7-5
「え?」
「えっ?」
小春と絵里奈がそれぞれ驚きの声を上げる。由希斗は柔らかな笑みをうかべ、絵里奈の答えを待っている。絵里奈は由希斗ではなく、驚いた様子の小春を見て目を丸くしていた。
「どういうこと?」
絵里奈が小春に尋ね、小春は困惑のまま由希斗へ目をやった。
「ユキ、絵里奈ちゃんにも、その……わたしたちのことを、忘れてもらうのではないの?」
「小春は、嫌?」
「嫌ではないわ。でも、今までは……」
「うん。だけど、小春を変な目で見ないなら、事情を知っている友だちがいてもいいと思うんだ」
どう? と、由希斗は絵里奈へと話を振った。気圧されたように、絵里奈がこくこくとうなずく。それを見た小春は、由希斗の服を少し引っ張って、彼を窘めた。
「あなたにそういうふうに言われたら、断れないわ」
そして、絵里奈に肩をすくめてみせる。
「よくわかっていないのに、うなずいてはいけないわ、絵里奈ちゃん」
「えっと……」
絵里奈は一瞬だけ由希斗へ視線をやって、畏れ多いというふうにすぐに逸らした。その目はしばらく地面をさ迷ってから、意を決したように小春へと向けられる。
「あの、小春ちゃんってつまり、普通の人間ではない……んだよ、ね」
「そうね」
「それでその、今までは、秘密を知られたら、その人たちの記憶を消してた、ってこと……だよね」
「そう。色々と、都合がいいから……」
「人は、自分とは違うことわりにいる存在を受け入れ難くて、小春を厭うんだ。そうやって、小春が奇異の目で見られるのは嫌だったから、皆の記憶を消してきた」
小春をさえぎって、由希斗が言った。その顔にいつもの柔和さはなく、顔立ちが美しいだけに威圧感が生まれ、小春は絵里奈と由希斗の双方を案じて彼らを見比べた。
気圧される絵里奈がかわいそうだが、由希斗を誤解してほしくもない。
由希斗は、そんな小春にだけ、少し微笑みかけた。
「あの、あたし……」
絵里奈は由希斗を直視できないらしく、視線を落としている。こちらを見ないまま、彼女は口をひらいた。
「あたし、べつに小春ちゃんを変だと思わないよ。そりゃあ、ちょっとあたしたちとは違うところがあるかもしれないけど、普通に、友だちでいようよ」
「……普通に?」
小春は思わず鸚鵡返しにする。『普通』と、『友だち』という言葉を並べて使うのは、小春にはあまり馴染みがなくなっていたものだった。
「だって、今まで学校とか放課後とか、一緒にいたのに、それが変わるってことじゃないんだよね? あたしたち、普通に友だちだったじゃん」
絵里奈はそろそろと顔を上げた。精一杯の様子で、表情は戸惑いに満ちている。それでも、小春を見て言う。
「あたしね、小春ちゃんと、これからも友だちでいられると思う。小春ちゃんは?」
「わたしは……」
小春の脳裏に、今までともに過ごしては記憶を消してきたかりそめの友人たちの顔が、うかんでは消える。
記憶を消すのは、街の人々が平穏に暮らすために、必要なことだと思っていた。かつて、隣街市がまだ小さな村で、小春が神嫁であることを隠さず村の人たちと交流していたころ、小春はどうしたって異端で、ときには恐れられた。
「絵里奈ちゃんは、わたしを怖いとは思わないの?」
「正直言うと、なんか、よくわからないとこはあるんだけどさ……」
居心地悪そうに手を握ったり開いたりしている絵里奈を、小春はむしろ好ましく思った。素直で、いかにもこの街の子どもらしい善性を感じる。
そんな彼女と、自分がこれ以上のかかわりを持っていいのか、小春には判断がつきかねた。小春の躊躇いを感じ取ったらしい由希斗が、軽く肩をつついて、小春の意識を彼に向けさせる。
「ねえ小春、もし、小春が嫌な思いをすることがあれば、僕はすぐさま相手の記憶を消して、小春にかかわらせないようにするよ」
「それを心配しているわけではないのだけど……。そんなに軽々しくしていいことではないでしょう」
「この街では僕が神さまだもの」
「横暴じゃない?」
小春が咎めると、由希斗は少し悪戯っぽく目を細めて笑う。その笑みを声音にも表して、彼は言った。
「術をかけられたことに気づかなければ、この街の人々は、僕に記憶を消されたことも知らないまま、幸せに生きられる。だから大丈夫」
「大丈夫、って……」
「小春のことは、何があっても、僕が守るよ。だからもう一度、街の人たちと過ごしてみない? 小春は人が好きでしょう」
由希斗は、打って変わって真剣なまなざしで小春を見下ろしていた。
