神器と神徒
泡を吹き、今にも倒れそうな馬から…ダグラスがベニエスの地に飛び降りる。
バーゼル辺境伯本邸に急使が届いてから、既に丸二日が経っていたが…これは致し方ない事であった。
ダグラスの巨体は、馬には負担が大き過ぎる。 故に、通常より多くの中継地を経由する必要があるのだ。
要塞に到着したダグラスを…ベニエス要塞の現指揮官であるムルカと、その補佐官でダグラスの次男坊ディーン…そして同じく末子であるエリックが出迎える。
だが、到着したばかりのダグラスの顔は既に厳しく、眉間に深い皺を作っている。
「ムメア卿っ。 これよりは俺が指揮を執る。 お主はディーンと共に補佐に付け!」
三人が何か言葉を発する前に、ダグラスが荒々しく指示を出す。
ダグラスが指揮官になることに問題はない。 規定により、緊急時はダグラスが指揮官となる事が定められているからだ。
故に指示の内容自体には…ディーンも、解任を命ぜられたムルカも異存はない。
しかし、明らかに不機嫌な様子のダグラスへの対処に、三名ともが苦慮していた。
「あ、あの父上、どうされたのです? 何か問題がありましたか?」
ディーンが恐る恐る尋ねる。
「問題かだと?! ディーンっ! 何だこのベニエスの有様はっ!? 何故戦を目の前にして、探知神器の一つも展開しておらんのだっ!?」
ダグラスの怒りの源泉を知り、三人は安堵する。 …誤解だからだ。
「父上、誤解です。 警戒は十全に…今もビザードという者の
「ビザード? 知らんな」
「四年前に着任したユロム男爵の次男坊です。 父上は、会った事はないかと」
「…それで? そのビザードとやらの神器で問題がないと?」
「はい。 優秀な神器です。 設置型の物より負担が少なく、範囲も広い。 …効果は範囲内の神器を探知するというもので、敵が近付けば神器の数の増減によって直ぐに分かります」
「…なるほど」
ダグラスの表情が和らぐ。
「で、あれば良い…」
ダグラスは自身の意にぞぐわないことで生じる怒りを隠しはしない。 だが、理屈の通じない男でもなかった。
…つまり、話せば分かるのである。
「…時にディーンよ。 久方振りではないか、なあ?」
「おおよそ二年振りかと、出来れば我が妻子にも、会ってあげて欲しかったのですが…」
「…退避は済んだようだな」
「はい…。 ムルカ様の指示で…。 しかし父上、
「そうだ。 これからまとめて皆に話す。 …丁度良い、お前はこれから皆を集めろ。 軍議室だ」
「…承知しました」
ディーンはいくつかの言葉を飲み込み、腰を折る。
「あぁ、それともう一つ。 …お前、痩せたのではないか?」
「なんです?突然…。 変わりないですよ、私は」
「ふんっ、そうか? 二年経ったのだ、少しはデカくなっているかと…期待しておったのだがな」
「勘弁してください…。 この歳で成長などしませんよ。 私とエリックは母上似なんです」
ディーンはそう言って、苦笑いを浮かべる…。
ディーンは、ダグラスや長兄ダーレンとは違い、至極一般的な体格であった。
それが昔はコンプレックスであったのだが…今は受け入れている…。 …受け入れているのだが…それでも、未だにダグラスにその話題を振られると、僅かに身体が緊張するのを避けられないでいた。
「…では父上、後ほど」
…それ故ディーンは…もう一度ダグラスの前で腰を折り、逃げる様にその場を後にした。
「…父上、意地が悪いですよ。 ディーン兄にあんな事…」
「ん? おーエリック、居たのか?」
「酷っ! いましたよ、さっきから!?」
「お前も線が細いのでな、気が付かんかったわ」
「またそうやって…。 体格なんてそう変わらないんですから…」
「分かっておるわっ! 上背の事を言っておるのではない。 …肉を付けろと言っておるのだ。 飯を食え、飯をっ! それも訓練だ」
「ぁい、はい。 分かりました、心得てます」
また始まったよ。 エリックはそう心中で呟き、不承不承ながらに言葉を返す。
「さて、行こうかムメア卿。お主とも久方振りよ、壮健であったか?」
「はい。 ですが、腕は鈍るばかりです。 …歳には勝てませんな」
「カハッ そう寂しい事を言ってくれるな」
ダグラスはそんなエリックを咎めることはせず、ムルカとの会話に興じ、歩き出す。
