踏み出す一歩

 村の中を走り、リアの元に急ぐ。


 俺は去り際、彼女に待っておいてと言った。 彼女のことは何も知らないに等しいが、少し話した様子からでも、その場に留まっている可能が高いと感じてしまう。



 …せめて日陰にでも入ってくれてればいいけど


 あの時は俺も少し興奮気味だった。 もう少し言葉を選べば良かったと、今になって後悔する。


 

 …遠目にリアが見えてくる…が。 やはりと言うべきか、彼女はその場から一歩たりとも動いていなかった…。


 「──ごめん…! ほんっとに」


 すぐに駆け寄り謝罪する。 

 ちなみに彼女の隣には、デールも変わらずそこにいた。 …どうでもいい情報だろうが。


 「いっ、いえ そんな、謝らないでください。 何のことか、…分かりませんが」

 

 前もこんなやり取りがあった…リアは謝罪を受け入れない。

 『私に謝らないで下さい』と、何についての謝罪か分からなくとも、だだ…不要ですと……。



 …やっぱり、かなりの重症だな


 

 「それじゃ…色々と話したい事があるから、とりあえず付いてきて貰っていい?」

 

 あまりにも強引だが、仕方がない。 ここでは…村の中では、落ち着いて話など出来ない。

 

 「えっ? あ、あのっ…それは…」


 リアは自身の横に立つデールに、窺うような視線を送る。 …だが


 「デールの許可は必要ない。 だろ?デール?」

 「──ぅ、うん。 お、僕は、ぜんぜん…」

 

 俺はデールが何か発言する前に釘を刺し、その一切を封じる。


 「そういうことだから。 さぁ、早く行こうか」

 「………はい…」


 まるで人攫い。 


 リアにとって、今の俺はデールよりも恐ろしく。 意味不明に感じていることだろう。 ……まぁ誤解はすぐに解けるはずだ、多分。


 

 さて、目指すは村の北西。 今朝行った森と村の中間辺りに、丁度良い岩石群があったのだ。


 俺はデールに普段通り生活するようにと伝えると、リアと村の北口に向け歩き始める。


 

 「…それで、改めてだけど、リアって呼んでいいかな?」

 「は、はい…もちろん。 好きなように…呼んで下さい」

 「じゃあリア。 俺のことはレイって呼んでくれ」

 「は、はい…レイ様」 

 「それでリア、君って今何歳?」

 「は、はい…えと、確か…十歳、です」

 「なるほど。…それで、いつ奴隷になったの?」

 「えっ? いつ、ですか? …えと、分かりません。 …多分、生まれたときから、だと思います。…周りの子も、…そうだったし」

 「……………」

 「?……あの、どうか…しましたか?」

 「…何でもない。 ただ…胸くそ悪いだけだよ」

 「………レイ様」

 「…それでリア、君は…貴族の力ってのを見たことはある? 常人離れして、圧倒的な…そんな力」

 「それは…、はい。 お貴族様は皆にお見せくださいますから…。 神々に与えられた、無窮むきゅうの力…。 すごく神々しくて、雄々しくて…。わたし達を統べる貴き方々の、信仰の…結実」

 「…リア、それって言わされてる?」

 「えっ? な、なにを…」

 「それとも本当に信じてる?」

 「あ、当たり前ですっ! …言葉は教えてもらいました…けど。 でも、…信じてますから」


 歩くのを辞めて、リアに向き直る。 


 リアの瞳は…揺れていた。 


 信じていると、彼女は言った。 それは多分…本当だ。 目の前で圧倒的な力を見せつけられて、訳も分からぬ内に、無理矢理に…理解させらせた。 自分が『支配される人間』なのだと。


 それなのに…。 奴隷としての記憶しかないはずなのに、自分を貶め続ける日々だった筈なのに。 

 なのに、まだ抗っている。 自分の境遇に、疑問を持ち続けている。


 …強い


 誰にでも出来ることじゃない。 強い精神力と知性がないと、簡単に呑み込まれてしまうだろうから。


 俺はリアのことを…最初の印象から、典型的な奴隷マインドに囚われていると思っていた。 抜け出すのには時間がかかるかもしれないと。 …でもこの様子なら、大丈夫だ。



 …彼女はすぐに、立ち上がれる


 

