(10) 距離

         *** 

 

 一年後。


 今日は四月十五日、僕が来てちょうど一年。雫が盛大に祝ってくれた。

「なに飲む?」

 雫がグラスを持ちながら訊いてきた。

「んー、メロンソーダ」

「え? また?」

 呆れと嬉しさが半々の声で返された。

 もちろん僕は飲めなくて最後に雫が飲むことになるのだけど。それでも僕はこのやり取りが好きだった。

 そしてなぜメロンソーダかというと実は僕にも分からない。気づいたらそう言っていた。なぜかメロンソーダが考えるよりも先に口をついていて、内心驚いていたが、前世の記憶かもしれないと前向きに考えていた。

「それにしても、もう一年かー」

 感慨深そうに言いながらメロンソーダを入れたグラスと自分のグラスを持って来る雫。

「……うん。あっという間だったね。本当に。でも色々変わったよね」

「だね」

 凛とした優し気な瞳で見つめられる。

 本当に雫は変わった。もちろん良い意味で。

 雫に彼氏ができた。

 名前は水(みず)石(いし) 想(そう)。

 彼は雫の仕事の後輩で年齢は雫の一つ下。彼女が会社に勤めて二年目で新入社員として入社した彼。彼は真面目で優しくて人想いな人だった。

 彼は雫に仕事のあれこれを教えてもらう内に少しずつ惹かれていったという。でも、本当のことは分からない。だって彼はとてもシャイだから。

 そして、輝のことがあって会社内で元気がなかった雫に対して本当に心配していたらしい。

 そのことが彼を突き動かしたのか、とうとう彼は九月に雫に告白した。

 雫は輝のことが完全に吹っ切れていなかったが彼の熱意に負けて承諾した。

 それから雫は彼と次第に仲良くなっていった。

 今では部屋に遊びに来るまでの関係になっていた。

 最初は熱意に負けたという感じだったが次第に惹かれていったようだった。

 ちなみに輝はというとあれから何度か来たけど雫が強気な態度を示して泣く泣く逃げてを二回ほど繰り返すと「もう来ねえからな」と吐いて小さな後ろ姿を後に、再び見ることはなかった。

 そして雫は輝を完全に吹っ切って段ボールから物を取り出して部屋に戻した。

 僕はというと彼女の仕事先に行って陰ながら助言をしていた。

「じゃあ、始めるよ」

 思い出に浸っている僕の顔を覗き込み意識確認をするみたいに手をひらひらさせた。

「うん!」

 僕は顔を上げて座り直す。

「れい、一年間ありがとう! そして、これからもよろしく!」

「うん! こちらこそ。雫、一年間本当にありがとう! これからもよろしく!」

 そう言って雫はグラスを、僕は持つ振りをして乾杯した。

 そして夜が明けるまで思い出話にふけった。

         ***

 二週間後。

 また彼が遊びに来た。

 彼の姿を見た途端、雫の唇は自然と緩んでいた。

 本当にこの二人を見ていると微笑ましくなる。

「あ、あのさ、ちょ、ちょっと良いかな?」

「なに?」

「あの去年の春の話なんだけど、大丈夫?」

「えっ? うん、全然大丈夫だよ」

 こういう風に気を遣ってくれる優しい人だ。

 お邪魔かなと思って立って、部屋を出ようとしたら、雫も立ち上がってちょっとお茶淹れてくるねと言って左耳を触った。

 これは「待って」という二人で決めた合図だった。

 彼が見えないところまで行くと雫に耳元で囁かれた。

「そのままいていいよ」

「……邪魔じゃない?」

「全然」

 そう言って微笑み指で丸を作った。

 そして何事もなかったかのように冷蔵庫から麦茶を出して彼のところに戻って行った。

「大丈夫? ごめんね。嫌だった?」

「ううん、そんなんじゃないから、大丈夫だよ」

「良かった。……でね、話を戻すけど……僕が雫に心配して声をかけた時があったでしょ」

「うん。あったね。あの時は本当に助かったよ」

 対して、彼はその言葉に「あはは」と苦笑した。

「その時はその、雫を狙っているって言われて大変だったな。あ、もちろん、そんな下心とかはなかったけどね」

「ふふ。分かってるって。でもそんなこと言われるくらい優し過ぎんの、あんたは」

「え~。そこは慰めじゃないの?」

「え、慰めて欲しいの?」

「え、い、いや、そういうわけじゃ……」

 彼の顔がみるみる赤くなっていく。

「ふふ。からかっただけなのに。その顔」

「え、い、いや、普通だよ」

 と挙動不審になる。

「というか、なんで途中で会話、ペースダウンするのよ?」

 と、そんな感じで初々しい会話を続けたりアニメを鑑賞してたりしたらあっという間に夕方になっていた。すると、彼は帰るねと言って帰る支度をする。

 雫はもうちょっと居たらって少し焦ったように語りかけるけど彼は大丈夫だよって笑って玄関に向かう。

「……じゃあね」

 そう言って手を振る彼。

「……あ、あのさ、夜ご飯食べていかない?」

 はにかむように言う雫。

 戸惑う彼。

「……いっ、いや、大丈夫。僕の分作るの大変でしょ。じゃ、じゃあ、また明日」

 そう言って速足で遠のいていく夕日をバックにした背中。

 多分この言葉は雫なりの精一杯のアピールだったはずだ。

 ――律儀だな。

 そう思った。

 彼は一切雫が嫌がることをしない。

 そして彼は雫に自分から一切触れようとしない。

 どっちも好きなのに。

 雫も彼にアピールはするもののどうすべきか分からずいつも中途半端で失敗する。

 本当に律儀だ。

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