(8) 独りよがり
彼女は話し終えると視線を下げ俯いた。
物凄い過去を淡々と話していたが実際は想像もできない程の痛みと悲しさだったはずだ。彼女の表情がほぼ無表情だったのがそれを物語っていた。
そう思うと何も言葉が出なかった。
ただただ彼女の瞳が潤んで身体が小刻みに震えていて見ていられないほどに痛々しかった。
でもそれとは別にすごくがっかりして落ち込んでいる自分がいた。
彼女は僕を彼氏の輝だと思い込んで家に迎え入れた。しかもどこか違うと思っていながら僕には一言も何も言わずに「私もれいが彼氏だったら良いな」って。あたかも僕が彼女の彼氏だと言わんばかりの。本当は違うって分かっていたのに僕には思わせぶりな態度をとって。
いや、がっかりというより不満にシフトしていた。
僕がどれだけ期待して落ち込んだと思っているんだよ。これじゃああんまりじゃないか。
そりゃあ、彼女の気持ちも分かるよ。いなくなっちゃって僕を輝だと思い期待する気持ちが。
でも僕の気持ちも考えてほしい。
そう言いたかった。……が彼女のことを思うと憚られた。
でもその思いとは裏腹に感情は憤りに似た感情でいっぱいだった。
抑えなきゃいけないのに抑えきれなかった。
「……なんで、言わなかったの?」
「え?」
彼女は驚いたように顔を上げた。
少し目を見開いていたのが分かったが構わず続けた。
「どこか違うなって思っていたならなんで少しでも言おうって思わなかったの? そうしたら僕がこんなに傷つくこともなかったのに。僕の言動とか仕草とかで輝だって分からなかったの⁉」
一度言い始めてしまうと止まらなかった。言ってしまってからハッと気づきすぐに謝ろうとした。
「ご、ごめ―」
そう言いかけた時だった。
「……てる。分かってるよ!」
彼女が少し怒り気味に言った。
「分かってるよ! そんなこと。言われなくても……。確かにれいの言う通り言うこともできた。でもしなかった。なんでだと思う⁉」
僕は答えられなかった。実際に答えが出なかったということもあるが彼女の剣幕さに押されて何も言えなかった。
「れいに言ってしまったら現実になる気がしたから」
少し息を吸って僕を睨みつけるように視線を合わせてくる。
「分かってるよ! 最初から! 輝は一人称俺だし敬語は使わないし雰囲気も違うし……。この人は輝と違うって直感で分かってた。どうせだから言っちゃうけど私は勝手に期待して勝手に裏切られたような気持ちになってた!」
衝撃だった。
――最初から。
――勝手に期待して勝手に裏切られたような気持ちになってた。
そんな風に思いながら接していたなんて。
何かが崩れていくのが分かった。
頭に血が上るって言うんだろうか。
裏切られたのはこっちなのに! 被害者はこっちなのに! 独りよがりじゃん! ひどい!
その時は正常じゃなかった。
だから思わず、心にも思っていないことを口走ってしまった。
「雫は輝に逃げられたでしょ!」
気づいた時にはもう遅かった。
我に返ったっていう表現が正にそうだった。
彼女に一番言ってはいけないこと。
彼女の顔が一瞬にして凍りついた。
時間が止まっていた。いや、酷くゆっくりとスロー再生されている感覚だった。
みるみる表情が強張っていき、次第に歪んでいった。
時間にすればものの2,3秒だったがとても長く感じられた。
彼女の瞳から一つまた一つと溢れては流れて消えていった。
僕にはそれがなんなのか分かりたくなかった。
「ごめん、雫さん」
もう遅くて手遅れな言葉が虚しく消える。
「……て。…って。……出てって……」
とても弱弱しく掠れてた声だった。
「ごめん。雫さん。本当にごめん」
最後まで言いたかったが最後は掠れて彼女まで届かなかったと思う。
それ以上彼女は何も言わなかった。ずっとずっと俯いて肩を震わせるばかりだった。
僕は彼女を残し暗くて冷たいドアノブをひねった。
自分が憎くて憎くて堪らなかった。
あんなに酷い出来事があって痛くて辛くて苦しくて悲しかったはずなのに。なのに……。僕は、僕は……。
僕は彼女を酷く傷つけてしまった。
守るどころか傷つけるなんて。
僕は……。
僕は……。
僕は――
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