 「そう、リアは信じてるんだ? …俺は、これっぽっちも信じちゃいないけどな」


 リアの眼を見て、笑いながら、何でもないかのように…そう告げた。


 「──っな、何を言ってっ…!いけません、レイ様!」

 「ん? どうして?」

 「誰が聞いているか分からないんですからっ ……殺されてしまいます」

 「…そんなことにはならないよ」

 「なりますっ! ……なるんです。 レイ様はまだ、見たことがないだけです」

 「…それでも、そうはならない。 俺もリアも。 ……これからは」

 「っ なんでそんなことっ…! …あなたに…」

 

 リアの狼狽を無視して、俺は再び歩き始める。


 「リア、全部嘘なんだよ。 貴族だけの力とか、神に選ばれた存在だとか、信仰がなんちゃらとか。 全部…クソつまらない嘘だ」

 「えぇ? なにを。 …えぇ? もう、ちょっと…ほんとに。 …レイ様ぁ?」

 

 リアは遂に、言葉を取り繕う余裕もなくなったようで、涙声になりながら俺の後を付いてくる。

 その様子に、不謹慎ながら思わず笑みがこぼれた。


 「っ何を笑ってるんですかっ?!」

 「ははっ、ごめんごめん。 悪かったよ」

 「笑い事じゃないんですよ。 ……ほんとに…」


 「っと、よし。こっからは走りだな」

会話を唐突に打ち切り足を止める。…村の北口に到着したからだ。

 まぁ…北口と言っても、申し訳程度に木の柵を数メートル並べただけのものだが。


 「リア、さっきのは別に…冗談でも何でもないんだよ。 今からそれを見せてやる」


 そう言って、リアの足元に背中を向け腰を落とす。


 「とりあえず走るから、しっかり捕まっててくれ」

 「………はい…」


 『こいつに付ける薬はない』なんて思っているのだろうか。 リアの顔には、数分前…デールのとこから連れ出した時ともまた違う、諦めの表情が映っていた。

 

 「しっかり捕まってくれよ。 振り落とされないように」

 「………はい…」

 

 背中にリアがおぶさる。 だが、どこか遠慮がちだ。 ぜんぜん足りない。


 「…リア、それじゃ駄目だ。 もっと強くしがみついてくれ」 

 「……………はい…」

 「リア…ぜんぜん足んねぇって。 もっと身体密着させて。 腕も、首締めるぐらいのつもりでいいから」

 「……………………はいっ…」

 「うぐっ…」


 このやろう本当に締めてくるとは、くくっ ようやく、少し本性が見えてきたかな?

 

 「よっしゃ! じゃ、行くぞぉ」


 リアを背負ったままじゃ、今朝ほどのスピードは出せないが…それで十分。


 オーラが身体を包み、脚の筋肉が盛り上がる。 前傾姿勢で踏み出され足が、地面に僅かに沈み込む。 …そして



 ──ドウッッ…!



 破壊的な推進力。 瞬く間にトップスピードまで加速を終える。



 「─────いっ、ぃい─うわぁあぃ」

 「大丈夫かぁ!? リア!?」

 「───ぃ、な、ななななに、ひぃ!」

 

 背中でリアが恐慌状態に陥っている。 無理もない、まさに予想外の速度だったろうから。


 「リア、大丈夫。 絶対に落としたりしないから、周りみてみな」

 「…ぃ、 う、うう…」


 

 それから数秒の後、背中から…リアの額が離れる感覚があって…。


 「───ぁ…」


 …感嘆の声が漏れ聞こえた。


 「…どうだ? …なかなか気持ちいいんじゃないか?」

 「……はい。 凄く速くて…景色も、綺麗…」

 「……そうか」

 「…レイ様……あなたは…」

 「話は後で。 今はただ…楽しんでくれればいい」

 「………はい…」


 そこからの数分は、互いに一言も話すことはなく。 ただ…俺の地面を蹴る音と、風を切る音だけが、耳を震わせていた…。



 

ーーーーー



 「…あの、レイ様。 あなたは…貴族様なのですか?」


 目的地。 リアは俺の背中から降りるとすぐに口を開く。


 その顔は真剣そのもので、これまで見せたどの表情とも違っていた。 


 「リア。 君にはそう見えるのか? 本当に?」

 「………」


 ワザと質問で返した。 リアだって分かってる筈だ、俺が貴族なんかじゃないってことぐらい。 

 だが同時に、そんな簡単に納得出来る訳がないことも、分かっていた。 リアの生きた十年が、そんなに軽いはずはないからだ。


 「……そんな、本当に…でも、そんなこと…」

 

