(5) 隠していたこと

         ***

 翌日の日曜日。

 彼女に連れられ大型ショッピングモールに来ていた。

 朝に「ついて来て」と言われて彼女が運転する車に乗り込んだ。

「そういえばさ、私がれいと話していると他の人から見て変に見えちゃうから私がスマホで電話してる振りするから普通に話していいよ」

 と車の中で言ってくれたので普通に話している。

 彼女は本屋やCDショップや服売り場を行き来していた。

 本当に楽しかった。

 本屋ではおすすめな本を紹介してくれてCDショップではアルバムを数枚買って後で聴かせるねと言ってくれた。

 服屋では彼女が試着した服全てが本当に似合っていて全部似合ってるよと言ったら、それじゃどれがいいか分からないよと軽く怒られた。

 ショッピングモールの駐車場に戻る時だった。

「今日は楽しかった。本当にありがとうね」

 と満面の笑みで言ってくれた。茜色に染まる彼女の笑顔は輝かしかった。

 彼女が笑っているところを見るのは初めてだなと思った。

 家につくと二人で今日のことを笑いながら話し合った。

 話がひと段落ついた時に―

「あ、あのさ……」

 そう言いかけて止めた。今の雰囲気を壊したくなかったから。

「ん?」

「いや、やっぱりなんでもないです」

「そう? ……そういえばなんでれいは敬語が多いの?」

「え?」

「今はため口に段々なってきたけどたまに敬語に戻るから。敬語の方が馴染みあるの?」

「どうなんだろう」

 確かに言われてみれば、そうだ。なんでだろう。

「生きている時は敬語だったのかも」

「そう……なんだ」

 彼女は一瞬遠くを見るような表情をしたがすぐにいつもの表情に戻った。目にゴミでも入ったのだろうか。

 そうして楽しい一日で終わった。

 あの時に言葉を留めていて良かったとその夜思った。


 いつかは聞かなくちゃいけない。

 そう思っているのにそのタイミングが分からなくてずっと悩んでいた。

「どうした?」

 急に後ろから声がして振り向くと彼女が仕事着から私服に着替えて立っていた。

「昨日もそうだけどどこか元気がない感じだし悩んでいるなら話聞こうか?」

 少し心配げに聞く彼女。その姿を見ていると胸が痛くなる。

「ううん。大丈夫ですよ」

「そう? 何かあったらいつでも相談にのるよ」

「……ありがとうございます」

 もう決心するしかない。

 彼女にこれ以上心配させたくなかった。

「あ、あのさ、少しいいですか?」

「うん。いいよ」

 そう言って隣に座る。

 手に汗が滲んだ。

「……あの、堤防で初めて会った時なんですけど」

「うん」

「……その、雫さんあの時なんであそこにいたんですか?」

「え? あ、ああ。散歩だよ。散歩」

「あの時間に、ですか」

「え、うん」

 なんか嘘をついている気がした。

「失礼かもしれないけど、もしかして雫さん……自殺しようとしてたんじゃないですか?」

 彼女の顔が一瞬凍りついた。

 時間の流れが止まった気がした。

「あ、いや、違いますよね。ごめんなさい」

 と慌てて謝った。

「あ、当たり前じゃない。わ、私がそんなことするわけないでしょ。急に何言ってるのよ」

 とどこか焦っている気がした。

「で、ですよね」

「うん。ちょ、ちょっと飲み物取ってくるね」

 そう言って台所に行ってしまった。

 明らかに動揺していておかしかった。一応否定はしていたが怪しかった。

 彼女が台所に行ってから五分経った。台所はソファーの後ろにあった。

 普通に飲み物を取ってくるのに五分もかかるのはおかしい。後ろを見たかったがこの空気の中では振り向けなかった。

 間もなくして彼女がマグカップを持ってきて隣に座った。見ると中身はホットコーヒーらしかった。しかしもう湯気はたっていなかった。

「……れいはなんでそう思ったの?」

 穏やかな口調で冷めたコーヒーを見つめていた。

「その、説明しづらいんだけど、なんか会った時そんな気がして……」

 嘘だった。実は彼女と会った時に少しだけ黒い煙のようなものが見えたのだ。そこから彼女ももしかしたら、と思い当たったのだ。でも黒い煙のことは省いた。ややこしくなるし確かな証拠より「気がする」の方が彼女の逃げ道も確保できると思ったからだ。

