(2) 見知らぬ人
***
もう何日歩いただろうか。幽霊っていうのは体力という概念がないらしい。お腹も空かないから何も食べずに歩くことができた。
最も透けるようじゃ食料も確保できないから良かったのだけれど。
ずっと一人で歩いていたから頭は冷えて逆に冷静になっていた。
もう幽霊という存在を完全に受け入れてしまっていた。数日前まではほんの少し、本当は自分は頭がおかしくなっただけの生きている人間なのではないか、という淡い期待を抱いていたのだが。
辺りは街路灯がつき始め虫が群がっていた。
自分の呼吸しか聞こえないほどの静寂ぶりだった。
上を見上げれば若干半円になりかけの月が見えた。
相変わらず、ここが堤防ということ以外は分からずにいた。
もしかしたらずっと歩くのかもしれない。
でもそんなこともどうでもいいとさえ思えていた。
だって、もう……。
無意識の内に深くため息を吐いていた。
涼しい夜風が鼻を掠める。草の揺られる音が心地良い。
遠くで何か見えた気がした。
近づいてみると街路灯の下に何か人の形をした黒い物体が見えた。
さらに近づくと、堤防の斜面の草の芽が少し生えている所に夜に紛れるかのように座り佇んでいた。
僕から見て左の方向を向いて何かを眺めていた。ただあるのは少し小さな川と月明りに照らされ若干見える山々の影ぐらいだ。
その人を凝視して突っ立っていた。
そのまま数分が過ぎたが相変わらずその人は微動だにしなかった。
時間もたくさんあるしこの先の目的もないから好奇心に身を任せて見ていることにした。
その人をよく見たかったが街路灯が古いのか灯りが暗くさらにさっきから点滅を繰り返しているという始末だったから顔はおろか服の色さえ見えなかった。
どのくらい経っただろうか。
ゆっくりとその人は揺れた。かと思うと不自然にゆらゆらと立ち上がった。
そして振り返った。
「へぇ? え、えええええ! な、なに?」
その人はいきなり驚いた様に悲鳴めいた声を出して後ずさった。
多分表情は見えないがかなり驚いているのだろう。
僕は心底びっくりして心臓が止まりそうになった。幽霊だから心臓なんて無いのかもしれないのだけれど。
いきなりあんな声を出されたらたまったもんじゃない。こんな静かで暗い所で。
生きていたらショックで倒れていたかもしれない。
そんなことを思いながら辺りを見渡す。周りはぼんやりと見えたが誰もいなかった。動物も虫も。
まさか、僕?
い、いや、そんなわけ……。
でも僕以外驚く要素は無いと思う。
そうやって戸惑っているとまたその人が声を発した。
「あ、あの、誰? わ、私に、何か用?」
恐る恐るという感じだった。
それは僕の方向を見て言っていた。
「ぼ、僕ですか?」
聞こえるはずもないのに反射的に答えていた。
「え、うん」
そう、聞こえるはずな……え?
え? 聞こえた? 僕の声が? その人に?
「え、え、え? 聞こえるんですか?」
「はい?」
その人は明らかに不審がっていた。
それでも僕は質問した。
「僕が見えるんですか?」
「え? 何を言って……」
そう言ってその人は一歩僕の方へ歩み寄ると、言葉を吞み込んでしまった。
多分僕の全身が見えたのだろう。
「あ、あなたは……」
まあ、そうだろう。実際に鏡で見たわけではないが全身黒いとすると明らかに不自然だろう。いくら暗いと言っても微かな灯りでもおかしいと気づくだろう。
ここは正直に言うしかないか。恐がられ逃げられても仕方がないけど。
「ぼ、僕は、その、ゆ、幽霊みたいです」
「は?」
あ~あ、せっかく人に認知されたのにな。すっかり自分の中で諦めモードだった。
「幽霊って、あの?」
「はい、あれです」
その人はさらに訝し気に聞いてきた。
「本当に?」
「はい。信じられないと思いますが……」
――逃げない。もしかしたらこのまま会話ができるんじゃないか、という淡い期待が浮かんできた。
しばらく沈黙が続いた。
思い返してみると怪しいことこの上ない。急に後ろを振り向いたら黒い物体がいて、しかも幽霊だと言う。端から見るとふざけている人に見えるだろう。でも何よりこの身体が答えだった。
そしてその人は距離をしっかりとりつつ僕に近づき上から下までじっくりと見て言った。
「本当にあなたは幽霊なの?」
「は、はい」
そこからその人は何か考えるような仕草をして――
「そう」
その人は意外にもあっさりと頷いた。
「え? 信じてくれるんですか?」
「……うん。信じるよ。だってその姿を見たら信じるしかないから」
そう言うその人にさっきまでの不審や戸惑いは感じられなくなっていた。
「ところで、あなたはさっき凄く驚いていたけどもしかして普通の人には見えないの?」
「あ、はい。なぜか僕の姿も声も聞こえなくて。でもその……あなたには見えてて」
「……へえ、面白いね」
なぜかその人はもう僕を幽霊だと受け入れて普通に話している。しかも結構フレンドリーだ。
その人の切り替えの早さに感心していた。
しかもこの人、なぜか懐かしい気がする。そんな気が微かにした。
「あ、あのさ、もう時間も遅いし、寒いから家来ない?」
「えっ」
え? 聞き間違いじゃないよね? こんなことある?
展開の早さに追いついていけなかった。狐につままれたようだった。
「え? 良いんですか? 大丈夫ですか?」
「うん。家一人だし。良いよ」
「あ、ありがとうございます」
「いいって。じゃあ、行こう。ついてきて」
そう言って歩き出した。もうこの際狐だろうが狸だろうが夢だろうが妄想だろうがこの成り行きに任せることにした。
ふと微かに何かが横切った気がしたが気のせいだと思うことにした。
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