 リアは今戦っている。 自分自身の経験と感情と…直面している現実とで、ぐちゃぐちゃになりながら。 

 だが、十年戦い続けてきたリアなら…


 しばらく視線を下げ、思考している様子のリアだったが…やがて顔を上げた。 


 しかし、前を向いたはずのリアの表情は俺の予想に反し、悲痛に歪んでいて……。


 「……レイ様。 …さっき、すべてが嘘だって、そう…言ってましたよね?」

 「……あぁ」

 「…すべて嘘って、どういう意味ですか? …貴族の方々にしか、出来ないことを…レイ様なら、出来るって…そういうことですか?」

 「そうじゃない。…俺だけじゃなく、皆が扱える可能性のあるものだと思ってる」

 「───っ」

 「…もちろん、資質とか才能とか、そう言ったことは関係するだろうが」

 「…………」


 …何故だ? なんでそんな辛そうな顔をする? 


 「…レイ様は、何故わたしにこんな話をするのですか? ……なぜ、わたしを買いたいなんてこと…」

 「リアに才能があるからだ。 …いや、もしかしたら才能とは違うのかも知れないけど。 とにかく、俺の眼には君に眠ってる力がとても輝いて見える」

 「…………」


 …今俺は、君の可能性の話をしているんだぞ?


 「…レイ様。 お貴族様は、わたし達の前で岩を砕いて見せるんです。 …それで‥」

 「あぁ、そうらしいな。 詰まらないパフォーマンスだ。 そんなの誰だって出来る。 今やって見せようか? 実はその為にここまで来たんだ」


 周りにある岩を指差して尋ねるが、リアは静かに首を振る。


 …なんなんだ


 「…それでその後は、わたし達の中の…誰か一人を殴るんです。 罪を犯した人や、働けなくなった人から選んで…。 殴られた人は死んで、それで…わたし達は神に見放された罪人だって、そう言うんです」

 「…俺が同じことをすると思ってるのか? …俺が怖いのか?」

 「っそんな…、あなたはそんなこと…。 疑ってなんて、ないです」

 「なら、死んだ人達への負い目とかか? 自分だけがとか、そんなことを」

 「違いますっ …皆必死に生きてたんです」

 「…分かんないな…。 何でこんな話するのか。 俺は君が笑うと思ってた、…喜ぶと思ってた」

 「……どうしてわたしが喜ぶと、思ったんですか? …才能があると、言われたからですか?」

 「違う。 君に抗う意思があったからだ。 今の自分の在り方に、疑問を持っていたからだ」

 「っ、勘違いですっそんなの…わたしに、そんな意思なんてない」

 「そんなはずはない。 そう思うなら、自分で気付いていないだけだ」

 「違いますっ! わたしはそんな強い人間じゃない!…自分の在り方に疑問を持った事なんてない… わたしはただ、信じてただけです。 神様はわたしを見捨ててなんてないって、いつか許されて…傍に召し上げて貰えるって、…そう、…信じてただけです」

 「…違うね。 君はそんな弱い人間じゃない。 君の眼だ。 あの時の…貴族の神々しい力がとか、信仰がどうたらとか言った後の、君の眼が。 あの時、瞳の奥にあったのは、『怒り』だ。 自分になのか、貴族になのか、世界になのか、そんなこと知らないが、だがあの時君は怒ってた。 この現実の何かに対して、怒ってたんだよ」

 「っそんなこと… そんなことありません。 違いますっ」

 「違わない」

 「っなんでっ! わたしの心ですっ。わたしが誰よりも良く分かってますっ!」

 「──お前の心なんて知るかッ!!」


 

 「───っ ……………………………え?」

 

 …アホか?俺は

 

 「お前の心なんざ知るか。 なんで、そんなもんを俺の眼より信用しなきゃならんのだ」

 「え?……っ…は?」

 「…やっと分かったよ。 お前ただビビってるだけだろ?」

 「え? な、なに…」

 「十年間、お前には選択肢がなかった。掴み取れる可能性がなかった。 ずっと自分を殺して生きてきたんだろ? …だから今、目の前にある『未来』に、怯えてる」

 「…べ、別に……わたしは……」

 

 熱くなりすぎだ


 …だが。

 