「わたしが人を好き?」
「だって、彼らのことを知るために、彼らときちんと交わろうとするもの。相手を知りたいって、好きだから大切にしたいんでしょう」
彼は、小春から人間であることを奪ってしまったと悔やんで、苦しんだ。きっと、小春が友だちと過ごせたら、というのも、ずっと思っていたことなのだろう。
すっかり慣れてしまっていたけれど、束の間の友人たちとの別れに、そのたび寂しい思いをしていたのを思い出してきた。
由希斗は、気づいていたに違いない。
「人間の友だちは、数十年しか小春と一緒にはいてくれないけれど……」
由希斗の言いように、小春は小さく笑う。
「数十年もあれば、十分だわ」
どれほど長く生きても、時間が早く過ぎるということはない。一年は一年、十年は十年、百年は百年。数十年あれば、いったい何ができるだろう。
「みんなと過ごすのは楽しいわ。みんなが、嫌でなければ」
「嫌じゃないよ。……あの、少なくとも、今は」
即座に小春に答えたあと、絵里奈はおずおずと付け足した。その正直さに、思わず笑いがこぼれる。
「将来、もし困ったことがあったら、神さまがどうにかしてくれるそうよ」
小春は由希斗と目を見交わし、それから絵里奈へと視線を向ける。彼女は笑っていいのかと戸惑うように、微妙に口元を歪めて小春を見返してきた。
そんな絵里奈へ、にっこりと笑いかけて、口をひらく。
「絵里奈ちゃん、これからも、どうぞよろしくお願いします」
「うん!……えへへ……」
絵里奈は勢いよく返事をし、そんな自分を恥ずかしく思ったかのように、肩の力を抜いて笑った。それが微笑ましくて、頬が緩むのが、自分でもわかった。
小春を見ていた由希斗が、急に後ろから強く抱き寄せてくる。小春はバランスを崩して、由希斗の胸に寄りかかる羽目になった。
「えっ、ちょっと、いきなりどうしたのよ、ユキ?」
「小春は、僕のお嫁さんだから」
「それが?」
首をかしげる小春に、ぽかんとしていた絵里奈が呆れて言う。
「あのさ……、もしかしてやきもち? あたしに? 剣崎くんって、神さまなんだよね?」
「そうよ。神さまなんだけど、ちょっと甘えたがりで……」
少し背を丸め、小春の前で腕を交差させて、完全に小春を閉じ込めてしまった由希斗が、小春の頭に頬を寄せてくる。ときめきや、恥ずかしさを何とか押し込めながら、小春は弁解をこころみた。
「甘えた……まあそうかもしれないけど、嫉妬深い怖い神さまの話なら、わりとよくあるよね」
「そう、ね。ユキのイメージではないけれど……」
「怒らせたら怖いんでしょ?」
「まあ……そうそう怒る神さまではないし、怒るよりもこう、甘えてくるところのほうが、時々……」
「めんどくさい?」
先ほどまでの遠慮をどこへやったのか、絵里奈の歯に衣着せぬもの言いに、今度は小春のほうがたじろいだ。
「え、いえ、そうまでは言わないわ」
「ふふ……」
絵里奈とのやり取りを聞いていた由希斗が、小春の耳元で笑う。小春にしてみれば、くすぐったくてたまらない。
「僕が神さまだというのも、みんながそう思っているからにすぎないんだけれどね。神さまだと思いたくないなら、それはそれでいいよ。小春が僕のお嫁さんであることは変わらないし」
「もう、ユキ。わかったから、そんなに言わなくていいの。……こんなこと言っているけれど、ユキはちゃんとこの街を愛しているわ」
「何となくわかるよ。じゃないと、この街、こんなにいいところじゃないもん」
「……!」
小春は、ふと息をのんだ。
そうだ、絵里奈の言う通りだ。
この街の幸福が、たとえ由希斗によって作られたものなのだとしても、それは由希斗がこの街を愛し、守っているからなのだ。この街には、彼の真心が満ちている。
それは、決して幻想なんかじゃない。
褒められて嬉しかったのか、由希斗がぎゅう、と小春を締め上げてくる。いつもなら小春もそれなりに応えてあげられるが、ここは学校の屋上で、絵里奈もいるとなれば、そうはいかない。
本当は、小春だって、由希斗を抱き締めたい。
小春は由希斗の腕を軽く叩き、首をひねって彼を見上げた。
「帰りましょう、ユキ」
沈む直前の、強い陽光を受けた由希斗の瞳がきらめく。
「うん」
まもなく夜空が街を覆い、無数の星々が輝くのが見えるだろう。
街はいつも通りの、平和で穏やかな夜を迎えた。
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