3話
22時57分
「それで、走り去った車の特徴は覚えて居るかな?」
落ち着いた口調で警察官が秀に事故の詳細を問う。
「黒っぽい、ワゴンでした。一瞬のことで車種までは覚えてません……」
「どっちの方に行ったかわかる?」
「通りを真っ直ぐ……その後左折したように見えました……」
正気の抜けたようにポツリポツリと話す秀の言葉を警察官はスラスラとメモに書き留めていく。
あの後、すぐに呼んだ救急車に乗せられ秀は都内の救急病院で警察官に事情聴取を受けていた。
「君たち二人の関係を聞いてもいいかな?」
「彼を助けて——」
思考停止してしまった頭を何とか動かそうとする秀だが、跳ね飛ばされる瞬間の叶向が頭をよぎって思考を彼方へと飛ばしていく。
「素直に泊めてあげればよかったんだ……」
「ん? 何だって?」
「俺が殺したようなもんなんだっ……!」
「大丈夫かい? 落ち着いて!」
急に声を荒げ、椅子から立ち上がった秀に警察官は落ち着かせようと、秀の肩に手を置く。
肩に置かれた手が、叶向の手のような気がして咄嗟に秀はその手を掴む。
〝——この手を振り解いてしまったから!〟
「いいんですか!? ありがとうございます!」
その声に一瞬、背筋が凍りつく。
「どうしたんですか? 急に立ち止まって」
心配そうに秀の顔を覗き込む叶向。その表情を走ってきた車のライトが照らし走り去っていく。
「お前、大丈夫なのか⁉︎」
叶向の両肩に手を置くと、どこか異常がないか秀は入念に見つめる。
「えっ? はい、大丈夫ですけど……それよりも、せっかく秀さんからお泊まりの了承も得たことですし、コンビニとかでなんか買って行きませんか?」
「あ、ああ。そうだな……」
楽しそうにはしゃぐ叶向を横目に、秀はスマホの画面を盗み見る。
6月9日(水) 21時51分
「やっぱり戻ってる……」
「何か言いましたか?」
「いや、なんもねー」
一歩先を歩く傷ひとつない叶向の後ろ姿をまじまじと観察する。時間が戻ったという非現実的な現象を受け入れるには、その姿だけで秀には十分だった。
22時20分
秀のアパートに到着した二人はコンビニで買った弁当と惣菜を囲んでいた。
「いただきます!」
丁寧に手を合わせると、美味しそうにコンビニ弁当を口に頬張る叶向。二度も彼の死に直面している秀にとっては、その様子がとても微笑ましく思えた。
「悪いな、あんまりもてなすようなモンがなくて」
「いえ、お邪魔させて頂いてる身ですし、無理言ってこちらこそすみませんでした」
高校生とは思えない丁寧な言葉遣いに感心しつつ、秀はじっと叶向の顔を見つめる。
「えっと……俺の顔に何かついてますか?」
秀の視線に気がついたのか、叶向は気まずそうに尋ねる。
「ん? ああ、米粒ついてんぞ」
そう言って秀は自分の左頬を指さす。
「えっ⁉︎ もっと早く言ってくださいよ」
照れて少し顔を赤く染めた叶向が、慌てて左頬を拭う。年相応なその反応と表情に秀は思わず笑みを浮かべる。
「ちょっと、笑わないでくださいよ!」
「わりーって」
誰かと一緒に食事をしたのはいつぶりだろうか。一緒にご飯を食べて、一緒に笑って、たわいもない会話を楽しむ。秀にとっては久しぶりの時間だった。
「そーいえばお前、親御さんに連絡ぐらいしとけよ」
「……ああ。はい、そうですね」
一瞬、暗い表情を見せる叶向に秀は自分と同じ何かを感じた。
「言いたくなきゃ良いんだけど……お前も親と上手く行ってないの?」
「……そうですね。うまくは、言ってないと思います」
「……そっか」
「「……」」
二人の間に沈黙が続いた。互いに似たような境遇を感じてか、言葉が出せないでいた。そんな沈黙を破り、先に声を出したのは秀だった。
「俺もさ、親と上手くいかなくて高校を中退して働き始めたんだよ。そんで直ぐにここのアパート借りて一人暮らししてさ。親とはここ四年は顔を合わすどころか、連絡すら取ってねーんだよな」
「そう、だったんですね……」
「ああ、結局は向き合うことから逃げてるだけなんだけどな」
自分でも驚いていた。この四年間、自分の中だけで完結していた気持ちを誰かに打ち明けたのは初めてだった。それを出会ったばかりの叶向に話したことに、秀は驚きと困惑から愛想笑いでその場を誤魔化す。
「俺もそんな感じで……」
「そっか……やべ、もうこんな時間だ」
23時37分
「明日も仕事だから、俺は先に寝るわ」
「はい、おやすみなさい」
「風呂適当に使って良いから。タオルはそこ、掛けるもん用意しておくからソファ使って」
「ありがとうございます。お風呂お借りしますね」
「ん、おやすみー」
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