(7) 全てを捧げた人
彼の名前は
彼とは大学で知り合った。一年の時に提出レポートとか分からなくて悩んでいたら彼がどうしたの? って色々教えてくれたんだ。同学年だったけど凄く頼りがいがあって惹かれた。
それから仲良くなって頻繁に会うようになった。
私は彼の優しいところや頼もしいところ、大人らしいのにどこか子どもっぽくて、突然甘えてくるところとか段々と好きになっていって……。
彼も一人暮らしで彼のアパートに行ったり私のアパートに来たりしていた。
あの頃はとても充実していた。端から見ても幸せそうなお似合いのカップルだったと思う。それくらい仲が良かった。
――そして事件が起こったのは出会ってから六年が過ぎた、今年の一月二十八日だった。その日は金曜日の祝日だったから、朝起きていつものように彼にラインで「今日どうする? どっか行く?」って送った。
でも、いつもならすぐ既読がつくのにつかなかった。少し心配したけどそういう日もあるな、と気にも留めなかった。
でも結局その日は既読はつかなかった。電話もしてみたけど駄目だった。
次の日も駄目だった。彼は私が知る限りマメな性格だったから何かあったんじゃないかと凄く心配になったけどその日はもう暗かったから家に居て連絡を待つ他なかった。
そうして翌日彼のアパートに行ってインターフォンを押した。でも何回押しても出なかった。丸一日待ってても来なかった。
おかしいと思って夕方になって大家さんが住んでいるアパートの管理人室に行った。
そうして彼が三日間も音信不通なので何か知りませんか? と聞いたら気のいい大家さんが教えてくれた。
「輝君は木曜日にアパートを退去したよ」
と。
私は混乱した。
彼が退去したなんて聞いてなかった。
それを聞いて焦る中メールや電話を何度もしたが出ることはなかった。
彼の両親は高校生の時に離婚して親権は母親に渡ったらしいがどちらも絶縁状態で大学生になってから一回も会ってないと言っていた。
だから彼の両親の連絡先は知らなかった。
彼が勤めていた会社に電話してみたけど同じく木曜日に退社したと言っていた。
彼の友達に連絡してみたが誰一人として知らないと少し怪訝そうに言われた。
もう手遅れだと思った。
そう感じた時、さっきまで感じていなかった恐怖が一瞬の内に這い上がってきた。
――もう彼とは一生会えないんじゃないか。
そういう恐怖。
だったと、今にして思う。今思い返すだけでも鳥肌が立ってくるけれど、あの時は得も言われぬ何かが襲ってきたとしか理解できなかったから。
それと同時に困惑と怒りと焦燥が襲ってきて私を支配した。
目の前がグラっと揺れ、冷たいアスファルトに倒れこむように尻もちをついていた。アパート沿いにある小さな道路は人通りもそれなりにあったから、ふらつきながらも千鳥足で人通りが全くない路地に逃げ込んだ。
息が切れ肺が悲鳴を上げ全身が熱くなり鼓動が内側からガンガン砕いていた。
全てが私を痛め傷つけてきた。それに耐えきれなくなり目をぎゅっと瞑った。
真っ暗闇の中で最初に出てきたのは、
なんで?
だった。
どうして?
だって、だって、だって、ついこの前お金も貯まってきて二人で住もうと言っていたのに。
六年間だよ?
