お砂糖だけくださいっ!

黒い映像

甘い一時

「あっ、こ、コーヒーお持ちいたしましたっ」


「あっ、すすすっ、すみませんっ! セットのパフェ、忘れてましたっ!」


「あっ、えっと、えと、お釣りがこちらになります……」


あぁ…………癒される。

人の頑張っている姿というものは本当に尊いものだ。

それも、あんなどうみても接客慣れしていない子が一生懸命働いているのだ。

その頑張りを見守りたいと思うのは当然のことだろう。


***


俺は今日も喫茶店『シュガーブレンド』でアルバイトをしている彼女──甘乃あまの阿万莉あまりちゃんを遠くから眺めていた。

ここは俺の憩いの場であり、仕事の疲れを癒すためによく訪れている。


この喫茶店は家族経営の個人店のためか、店内には客も少ない。

だが俺の様な常連もいるほどにこの店は隠れた名店だ。

店主手作りの甘味は抜群に美味しいし、店内には常にクラシックの音楽が流れており、ゆったりとした時間を過ごすことができる。

今時珍しい古風な店構えだが、こういう雰囲気のお店が俺は好きだ。


そして俺の一番のお目当ては何といっても、そこの店員である阿万莉ちゃんであった。


「あっ、か、奏隼かなとさん。いらっしゃいませ」


いつもの席に座った俺を見つけたようだ。

ふるりと茶髪の三つ編みが揺れて、俺の元へ阿万莉ちゃんがやってくる。


「こんにちわ。注文いいかな?」

「あっはい。いつものですか?」

「そうだなぁ……うん、そうしようかな」

「わ、分かりました」


いつものという注文で通じるほどに常連客と化している俺は、メニュー表を見ることなく答えた。

いつもと違うものを注文したら彼女がびっくりして驚いてしまうかもしれないからね。

俺は彼女にとっての平穏の象徴でありたいのだ。


──阿万莉ちゃんはこの店の店主の娘さんである。

びっくりするくらいの人見知りで内気な性格のため、とても接客に向く子ではない。

向く子ではないが、内気な性格の改善のため、店主である父に言われて店の接客を手伝わされているらしかった。


無理やりは良くないと思うが、よそ様の家の教育方針にまで口を出すつもりはない。

だが、苦手を克服するための努力は必要だと俺も思っている。

そういう意味では彼女も逃げずにお客さんと向き合っているし、非常に真面目で努力家な子だと言えるだろう。


「お、お待たせしました。日替わりケーキセットとブレンドコーヒーです」

「ありがとう。今日の日替わりケーキは何だい?」

「ショートケーキです。とっても甘いイチゴを使ってるんですよ?」


にこりと笑う彼女を見ると、それだけで仕事の疲れが吹き飛んでしまう。


「それは楽しみだ」


気弱で人馴れしていない阿万莉ちゃん。

そんな彼女が唯一落ち着いて話せる客は俺だけだと自負している。決して自惚れではないと思いたい。

勿論それ相応の長い時間を費やして、信頼関係を築いてきたのだ。

野生の兎の如く警戒心が激強である彼女とのコミュニケーションは非常に難しいものだったが、遂に俺は心を通わせることに成功した。


「あ、あの、奏隼さん。い、一緒に座っていいですか? 今は他のお客さんもいないので」

「ああ、構わないよ」

「えへへっ」


阿万莉ちゃんは一旦警戒心を解いてしまえばめちゃくちゃ距離が近い。

店主の目を盗み、俺の目の前でサボリを敢行する図太さも彼女の魅力の一つであろう。

そして阿万莉ちゃんはいつものように、即スマホを取り出してソシャゲを始めてしまった。

店員にあるまじきだらしなさを発揮し始めてしまったが、これはこれで可愛いんだよなぁ……。


「あっ、今度の水着ガチャ、ローゼリアちゃんだ。ジュエル貯めておかないと……!」

「水着ガチャは運営の稼ぎ時だからなあ。あんまり散財しないようにしてね」

「わ、わかってますよう」


口を尖らせて抗議してくる彼女は可愛らしい。

……のだが、課金をする時はきちんと計画を立ててほしい。


俺は手元のノートPCで、彼女が夢中になっているソシャゲ──『フラワリングファンタジア』通称FFの公式HPを開いていた。

まぁよくある擬人化キャラを使ったファンタジー系ソーシャルゲームだ。

