『おとぎ話(2)』
ユイ・ルミエールは『公社』という組織に所属する人間で、見た目だけで言えばありふれたごく普通の青年である。
やや長めの黒髪に、その身の丈には合ってはいない、黒くて長いコート。肌の露出が少ない黒長ズボンという服装は目を引くものがあるが、それもさして奇妙なものではない。むしろ、ファッション面で目立つのはパートナーであるシエルのほうだろう。
世の『多数派』に所属する人間とは一線を画しているユイであるが、それも見た目からでは判別できない。『人は見かけによらない』とは、まさにこのことだ。
街中で見かけてもその
そしてそれは、ユイの生まれ故郷から遠く離れたこの国でも変わらない。
自然の地形が東西に分けるこの大陸において東部に位置し、縦横無尽に街並を張り巡らせている都市『エルグレア』。
西部都市『ウルグレア』と合わせて二つの大都市からなるこの国は、同じ世界に存在する数多くの国と比べてきわめて原始的な文明を歩み続けている。
先ほどユイが目にした馬車などがいい例で、この国で標準的な交通手段として用いられている乗り物は、自動車でも箒でも空飛ぶ機械モジュールでもなく、今となってはひどく原始的な『馬車』だ。
当然ながら、『馬車』を主要な移動手段として用いている国は、全世界の中でも稀だ。便利な代物は世界という名の国境を越えて広く出回ることが当たり前となった今の時代に、『旧文明』の乗り物を常用としている国は数えるほどしか存在しないだろう。
今時、『馬車』を見かけることがあるのは、それを売りにしている娯楽施設程度。その用途も、利用者が体験したり楽しんだりするためで、まっとうな移動手段として馬車を使うことはまずない。
発達した他世界の技術を積極的に取り入れようとはせず、進化することを知らないままそれを忘れ去った国。ゆえにこの国は、『
そんな国の一地方を訪れたユイ・ルミエールであるが、その目的はただ一つ、とある少女を巡ってのものだった。
『公社』の同僚の話を小耳に挟んだ程度で引き受けることを決めた『依頼』――実際には『公社』の正式な手続きを踏んではおらず、厳密には『依頼』とはよべない代物だったが――そのために、ユイは遠く離れたこの国までやってきたのだ。
『仕事』の内訳は、あまりにも不明瞭だと言わざるを得ない。そのことはユイも十分理解していた。彼がこの『依頼』について把握している情報も、そう多くはない。
行き当たりばったりなのは日常茶飯事だが、それにしても今回の旅路は賭けの要素が強すぎた。出発前に何度も相棒に懸念を示されたのも事実。
それでもユイがこの依頼を引き受けることを決めたのは、同僚から聞いたわずかばかりの情報が強く印象に残ったからだった。
あるいはそれは、『運命の導き』というものだったのかもしれないが、そんなことはもう関係ない。
すでに行く先に暗雲が立ち込めている状況だが、ここまで来た以上、もう引き返す選択肢はユイの中に存在しないのだ。
たとえ、そこに何が待ち構えていたとしても――。
歩みを進める二人。それらが向かう先で、大都市エルグレアの街並が光に照らされて輝いていた。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※
「――到着、と」
体感では、三十分くらい歩いたのだろうか。ついにその場所へと辿り着いた二人を出迎えてくれたのは、都市を取り囲み、内と外を分ける外壁だった。
見上げてみれば、壁は相当立派なものだった。中にあるのが城であれば、城壁と言い換えても差し支えないくらいだ。来訪者を歓迎し、街路を通じて中に導く石造りのアーチもまた、魅力的だ。
などと、勝手な感想を胸の内で述べていたユイは、そのアーチをくぐって街の中に足を踏み入れる。傍に衛兵の類の人間の姿は見当たらず、そこには街路を挟むように花畑が広がっていた。おそらく、周辺の安全は確保されているからなのだろう。外壁は本当に、内と外を隔てるだけにすぎない代物らしい。ここから北の方にあるとされる王城では、もう少しまともな警備網が敷かれていることだろうが。
「それで、これからどうするの? ……私、ちょっと休みたい」
外界の名残を思わせる土の街路を歩く傍ら、相棒である少女シエルの小さな願望を耳にして、ユイは「そうだね……」と手を顎に当てた。
『大渓谷』からエルグレアに至る道中はそう険しいものではなかった。が、万全とは言いがたい状態で、さらなる疲労を強いられる手段でここまでやってきたのは事実。
