乱闘と真打登場

 時間は、海でひと悶着が始まる前に遡る。オクトたちがカンゼ村を出発し、死んでもいないオクトのお別れ会とナシュのいざこざの後。そのすぐ後にエイプル革命軍が村を来訪した。

「私はフロックス大司祭様を迎え入れる。その間私の屋敷に近寄るな」

「自分の従兄が連れていかれたんですよ」

 親方が冷たい態度のシランを叱ったが、彼の心には届かなかった。盗賊のお守りで精いっぱいなのに、これ以上面倒ごとは彼に処理しきれない。勝手にしてくれ、という気持ちだった。

「だからなんだというんだ」

 親方は仕方なく漁の仲間を呼び寄せ、船の出向の準備に向かった。

 シランは気を取り直し、フロックス大司祭に挨拶をして自身の館に招き入れた。一室に通し、母と給仕に温かい食事を準備させる。

「こんな手厚い歓迎、私にはもったいないです」

 フロックスの謙虚な態度にシランは笑って答える。まともな常識のある人間との対話は、こんなにも心地いいものだったかと安心した。同時に、盗賊崩れがいつ襲ってくるか、計画通りに事を運んでくれるか不安になった。屋敷の絨毯に、時折幻覚の血しぶきが見えた。

「何を仰いますやら。長旅ご苦労様です。帰りの旅も長いでしょうから、英気を養ってくださいませ」

「ありがとうございます。時に、教会で人垣がありましたが、何かありましたか」

 鋭い質問にシランはお茶を濁した。

「若い漁師が海の事故で亡くなったんです。今日は村の皆で別れを偲んでいます」

 まさか死んだ本人の登場で町人たちがざわついているなんて、口が裂けても言えなかった。フロックスは食べる前に祈りを捧げ、豆のスープを口に運ぶ。

「ああ、体に染みわたる。本当に美味しいです」

「給仕にもそう伝えておきます。きっとその言葉を後生大事にされるでしょう。その、後ろに控えている方も、どうでしょうか」

 シランはおずおずと、フロックスの背後の壁に控える黒判騎士を心配した。彼はノシメに到着してからも、一言も発さず佇んでいる。

「彼は良いんですよ。顔が醜いので、滅多に人前で兜を脱がない。だから皆に恐れられているんでしょうけど」

 顔が醜いので兜を脱がない、とはジュンの時から兜を脱がない常套句だった。黒判騎士を畏怖の対象に仕立て上げるため、素性はできるだけ明かさない。シランも好奇心をそそられて彼の顔を見つめたが、視線が向くと思わず顔をそむけた。

「実は昔黒判が世話になった家族にも、此度の巡礼にてご挨拶をしたかったのですが」

 フロックスは昨日オクトたちに会ったが、結局逃げられてしまいノシメに移動した。オクトたちに会うのは、自分たちの敵にならないか偵察も兼ねてだった。黒判の入れ替わり気づいた彼は危ない因子だ。時と場合によっては、教会の権力を使って始末しなければいけない。

「あ、ああ、ランタナ殿とクラズさんは亡くなられているのです。私の母がクラズさんの姉で、今は母と私が領主としてこの屋敷に住んでいます」

 シランは別の意味で焦る。話している内容は事実だ、上記した二人が死亡したのを機にオクトを追い出したが、言わなくてもいい事実だろう。実際彼もこの家に執着している風ではなかったのだし、と考えるが胸が今更ながらに痛む。

「おや。お二人にお子さんはいらっしゃらないので」

「お二人は夫婦ではなく、雇い主とお手伝いのようなもので」

「クラズさん自身に子はいませんでしたか。本当に」

 フロックスの質問攻めに、シランは彼がなにか事実を知っていると踏んだ。このまま自分の判断で嘯いても仕方ない、シランは立ち上がる。

「少し席を外させていただきます」

 母に助言を求めるために部屋を出る。残されたフロックスは先程までの丁寧な食器使いを止め、パンを掴んで黒判に寄越した。

「お前も食え。腹が減っては戦はできぬ」

 口当てを外し、三年の巡礼の旅を経ても慣れない鎧を、目いっぱい動かしながらニゲラは口に運ぶ。

「物騒なこと言わないでくれよ」

「この屋敷、なにかおかしいぞ。あのオクトってやつのこと隠している。間違いなく奴は、この屋敷に住んでたんだよな。クラズという女性の子として」

 黒判は頷いた。ジュンの弟ニゲラは、革命軍を立ち上げる前にこの屋敷に何度も足を運んだ。この屋敷の庭で、オクトと遊んだこともある。彼に昨日会った時、立派な成長に心が打たれたのも事実だ。そして、あのシランは初対面だった。恐らく屋敷を出立してからこの屋敷に移り住んだのだろう。