花を擬人化した可愛らしいキャラクター達が織りなす、意外にも重厚なストーリーが特徴のゲームである。

ソシャゲコンテンツとしては珍しく女性向けのサービスも充実しており、女性の課金ユーザーを多く獲得している。

なので阿万莉ちゃんのような現役女子高生のプレイヤーも多い。


「もうちょっとバイトの時間を増やそうかなぁ……」

「あはは……ほどほどにね」


俺はFF運営会社の社員用メッセージングアプリにアクセスして、今度の水着ガチャの排出率を二倍にするキャンペーンを行うように要望を出しておいた。

偶にはこういうキャンペーンがあったって良いだろう。許せ社員の皆。


「か、奏隼さん。今日のケーキ、美味しいですか?」


テーブルにコロンと頬っぺたをくっつけてそんなことを聞いてきた。

阿万莉ちゃんはとてもあざと可愛い仕草を自然に行ってしまう。

これを天然でやってしまう彼女が学校などで大変な目に遭っていないか心配になるところである。


「ああ、すごく美味しいよ。甘さが絶妙だ」


嘘でも何でもない。

この店のケーキはそんじょそこらのチェーン店とは格が違う美味しさを誇っている。

前職がパティシエであったという店主こだわりの逸品だ。


「良かったぁ。今日のケーキは私が作ったんですよ」

「なんだって? 阿万莉ちゃんの手作りなのかい?」


いつものケーキと変わらないほどの出来栄えだった。

店主に習って作ったのだろうか。

うーん、阿万莉ちゃんの将来は有望かもしれない。


「阿万莉ちゃんはケーキ作りの才能もあるんだね。びっくりしたよ」

「そ、そんなことないですよぅ……でも、ありがとうございます」


はにかむ阿万莉ちゃんは天使のように可憐であった。

釣られて俺も笑顔になってしまう。

うーむ、癒される……。


……勘違いしないでもらいたいが、俺は別に彼女を狙っているだとか、決してそんな浅ましい感情を持っているわけではない。

ただ、彼女の一生懸命な姿を見て、応援してあげたくなっただけなのだ。

いわゆる推しという存在に近いかもしれない。


推しの店。推しの店員。推しのケーキ。

そのどれもが至高である。

……コーヒーだけは少しイマイチな味だが。


俺はこの瞬間だけは辛い現実を忘れて、ただひたすらに幸せのみを感じられるのだ。


***


「気持ち悪いです」

「…………」


店を出て帰ろうとした矢先、厄介な人に見つかってしまった。

非常にチクチクとした言葉を伴って。


「また女子高生相手にデレデレしていましたね、社長」

「霧原さん……どうしてここに」

「私はあなたの秘書ですよ? 社長の行動は全て把握しています」


烏の濡れ羽色をした長髪がサラリと揺れた。

キツイ印象を与える切れ目の瞳に、すらりと伸びた鼻梁。

凛々しく引き締まった表情筋からは、彼女の真面目な性格が見て取れる。

他でもない俺の会社で働いている秘書さんであった。

美人だが性格が少々キツい。


「霧原さん、聞いてほしい。僕は決して女子高生相手にデレデレしていたという訳ではなくてだね」

「いい年した社会人が親類でもない女子高生に近付いてる時点で十分に怪しいですから」


確かにそれは一理ある。

しかし僕は紳士的にあくまで客と店員としての適切な距離を保って接してきたのだ。

そこは誤解しないでいただきたい。


「挙句の果てに訳の分からない提案をこのクソ忙しい時期に……社長の我儘でどれだけの人が迷惑を被っていると思ってるんですか?」

「さっきのキャンペーンの事かい? アレは丁度いいタイミングだと思うんだよ。新規参入者が増えている今だからこそ、こういう機会は積極的に活かさないと思ってだね」

「言い分は分かりますが、それを社長の独断で行うのは問題だと申し上げているのです」


まぁ、はい。

それに関しては返す言葉もございません。


「会社にお戻りください。まさかこのまま直帰するおつもりではないでしょうね?」

「……ああ! 丁度会社に戻ろうとしていたところさ!」


阿万莉ちゃんの懐事情の為にも、もはや頑張るしかなかった。


「……全く、いい年してホントにしょうがない人ですね。その上年下趣味とか……」

「ん? 何か言ったかい?」

「いえ何でも」




*** *** ***




社長職に人権は存在しない。