体質の関係で、常人には真似できない、できたとしてもしたくない芸当をやってのけてはいるが、身体の内側では今もなお疲労が蓄積している。そのうえ、その体質の力をもってしても、精神へ訴えかけてくる倦怠感までは消してくれない。
あらためて、奇妙なものだとユイは思う。身体の奥底で蠢く疲労感は確かに感じるのに、肉体そのものはなんの問題もなく動くのだから。同じだけの感覚を、シエルも感じているのだろう。もっとも、ユイとシエルでは、その体質に微妙な違いがあるらしいのだが。
とはいえ、今の状態は身体が求める休養をただ先延ばしにして、必要なエネルギーを先取りしているだけにすぎない。それはユイにもわかっていた。このまま無理に動かし続ければ、そのうち溜まったものが爆発することも、もちろん。
まともにベッドで眠るのはやることが済むまでお預けだが、短い間隔で軽い休息を取っておくほうが賢明だろう。
そんなことを思いながら、ユイはシエルと並んでふらふらと街を歩く。いつしか足元の道はきちんと整備された石畳の道へと変わっており、辺りの風景もそれらしいものへと変わっていた。街路を両側から挟むようにいろいろな店が建ち並び、日々を過ごす住民の姿が目に入った。
人々の横を通り過ぎながら、ユイはその視線が痛いほど自分たちに向けられているのを感じていた。いつもどおりといえばいつもどおりだが、今日向けられている視線は、興味関心の類よりも物珍しいものを見ているといったほうが近い。
とくに目を引いているのは相棒のシエルだ。エルグレアにおいては奇抜なファッションであろうゴスロリ風の衣装を身に纏う少女の姿は、街行く人々の姿と比べるとかなり目立つ。周囲の人間とはまるで重ならない影を揺らす彼女もまた、いつも以上に人々の注目を浴びていた。
とはいえ、一日も経てば、彼らの記憶には残っていないだろうが。
「この街でも変わらず人気者みたいだね、シエ」
そう茶化したユイだが、当の本人は何も言わずに一度ユイの目を見ただけだった。
無反応という名の答えに耳を痛めながら、ユイはちょうどいい休憩場所が無いかを探す。
欲を言えば、
本音の部分では休憩に専念したいところだが、そういうわけにもいかない。『協会』の存在を考えれば、のんびりしている暇はないのだ。ゆえに、休憩と同時に仕事のほうも進めなければ。
次から次へと視界に飛び込んでくる店は、どれもファンタジー世界らしさを感じられるものばかりだ。ユイにとっては、ゲームや小説の中でしか見ることがない店がそこかしこにある。それは、まるで絵物語の世界に本当に迷い込んでしまったかのような、幻想は幻想にすぎないと断じられている故郷の世界とは、似ても似つかない風景だった。
「――シエ、あそこにしよう。あそこで休もう」
ついに見つけたちょうどいい休憩場所――『酒場』を見つけてユイが声を上げる。
指さされた先にある、異国人の感覚からすれば少し古めかしい建物をシエルが見ると、「……酒場?」と彼女は問い返した。
「こんな時間からやってるの?」
「閉店の看板は出てないよ」
「……だからってやってるとは限らないでしょう? そもそも、なんで酒場なの? あなた、何か勘違いしてるんじゃない?」
「いや、ほら。休憩しながら情報収集もしたいし……酒場でやるのはRPGの基本じゃない?」
「何、アールピージーって」
「
「……知らない」
ともあれ、ほかに休憩できそうな場所は見当たらず、酒場に入ることは決定事項になった。故郷ならまだしも、今いるのは『時代の止まった国』。酒屋が明るい時間帯から店を開けていてもなんら不思議ではない。娯楽や物語の中でしか通用しない知識も、この国では馬鹿にできたものではないだろう。
その証拠に、酒場の扉に鍵はかかっておらず、訪れた異邦人二人を歓迎していた。
※※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※※
木製の扉を開けて中に入り、目の前に広がった光景にユイは違和感を覚えていた。
今そこにある風景は、ユイの知る『酒場』とは半分ほどしか合致していない。天井から吊り下げられた照明が仄かに照らす暗い店内は『酒場』特有の独特な雰囲気を作り出していたが、
「酒場というより……レストラン?」
「あら、美味しそうね」
その場所を支配する空気感と匂いは酒場のそれとはまるで違っていた。
まだ日が昇ったばかりだというのに客の数は多く、埋まった席の丸いテーブルに置かれているのはジョッキに入った酒――ではなく熱いミルクと、色とりどりの料理の皿。鼻腔をくすぐるのも、酒場特有のアルコールの匂いではなく、空腹を誘う美味の香りだ。