ダグラスが歩けば、皆が手を止め頭を下げる。 ダグラスの前にできる人の道が、彼のこの地での権力を物語っていた…。
ベニエス要塞軍議室に、十一名の貴族が集まる…。
「では、まずは近況報告から聞こうか、ムメア卿?」
それぞれの挨拶や自己紹介などはそこそこに、ダグラスは直ぐに本題へと取り掛かる。
「はっ。 敵方の要塞の動きですが、昨晩まで活発だった物資と、人の流れが治まっております。 …無論、兵卒らの編隊は確認出来ません」
「…そうよな。 だが、準備を既に終えているとすれば…早ければ
「はい…。 明日朝にでも、あり得るかと」
「………指揮官殿、そろそろ話して頂きたいのですが…。 そもそも私には、ムルカ様が父上に急使を送ったことから既に、理解出来ていないのです」
ダグラスとムルカ、二人だけが分かってるかの様な雰囲気がディーンの癪に障り、思わず口を挟ませた。
「分かっておる。 そう苛立つな。 …まぁ、ちょうど良い頃合いだろうて」
そう言って、ダグラスはムルカを除く他九人の顔を見渡した。
「さて…諸君らの殆どが、此度の戦運びに疑問を抱いておることだろう。 あぁそう、五年前の戦の時とは違う…とな。 …四年前に着任した…ビザードだったか、お主は逆に何の違和感もないだろうが?」
ダグラスの言葉に、ビザードは首肯する。
「だが…その疑問の答えは至極簡単。 五年前のあれは…戦などではないからだ。 …くだらぬ…唯のお遊びよ」
周囲は困惑の声を漏らす。 …どう反応すべきか、分からなかったからだ。
「…父上、どういう意味です?」
「ディーンよ、おかしいとは思わなんだか? あの様な、兵を
「……………」
「…現に死んだのは兵のみ、俺を含め…
ダグラスは、再び皆をなめ回すように見る。
「あれはな……言わば訓練よ。 それも我々のではない、兵達の」
「兵士の、訓練?」
「そうだ…。 兵達に戦を忘れさせない為のな。 殺し、奪い、そして殺される…これらが遥か過去になった兵など、露ほども価値もない。 故に、一定の周期であの様な
「…ですがそれは、相手の…ファリウスの合意でもなければ不可能です」
「だからそう言っておる…。 暗黙の了解というやつよ。 虫唾が走るが、互いの利害が一致した結果というわけだ。 …だが今回ファリウスの連中は、その了解を無視した手順で戦の準備を進めておる。 その意味は分かるだろう? カッハハ」
ダグラスの笑いは、周囲の静寂へと溶けてゆく。
「…父上、何故それを我らに黙っていたのです」
「訓練でも本意気でやって貰わねばならんのでな。 我らにとっては児戯だが、兵にとっては命を賭けた遊戯だ。 …それに此処は辺境の地…殆どの者が本当の戦を知らずに退任していくだろう? 知っている者は一人居れば十分だ」
ダグラスはムルカを一瞥して答えた。
「ですが、父上の話だと本番と訓練は違う! その齟齬はどうするのですっ?!」
「お主らは日々、敵の神徒の襲撃に対する戦闘訓練を行っておろうが。 それが出来ていれば…齟齬などない」
「…っでは…」
「そうだ。 此度の戦では…ファリウスの神徒共が攻め入って来る」
その言葉で、貴族達の間に緊張が走る。
「…どうした? 恐れているのか? お主らが日々訓練してきた事であろう…敵の神徒を討ち滅ぼすのは」
「…………」
ダグラスは、貴族達一人一人の顔を順に見やる。 だが、顔を逸らしこそしないものの、皆の瞳には微かな恐れが見て取れる。
…余裕があるのはムルカと、エリックのみ。
エリックのそれは、若さ故の驕りであろうが…。
ダグラスは心中で舌打ちをする。
ダグラスにとって彼らの反応は、予想は出来るが、理解は出来ないものだった。
だがそれでも、何とか彼等を発奮させなければならない。
…士気の高低が戦闘に与える影響は大きい。
「…
淀んだ空気が、ダグラスの覇気によって払われた。
「考えてみよ…奴等は不遜にも我らの土地に押し入り、民を、財をっ、領土を…奪おうとしておるのだぞ? ……我らの屍を、跨ぎ越してな」
貴族達の顔が微かに動く。
「…解るか? 奴等、我らを殺す気でおる……殺せる気でおるのだっ。 我らなど恐るるに足らんと、ただ踏み越えるだけの存在だと…そう思ったが故の此度の侵攻よ! …信じられるかっ?!
