一夜の憩い 〜a night's rest〜


 こめかみに冷たい感触、レーザーじゃない、本物の実弾の重み。


「もしかして……橋本君? 」

「さ……笹山さん!! 」


 遥の一言が張り詰めた緊張を壊し、銃口が離れた。







 銃口を向けた男は斎藤醍哉さいとうだいや、妻の斎藤環さいとうたまきと共に遥の以前の職場の知り合いだと説明を受けた。


 橋本醍哉はしもとだいや……その名には見覚えがあった。


 過去に何度も読んだ捜査資料、その中にいた遥を慕う後輩の二人。確か、この男は警察の特命捜査員、妻のたまきはあの丸山の孫娘。


 結婚、していたのか。


「悪いな、このまま」

「わかってます」


 再会した時、とっさに夫婦だと遥は嘘をついた。立場を知っていて機転を利かせてくれたのだろう。確か島に流された時、交友関係は断ち切られているはず。


「お待たせしました~」


 たまきが娘達と料理を運んでくる。


「ありがとう、たまきちゃん。食糧難で大変なのに」

「もう! そんなこと気にしないでください、ずっと待ってた日がやってきたんです。遥さんと再会できる日が」

たまきちゃん……ありがとう」


 立場や思惑など気にせず笑い合えるのは清々しい、いつも遥の周りはそうだ。


「それなのに、ぜんっぜん連絡してくれないんだから」


 わざとらしく頬を膨らませ、むくれる彼女に申し訳なさそうな遥。思えばこれも、海斗のせいだ。


「色々あったんだよな。離島へ静養に出たはいいが電子機器は潮風で全滅し、手段を失くしてしまった。確か、その頃の事だろう」

「うん……」


 お前のせいじゃない、視線を送ると浴びせられる視線がなぜか痛い。


「その頃からのお知り合いでしたか。私達も急に連絡が取れなくなったので探しましたが見つからず……でも安心しました。このような方が守ってくださっているとは」


 醍哉だいや、珍しいピンクの髪の主人に微笑みを返された。


「まぁ、そうだな。その頃、知り合った」


 適当に話を合わせ始まる夕食。よほど嬉しいのか会話は途切れる事がなく、たまきは痩せこけた遥の体調を心配している。


 優しい時間、この悲愴で残酷な戦場の中でこんなにも穏やかな時があるとは。


「お兄さん、干し肉嫌いなの? 」

「あ、いや……これ干し肉っていうのか。うまいな、嫌いなんかじゃない」

「だって、今お姉さんのお皿に移してたよ? 」


 こっそりしたつもりが見られていたらしい。


晴瑠はる、お兄さんはね、遥お姉さんにたくさん食べて元気になってほしいんだよ。お姉さんの事が大好きなんだ」

「え、あ……いや……」

「そっかぁ! お兄さん、あのね、このお肉は晴瑠はるがパパと干したの」

可菜かなも一緒に干したのよ」

「すごいな、こんな美味いもんが作れるのか」


 子供というのはこんな化け物にも、にこやかに笑い話しかけてくれるのか……あまりに慣れがなくて、こんな事しか言えない自分が情けない。


「肉は希少ですから、薄切りにしてスパイスをかけ干してみました。酒が呑みたくなるでしょう」

「あぁ、呑むのか? 」

「えぇ、日本酒を。たまきの祖父がワイン好きで、よく勧められたのでワインも少しなら。どちらも戦争で手に入らなくなりました」


「くだらねぇな……戦争なんて」


 不思議だ。昔なら敵、銃を向け合っていなければならない相手と、いや……俺が人間と食卓を囲み談笑しているとは。


「ほんと……早く終わればいいのに、戦争なんて」


 たまきの言葉が胸に響く。


 戦争がなければ、この団らんに刺す影もなく、遥の表情が曇ることもなかった。


 終わらせてやる、必ず。


 干し肉や蒸した野菜、斎藤さいとう夫妻の歓待に力をもらい、誓う。遥を海斗の元に返したらその足で首謀者を討ちに行くと。


「そういえば、お二人にお子さんは? 」

「いないの。お互い忙しいし、ね」

「あぁ、そうだな」

「いいものですよ、子供がいる暮らしも。時に心が逆立っても、いつの間にか和らいでいる事が多くなりました」

「そう、ケンカも減ったよね。遥さん、おすすめですよ! 」


 曖昧な笑みでごまかす遥をなぜか、からかいたくなる。


うちは……ねぇ」

「いいかもな」

「え? 」

「かわいいだろうな……遥によく似た子なら」


 たった一言で赤面し俯く。毎日、あいつはこの横顔をどんな思いで眺めていたのか……俺だったら一秒たりとも離れたくない、ましてや別れるなんて考えるはずもない。


 きっと、何かの間違いだ。


 明日には海斗の元へ……横顔を眺めながら思う。たった一晩でも夫婦になれるなんて、俺は死ぬのかもしれないと。







 “おやすみ”そんな暖かい言葉を交わして、遥はたまきや子供達と眠りにつく。大切な者達を守りながら過ごす夜、これが愛おしいという感情だろうか。