「許せないな」

 ニゲラからはあまり聞いたことのない怒気のはらんだ声に、フロックスは驚く。

「珍しい。お前がそんなことを言うなんて」

「ランタナ殿とクラズ様は、傭兵の俺たちに本当に良くして下さった。そんな人たちの屋敷を奪って、庭だって荒れ果てて、こんな仕打ちない」

「そんなに思い入れがあったなら、エイプルを旗頭にせずオクト君を次期王として祭り上げれば良かったじゃないか。俺はそれが一番謎だ。ジュンは何を考えていたんだ」

 黒判の黒い瞳がフロックスを睨む。何も知らない癖にというような視線だったが、やがて言っても無駄だとため息をついた。

「俺だって姉さんの考えていることを知りたかった。結局、何も言わないまま死んでしまったが」

 フロックスは彼に同情を寄せたが、何も言葉が出てこない。気の利いた言葉なら、あの女は大得意だった。人がかけてほしい言葉をするりと忍び込ませる、だからこそ真意の見えないやつだった。五年経った今でも、彼女の夢を見る。左手の指輪を思わず見た。

 すると、扉の外が騒がしくなる。しばらく応酬があったが、扉が勢いよく開かれ、現れたのは昨日の占い師だった。兵士が彼女を引き留めようと手を伸ばしても、彼女の細腕がそれを振り払う。

「あんた、私の占い道具返して頂戴」

 敵襲かと身構えたが、昨日逃げた虫が大したことない理由で戻ってきたので、思わず笑ってしまう。

「よく再び私の前に現れたものだ。その勇気は称賛に値するよ。ふふ、あれは兵士が厳重に保管しているよ。なんでも、呪いを封印しているそうだ。はは、ははは」

 口を押えて笑うフロックスに怒りを感じながらも、ハルシャは腕を組んで腹の虫を抑え込む。

「そんなに笑うことないじゃない。私が何したっていうのよ」

 兵士が背後から身柄を拘束しようとすると、彼女は大声で怒鳴り兵士は怯んでしまう。我が兵士ながら情けないとフロックスは笑いを収めた。そして、息を切らしたシランもやってくる。

「御無事ですか、大司祭様」

 フロックスは手を振って無事を伝える。ハルシャが息を切らしているシランを横目に、彼が町の領主だったことを思い出した。

「あんた、盗賊を囲ってる領主じゃない」

 ハルシャの言葉に、シランは目を剥いた。フロックスも彼の態度に異変を感じ取る。

「無礼だぞ。何を根拠に」

「その慌てっぷりよ。私知ってんだからね。あんたが二日前ノシメを盗賊に襲わせたこと。なんでか知らないけど、そういう陰険な真似は止めたほうがいいわよ」

 彼女は図太いのか、のうのうととんでもない事実を言ってのけた。ハルシャも盗賊を囲っていることを聞きかじっているだけで、シランの真の目的までは知らない。ただ、オクトの弟分なら一言言ってやらないと気が済まなかった。

「どういう事だい」

 フロックスの厳しい視線に、シランは体裁が保てない。

「彼女は旅の占い師です。人を惑わせて金をせしめる気だ。耳を貸してはいけません」

「何よ、失礼ね。あんただって私に占い頼んだことあるでしょう。世話になっておいて良く言うわ。オクトと大違いよ」

 ハルシャは悪気がないが、あえて悪く言うのなら無神経さが少しあった。シランは逆鱗に触れられ、彼女に掴みかかって屋敷を引きずり出そうという時、奇妙な音が遠くからした。

「何の音だ」

 兵士がざわつく。不穏な空気が充満し、みなの時が止まったように動かなくなった。そして次の瞬間、屋敷の壁が土埃を上げてはじけ飛んだのだ。あまりの突然な事態にある者は伏せ、ある者は腰を抜かす。その中でフロックスはすぐに大穴の開いた屋敷の壁を確認し、飛び込んできた黒い球体を見た。