ストーリー原案、キャラデザ原案、システム開発、宣伝、広報、その他諸々。

それら全ての監督を俺がしているのだから二徹三徹は当たり前の世界であった。

そんなの社長の仕事じゃないって? 俺もそう思う。

零細企業からいきなり上場まで上り詰めたので、何もかもが手探り状態であり、正直トップに立っている俺がかなり苦労している。

FF一本の大当たりで会社はここまで大きくなったものの、肝心の制作体制が上手く軌道に乗っていない。


「糖分が……糖分が足りていない……!」


ふらふらとした足取りで俺はシュガーブレンドを目指す。

三徹後の夕焼けがとても目に染みた。

カランカランと扉を開ければ、ほら、そこはもう楽園だ。


「あっ、奏隼さんっ、いらっしゃいませ」


三つ編みがキュートな天使がそこにいた。

あぁぁっ、可愛っ。


「……? 奏隼さん、大丈夫ですか?」

「あ、ああ、ごめんね、大丈夫大丈夫。ちょっと寝不足なだけだから……」

「ね、寝不足なんですか? こんなところに来ないで、ちゃんと休んだ方がいいんじゃないですか……?」


勿論休めるなら休みたいが、今日は四徹確定なのであった。

数少ない空き時間を割いてでも、俺はこの喫茶店に来る必要があったんだ。


「うん……でもね。ここに来た方が身体が休まるんだ」

「そ、そうなんですか?」


阿万莉ちゃんの笑顔を見ると癒されるんだよ。

などという事案発言がポロリと出そうになるが、ギリギリのところで踏み止まった。


「今日もいつもの頼めるかい?」

「あっ、はい! すぐに準備しますね」


阿万莉ちゃんがパタパタと厨房へ駆けていく。

気を付けて……コケて怪我をしないでね……。


少しして、彼女がトレイの上にケーキとコーヒーを乗せて戻ってきた。


「どうぞ、奏隼さん。今日はフルーツタルトです」

「ありがとう、阿万莉ちゃん」


これまた美味しそうなタルトが出てきた。

濃厚そうなカスタードの中にブルーベリーやラズベリーなどの果実が覗いている。

もう口にする前から美味しいと分かっているのは反則だろう。


さっそくフォークを手に取って口にしようと思ったら、阿万莉ちゃんがじっとこちらを見ている事に気づいた。

何だろうと思ってよく考えると、タルトに視線が注がれていて、ああ、と気付いた。


「今日も阿万莉ちゃんが作ったのかい?」

「あっ、えっと、はい、そうなんです。最近はパパに認められて、少しずつメニューを任せてもらえるようになってきました」


控え目にえへんと胸を張る姿がとても可愛い。

その仕草だけで、俺は疲れ切った身体に活力が湧くのを感じる。


「もう見た目だけでよくできてるし、きっと美味しいに決まってるよ」

「そ、そんなことありませんよう……私なんかまだ全然です」


謙遜しつつも嬉しそうに頬っぺたを赤らめている。

その赤い頬っぺたを食べちゃいたいぜ。

……クソッ、寝不足で雑念が混じった。


さぁ戴かせてもらおう。

三徹の俺の脳に糖分を! シュガープリーズ!


「あ、あのっ!」


フォークを手にしたところで阿万莉ちゃんが待ったを掛けてきた。


「どうしたの?」

「あ、あのあのっ! も、もしよかったら……私が食べさせてあげましょうかっ!?」

「………………?」


ワタシガタベサセテアゲマショウカ?

……えっと、どういう意味だ?


「あっ、やっ、やっぱり迷惑ですよねっ! わ、忘れてください……」

「──! 待って!」


推しに悲しそうな表情をさせてしまうなど、ファンとしてはあってはならぬ事だ。

事態がよく分かってないが慌てて俺はフォローを入れた。


「阿万莉ちゃんの頼みを、僕が断るわけないだろう」

「あ、あう……。え、えっと、そ、それじゃあ……」


すとん、と阿万莉ちゃんが俺の横に座った。なぜ?


「は、はい。あーん……」

「……?」


阿万莉ちゃんが俺の手からフォークを取り、代わりにタルトをサクッと刺して、それをそのまま俺の口へと差し出してきた。


「あ、あ~ん」


あーんされてしまっては受け取らぬわけにもいかぬ。拙者武士故。


「……」


ぱくりと一口。咀嚼。嚥下。

全く味が分からん。どうして俺は今こんな状況になっているんだ?