わけが分からなかった。
ただ、ただ、分からなかった。
吸う息が凍てつくように寒かった。
会社は有給を使って休み当てがある所を全てあたった。
手はかじかんで指先の感覚が無くなって、足は霜が出来て歩くのが困難になるまで走って歩いて歩いた。
でも、どれも収穫は無かった。
彼のことが全く分からなかった。どこに行ったのか? なんでいなくなったのか? 少しの手掛かりも得ることはできなかった。
それでも、何か少しでも彼に繋がるような話があれば、どこにでも行った。何度でも聞いた。でも……全て不毛に終わった。
雲を掴むような話で心身ともに疲弊しきっていた。
そして、彼が綺麗だと言っていた夜の月を見て過ごした。あの堤防で。
輝のことを思いながら。
もう私は駄目なんだと思ったよ。いっそ、このまま……なんて考えたりもした。
そうしていたられいが後ろにいた。
最初は本当にびっくりした。
しかも幽霊だなんて。
私は霊感とかないし、お化けとか幽霊とかそういうものは信じてなかったから。
でも……。
でも、もし彼が亡くなっていて幽霊になって会いに来てくれたのかもしれない、そう思うと嬉しくなった。
でもどこか彼と違うなって一瞬思ったけど気のせいにした。
そして今日、早く帰って駐車場に行ったら知らない赤い車が停まっていた。
彼の車に似ていたけどそんなのあり得ないと思った。一応車の運転手を確認しようと考えたけど彼と違った時ショックが大きくなるだけだと、素通りして部屋に入った。
そしたら数分もしない内にインターフォンが鳴った。
心臓が飛び出るかと思った。
速くなる鼓動を抑えてドア穴を確認した。
そこにいたのは彼だった。服装は違っていたが間違いなく彼だった。
嬉しくて泣きそうだった。いや、泣いていた。
勝手にいなくなった憤りは消えていた。
浮かれながらドアを開けた。急にいなくなった理由が確かにあること、それが彼と会うことによって浮き彫りになることも忘れて――
「久しぶり」
三か月ぶりの恋焦がれてきた愛しい声だった。
「うん! 久しぶり」
とても嬉しかった。もうこうやって面と向かって会えないと思っていたから。
「あのさ、色々ごめん」
「うん」
その色々が聞きたい、そう思った。
「今までどこで何してたの? なんでいなくなっちゃったの?」
「ごめん。長くなるから今は言えない」
「え?」
嫌な感じだった。いつもの彼じゃなかった。
「でさ、一緒に住まない?」
「――は?」
何かに焦っているのか焦燥感や緊迫感がひしと伝わってきた。
今の彼は明らかにおかしかった。普通こういう時は誠心誠意謝って何があったのか吐く。それからじゃないの? これからのことは。
まず何があったか言ってよ!
もやもやしていたものが限界に近づいていた。
「なんで? なんで急に来てそうなるの?」
「だから、ごめんって」
そこじゃない。謝るところはそこじゃない。それにその言葉じゃない。私が聞きたいのは「ごめん」じゃない。
「何があったの? いつもの輝じゃない!」
「何言ってるの? 俺は俺だよ」
微かに香水の匂いがした。彼は香水をつけない。前に私が香水を買った時に「使う?」って聞いたら「いらないよ。余りそういうの慣れなくて」と言っていたのに。
それに着ている服もいつもとは違かった。
もう限界だった。
「帰って!」
「え? え、ちょっと待ってよ。一晩でいいから泊めてよ。今、泊まる所がないんだ」
――は? なんで輝がそんな状況になってるの? 泊まる所がないってお金は? 私と輝の二人でずっとずっと少しずつ少しずつ貯めてきたお金は? 輝が管理するって言って仕舞っていたお金は?
――まさか、全部使ったの?
さっきまでの嬉しさは消え失せて微塵も残っていなかった。あるのは今までにないくらいの憤りだった。
到底救う気にはなれなかった。いくら六年間の付き合いといっても。
余りにも六年間の信用の喪失の方が大き過ぎた。彼との良い思い出はたくさんあった。でも。でも……「裏切られた」そう思わざるを得なくなると……全てが「嘘」だったんじゃないかと疑ってしまう。もし彼との六年間が全て「嘘」だとしたら……。そう考えた途端に言い知れない恐怖と後悔、喪失感、虚無感が沸き上がってきて彼を拒んでしまう。
そもそも、もう彼は「輝」ではなかった。私の知る「輝」ではないのだから……。
「帰って!」
そう言うのが精一杯だった。
「だから、お願いだって!」
それでも頑として聞こうとしない彼に苛立ちを募らせていた時に君が来てくれた。
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