「あの船からか」

 続いて起き上がった黒判が、海の中にぽつりと浮かぶ船を確認した。フロックスはかつて戦場で経験

血が滾る感覚と緊張を呼び起こし、腹から声を出す。

「敵襲だ。みな備えろ」

 まだ立ち上る土煙の中で、兵士の影が浮かび上がる。しかしフロックスはいつもとは違う気配を感じた。その影が自分たちの兵ではないことは、首筋にあてられた槍の鋭さで把握した。

「戦場での勘が鈍ったか。フロックス」

 振り返らずともわかる。従軍中に何度も顔を突き合わせた男の声だ。

「久しぶりだな。田舎に戻ったと聞いていたのに、こんなところで油を売って何をしている」

 カトレアは怒りと興奮で震える槍の先を、ぴたりとフロックスの頸動脈の位置に押し当てた。

「よくもそんな口が叩けたな。俺たちから黒判様を奪ったくせに。最初からお前は気に食わなかったんだよ」

「それは誤解だ。俺たちは俺たちなりに国の為に働いているだけだ。落ち着け、座って話でもしよう。君はどうも思い込むと視野が狭くなる傾向がある」

「俺は黒判様の一番槍だからな。突っ込むしか能がないのさ」

「恐れ入った。黒判の顔も知らないくせに、そこまで入れ込むとは」

 突如フロックスは槍の切っ先とは反対側に体をひねり、素早くわき腹に拳を打ち込んだ。痛みで衝撃を受けたカトレアはすぐ体勢を立て直すが、フロックスは畳みかけるように彼の槍の柄を膝と腕で折る。

「煽っておいてやられるとか、仲間ながら恥ずかしいやつだ」

 フロックスの拳が鳩尾に決まり呻くカトレアを見て、晴れた土埃から現れたのは巨体の大男だった。ウォルフの登場に、黒判とフロックスが身構える。

「お前もか。非人の山犬」

 ウォルフの喉が唸る。黒判が腰の剣を構えれば、周囲の兵士と盗賊に成り下がった兵士両者が臨戦態勢に入った。

「黒判気取りは気持ちがいいかい。ええ、偽物め。その兜をぶっ壊して、薄汚いお前の顔の皮を剝いでやるからな」

 ウォルフは匂いでジュンではないと気づけても、誰かまではわからなかった。だから余計に腹が立つ。自分の力量不足もあれば、ジュンの守ってきた黒い鉄兜をそっくりそのまま盗んだ彼に。

「下品なのは相変わらずだな」

 フロックスがウォルフに気がいっていると、カトレアが距離を取って仲間から控えの槍を渡される。黒判とフロックス大司祭、カトレアとウォルフ、両者の側に着く兵士たち。

 引き返せない争いが始まる。それは彼女の意思には反した。

「待ちなさいよ」

 緊張の糸は弛まない。シランが思わず彼女の服を掴んだ。

「男同士の戦いに口を出すな」

 ハルシャはシランの手の甲をしっぺ叩きした。

「いがみ合うよりあの侵略した船を止めないとでしょ。男も女も関係なく死んじゃうわ」

 町では早々に煙が立ち上っていた。ハルシャは知らないが、砲弾を突撃の合図と勘違いしたナシュの船員が、町を襲撃していた。ハルシャは彼らの敵意を、どうにかナシュ商船の者たちに向けなければならない。

 この町はオクトの暮らしてきた街であり、ジュンの恩師が眠っている街だ。気になるのは、スピカがナシュ商船の側に立って殺し合いに巻き込まれるのではないかということだが。

「知るか」

 しかし現実は簡単には微笑んでくれない。その言葉は、フロックス司祭の口から出た。フロックスにとったら、辺境の街のいざこざなどどうでもいいのだろう。目の前の敵に執着している。

「私も貴方と戦います」

 シランはここぞとばかりに恩を売らねばと、慣れない剣を手にフロックスの傍に寄る。フロックスは礼服の上着をはだけさせ、筋骨隆々な焼けた腕を敵に向ける。

 シランの失策の点はいくつかある。まずは得体のしれない盗賊を茶番に使おうとしたこと、母の提案を口酸っぱく聞かなかったこと。そして、フロックスが司祭だから弱いと決め込んで、守られる側だと思い込んだ事だ。