「いらっしゃい、お二人さん。この辺りじゃ見かけない格好してるな。席は空いてるぜ。好きな所に座ってくんな」
来客に気づいたこの店のマスターらしき人物に案内されて、ユイとシエルは店の中央辺りで空いていた席に座った。
木製の椅子も、それなりに大きい丸テーブルも年季が入っていて、この店が長きにわたって商売を続けてきたことをうかがわせる。
ちら、と視線を動かしてみれば、壁際には手書きの文字で書かれたメニューらしき貼り紙がいくつかあるのが見えた。
「酒場じゃなくて食事処だったのか? いやでも入口には……」
「待たせたな、お二人さん。なんにするかい?」
一人思案に沈もうとしたのも束の間、先にユイたちを席に促した店主の男がやってきた。
とはいえ、なんにするかと聞かれてもまだ何にするか決めていないのだが。客を通すなり注文を取ろうとするのは酒場クオリティか。
「私、温かいミルクとパンケーキ」
「あいよ。兄ちゃんはどうする?」
「え。あ、えーと……じゃあ、同じものを」
「わかった。ちょっと待ってな」
そう言うと店主は大股で歩き去り、カウンターの奥にある空間に消えていった。
それを見届けてから、ユイはシエルの方に視線を移す。あの短時間で注文を決めたのは驚きだが、メニューにパンケーキなるものがあったのなら合点がいく。
「……ほんと、甘い物に目がないね」
「別に。無難な物を頼んだだけよ。お腹もすいていたし」
勢いのまま同じものを頼んだユイだが、言われてみれば確かに、日付が変わってから何も口にしていなかった。
それに気づいたからか、それともあちこちから漂う料理の匂いに耐えられなくなったからか、身体が急に空腹を訴え始めた。
「それよりも、これからどうするつもり? 『依頼人』を探すにしても、この都市の中で探すなんて無理があるわよ? 素性もほとんどわからないわけだし」
「今日のうちに見つけて話をしておきたいと思ってたんだけど、無理かな?」
「あなたって本当に楽観的よね。そんな簡単にいくわけないでしょう? 向こうからこっちに会いに来てくれでもしない限り、短期間でその子を探すのは無理よ」
「でもほら、人探しは割と僕得意だと思うんだよ。今回はちょっと分が悪いかもしれないけど」
「……。あなたが自分の『祝福』をすごい頼りにしていることはわかったわ」
「お待たせしました」――そんな声が聞こえてきて、先ほどの店主とは別の従業員が注文した品をテーブルに運んできたところで話は区切れた。
ジョッキに入ったホットミルクが二つ、丸テーブルに置かれる。注がれた白い泉からは湯気が立ち昇り、それはかなり熱そうだった。
「ホットミルクなんか飲んだら、もっと眠くなっちゃうんじゃない?」
「何言ってるの。気持ちよく眠るためのホットミルクでしょう? 私、一足先に宿を探して休むつもりだから、『依頼人』探しをするならあなた一人でしてちょうだい。今の私は足を引っ張るだけだから」
「別に足手まといだなんて思ったりしないよ? ――でもわかったよ。『依頼人』探しは僕一人でやるから、ゆっくり休んで」
「ありがと。今日のところは休ませてもらうわ。明日から、また巻き返すから」
「それじゃ、期待しておこう」
そうしてやり取りを終えて、ユイとシエルは互いに運ばれてきたホットミルクを飲み始めた。
白い雪のような見た目とは裏腹にそれはとても熱く、ユイは危うく舌を火傷するところだった。
一方のシエルは何度か丁寧に息を吹きかけて、猫のように少しずつ飲んでいた。普段の上品さが漂う飲み方ではなく、ジョッキを両手で持って一口ずつ、幼子のような飲み方だ。
普段ならこんな飲み方は絶対にしないのだが、その気を忘れさせるほど、表面には出ていなくても疲れが溜まっているのだろう。
「――お待ちどおさん。パンケーキだ」
少し経って、今度は先の店主がパンケーキを運んできた。
料理の出来栄えは見事なものだった。店主自身が作っているのかは定かではないが、酒場を謳う店で出てくるものとは思えないほどのもので、ユイは思わず「わあ……美味しそう」と似合わない声を漏らした。
「最近になって出すようにした新メニューだ。主な客層は女性客だが、男にも人気だから兄ちゃんの口にも合うと思う」
「そうですか。それは楽しみです。ところで店主さん、一つ聞いてもいいですか」
「なんだ?」
「僕たち、今日この街にやってきたんですが、ここは食事場なんですか? 外には酒場の看板が出ていましたが……」
