬ敵との距離…。
…そして何より、目前に迫る…巨大な
「あ…?」
───ガギィィッ……ン!
「ぐっ…がぁっ…!」
避けきれず打ち付けられたそれは、ダグラスの右脇腹を抉り取る。
(─っ 馬鹿なっ!
そして、巨大な鶴嘴は、攻撃を終えると風に溶ける様に掻き消えた…。
「…
ダグラスは咆哮し、敵一団を見渡す。
(今のは、間違いなく顕現型神器…! 銀嶺纏武を穿つ程の攻撃を、連続で振るえる訳がないっ!! 最優先で始末するっ!!)
そして見つけた、一団の端…不自然な体勢で硬直する男…!
「殺すッ!!!!」
踏み込んだ地面が爆ぜる。 今日一番の推進力っ…!
だが、またしても…
ダグラスに降り注ぐ…忌まわしき、
(………もういい…)
ダグラスの纏う怒気が…憎悪と混ざる…。
(もう…………沢山だ……)
…ダグラスの血管が、切れる音が聞こえた気がした…。
「──ッガァ!!」
(吹き飛べ………)
────『
拳が地面に突き刺さり…一瞬の光の明滅…
そして広がる、破壊の衝撃…。
ダグラスの拳は…
瞬時にして、深さ十メートルを超える巨大なクレーターを創り出した。
ダグラスは、腕を振り下ろした体勢のまま敵を見る。 敵の大部分が自らと同じく、宙にいた。
…落下地点は、穴の中……。
(いけるっ…! 穴に落ちた後、這い出るまでの一瞬で俺なら四・五人殺せるッ!!)
ダグラスが苦し紛れに放った一撃は、予期せぬ光明を引き寄せた……かに思われたが…。
「────ッ!」
喜色を浮かべるダグラスの目の前で、またも敵が不自然に後退した。
皆が何の予兆もなく、巻き戻るかの様に、或いは…何かで引っ張られるかのようにダグラスの視界から消える。
「…………………………………」
ダグラスは、唯一人落ちた穴の中で…身を震わせた…。
限界だった。 もうとっくに怒りは臨界点を遥か超え、正気を保っているのが不思議な程。
いや、もしかしたら…もう正気では無いのかも知れない…。
もはや、自分の鼓動以外の音が聞こえず。 周りで戦っている味方がいるのかも分からない。 …いや、興味がなかった。
…完全なる思考停止状態…。
「…カハッハハッ…。 分かった、分かったわ…。 それがぬしらの闘い方だろう? 群れるだけの…卑小な愚物がぁ…」
天を仰ぎ、言葉を呪詛の如く吐き出す…
「やってやろうぞ? …ぬしらがその気なら、死ぬまで…! 勝つのは、俺だがなぁっ…!!」
…叫び、穴から飛び出したダグラスの瞳は…黒く、黒く…淀んでいた…。
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