 「…リア。 お前は間違ってないよ。お前の反応の方が当たり前で…躊躇するのが当然なんだろうな」

 「…………」

 「…でも、俺は…どうしても考えてしまうんだよ。 …『もう十分だろ』って」

 「…………」

 「辛いのも苦しいのも。 もう十分じゃないのかって」

 「………レイ様」


 …自分でも分かっていたが、止まらない。


 これだけは言っておきたかった。 これだけは、聞いておきたかった…。

 

 「…リア。 お前はこの十年間で、どれだけ我慢してきた? どれほど他人の為に生きてきた?」

 「…………」

 「十年間でどれだけの…感情を見過ごしてきたんだ? …辛かったはずだろ。 『むかつく』って気持ちを…『仕方ない』で見過ごすのは。 …違うのか?」


 リアの心を否定するつもりなんてない。 本当の本当に大切なことは、彼女の心が決める。 俺がそれをどうこう出来ないし、するつもりもなかった。


 だが、俺も信じてるんだ。 あの時感じた、彼女の『強さ』を…。


 だから俺は、リアの眼を逸らさずに見つめる。


 リアの方は一秒以上俺と目を合わせることはしなかった。


 だが、やがてしっかりと俺の顔を見据えて…。



 「………はぃ。 …辛かった…」



 そう、頷いた…。



 涙を浮かべ絞り出された一言に…俺は『ふぅ』っと息を吐き、ひとまず安堵する。


 …が。


 「…大丈夫? 言わされてない?」


 …心配なので一応聞いておいた。

 

 「……ふふっ。 大丈夫、本心です。 間違いなく」


 そして…リアが初めて、笑顔を見せる。 初対面からここまでかかった時間が、俺の甲斐性の無さを物語ってるようだった。


 「というか…レイ様の言ってたこと、全部当たってて、なんか自分がわがまま言ってるみたいで…恥ずかしくなっちゃいました」

 「わがまま?」

 「? はい、わがまま…。 どうかしましたか」

 「いや、丁度良いと思って。 リアには、そんな風になって欲しかったんだ」

 「ええ? な、なんで? わがままになったらダメなような気が…」

 「そんなことはない。 わがままにならないと、掴み取れない未来もある。 …そうじゃないと困る」

 「…困るって、何でですか?」

 「俺がそうだからな。 いつも自分のことばっか考えてる」

 「…ふふっ、あははっ…」

 「…なに笑ってんだこの」

 「いえ、その通りだなぁって。 ほんと、めちゃくちゃです」

 「ははっ…かもな」


 それから二人で見つめ合って、やがてリアが頭を下げた。


 「レイ様…わたしに、教えてくださいますか? 力の事…」

 「もちろん。 俺が知ってることは全部」

 「…ありがとう、ございます」

 「お礼はいらないよ。 全部俺の為だからな」

 「ふふっ。 はい、そうでしたね」

 

 リアが俺の顔を見て微笑む。 

 

 俺はそれに応えたかったのだが、彼女の余りに屈託のない笑顔に…逆に顔を逸らしてしまうのだった…。

 




 …そうして、なにはともあれ話はまとまった訳だが。


 結局この場所に来た意味はなかった。 多分…リアは俺の背中に揺られていた時点で、殆ど全てを理解していた。 ただ、心に整理をつける時間が必要だっただけで…。


 まぁ、せっかく来たんだ。 帰りも人間タクシーを楽しんで貰えばいいだろう。


 「リア。 そろそろ帰ろう。 また背中におぶさってくれるか?」

 「……いえ、レイ様さえよければ、帰りは徒歩で」

 「…やっぱり根に持ってんのか? 無理やり乗せたこと」

 「えっ? いえ、違いますっ。 そうじゃなくて」


 「…ただ、歩きたいんです。 今は、自分の足で…」

 「……そうか」



 …村までは四キロちょっと…まぁ、たまにはいいか



 二人で野を歩く。 正午過ぎ、空は晴れ渡り、遠くまで見渡せる景色は正に絶景と呼ぶに相応しい。


 「…そう言えばリア、別に敬語じゃなくていいからな?」

 「……うーん…」

 「…なんだよ、嫌なのか?」

 「はい」

 「…即答か。まぁ、好きにすればいいけど」

 「はい。 ありがとうございます、レイ様」


 

 …だというのに、自分にばかり突き刺さる視線に、俺はなんとも言えない居心地の悪さを感じていた。








 

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