「ああ、なんだ。この街の人間じゃなかったのか。どうりで見ない格好をしているわけだ。――ここは今も昔も酒屋だぜ。こうして料理を振る舞ってるのは、まあ、一種の客寄せだな。本業は今でも、酒を飲みたがってる客にいい酒を出すことさ」
昔からずっとこの街で商売をしているという酒場の店主は、和気あいあいとそれぞれの時間を過ごしている客たちを眺めながら言う。
彼の右手で、シエルがパンケーキを綺麗にナイフで切り、満足そうな顔でそれを頬張っていた。
「昔から、この辺りでじっくり腰を据えて話ができるとこなんてうちくらいしかなくてな。東協会の連中が、何かと理由を付けてうちを使わせてくれって頼んでくることがよくあったんだよ。当時は、酒を頼まないんじゃよそでやってくれって感じだったんだけどな」
店主のその言葉を受けて、ユイも周りに座る客の様子を眺める。
今ここにいる客のほとんどは、『それ』らしい容姿をしていた。酒屋に着てくる服装――かは意見が分かれるだろうが、鎧やらローブやらを身に纏い、その傍らに質のいい武器が見え隠れしている人間たちの正体は容易に想像がつく。
「だけど一昔前にちょいと方針を変えたのさ。酒以外に料理も出すようにして、協会の連中に仕事でうちを使ってもいいから飯も食っていってくれって感じでな」
「なるほど。どうやらその決断は正解だったみたいですね」
「ああ。今じゃ昔から変わらず酒を飲みに来る奴と、ここの飯を目当てに来る奴とで大盛況さ。兄ちゃんも、飲みたかったら酒を出してきてやるぞ。どうだい?」
「いえ、まだ時間も早いので、遠慮しておきます。ありがとうございます」
「そうかい。ま、ゆっくりしていけよ」
店主はその言葉で話を締めくくると、席から離れていった。
視線をテーブルに戻し、ユイもパンケーキを切り分けて口に運ぶ。シエルのチョイスなので、ミルクとケーキで甘々な組み合わせだが、悪くない。パンケーキもとても美味なもので、確かにこれは街のほかの場所では味わえないものだろうとユイは思った。
食事の間、ユイとシエルは互いに言葉を交わさなかったので、周りに座るほかの客たちの様子がよく耳に入ってきた。
大体四人か五人くらいのまとまりで一つのテーブルを囲む彼らは、それぞれの武具を覗かせながら、何か真剣な表情で話をしていた。それがなんの話かまではわからなかったが、彼らのテーブルの上にある皿の中身は、あまり減ってはいなかった。
とはいえ、目的から逸れてまでそのやり取りに首を突っ込む気にはならず、ユイはせっせと食事を続ける。
本音を言えば情報収集に勤しみたいところだったが、どう考えても彼らは忙しそうなのでやめておくことにした。
パンケーキを口に運ぶフォークの動きは止まることを知らず、皿の中はすぐに空になった。腹は満たされ、身体も温まり、心なしか疲れも少しは癒えたような、そんな気がしていた。
ただ、身体が温まったせいで、眠気はより強くなったが。
まだ温もりの消えていないホットミルクを飲み干し、ユイは「ごちそうさま」の唱和を、シエルもユイに合わせて祈りを捧げる。
それから二人は席を立つと、カウンターに立っていた店主のもとへ歩いて行った。
「ごちそうさまでした。お会計、お願いします」
「口にあったようで何よりだ。ところで兄ちゃんたち、西協会の人間だろう? ウルグレアからこの街に来たみたいだが、兄ちゃんたちもあの噂を聞きつけてここに来たのか?」
「……噂、ですか?」
「ああ。俺も人づてに聞いた話だがよ。こっちの方じゃ、今はその話で持ち切りだそうだ。そんで、どこから聞きつけたのか、西の方からも『噂』目当てでこっちに渡って来てる奴がいるんだと。兄ちゃんたちも、その口だろう?」
あくまで好奇心から問いかけているらしい店主だが、彼は二つほど勘違いしていることがある。
一つ。ユイたちは『協会』の人間ではない。もっとも、二人が所属する『公社』は、ある意味では『協会』と似たようなことをやっているので、彼の見立ては完全に間違いとは言えない。
一つ。ユイの目的はあくまで『依頼』の遂行だ。店主の言う正体不明の『噂』ではない。が、それがまったく気にならないかと言われれば、嘘になる。
ここにいる『協会』の人間たちが、何やらひそひそと話していることとも関係があるのだろうか。
「その噂って――」
そう、ユイが店主に問いかけようとしたときだった。
酒場の扉が勢いよく開いて、この場にいるどの人間にも似通わない少女が入ってきたのは。
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