4話 おいしい泥

「誰にも会わなかった?」


 お昼頃にアニカちゃんに会いました。

 学校が終わったらしいのです。アニカちゃんは「特別なひだから」と言っていました。今はその帰り道です。


「……うん。誰にも会わなかったよ」


 ミサは嘘をついてしまいました。

 本当は嘘など付きたくないのです。嘘をつけば、ずっと隠さなきゃいけなくなって、どんどんつらくなるからです。

 しかし今は、嘘をつかないといけません。

 ほんとうのことを知って悲しくなるのは、ミサよりもアニカちゃんなのです。


 それにミサは……ルイちゃんと仲良くなってしまったのです。

 言えないことばかりで、ミサの心は暗くなりました。


「じゃあ、帰ろっか」


 アニカちゃんがそう言った時、ミサはふと気づきました。

 アニカちゃんの頬が青紫色になっていました。

 まるでどこかにぶつけたようでした。


「アニカちゃん、転んだの?」


 そう聞くと、アニカちゃんはちょっと固まってから小さくうなずきました。ミサは痛そうに顔をしかめます。


「痛い?」

「うん……ちょっとだけ」

「治してあげよっか?」

「え?」


 ミサは洋服のポケットから小さなびんを取り出しました。それはミサの手作りの傷薬でした。怪我をした時のために取っておいたのです。

 ぽん、と蓋をとり、ドロっとした軟膏を手に広げて、アニカちゃんの顔に塗りました。


「な、なに急に!?」


 驚いて飛び退くアニカちゃん。


「魔女の万能薬だよ。明日には治るから」


 怖がるアニカちゃんにかまわず、ミサは薬を塗り広げました。

 アニカちゃんの怪我は、まるで岩にぶつかったような大きな怪我でした。


「う……くさいっ!」

「がまんして! 大丈夫! アニカちゃんなら我慢できるよ!」

「何言ってんの! うう〜〜!」


 そうして薬が塗り終わりました。傷薬は使い切ってしまいましたが、役に立って良かったです。

 アニカちゃんはそそくさとマスクを戻しました。


「あ、ありがと……」

「どうしたしまして」


 アニカちゃんは「ねぇ」と言いました。


「お礼にさ……アイスクリーム食べない?」


 アイスクリーム——それは聞いた事のない単語でしたが、“食べる”と言っていたので、ついよだれがたれてしまいました。おいしいものに違いありません。

 ミサはアニカちゃんについていきました。


 街の人たちはやっぱりミサたちのようにマスクを付けていました。

 目だけしか出てないので、どんな顔をしているのかわかりません。

 大人が鋭い目を向けてくることがあります。ちょっと怖いです。


「ここ」


 アニカちゃんが止まりました。

 そこにはピンク色や黄色、水色といったキラキラとした色の建物がありました。カラフルで目がチカチカします。


「ここで“あいくすりーむ”が食べられるんだね」

「うん。アイスクリームだけどね」


 中に入るとひんやりとして涼しいです。

 目の前のガラス張りの箱の中を見ると、ミサは声をあげました。


「すごい! きれいな泥がたくさんあるよ!」


 いろんな色のアイスクリームを、ミサは泥だと思ったのです。

 店員さんは笑いました。アニカちゃんも顔を背けて笑っていました。


「シングルレギュラーカップバニラと、シングルレギュラーカップチョコレートで」


 アニカちゃんが早口で何かを言うと、先が丸い形金属の棒で泥がすくわれました。

 そして渡されたのは、紙に入った茶色の丸い泥でした。


「えっ……これ、食べるの?」

「チョコレート。おいしいよ?」

「だって泥だよ……んぐっ!」


 アニカちゃんはスプーンでアイスをすくってミサの口元に近づけました。

 ミサは泥を食べる覚悟を決めました。目を閉じて、口をあけました。スプーンが中に入ってきます。舌の上にひんやりとしたものが落ちてきました。すごく冷たかったのです。まるで氷のようでそた。

 そして遅れてやってきたのは、その味。


「どう?」


 ミサはぷるぷると震えました。


「おいしーっ!!」


 なめらかでまろやかな甘みが口の中いっぱいに広がりました。今まで食べた甘いものの中でいちばん甘かったのです。

 初めてアイスクリームを食べたミサは、目を輝かせました。


「こんな泥、食べたことないよ!」

「逆に食べたことあるの?」


 アニカちゃんはチョコレート・アイスクリームを渡してきました。ミサはゆっくり大事に食べようと思っていたのに、我慢できずに一気に食べてしまいました。ぱくぱくぺろぺろ。ぱくぱくぺろぺろ……まだまだ食べ足りなかったので、箱のそこに付いた液体も丁寧に舐めました。