「水ですみません」

「いや、何から何まですまない」


 盃を持った醍哉だいやが向かいに座り、まるで酒を酌み交わすかのように乾杯する。


「ずいぶん穏やかになられましたね」

「バレてたか」

「去った後には死の風が吹く……黒豹としてのあなたは有名でしたから。我々、特命捜査員の間で」


 互いに正体を、柔和な笑顔は全てを最初から見透かしていたのかもしれない。夫婦などという下手な嘘を。


「突き出すか、それとも殺すか」


 大した男だ、醍哉だいやは表情一つ変えずに盃を置く。


「足を洗いました。今はただたまきの夫であり、子供達の父親……それだけです」


 警察にとって、何人も殺してきた俺は要注意人物だった。表向きには逮捕できないが必ず消さなければならない存在。しかしそれも、この戦争でうやむやになってしまったのかもしれない。


「お互い、牙を抜かれましたね」


 空の盃にまた水が注がれる。


「俺はただ」

「どういう間柄であれ、想いは本物でしょう」


 乾杯を促す眼に負け、盃を交わす。


「罪な方ですね、遥さんも」

「夫がいるんだ。もっと……のんきな顔した優しい奴だ」


 よく眠っている遥の寝顔が、それでもどこか哀しげなのはあいつが原因だろう。昔も今も、俺は寝顔を見つめる事しかできない。


「戦場ではぐれたんだろう。家に送り届ける途中だ」

「そうですか……それは、神から託されたのかもしれませんね」

「神……か」


 神がいるなら遥をなぜあんな場所に放り込んだか、水だと言うことも忘れて飲み干す。


 どこまでも清々しい。


「安心しました。あなた程の強さがあればこの戦場でも、私達の恩人をしっかり守ってもらえそうです」


 醍哉だいやも酒のように水を飲み干す。柔和な笑顔の奥に潜む、強さが顔を出す。


「ここは戦場、強さがなければ生き残ることはできません。ましてや、家族を守るのは……至難の業です」


 まだ空襲はそれほどでもないと付け足しながら顔は曇る。


「何者かが、こそこそ嗅ぎ回っているようです。たまきの身元を知る者か……私の身元を知る者か。どちらにしても、味方ではないようです」


 聞けば、何度か娘達が危ない目に遭っているという。


「卑劣だな」


 あんな無邪気で無防備な娘達を。


「この街は、私達にとって敵の巣窟。たまきにとっては生まれ故郷なので悩みましたが……ロイド軍に占領された以上、住み続ける事はできません」


 視線は愛する妻と娘達に向けられる。


「大丈夫だろう、まだ勘は鈍っていないようだ。家族を守り、終わったらまたこの街に戻ってくるといい」

「その時は、本物の酒を酌み交わしましょう」


 愛しい者達の寝顔を眺め、何度目かの乾杯をする。


「静かな夜だな」

「えぇ……このまま何もなく過ぎてくれるといいのですが」


 夜が更けていく。







 翌朝。ゆっくり朝食を摂り、旅の支度を整えて名残惜しい別れの時。


たまきちゃん、食事もお風呂も、服までもらっちゃって。本当に色々ありがとう」

「遥さん……絶対、絶対また会えますよね」

「うん、また会おうね。必ず」


 泣きそうなたまきを励ます姿はまるで姉妹だ。遥も必死でこらえているように見える。


「ご武運を。それと……私達の居所です。想いが叶うといいですね」

「そんな事より、道中気をつけろよ」

「はい、また必ず。今度は本物の酒を呑みましょう」

「あぁ、色々助かった。またな」


 俺がもし本当に遥の夫だったら、昨夜のような憩いの時をこの先も過ごせただろうか。差し出された手を握る、初めて……友と交わす約束。


 “また……”


 戦時中に交わす約束は儚く、恐らく叶うことはない。いい夢を見た……手を振って旅立つ斎藤一家の背中を見送る。


 俺達も。


「また、会いに行けばいい」


 涙溜まる瞳、励ましても寂しさは拭えない。


れんと……美蕾みらいに酷い事を」

「ん? 」

「あの子達より小さいの。それなのに私……怖くて寂しくて、泣いてるかもしれない。もしあの子達に何かあったら……」


 うずくまり、たまりかねたように嗚咽を漏らす。


 どうして思いつかなかったのか。五年も経てば子供の一人や二人いてもおかしくない、それなのに……遥に似た小さな娘を勝手に思い描き、浮かれていた。


 遥と海斗に子供が……辺りが霞むような事実に大きく落胆する自分が恥ずかしい。


「行くぞ」

「どこへ……」

「言っただろ、送ってやるって」

 

 あの病院の近くなら、相当の時間がかかる。泣きじゃくる遥の側にしゃがみ、そっと手を取る。


「今度は……本物の家族、連れて行ってやれよ」


 そこに俺はいない。


 所詮……夢は夢だ。

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