第15話

 巨体な鉄鍋を張り合わせていた接着剤を専用の薬液を使って解体する作業をタキ君のご指名で手伝ったけど、タキ君の負担の方が大きかった気がしてならない。


 まあ、彼の機嫌が良さそうだったから良しとしよう。


 まだ彼らは片付けを続けているけど、本格的に冷え込んで来た為、役立たず加減に拍車が掛かったのが自分でも分かったので、今日のお礼を言ってお先に失礼させてもらった。


 居住用天幕の木戸を開けると、大きなランプに灯るオレンジ色の炎が幕内ばくないを照らしていた。


 グランピングを思わせる広い幕内では、二つのベットを置いても全く圧迫感を感じさせない。

 そして、目にも暖かく映るオレンジの炎が照らす幕内は温かく、外気に冷えた身体の稜線りょうせんをなぞるようにして温めてくれる。


「ありがたいな」


 私がいなければこんなに手を掛けた野営地を築く事はなかっただろうと思うと自然と感謝の気持ちが込み上げた。

 けれど同時に、セキロウさんたちに拾って貰わなけば、この恵まれた環境にいる事は出来なかったと思うと先程感じた感謝の気持ちが急激にしぼんでいった。


 暖かい家も寝心地の良いベッドも、元の世界にいたら当たり前に私が持っていた物なのに。


 この世界に連れ込まれていなければ、帰る場所があって、やらかして叱られてばかりだったけど会社に勤めて、給料を貰って、何とか自立していた当たり前の私の日常。

 勿論、不満が全くなかった訳じゃないけど。


 留まることなく湧いてくる元の世界への未練に、これ以上思考を割くのはただただ不毛なだけだと諦めて、ふと目を逸らす。


「・・・あ、私のバック・・・。持ってきてくれたんだ」


 ベットの脇に土埃と染みですっかり見違えたバックが置いてあるのに気付き、中を探ってスマホを取り出す。


 一日ぶりのスマホには何の着歴もない。

 それも当然。電波は遮断のマークが表示されている。


 分かっていたけど、全身から力が抜けてしまった。


 自分の身に起きた事と電波のないスマホが、今自分が異世界にいるということを改めて知らしめると、説得力を備えた『帰れない』と云う言葉がに落ちてしまった。


 セキロウさんから帰れないと聞いた時は八つ当たりして、まだ気を逸らせていたんだと気付く。それから、何処かセキロウさんの言葉を疑っていて帰れると思っていた事にも。

 たけど、今度は一人でその言葉と向き合い、受け止めなければならない。


 身体が崩れ落ちる様にベットへ沈む。


 この世界を受け入れる事が出来ない私の身体を、温かいベットが受け止めてくれる。

 でも、温かいベットは自分の使っていたベットと違って硬い。


 その違いが悲しいと理解すると、胸臆きょうおくから波がうねる様にして訴える激しい感情に駆られる。

 それは故郷を遠く離れた経験がない私が思いもしなかった郷愁きょうしゅうという感情だった。


 郷愁に胸を焼かれる様な感覚を味わいながら嗚咽おえつこらえ、静かに頬を伝う涙をぬぐう事無くスマホの画面を見ると、午後22時19分だった。

 私のいた世界の、日本の時間を表示する画面を指でなぞる。

 いつまでも眺めていたかったけれど、充電がなくなってしまうし、何より疲労で眠くて限界だった。

 部屋もベットも温かいけれど、これから夜に向けて来る大寒波に備えて、私はしっかりと毛布を被り、スマホを握りしめて目を閉じた。



 ―――――――――――――


 セキロウとジエとその部下は焚火たきびを囲んで追いすがる敵の情報共有を行っていた。

 特に、争奪開始早々、撤退に追い込まれたナタク率いる第五師団を強襲した敵情報と戦況の共有は重要だった。


「あの猪突ちょとつがよく引いたと思ってたのよ。誰の判断?」

「副長のクロガネの判断との事だ。クロガネがナタクに一服盛いっぷくもって気絶させたところを、その補佐二人で縛り上げて撤退したと第四のカノイから報告を受けた」


 昼間に合流した第四師団長カノイからの報告をセキロウが語って聞かせると、ジエとその部下達は、第五師団副長、クロガネの過激な手腕しゅわんに顔をひきつらせた。

 ただ、同族内でも指折りの武闘派(脳筋のうきん)として周知されるナタクを手っ取り早く止めるには薬を盛る位の強硬手段を取らねばと納得するからこそ、誰もクロガネを非難しなかった。


