第4話
「蹴散らして行く」
セキロウさんの宣言に私は戦々恐々とした。
だって、前方には飛んだり跳ねたり、土煙を上げながら此方に向かってくる何かの大群がいるからだ。
これを蹴散らすとなると、私は果たして無事でいられるのだろうか?と戦慄するしかない。
てか、何故これを前にセキロウさんが滾れるのか分からない。
「…おい、もっとしがみつけ」
「ひっ、ほ、他に道はないんですか?」
「ない、行くぞ」
ぐん、と何かを置き去りにしたような衝撃と共に、セキロウさんは走り出した。
何の音かを深く考えてはいけない、非日常な不気味な音が絶えず続く中、暖かい液体が私の背中を濡らした。
「ちっ…仕損じた」
セキロウさんの低い苛立ちの呟きを聴きながら、私は目を見開いたまま、硬直するしかなかった。
不意に駅員の捨て台詞が脳裏を過る。
---御武運を。
私はこの時、あの駅員を全力で呪った。
「…、…おい、リン、もういい、手を放せ」
「…え、あ、ああ、はい、すみまっ!!ぎゃぁあああっ!」
目を開けたまま視界を遮断する器用な真似が自分に出来ていた事にも驚いたが、セキロウさんの呼び掛けで視力を戻してしまった事に激しく後悔した。
何故なら、視界に飛び込んで来たのが、全身返り血を浴びた、ほぼ赤いセキロウさんだったからだ。
むせ返る血の匂いとショッキング映像とで、私はもう、限界だった。
激しく暴れて、転げ落ちるようにセキロウから逃れると、四つん這いで距離をとり、吐いた。
「げほ、げほっ」
「もう少し行けば川がある。そこで血を流せる。行くぞ」
手も貸してくれず、前を歩いて行くセキロウの背中をぼんやりと眺めていると、振り返って、無言の圧力でもって付いてくるよう命じられる。
よろめきながら、とぼとぼとセキロウの後を歩いた。
二メートルの長身と、百六十センチで心理的に深いダメージを負った女子の歩幅では、距離は開くばかりだった。
でも、一定の距離が開いてしまうと、決まってセキロウは振り返って立ち止まった。
漸く川に辿り着いた頃、ヒールにとっては悪路を随分と歩いたので、靴擦れになってしまっていた。
セキロウと私とでは「もう少し」の解釈に齟齬があると分かった。
「先に行け。俺は火を起こしておく」
私はこの時、疲労困憊で、兎に角、あの清流に浸かりたくて仕方なく、無言で頷いた。
鞄を落とし、ヒールを脱ぎ、血で汚れたジャケットを脱ぎ捨て、ふらふらと川へと向う私を視るセキロウの表情が、心なしか不安げだったような気がしたのは、見間違いに違いない。
水面に足を浸けると、ストッキングが邪魔になり、脱いで素足を浸すと、足元から清涼感が全身を巡り、汚れを一掃してくれた気がした。
はあ、自然最高!
ブラウスとスカートを着たまま、私は川中迄移動して、水中へ潜って全身の返り血と土埃を洗い流した。
こんなに綺麗な川なら相当水温が低いと思われたが、全く気にならず、寧ろ、暖かく感じた。
水流も緩やかで、心地がよい。
ああ、出たくない。
何か、すごく和む。
水の癒しを堪能する私の元へ近付く水音に気付いて、浮力に任せて大の字に浮いていた体勢を止め、音のする方へ身体を向けた。
セキロウさんも水浴びを済ませていたようだ。前髪を後ろに撫で付け、顔の全貌を漸く拝めた。
うわー、男前!
細マッチョなセキロウさんのお顔は、二言で云わせてもらうと精悍で端整。
切れ長の目許、繊細な鼻梁、薄い唇、余計な肉など一切ない輪郭と、ボディーライン。
八個に割れた腹筋を生で見たのは初めてです、私。
セキロウさんは刃物のような雰囲気を持つ危うげな、タークサイド住人の魅力に溢れた人だった。
これはこれでアリでしょう。
でも、私は穏やかで、ほっこりできる男性が好きだなー。
なんて、ぼんやりと考えていると、セキロウさんがじっと此方を見たまま動かない事に気付いて、私は声を掛けた。
「…セキロウさん?」
セキロウさんの金色の目に一瞬、確かに動揺が見て取れた。
なんで動揺、いや、見間違いか?と考えていると、明らかにギロリと言う効果音を伴う睨みに、私は心底ビビった。
な、なんで?し、心配しただけです、ご、ごめんなさい。私がセキロウさんを心配するなんて生意気でした!
と、心の中で弁明し、背を向けようとしたら咄嗟に手を取られて引き留められた。
「俺が怖がらせたんだろう?…悪かった」
は?謝った?今の謝罪、ですか?
ダークサイドな住人代表みたいなセキロウさんから謝罪され、信じられない思いで振り返ると、若干目許の戦闘力を落としたセキロウさんがいた。
そして、ゆっくりと引き寄せられると左腕を腰に回され、その手で腰骨を覆われる。
「な、あの、近くないですか?」
上からじっと覗き込まれ、何だか居心地が悪くて…何か、セキロウさんの様子が変だ。
「手が冷えきってる」
そう言って金色の目を閉じて、掴んだままの私の手にその薄情そうな薄い唇で触れる。
薄情そうな薄い唇は、意外にも熱くて、その熱に私は肩を揺らした。
そして、ゆっくりと開かれた金色の目が、私を見詰めた。
「もう、十分だろう?上がるぞ」
「…あ、はい、じゃあ放して」
「先程、踵から血の匂いがした。遠慮はなしだ、抱えて行ってやる」
「え、いや、大丈夫…」
なんですけど、とやんわりと断ろうにも既に抱え上げられた後だった。
さ、さっきの何あれ?
ダークサイド住人の大人のお色気、半端ない!
私にはまだ早いです!
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