「お、お味はいかがですか?」

「えっ、ああ、とっても美味しい」


美味しいはずだ。だってこれは阿万莉ちゃんが作ってくれたものなのだから。

でもごめんね。今全く味が分からん。

冷や汗が止まらないんだ。

こんないかがわしいお店みたいなことを、阿万莉ちゃんにさせてしまった罪悪感が半端ない。

俺はファン失格かもしれなかった。


「よ、よかったです……! か、奏隼さんはいつもお仕事でお疲れみたいだから、せめて少しでも元気になってほしいなって思って……」

「──」


阿万莉ちゃんが恥ずかしそうに顔を伏せる。

その言葉を聞いて、俺の心は温かく満たされていくのを感じた。

ああ、なんて優しい子なんだろうか。この世に天使がいるとしたら、それは間違いなく彼女のような存在だろう。

マイスウィートエンジェルだ。


「あっ、ご、ごめんなさいっ! 私なんかが分かったようなことを言ってしまって……!」

「いや……いいんだよ。むしろそう言ってくれてとても嬉しいよ。ありがとうね」


仕事に疲れた社会人にこれは劇薬であった。


──甘い毒だ。

砂糖菓子のように甘美な一時は、しかし中毒性が高く、一度味わってしまうともう抜け出せなくなってしまう。

そして中毒者はやがてこう思うようになるのだ。──この天使を独り占めしたいと。


……ああダメだ。なんてことを考えているんだ俺は。

流石に疲れすぎだぞ。




「あ、あの……わ、私、いつもダメダメでっ、ずっと失敗ばかりでっ、でもっ、それでも、奏隼さんはいつも優しく見守ってくれていて……。私には、それがとっても嬉しかったんです……!」


……ん?


「阿万莉ちゃん……?」

「私、いっぱい奏隼さんに助けられてきたんです! だから……だから私……!」


なんだ? これは一体どういうことだ?

これはまさか……告白なのか!? まさか、嘘だろ!?

人生初の告白を、遥か年下の女の子から受けることになるのか!?


「奏隼さん……私……」

「あ、阿万莉ちゃん……!」


俺は答えられるのか!?

彼女の気持ちに……いや、待て、年が犯罪すぎるだろ!

いや……年齢は関係ないのか? 真剣な交際ならば犯罪にはならなかったはずだ。

そう、当人同士の純粋な愛があれば──!




「私っ、奏隼さんにもっと甘やかされたいんですっ!!」




「……ん!?」

「だから、もっと元気になって、いっぱい私を甘やかしてくださいね?」


はい、あーん。と追加のタルトを差し出された。

とりあえずそれを戴いてみる。

うむ、美味い。

味は相変わらず分からんが、脳が喜んでるからヨシ!

けど、なんか違う気がする。

そうじゃない気がした。


「美味しいですか?」

「……ああ!」

「よかったです!」


うん……まぁ……いいか!

阿万莉ちゃんが喜んでくれるならなんだってしてやるぜ!

彼女が嬉しそうな笑顔を見せてくれるだけで、俺の苦労は報われるんだ!




*** *** ***




「社長……ちゃんと休憩中にお休みなされましたか?」


会社に戻ったら霧原さんから心配されてしまった。


「ああ任せておいてくれ霧原さん。糖分を摂取した今の僕に怖いものはない。僕は無敵だ」

「社長、目がキマッてるんですよ。もう今日はいいんで帰って休んでください」


何を馬鹿なことを。キメたのは糖分だ。

なんたって天然由来の成分だ。

現代社会人は常に脳を酷使しているため糖分は必須なのだ。


「行くぞ霧原さん。どことの打ち合わせか知らんが、僕がすぐに終わらせてやろう」

「終わらせちゃダメなんですよ! 末永いお付き合いにしてください!」




*** *** ***




──奏隼を見送った後の喫茶店にて。


「……阿万莉。またあの人に迷惑を掛けてたのか」

「パパ……め、迷惑なんか掛けてないもん。ちゃんと接客してたもん……」

「ようやく接客に前向きになってくれたのは良いことだが、男に現を抜かしてるのが理由なのは感心しないな」

「かっ、奏隼さんとはそんなんじゃないもん!」

「そうかぁ? わざわざあの人のためにケーキ作りを始めたり、毎日あの人が来ないかソワソワしながら待っていたりするじゃないか」

「ほ、ほんとにそういうんじゃないから! 勘違いだから! もうっ!」

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