第3話

 その人物は私達から二メートル先に突然、現れた。


 私をトロフィーの様に抱き上げる蜥蜴は恐らく二メートルは越える大型だけど、突然現れた男性も同様に長身だ。


 上半身は裸だけど、下半身はちゃんと履いてるし、何より同じ人間を見た私の心は凄まじく励まされた。


「助けてくださいっ」


 自分でも驚く程自然に助けを求めてしまったけど、男性の反応は一瞥のみ。


 あ、助けを求める相手、間違ったかもと意気消沈した時、蜥蜴の手が震えてる事に気付いた。

 …怯えてる?


「中途半端な人型が精々の下等種が、僅かでもいい夢を見たと満足して去れ」

「…皆殺しか」

「俺は見逃してやる、と言ったつもりだか、理解できなかったか?」


 蜥蜴の緊張感漲る圧し殺した呟きを聞いた時、後方から風が吹いた。


 その風が運んで来たのは、嗅いだことがない位、濃厚な血の匂いだった。


「うっ」


 込み上げた吐き気を何とかやり過ごすと、何一つ気負う事なく近付いて来た男を見て、私は一縷の希望が霧散して行く感覚を味わった。


 伸びた黒髪は腰まで届き、前髪から覗く目は冷ややかな金色。


 絶対ダークサイド側の住人である証ともいえる鋭すぎる眼光は勿論、全身の所々に浴びているあれは返り血で間違いないと理解すれば、助けは望めそうもない。


 仲間を目の前のダークサイドな男に全てやられてしまった蜥蜴は、圧倒的不利を前に降参し、私を男に差し出した。


 蜥蜴は普通に私の背を押したのだろうが、蜥蜴の普通の力は私にとって普通じゃなくて、私はダークサイドな男の足元にべじゃと平伏すように転んだ。


龍珠りゅうしゅはこの通り譲る。不意打ちはなしだ」

「俺の気が変わる前に去れ」


 二メートル頭上で寄らば斬る的な雰囲気が展開される中、交わされた会話。


 何なんだ、ここは?なんてヤバい所なんだと戦《おのの》きながら、私は静かに且つ急ぎ身体の向きを変えようとしたら、ダークサイド男にわしっと襟首を押さえられた。


「動いたら、着てる服を剥く」


 男の本気は襟首を押さえた指が貫通した布地が証明していて、涙目の私は踞って泣いた。


 蜥蜴の足音が遠退いていくのを聴いていると、襟首が解放され、立ち上がるよう腕を掴まれた。


 この時、私は自分の身に起こる不幸を嘆く事に忙しくて気付きもしなかったが、ダークサイド男は確かに力を加減していた。


「何故泣く?怪我が痛むのか?」


 低い声が怖くて、血濡れた半身が気持ち悪くて、男が自分をどう扱うのかが恐ろしくて返答できずにいると、男は私の顎下へ手の甲を差し入れ、顔を上げさせて目線を合わせてくる。


 私を観察する感情の読めない金色の目と見詰め合う事なんて出来なくて、速攻で目を反らす。


 目を反らして返事をしない私に焦れたのか、男が背を屈めてきた。


 男の前髪が顔に触れた途端、私は思わず悲鳴を上げて、男の身体を突き飛ばしてしまった。


 けれど、引き締まった痩身の堅い感触があっただけで、身動ぎすらさせられず、腰に回された腕で密着を余儀なくされた。


 私の腰に回っても余る長い腕と、腰骨を余裕で覆う程大きな手の男に、自分は命を握られているのだと改めて理解する。


 私は私は凶悪な殺人犯に引っ付かれている気分になり、身体の芯から凍えた心地がした。


「…お、お願いです、家に帰りたいんです。私は、私はただ変な駅員にここに連れ込まれただけなんです。なんかの間違いでここにいるだけで…お願い、お願いします、家へ帰して…!」


 目も合わさず、うわ言のように訴えて、嗚咽混じりで泣いても、私を視る男の同情を誘う事は残念ながらなかった。


 程無くして号泣に疲れ果て、ややぐったりした頃、男が話し掛けて来た。


「龍珠は名があると聞いた。お前の名は?」

「…三國凛子みくにりんこ、です」

「蜜リンゴ?…名前までうまそうだな」


 男の『うまそう』と云う不穏極まりない呟きがバッチリ聞き取れてしまった私は、このタイミングで名前を聞いてくる男に対し、同情すらしてくれない冷血男として位置付け、ぶっきらぼうに名を名乗った自分を詰った。


「あ、あの!蜜林檎じゃなくて、三國凛子です。ちっとも美味しそうじゃないです…!」

「?だから蜜リンゴだろう?」

「…あ、えっと、凛でいいですか?」

「只のリン?蜜リンゴじゃないのか?」

「蜜リンゴじゃなくていいです…」


 時に弱者は名前まで変えねばならないとは知らなかった。


「俺はセキロウと言う。

 俺の分かる範囲でリンの置かれている状況を説明しよう。

 まずは、ここを離れる」


「え…、あの、出来ればここから離れたくないんです。だってここは始まった場所だから」

「ここに至った手掛かりがある、と言いたいのだろうが、ここは地形的にも危険だ。

 それだけじゃない。

 リンも聞いた筈だ。龍の咆哮を」


 セキロウに言われて、あの恐竜みたいな咆哮を思い出す。


「あれは龍が龍珠を失くした時に上げる咆哮。つまり、俺たちにとっては争奪の合図となる」


 故に危険なのだ、と告げる前に、セキロウは私を片腕に乗せて抱き上げた。


「雑魚どもが。余程無駄死したいと見える」


 セキロウさんは感情が豊かになると物騒なんですね…。


 本当に家が恋しくて、押し寄せる過去最大級の切なさを、私は知らず物騒真っ只中のセキロウさんにしがみついて表現してしまっていた。

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