「ミサはおいしそうに食べるね」


 アニカちゃんも自分のものを食べていました。白いアイスクリームです。そっちもおいしそうな色をしていたのですが、我慢しました。人のものを食べてはいけないのですからね。


「……ミサ、目が怖いよ?」


 でもアニカちゃんに気づかれてしまいました。

 アニカちゃんは苦笑しながら、「はい」と白いアイスをすくってミサにくれました。ミサは大きな口を開けてぱくっと食べました。さきほどのチョコレートとは違って甘さは控えめですが、また別の甘さでした。


「こっちも好き!」

「どっちもおいしいよね」

「ありがとう、アニカちゃん」


 ミサは幸せを感じました。

 やっぱり美味しいものを食べたときは、幸せになるのです。


「よっ、不審者。ちゃんと逃げられたんだな」


 ふと声をかけられました。

 さっきも聞いた男の子の声でした。


「あ、ケントくん。久しぶり!」

「さっきぶりだろ。なんだ、アイス食ってんのか?」

「うん。これ、おいしい泥だね!」

「お前はなに言ってんだ?」


 ケントくんが肩をすくめて笑います。抜けた歯がちらりと見えました。


「あれ? アニカじゃん」

「あっ!?」


 ケントくんが言ってから、ミサは声をあげました。

 アニカちゃんに「誰にも会ってない」と言っておきながら、ケントくんと仲良く話してしまったのです。


「ち、違うんだよアニカちゃん。ケントくんとはね——」


 ミサが言い訳しようとした時でした。


「……アニカちゃん? どうしたの?」


 アニカちゃんはうつむいていました。

 ミサが問いかけても、アニカちゃんは顔を上げません。


「なんだ。知り合いだったのか、お前ら」


 ケントくんはそんなアニカちゃんの様子など、気にしない様子です。


「変な奴同士、引かれ合うってことだな」

「アニカちゃんは変じゃないよ!」

「変なやつが言っても説得力ねーんだよなぁ」


 ケントくんがバカにしてきている間も、アニカちゃんはうつむいたままでした。

 いつもと違う様子のアニカちゃん。

 まるでルイちゃんと話している時のように、固まっていました。


 あっ——と、ミサは気づきました。

 もしかして、アニカちゃんはケントくんと友達ではないのでしょうか?

 でも、ケントくんはアニカちゃんをいじめている様子もありません。ルイちゃんとは違うのです。本当に、アニカちゃんはどうしたのでしょう?


「まぁ、変なやつ同士、せいぜい仲良くしてろよ」

「ケントくんはちゃんと勉強してね」

「うっせーよ、不審者!」


 ケントくんは中指をミサに立てました。

 そのハンドサインの意味はミサにはわかりませんが、ケントくんの声は弾んでいたので、おそらく嬉しさを表すポーズなのだとミサは思いました。

 ケントくんが見えなくなってから、ミサはパッと振り向きました。


「アニカちゃん。あのね、さっきは誰にも会ってないって言ったけど——」

「ケントと、会ったのね」

「……ごめんなさい」


 アニカちゃんはまだうつむいたままです。持っているアイスは少し溶けていました。


「アニカちゃんはさ、ケントくんとは友達じゃないの?」

「友達じゃないよ……」

「でもケントくんは嬉しそうだったよ?」

「知らない……」


 ずっとうつむいているアニカちゃん。やっぱり様子が変です。

 ミサはそーっと下から覗きました。

 そして「あっ!」と気付きました。


「アニカちゃん、大丈夫!?」


 アニカちゃんの顔が真っ赤だったのです。

 それはもうトマトのようでした。


「風邪引いたの!?」

「ち、違うっ……」


 顔をそむけようとするアニカちゃん。

 直後、ミサは電気に打たれたようなショックを受けました。

 そう、気づいてしまったのです。アニカちゃんの異変の正体に。


「もしかしてアニカちゃん……ケントくんのことが好きなの?」

「っ!!!」


 アニカちゃんはさらに顔を赤くしました。


「なっ、なんでわかるの!?」

「だってアニカちゃん、そういう顔してたよ?」

「なんでこういうときだけ鋭いのよ、ミサ……」


 ミサは嬉しそうにアニカちゃんの周りをぐるぐる回ります。


「いいなぁ、恋だなんて。アニカちゃんなら絶対うまくいくよ!」

「ミサ。これあげるから黙って……」


 アニカちゃんは食べかけのアイスを渡しました。

 さっき口に入れられた甘い味を思い出し、ミサはよだれが出ました。


「うん、黙る!」


 アイスクリームはとってもおいしい食べ物です。

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