(16) 幻の想い
***
眩しい。
確かにそう感じた。瞼の裏から。
開けるか分からない瞼を開こうとする。
まつ毛の先が少し見えたと思った、その瞬間神話に出てくるような神々しい光が僕を罰するかのように刺していった。
「あっ……」
自然と声が漏れていた。
そして気づいたら、その罰に耐えられなくなって目を逸らしていた。
少しずつ鮮明になっていく視界。
罰だと思っていた光は見覚えのある小さな部屋中を燦燦と照らし幻のように漂い満たしていた。
おぼつかない思考。
考えるよりも前にお腹の辺りに違和感を覚えた。
自然と身体が起き上がり両腕を床について上半身だけが起き上がった。つまりさっきまで僕は横になっていたということになる。僕を覆っていたのは布団だった。
――既視感。
最初に感じたのはそれだった。その次に重い、そう感じた。
僕はこの状況を知っている。
なんとなく。ただそんな気がした、だけ。それだけ。
ゆっくりとお腹の辺りが小さく動く。
僕はそれに定まっていなかった焦点を合わせる。光――なんの光かは未だに分からない――がお腹辺りの何かに集中していて見えなかった。まるでベールを被っているような、そんな感じだった。
よく目を凝らしてみる。と同時にまたその何かがピクリと蠢いた。
物体のようだった。目を細めたりしていると、やがて、それが何かが認識できるようになっていった。が、理解はできなかった。
そのことに戸惑いつつも焦点はまだ物体に。
――ああ。僕は確かにこれを知っている。
――少しずつ頭を持ち上げて――
頭? 人間……?
本当に目の前の物体――人間は頭を少しずつ少しずつ持ち上げる。まるで生まれたての小鹿のように。
――次に小さく首を動かして、こちらを見る。
目の前の人間は暫く目の前を見つめ、次に首を右左と微かに動かして虚空を見つめる。目を何回も瞬かせながら。まつ毛が何回も下がって上がってを繰り替えす内にこちらに首がゆっくりスライドしていく。そして光をわずかに吸収した寝ぼけまなこが見える。とろんとして微睡みの中の瞳はやがて大きくなっていく。
――何かを呟き、こちらへ手を伸ばして。
乾燥してひび割れた淡い唇が静かに小さく動く。しかし聞き取れないほどで、吐息と一緒に宙へ消えていった。
そのまま何度か唇を上下させ、やがて、口を噤んだ。すると、次はゆっくりとしかし食い込むのが見て分かるくらい強く唇を嚙んでいった。
そしてゆっくりとゆっくりと細く綺麗な腕が伸びていく。
大きく青空を仰ぐような壮大さを感じさせるような今にも触れたら壊れそうな水風船を撫でるような繊細さを感じさせるような。
細く青白い小さな指先がこちらへと近づいてくる。
――「おはよう。※※※」そう、僕は発する。
「おはよう。………」
上手く声が出ずなかった。きっと単語にすら聞こえなかっただろう。
――目の前の人間がふっと笑みを零し、「おはよう。※※」とまどろむような柔らかく優しい声で僕を包み込み僕の頬をゆっくり丁寧に撫でていく。
目の前の人間の表情は決して変わることはなかった。いや。少しずつ目尻が下がっていったように感じた。
そして噛み締めていた唇がふわりと浮き、二回上下した。
そして、僕の頬を――
【パチン】
ゆっくり丁寧に――?
軽快な音が部屋中にこだまする。柔らかいスライムを床に落下させたような、そんな音。
どこか心地良くて、目を細めて聞き入ってしまう。
「 ぁ ぁ」
震えて掠れた吐息が僕の鼓膜を震わせる。脳が処理しきれずに体内に留まる。
目が……瞼が細めたまま動かない。微かな視界だけじゃ何も分からない。
目を開いて見たいのに、見てはいけない、そう身体が命令しているかのようにピクリとも動かない。
その時だった。あの神々しい光が真横からスッと僕の瞳に射した、かと思った、その刹那、瞼が徐々に解れていくような感覚に陥った。まるで凍てついた手先をぬるま湯にそっと浸すような、そんな感覚。
数秒ぐらいだろうか。急に射しこんだ光は消え、なんとも言えない暖かさだけが残った。
瞼がピクリと痙攣した。僕は思わず固唾を飲んでいた。少しずつ少しずつ視界が拓けていく。舞台の幕がゆっくりと上がっていくように。それに伴って吸収する光の量も多くなって瞼がもう一回ストンと落ちる。
見るな!
そう叫ぶ声が耳よりも近いどこかで聞こえたが、それも虚しく――
パンパンに溜まって今にも零れ落ちそうな涙が薄い膜となって一面に満たされどこまでも透明で透き通って潤んでいる瞳。その奥に揺蕩う僕が浮かんでいる。
何色にも混じらず凛として煌びやかな存在感を放つ紅色に水圧で透明な雫が月明りのように一片射し鮮やかにだけど淡く滲んでグラデーションを描いていく肌。
虚しく煌めき艶やかでふわりと膨らむ唇。
僕は呼吸もできずにただただ眺めることしかできなかった。やっとの思いで、釘付けになって動かない目を無理やり下に逸らす。目線を逸らして気を紛らわせないと正気を保てないほどに何か恐ろしい感情が僕を呑み込んでしまいそうだった。
「――ばか」
心臓が跳ね上がる。
「ばか! れい……の……」
「――しずく!」
震えて消え入る声を遮って無意識に口を突いて出ていた。
僕の言葉に雫はビクッと震える。
「……んで、なんで雫がここにいるの?」
目線を上げられないまま恐る恐る訊く。
「……」
しかし無音の状態が続くだけだった。
「……ここはどこ?」
これにも答える気配はない。
雫の表情を見たいけれど見れない。
先程まで部屋を満たしていた光は弱まっていた。見える範囲で辺りを見渡すと――ここは見慣れた場所だった。
なんで僕が雫の部屋にいて目の前に雫がいるんだ?
僕はお経が終わって今度こそ死んだはずなのに……。
生きて……いるんだよな……? 実際に目の前に雫がいるわけだし。雫が助けてくれたってことなのか。でもだとしたらあのお経は?
ああ、わけが分からない。
でもとりあえず雫にまた会えて良かっ
「 」
ドクンと大きく脈打ち身体中の血の気が引いて小刻みに震えて感覚が失くなった。
その刹那、あの言葉が鼓膜をつんざき脳を破壊して身体中を鋭い激痛とともに蝕んでいく。
視界が揺れ歪む。
言葉が浮かばない。
何も……何も浮かばない。
ずっと。ずっとずっと。ずっとずっとずっと。
支配している。こだましている。
「しんだの」
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