 騎士の様に大司祭を守って大出世、という目論見は儚く散った。

「腹に風穴を空けられたい奴から、かかって来い」

 フロックスが口火を切ると、戦闘が始まった。カトレアの槍の応酬をフロックスは動じず正面から躱し、肌が掠って血が滲めばそれが興奮剤となって拳が早まる。シランは背後で繰り広げられる慣れない戦闘にあたふたし黒判の方を見たが、彼は居なかった。

「あれっ」

 あたりを見ても、兵士はもみくちゃになって戦っているのに、あの特徴的な鎧姿はどこにもいない。そうこうしている内に、巨大な斧が足元に降ってきて腰が抜ける。

「僕ちゃんどうだい、俺たちの茶番は。最高にイカすだろう。大司祭様にいいとこ見せなきゃな」

 獣の瞳がシランの血流を冷たくさせ、ウォルフが斧を持ち上げる。蚊でも殺すような気軽さだ、自分はとんでもない奴らに関わってしまったと後悔するがもう遅い。

「助けて下さい」

 ウォルフたちは容赦しない。シランと母が企てた茶番を、本物の争いに変えて裏切り者を亡き者にしなければ気が済まない。震えるシランを冷めた目で見やる。

「水の女神に祈れ。あのアバズレが手を差し伸べてくれるように」

 斧を振りかぶった彼の顔に、突然光る粉が振りまかれウォルフは顔を払った。シランは粉を放ったハルシャに手を引かれる。

「逃げるわよ。こいつら頭固すぎ」

「くそ、逃がすかよ」

 怒りに満ちた顔のウォルフの腕に、今度は矢が射られた。何処から来たのかはわからないが、それで動きが止まる。ウォルフは鬱陶しそうに矢を抜いた。

 このままでは埒が明かない。シランは彼女の手が救いだと強く握った。走り出した二人は屋敷の扉から逃げようとしたが、男の体が投げ飛ばされて進路に進む足が止まる。

「何処にも行くな。そこで待ってろ、すぐ終わる」

 遠くにいるフロックスが叫ぶ。どんな距離で投げたんだと尋ねるには、時間も余裕もなかった。

「私たちに死ねってことかしら」

「ジュンのことを全部聞いていない」

 あれだけ忙しなかった周囲がしんと静まった。残っているのは倒れて動かない兵士や盗賊崩れを除いて、すでにフロックスとカトレア、ウォルフだけだった。三人の視線がハルシュたちに向けられ、彼女は後ずさった。

「ええ、誰それ、私わからないわ。貴方ご存じかしら」

 怯えるシランに振るが、当然彼が知っているわけがない。白を切る彼女に、ウォルフもカトレアもにじり寄ってくる。

「そうだ。あんたあの女と一緒にいたやつだ。自分をジュンって言う、あの女の仲間」

「あいつにも色々聞かないと。お前を人質にしたら、そのふざけた女はおびき出せるかな」

 カトレアとウォルフの不穏な言葉に、ハルシャの顔が引きつる。

「おい、お前たち勝手を言うな。彼女は私が尋問にかける。手出しするな」

「あはは、やだ、尋問って。教会の尋問って、残酷なんでしょう。か弱いただの占い師に、そんな」

 フロックスの目は本気だ。ジュンという、決してそれを話題には挙げていけない三人に聞かれてしまったからだ。ハルシャの体が引き寄せられ、首に剣の先が宛てられる。シランだった。

「よくやった。褒美をやろう」

 フロックスが言うと、シランはやっと顔がほころぶ。ハルシャが睨んでもお構いなしだった。抵抗すると、喉に剣先が突き刺さる。柘榴の実を割って汁が零れる様を彷彿とさせるような、血が流れた。

「お前は最初から排除しておけば良かった」

 その声は背後から静かに現れ、シランの顔が片手の手のひらに覆われる。そして横なぎに払われシランが腹を蹴られ転んでいった。落ちた剣を手にし、突如現れた人物は戦況も顧みず柄を見る。ブーケのような花の紋だ。

「ジュンか」

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