第16話

 ーーー深夜

 恐ろしい程冴え冴えとした月光が凍える夜を照らす中、居住用天幕の木戸が開いた。


 室内かられてきた暖気に身体をでられたセキロウは、足を踏み入れるのを一瞬躊躇ためらった。

 寒暖差には慣れてはいるものの、やはり暑さはこたえる。


 気を取り直して入った暑い位の幕内ばくないを、セキロウの視線は迷わずベッドの小さな丸みへ向かう。

 足音も立てずにベッドへと近付き、腰を下ろし、眠るリンの顔を様子を探る様に見て行くと、赤くなっている目元で視線が止まった。

 涙を乱暴にぬぐったかしたのだろう。


 セキロウは生まれてこの方、これ程までに慎重な力加減を自らにした記憶がない程の動作で、労る様にそこへ触れた。


 この世界に最弱の存在で放り出される龍珠りゅうしゅ

 最弱で有りながら、しかし、誰もこれをしいする事は出来ないのは、一重に龍珠が龍の一部だからだ。


 この世界の獣人は、物心がつく頃には本能的に統治者の龍に対してしたわしい感情を自覚する。

 極端に言えば、龍を慕わしく思わない獣人はいない。

 だからこそ、龍は最弱の状態で龍珠を獣人達に下賜かしできるのだ。


 龍珠を失くし、徐々に力を振るえなくなる龍の補佐となるべく者を選定する為に。


「泣いていたのか・・・」


 暖かなオレンジ色の灯りに溶けて行くようにひそやかで低いつぶやき。

 武骨ぶこつな指先が頬をでて、微かに開いた唇を撫でる。


 起こさない様、慎重な手付きで撫でてはいるが、それでもこの世界の者ならば、目を覚ますには十分な刺激だ。

 そもそも、この世界の者ならば野営地で深く寝入る事はないが、そうではないリンは、余程、安全な世界にいたのだろうと推測できた。


(リンのベッドでは暑くてかなわない)


 すっかり寝入っているリンの肩の下と膝裏ひざうらに腕を差し入れ、危なげもなくゆっくりと抱き上げて、暖房仕様ではない自分のベッドへ下ろす。


 さも当たり前のように移動させるところを見ると、セキロウにはべッドを分ける選択肢は無いようだ。


 夜目がく者からしたら眩し過ぎるランプの灯を落としてベッドへと戻り、眠るリンの柔らかい身体を抱き寄せた。


 軟弱過ぎて触れるのを躊躇わせるくせに、触れたくなるリンの身体。

 それに加えて、低い体温が心地よく、微睡まどろんでしまいそうになる。

 本来、七日間程なら不眠不休で行動できる気力と体力を備えている筈なのにとセキロウは不思議に思う。


 赤くなってしまったリンの目尻に口付け、セキロウも目を閉じた。


 ――――――――――――――――――


 うーん、この壁…暖かい…。



 …壁…?…んー…


 何で壁?


 寝てる自分の直ぐそこに壁なんてあったっけ?と思いながら私は目を開ける。

 でもまだ焦点が定まらない私は三度目を瞬いた所で目を見開いた。


 私の視界に飛び込んできたのが見覚えのある白いスモックシャツから覗く魅惑の襟回えりまわりだったからだ。

 ダメ押しでそろっと見上げると、セキロウさんで間違いない。違ったらそれはそれで怖いけど。


 …いや、何で?

 あ、もしかして私、夜中に寝ぼけてセキロウさんのベッドに間違って入っちゃった?

 …マジですか…ベタにやらかす自分が恥ずかしいけど、何よりも、意識のない人のベッドに潜り込むなんて、お巡りさんコイツです的な事件だよ…。


 もう、ホントすみません、セキロウさん。

 改めておびしにいきますが、何とお詫びをしたらいいか…どうか今ばかりはお許し下さい。

 取り敢えず、手遅れかも知れないですけどゆっくり寝て下さい。


 心の中でセキロウさんに土下座して謝り、そっと肩に乗る腕を下ろして抜け出す事に成功した。

 ベッドに腰掛け、床に足を着けるとまだほんのり暖かい。

 これなら、私のベッドもまだ暖かい筈。

 私はもう一度セキロウさんへ振り返って、お詫びをしようとした所で、ふと、全く毛布を掛けずに横になっているセキロウさんを見て寒そうだなと思った。


 足元にあるセキロウさんのベッドの毛布を引き上げる。


 肩まで毛布を引き上げ、冷気が入らないようにそっと毛布を撫でて隙間を閉じて、これでよし、と思ったその時。

 私の手をがしっとデカイ手が掴んだ。


「うぎゃっ」


 つかみ方と絶妙なタイミングがホラー映画さながらだったので、びっくりして悲鳴をあげてしまった。

 起き上がってきたセキロウさんに掴まれた手を引き抜こうとしたけど、全然どうにもならない。


「どうせ寝るんだろう?ここで寝ればいい」

「いや、これ以上のご迷惑は!

 折角、ベッドを二つも用意して下さったのに、私、寝惚けてお邪魔してしまったみたいで…本当にすみません!今更ですけど、どうぞ一人で広々と寝てください」

「押し倒されるか自ら来るか選べ」


 何、その私の謝罪が耳にも心にも届いてない二択。


「あー、えと…どっちも嫌」

「分かった、押し倒されたいんだな」

「いえ、直ぐ参ります」


 すごすごとセキロウさんに背を向ける体勢でベッドに戻ると、ぎゅっと抱き込まれる。

 …うぅ、くやしいけど暖かい。


「リンは今朝からジエ達と行動して貰う。悪いが、居住地に着くまではこの決定に従って欲しい。ジエの足なら目的地まで二十日程度掛かると目算してるが、道中、要望があればジエに言ってくれて構わない。善処ぜんしょする」


 頭の上から降ってきたのは今後の話しだった。

 きっとセキロウさん達なら私を悪い様にはしない筈だし、異論なんてない。


「分かりました。すみません、色々と気を遣って貰ってばかりで。セキロウさんは昨日みたいに別の部隊へ行くんですか?」

「そうだ。目処めどが付けば戻る。

 それから、余り気にするな。リンは安全な世界から来たんだろう?安全の水準が違うだろうが、この世界の危険は俺達が遠ざける」

「…ありがとうございます」


 セキロウさん達がこんなに労力を割いてくれるんだから、私ももっとここでの事を前向きに考えて行かなきゃと思う。

 帰りたい想いには蓋をしようと私はこの日、決めた。

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