第7話 ぐちゃぐちゃ文字との格闘
「ごきげんよう、次郎様」
「よう、モモ。ごきげんよう。
若を見なかったか?」
次郎様は兵士長の1人で、若様の義理の姉さんの兄弟に当たる人で、そして僕へ気軽に話掛けてくれる数少ない人の一人だ。
親類の気安さでお頭様から雑用という名の無料奉仕を押し付けられることが多い気の毒な御方でもある。
この世界で賢い人というのは、"楽な"事務仕事を一身に受けてしまい、ブラック企業さながらに理解のない上司にこき使われてしまうようだ。
そういえば父さんも夜遅くまで仕事していたっけ。
「おい、モモ。人の顔みてぼーっとしてどうした?
見惚れたか?(笑)」
「すみません。考え事してたので。
若は取り巻き連中と河原へ行ったと思います。
今頃は石投げに夢中かと」
「参ったなぁ。また逃げられたか」
「若様に何か用事だったんですか?」
「用事というか、今日は若に字を教える日なんだよ。
あの
「ここでは童子が集まって手習いすることは無いのですか?」
「そんなお公家様みたいな事やんねーよ。
モモは手習いしてたって言うのか?」
「5つの時から皆やってました。
爺さんの剣術の稽古より厳しいですよ」
「なんだ、そりゃ!?
お公家様どころじゃねーな、モモんところは。
じゃあこれくらいは朝駈けの駄賃だろ?」
と言って次郎さんが見せてくれたのは1枚の紙にいろはの文字が書かれたお手本だった。
「へぇ~、若はこうゆうのを習っているんですね」
「ああ、手本を見た途端に寝ることを『習う』って言うんならな」
次郎様の言葉のテンポが心地良い。
やはり頭の良い方なんだろうな。
「いろはにほへとちりぬるを
わかよたれそつねならむ
うゐのおくやまけふこえて
あさきゆめみしゑひもせす。
…で、いいんでしたっけ?」
お手本を返しながら、覚えていたいろは歌を暗唱してみた。
「モモは読めるどころか暗記しちまっているのか?」
次郎様は驚いた顔をしていたけど、この程度は現代の幼稚園の知育教育でやっていた事だ。
他に卯月、如月、みたいな月の読み方とか英語なんかもやってたし。
「覚えてしまえばどうって事は無いですよ。
でもこちらで使っている文字は少し違うみたいなので全部読めるかは分かりません」
「んーそうだな。
じゃあモモ、お前も若の習い事に付き合え。
なんだかんだ若はモモの事が気になっているし、モモに負けじと習い事に励んでくれそうな気がするからさ。
お頭様には俺から言っておく。
頼むぜ」
「え?はい!?」
一方的に決めちゃったけど、まあいいか。この世界の習い事がどんなものか気になるし、学校も塾もない環境で習い事が出来るというのは魅力的な提案に思えた。
現代にいた時は若みたいに勉強から逃げ出したいと思っていたのに…。
◇◇◇◇◇
現代で高度な教育を受けてきた僕ならば室町時代の習い事なんて楽勝!
…と思っていた時期が僕にもありました。
分かんねー。
字が全く読めない。
落書きのようなぐちゃぐちゃな字をどう読めばいいのかがさっぱり分かんねー。
「モモ、お前も出来ないことがあるんだな。
俺はこの字なら読めるぞ」
隣に座っている若が僕をライバル視しているらしく、妙に優越感に浸っている。
『そのくらいは分かってんだよ。
どうしてこの部分をそう読むのかが分かんねーんだよ。
勉強中は黙ってろ!』
…と心の中で毒づきながら、
「出来ないことばかりですよ。
出来ないことがあるから鍛錬するんじゃないですか」
…と当たり障りのない返事をしておく。
こうゆう時には人に聞く。
聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥、だからね。
今も昔も、未来も。
「次郎様ー」
◇◇◇◇◇
そしてぐちゃぐちゃ文字と格闘すること3ヶ月。(ただし月2回ペース)
読める字が1文字、また1文字と増えていき、手紙の1/3の文字が文字であるのが分かってきた。それ以上に分かったことは、現代では使われなくなった文字が沢山あるという事だ。例えば『ゑ』とか『ゐ』みたいな平仮名だけじゃなく漢字もそう。
もしかしたら受験勉強よりも覚えなきゃならない文字が多いかもしれない。
そしてぐちゃぐちゃ文字と格闘すること半年。
どうしても分からない文字の正体が分かった。
当て字っていうのかな?
現代でも個性的かつ典型的な格好をしている近寄り難いお兄さん達が愛車にバァーンと貼っているステッカー『夜露死苦』の文字みたいな。
あんな書き方があちこちにあるみたいなのが分かった。
そしてぐちゃぐちゃ文字と格闘すること1年。
この頃になると若の代筆を頼まれることが多くなった。多分次郎様より知っている文字は多いかもしれない。読めない文字があっても虫食い問題みたいに予想しながら読んでいるから手紙の意味は何となく分かるし、最近はぐちゃぐちゃ文字のぐちゃぐちゃ具合の違いが分かるようになって手紙の解読が進むようになった。
『読む』ではなく『解読』と言うあたりがまだまだなんだけど。
そしてぐちゃぐちゃ文字と格闘すること2年。
自分で手紙を書けるようになった。
若も僕の勉強する姿をみて感化されたらしく、少しは字が読めるようになったみたいでお頭様に感謝された。
「おう、モモ来てたか」
「ごきげんよう、お頭様。
本日もお邪魔しております」
「なーに、お前さんに刺激されて倅もちったぁ字が書ける様になったと聞いた。助かってるぜ。
ところでよ、せっかく字を覚えたんだ。ウチの仕事を手伝えや。
次郎の話じゃ算術も出来んだろ?
爺さんには俺から言っておく。
頼んだぜ。(デジャブ)」
こうして僕は12歳にして(本当は14歳)、お頭様の屋敷で少ない駄賃で働かされることになった。
次の勉強は帳簿の見方だ。
…はぁ。
※解説:文字について
ここで言う『ぐちゃぐちゃ文字』は正しくは『くずし字』、『当て字』は『変体仮名』と言います。
これらをマスターしなければ古文解読をするはできません。
楽なのは解読用AIを使用する方法。
「miwo(みを)」という、AIくずし字認識アプリが秀逸です。
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