静かに…辺りに怒気が立ち込める…。
「…お主らはどうだ? 堪えられるか?…この屈辱を。 捨て置くのか?…奴等の驕りをっ!」
「……いえ」
「堪えられませぬ…」
「えぇ…無理ですっ」
貴族達の言葉に、ダグラスは鷹揚に頷く。
「…そうだ。 勘違いするな?これは防衛戦などではない…。 奴等から全てを奪う、蹂躙戦だ」
貴族達の眼にもはや恐怖はなかった。 …あるのは怒りと、闘志のみ…。
「殺せっ! 一人残らず討ち滅ぼし、その思い上がりを後悔させろっ! そしてその
「「「──はっ」」」
皆の闘志が一つとなり、大きなうねりとなる。
…士気は十分、これで交戦の準備は整った。
ダグラスはこの士気の高まりが、脆いものだと理解している。 何かの歪みでヒビ割れる、その程度のもの…。 元々、中央貴族院の命によってこの地を守る者達だ。 出身地は別にあり、志も高くない。
だが、それで十分だった。 …ダグラスは己の戦闘力に、絶対の自信を持っている。 自らが前線で戦えば、士気など自然と高まり、維持される…そう確信していた。
故に今の檄も、スタートダッシュを決める為のものでしかない。
…全ては此度の戦で、敵を圧倒するため。 …そして、二百年以上停滞している戦況を…打ち崩す為であった…。
それから、今後の段取りについて細かく詰める作業を、二時間程掛けて行い…ダグラスは軍議室を後にする。
「父上っ。 ちょっと待ってください」
そこに…後を追ったエリックが声をかけた。
「どうした…?」
「…どうして、俺に戦わせてくれないんです」
エリックには先程の軍議にて、要塞内での待機が言い渡されていた。
「お前を此処に呼んだのは参戦させる為ではない。見て学ばせる為だ。 …最初から決めていた事よ」
「なんでっ!? 俺も戦えます!」
「…無理だ。 お前にはまだ、な。 神器を得て間もないのだ、今まだ習う時。 …
「…ですがミルコも戦うのに、俺が待機なんて…」
「奴は本来ダーレンの衛士だ。 気にする必要はあるまい」
「そんなことは分かってますが…」
「…エリック、いい加減にせよ。 お前は訓練もミルコとしかしたことがない筈。 自らの内からしか、物事を見られておらんのだ。 …世界を広げよっ。 もし此度の戦、一時間観た後同じ事を言えたなら…その時は改めて考えてやろう。 …よいな?」
「…分かりました」
語気を強められたダグラスの言葉に、エリックは恭順の意を示す他なかった…。
そのまま立ち去ろうとするダグラスに…
「…父上。 …最後にもう一つ」
再びエリックが言葉を投げる。
「…何だ?」
「神徒を討った後の領土制圧戦…。 それには、参加して良いでしょうか?」
「…何故だ? くだらぬ作業だぞ?」
「それは………」
敵領民を嬲る事でこのストレスを発散したいから…などとは言えないエリックは、押し黙ることしか出来なかった。
「まぁ、俺と共にであれば構わんが」
「いえ、それは…。 やはり、止めておきます」
「何だ一体?! 分からん奴だな!」
「いやっ、違いますよ…ただ気になったんです。 父上は言っていたでしょう? 民も財なんだと。 だからああ言う命令を出したのが以外だったんですっ。 そうゆうことです」
更に語気を強め、キレかけてるダグラスを
「命令? 何の話だ」
「ですから、その、領民を…殺して良いと…」
「その話か…。 民は財だ、何も変わっておらん。 だが、それより優先すべき事あれば切り捨てる…それだけのこと。 今回で言わば戦意よ。…何が意気に繋がるか分からぬ故、全てを許可したにすぎん」
「な、なるほど。 勉強になりますっ父上」
「…もうよいな? お前は部屋に戻り、神器制御の訓練でもしておれ」
「了解しましたっ」
立ち去るダグラスを見送りながら、エリックは一人、胸をなで下ろしていた。
…そして、その夜…斥候との連絡が途絶える…。
「閣下、失礼します。 …ご報告が」
ムルカが、ダグラスの部屋の扉を叩く。
「構わん、入れ。」
「はっ」
ムルカが部屋に入ると、ダグラスはベッドの淵から立ち上がり椅子に腰掛ける。
「…それで? 何があった?」
「斥候からの定時連絡が途切れました。 恐らく、消されたものと」
「…で、あろうな」
「如何しましょう? 奇襲の恐れもありますが」
「いや、それは無かろう。 奇襲ならば…我らに斥候を消した事が知られる前に、事を起こす筈」
「…確かに」
「……堅で良かろう。 むしろ好都合だ。これで…開戦が明日になる事がほぼ確実となった。 夜間の警戒はビザードとエリックに任せ、お主も身体を休めろ」
「二人だけですか、変則ではありますが…」
「ビザード一人でも良いくらいだ。
「はっは、…ですな。 …承知しました。 では、その様に」
ムルカは深くお辞儀をし、部屋を後にした。
そして…一人になった部屋で、ダグラスは獰猛に口を歪ませる。
…戦が、始まろうとしていた……。
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