「世話が焼けるわね。そもそもなんでナタクを第五師団長にしたのよ」

「瞬発力。後、多勢にも怯まない根拠なき自信と無尽蔵むじんぞうの体力だな」

「はっ、若さってやつ?まあ、今回に限ってたけどナタクの任命はありかもね」


 ジエも一応は納得してみせた。

 けれど、セキロウをして無尽蔵の体力と多勢を前にひるまない精神力を備えていると評されたナタクを撤退に追い込んだ理由はなんなのか?


 だが、ナタクが撤退したその理由にジエとその部下たちには予感があった。


「カノイが聞いた報告によれば、ナタクは獣化じゅうかした鳥を優先して潰していったようだ」

「・・・鳥って云えば鳥だけど、あいつら翼を広げれば五、六メートル位あったわよね。簡単なやつらではないわよ、決して。でも猛禽もうきんを優先してやるのはいい判断ね」

「ただ、夢中になり過ぎて深追いしたらしい」

「さっきのいい判断って私の言葉だけど、撤回させてくれないかしら。ナタクを褒めた自分が恥ずかしいわ」

「師団長、ドンマイ」


 本気で恥じている様子のジエをアサギリがそっと励ました。


「そこを待ち伏せしていた猫獣人達に襲われ、仕上げにひょうの一撃だ。

 みつきによる致命傷を受ける前に運よく追いついた部下たちが応戦し、ナタクを救出した。

 まだイケるとごねていたナタクの負っていた傷は背中から腿裏ひざうらにかけての裂傷れっしょう

 豹の爪による裂傷の縫合ほうごうは済んだが、ナタクが野営地で大人しく療養りょうようする筈がない事と、鳥は粗方潰あらかたつぶしきったと判断した副長が撤退を決断した」


 そこまで話して聞かせたセキロウが手にしていた枝を火にくべる。


「あの!セキロウ様、ナタクの容体はどうなんでしょうか?無事に帰れるんでしょうか?」


 舞う火の粉を見詰めるセキロウにジエの部下であるタキがナタクの容体をたずねた。

 タキはナタクと同い年で同期だった。


「傷が広がらないように包帯で全身巻かれて、さなぎ状態だそうだ。薬を盛ったのも出血を防ぐ為だろう。

 心配ない。俺もお前もそうだが、俺たちはしぶとく出来てる」

「・・・そ、そうですよね、良かった」

「大丈夫よ、タキ。ナタクの副官が優秀だから、きっと無事に帰るわ。

 ところでセキロウ、豹が来ることは想定内だと思うけど、単独行動の豹がありえない連携を組んで来てる事、どう思う?」

「争奪戦は習性を曲げてまでも挑む価値があると判断したと考える。そうなれば豹の当主もその場にいるだろう。そこは問題ない。この争奪戦に於ける不安要素は龍珠りゅうしゅのみだ」

「本音を言えばセキロウに獣化して私たちの居住地まで行ってもらいたいけど」

「・・・そうだが、リンの様子を見る限り、俺はまだ無理だと判断する。ジエはどう思う?」


 セキロウに訊かれてジエは緩く首を振った。


「私も無理だと思うわ」

「こればかりは仕方ない。これより第三師団にはリンの護衛を任せる。

 人型ならジエが俺たちの中で一番早い。昼間はリンを連れて走れ。俺は第四師団と前線に出て追っ手を叩き潰す」

「わかったわ。ただ、今日みたいな規模の野営は流石に続かないわよ」

「いい、ジエの隊の野営は他の隊に比べて水準が高いのは知ってるからな。

 ・・・しかし豹とやるのは久し振りだ、どうしてやろうか」


 ーーーうわー出たよ、脳筋当主のうきんとうしゅ


 満更まんざらでもなさそうな雰囲気を隠さないセキロウにジエ達の脳裏のうりに過った言葉はそんな言葉だった。

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