想いはぐれて 〜 lost in thought 〜
「
キャッキャとはしゃぎながら庭を走る子供達。背丈ほどの草むらに隠れ、忍び泣く遥。長く歩いて家に着いたはず。それなのに遥は裏手から庭を眺めて泣いている。
家を追われ、子供にも会えず、こんな所から無事を確認するしかないとは……一体、何の仕打ちだ。
なぜこんな想いを。
「行けよ」
「でも……」
「待ってるはずだ、子供達も」
不安げに
「何なら俺も行って話してやる」
「ありがとう」
大丈夫。まだ不安げな微笑みを視線で励ますと、やっと一歩、覚悟を決めたように歩き出す。
腹立たしい、それでもあいつの元へ返すしかない……何度でも。元気でな……離れていく背中に、心の中で声を掛ける。
死ぬ前にもう一度会えた、それだけで俺は充分だ。
「パパー!! 」
嬉しそうな声が響く。庭を注視していると、奥から海斗らしき男と……女。固まる背中、遥の足が止まる。
見てしまった、急いで隣へ。
「そっか……」
小さく呟く声、その視線は手を繋ぎ寄り添い合う男と女に向いている。溜まる涙が固まった瞳から流れていく。
微笑み、静かに振り返ると歩き出した。
ふらふらとおぼつかないはずなのに速く、追いつけない。
「遥、待て……」
ぐらりと身体が傾いた、急いで手を伸ばす。
「おい! 」
地面に倒れ込みそうになった瞬間、何とか遥を抱きとめた。
立ち上がる背中に漂う哀しみ。抜け殻を両手に
揺れる葉の音は、離れた天使達の耳に。
「レン、どうしたの? 」
「ママが……」
双子の長男、
「もう! ママは悪い鬼をやっつけに行ったんだって、レンが言ったんでしょ」
「そうだけど……ママ、連れていかれちゃう」
「
「ほら、ユマおねえちゃん呼んでるよ。行こっ」
「うん……」
元気で明るい性格の
「ミラちゃん、ユマちゃんはママじゃない……ママに会いたいよ」
「レン、泣かないの! ママはきっとパパが助けてくれるよ、だってパパはママの王子様なんだから」
パパはママの王子様……パパっ子の
遥の愛は確かに子供達に伝わっている、遥の思う以上に。
「なぜ遥を探さん、それどころか
夜間の診療に備え白衣に着替えた後、子供達のいない診察室で
「裏切ったのは遥だ、俺じゃない」
粗く印刷されているのは指名手配犯の顔写真、そこに載っているのは……
「まさか……そんなはずはない。遥に限って」
「ずっと前からの仲だ。遥は俺と子供を捨てて、この男と逃げたんだ」
“残りわずかな時間を大切にします”
あれはそういう事だったのか……遥の言葉を思い出しながら、
「軍に逆らえば処刑は免れない。家族でいれば俺達も。いい迷惑だ」
「そんな言い方あるか! 遥はお前を見捨てなかったぞ、どんな時も信じて側にいただろう。忘れたのか」
「子供達を守るためだ」
面倒くさい、そんな感情をあらわにする溜め息を残して、海斗はその場を離れようとする。
「
「戦乱の世だ、このぐらいしないと生き残れないからな」
立ち去る白衣の後ろ姿、年々気難しくなる海斗に今度は
「似てきたな……あいつに」
“ずっと笑い者にしていたんだな、二人で”
一つの誤解が行き過ぎた思い込みを生み、あいつは俺や
今、海斗が重なってみえる……あの頃の
「遥が、いてくれればな」
あの笑顔が、愛が海斗を救ってくれた。ここまで海斗が世の中や父親を恨まず生きてこられたのは、遥のおかげだ。
その遥がいなくなったら、もし本当に遥に裏切られたなら……海斗は壊れる。
「二人を……守ってくれ、
洋司は一人、その名を呟いていた。海斗に母の記憶はない。
日が暮れて夜。
空襲の影響か、今夜も草野病院を訪れる人は絶えない。患者をよく観察、診断を下し適切な処置をする……医学を学び始めた頃は伸び悩んでいた海斗も、五年の時を経て立派な医者になっていた。
“必ず……立派な医者になる”
救えなかった命を前に誓った、あの時の気持ちを忘れてほしくないと
「海斗先生、そろそろ……」
「あぁ、じゃあ伯父さん、大変だけど後は頼むよ」
「
「いや、
「おい……」
うろたえる
海斗は子供達を寝かしつけるため、家に帰ってきた。手伝いに来ていた
「カイ君、こんな時にどういう事? 」
「これからは家の事も彼女に手伝ってもらおうと思うんだ」
「どうして? ここはカイ君とハルちゃんのお家でしょ」
「あの、私……」
「あなたは黙ってて」
「この先、支えになってくれる大切な人だ。傷つけるのは僕が許さない」
「カイ君、ハルちゃんのこと……心配じゃないの? 確かに仕事を辞めなかったのはハルちゃんが悪いかもしれない。でも」
「もう忘れたいんだ。穏やかに暮らしたいんだよ」
海斗が
「ねぇ、パパ! 今日はこのごほん読んでー」
「パパ、お話きかせてー」
「私、帰るね」
耐えきれなくなった
「もう、来ない方がいいんじゃないかな……ほら、指名手配犯と知り合いだってわかったらシェルターにもいられなくなるだろ? 」
「カイ君……変わったね」
振り返る事なく、
「海斗先生……私、うれしい」
「今まで、気づかないふりしてごめん。でもこれからはここで、君と子供達と幸せに暮らしていきたいと思ってる」
「それって……」
「子供達、先に寝かしつけてくるよ。起きて……待ってて」
「うん……♡ 」
熱い視線を交わす二人、今夜は長くなりそうだ。
そして長い夜は、あの二人の元にも訪れていた。
「
暗闇の中、火に照らされる内藤と遥の表情はどちらも深く傷ついていた。
「海斗の病院の看護師さんなんです。若くて可愛くて、優しくて子供好きで……料理も上手で」
不自然な笑みを作る遥、炎の中に何を見ているのだろう。
「小さな頃から兄妹の世話をしていたそうで……慣れてるんです、色んな事に。彼女ならきっと子供達と海斗を幸せにしてくれます」
海斗の心変わりを知っても怒らない遥の言葉で、無関係な内藤の瞳に怒りがこもる。
「これからの海斗を支えながら子供達にも、美味しいご飯を作ってあげられる。きっと私よりいい奥さんに、いいお母さんになれるはずです」
「実の母親のがいいに決まってんだろ」
「血が繋がってないのは……私も一緒だから」
遥は腫れた瞼を重そうに閉じる。
「お前、今なんて……」
「神様からの贈り物なんです……
「望めないってどういう事だ」
「知ってるでしょ? 海斗の秘密」
「何言ってる、確かに人間にしたはずだ。できない事なんて」
「眠く……なっちゃった。ちょっと休みますね」
「大事な事だ」
「もう、いいんです。全部、終わった事だから」
「お前はそれでいいのか、なぁ! 」
問いに応えないまま、遥はゆっくり横たわり力尽きたように眠ってしまった。
「なんだよ……」
何が起きているのか、内藤の頭は混乱していた。元々、冷淡で合理的、人を嫌いロイドと共に生きてきた彼にとって、人の揉め事は最も理解できないもの。しばらくは火を見つめ何かを考えていたが、やがて火を小さく
そして深夜──。
「ありがとう……」
上着を内藤の肩に掛け、遥が密かに動き出した。
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