第7話

『元の世界に戻れない』


 そう断言された後の言葉は私の耳には入って来なかった。


 帰れない?…冗談でしょう?


 セキロウの肩に置いていた手に自然と力が籠る。


「…ふっ」

「おい、どうした?」


 突然、笑った私を金の目が見上げる。


「困るんです、帰れないなんて」

「…」


 私が帰れないのはセキロウのせいじゃないことも、私が今こうして嘆くことが出来るのもセキロウと一緒に居るからだって分かってる。


 それでも、私はこの理不尽に対する怒りを、この世界の住人であるというだけのセキロウに向けた。


「思い出も生活も友人も家族も、未来だって全部、元の世界にあるのに…!

 こっちの都合も聞かないで、こんなところに勝手に投げ込んで!


 こんな所で私、生きていけない!

 大体、なんで私なの?

 私じゃなくてもいいじゃないっ

 戻して、戻してよ!」


 爪を立ててセキロウの肩を強く握り込めた指が痛い。

 怒りと悲しみと寂しさと自分への憐れみの感情が押し寄せて涙が溢れる。


「う、うー、うっ、あああ」


 声を殺して泣くことは出来なくて、せめてうつむいた。

 八つ当たりされているセキロウは、肩を握り締めている手を容易く広げ、私を下ろして胸の方へと引き寄せた。


「胸を貸してやる、好きなだけ泣け」

「…な、なによ…っ、えらそうにっ…」


 分かった風なセキロウの親切さも、宥めるように背を撫でる優しい手も、今はただ癪に触った。

 だから、胸を貸してやるなんて宣ったセキロウに涙混じりの鼻水をつけることに躊躇いは微塵もなかった。



 そうして精魂つきるまで泣き、段々と冷静になると、セキロウには悪いことをしてしまったと改めて思うが、この理不尽な現象を受け入れる事はまだできなくて、謝罪を口に出来ずにいた。


 セキロウはどう思ってるのかと気になって、盗み見るようにちらりと視線を上に向ける。


 バッチリと金の目とかち合ってしまい、慌ててうつむいた。

 見た限りでは、私が泣き止むのを無の境地で待っていたのではないかと思われる程、その目に感情らしきものは浮かんでいなかった。


 気まずい…一人勝手に気まずいよ。


「…はあ、ふぅ」


 微妙な雰囲気の中、疲労感をアピールするため息に救われた心地がしながら、私は背後を振り返った。


 長い杖にしがみつき、重たげな足取りで歩いてくる人物は長く淡い金髪を高く結い上げた美女で、私とセキロウを凝視して、明らかに胡乱な表情をした。


 そして何事も無かったかのように普通の足取りで私達の方へ近付いてきた。


 その人もセキロウと同じ位長身だったけど、女性なので骨格が華奢だった。

 翡翠のような綺麗な緑の目は垂れ目で、優しげな印象よりも色気を感じる。

 紅い口紅を差し、目尻に紅いアイラインを施した華やかな雰囲気を纏う絶世の美女だ。


 セキロウとは違い、上下とも服を着ていたが、襟が不謹慎な程開いている為、胸が見えてしまうとはらはらさせられ…


 え、胸がない、だと?


「ねえ、どういう事?私達を働かせまくっといて自分はこんな可愛い女の子と抱き合っちゃってるなんて…羨ましいわね、代わりなさいよっ」


 黙っていれば絶世のお色気お姉さんなのに、その人は紛れもなく素敵なテノールボイスの男性でした。

 そして、びしっとセキロウへ伸ばされたのは杖ではなくて、その人の身長よりも少し短い剣だった。

 そんな長い剣を華奢な腕で扱えるのか疑問だ。


「お前には第三師団の指揮を任せたな」

「そう、第五は撤退、第四が交戦中よ。

 まだ領地までは遠いんだから、出来るだけ距離を稼ぐよう発破かけに来たのよ」

「追っ手は数を頼みにしているだけの雑魚だ、蹴散らせ」

「やってるわよっ

 だけど、ウジャウジャ…虫みたいに涌いて来てもう、うんざり」


 オネエさんは心底面倒臭そうに渋面したけど、その美貌をまったく損なうことはなかった。


「…発破掛けに来たのではなく、愚痴を言いに来たんだろう?

 まあいい、一つ貸しにしといてやる。

 ジエはリンを護衛しろ」

「第四師団のカノイが暑苦しく張り切る姿が目に浮かぶわー。

 身を粉にして働く私に貸しなんてあり得ないし、護衛は喜んで引き受けてあげるから、早く行きなさい」


 話が付いて、セキロウが私をジエさんへ委ねようと身体を離そうとする。

 けれど反射的にそれを拒否するようにセキロウに引っ付いてしまった自分に驚いた。


「あ」

「あら」

「…」


 セキロウの無情な金の目が僅に瞠目したのが分かった。

 そりゃ、そうだよね、私も自分で驚いてるし。

 自分がこんなにもセキロウを頼ってしまっていたなんて。


「あ、いや、えっと、すみません…」


 この件に関して弁明する程、深みにはまることは明らかだったので、謝るしかなかった。


「いいのよ、気にしなくて。

 雛が最初に見たものを親と思うのと一緒で、大変な目に遭ってる時に助けて貰ったら頼りにしちゃうのは当然でしょ。

 でも、少しだけ私で我慢してもらえるかしら」

「いえ、そんな、あの、よろしくお願いします」


 私はジエさんに頭を下げた。

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