「そう……なんだ。……私がそんなことするわけないでしょ?」

「う、うん。そうだよね、勘違いでよかったよ。本当にごめん」

「ううん。大丈夫」

 少し気まずい間が流れた。

「その……少し聞いてくれない?」

 顔を上げて僕を見る。

「え、うん」

 彼女が何を言うのか見当もつかなかった。

「しょうもなくてつまらない話だけどね」

 と前置きを置いて話し始めた。

「もう三か月になるかな。付き合っていた彼氏がいなくなっちゃってね。……つまり亡くなっちゃたんだよ。それであの堤防を見ながらその彼との思い出に浸ってたんだよ」

 そう言って、もう冷め切ったコーヒーに口をつけた。若干顔が引き攣ったのが分かった。コトンとマグカップを置いてから口を開く。

「そうしたら幽霊だって言うれいが現れてさ。驚いたよ、ほんと。でもね、その時ふと思ったんだ。もしかしたら……彼氏なんじゃないかって。……。あ、ごめんね。こんなの迷惑だよね」

 衝撃だった。

 雫さんに彼氏がいて、しかもその彼氏が亡くなっていた。そうしたら僕が来た。

 あの段ボール箱は引っ越した後ではなく引っ越す準備だったのか。

 しばらく言葉が出なかったが何かを口にしなければと思い頭をフル回転させる。まずは謝るべきだ。

「そ、そんな迷惑だなんて、思ってないです。それよりもそんなことがあったのに本当に無神経で失礼なこと言ってすみませんでした」

「ううん。れいは何も知らなかったしそう感じさせた私の方が悪いし大丈夫だよ」

「あ、ありがとうございます」

 やっぱり雫さんは優しい。

「でも驚きました。そ、その僕のことを彼氏さんかと思っていたなんて」

「ごめんね。勝手に重ねられて迷惑だよね。本当にごめん」

 そう言って頭を下げた。

 そんなに謝られると思ってなかったから目を見開く。

「い、いや、そんな、頭上げてください。逆に嬉しかったです」

「え?」

「傲慢かもしれないけどもし本当に僕が彼氏さんなら雫さんと関りがあったということだから嬉しくて」

 そう言った瞬間、ほんの一瞬だけ表情が翳った気がした。気のせいだろうか。

「あ、ありがとう」

 でも、彼女は顔を赤くしてはにかむ。きっと目が疲れているんだ、僕は。

「私もれいが彼氏だったらいいな―なんてね」

「……」

 なんか嬉しくて照れてしまう。

「なんで黙ってるの? 私だけこんなこと言って恥ずかしいじゃん。なんか言いなさいよ」

 そう言って僕にこしょこしょをお見舞いする。僕が余りにも弱すぎて涙が出るほど悶えるものだから、彼女も「弱すぎ」と大爆笑していた。

 暗い話から笑い合えることになるなんて思ってもみなかった。

「ていうかれい、今日敬語だったよね」

 彼女から解放され呼吸を整えていた時、唐突に訊かれた。

「あ、はい。言われてみれば……。多分、緊張すると敬語になっちゃうのかも……」

「……」

 少しの無言のあと「そうなんだ」とどこか感情が籠っていないような返答をした。彼女も疲れているのだろうか。

 暗闇の中で彼女の言葉を何度も頭の中でリピートしていた。

―れいが彼氏だったら良いな。

 生きている時の記憶はまだ思い出せないけどもし彼氏だったら雫さんとこうして幽霊になっても出会うってロマンチックで幸せだな。なんて凄く浮かれていた。

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