ナシュ奴隷船
ノシメ港町は、朝から騒然としていた。不在のカリアをいいことに、偽物のオクトのお別れ会をしていた朝。ナシュ商船の者たちが、シラン領主への謁見を求めた。
「今は親族の最後の別れだ。後にしてくれ」
シランはオクトが存命なのを知っているが、そう言うしかない。これ以上面倒ごとは御免だ。今日、エイプル革命軍が到着するのだ。盗賊が動き出すの計画だが、言う通り動かないのは目に見えている。そういう時に限って、厄介事は現れるのだ。
「お菓子の代金を頂きに参りました」
ナシュ商船の船員が街の人々に配っていた砂糖菓子のことだ。勿論無償のお近付きの印だと思っていた町民たちは驚いた。
「そんなの聞いてない」
「でも、食べましたよね」
ナシュの頭領に言われれば、町民は肯定するしかない。町民のツケは領主に回ってくるもので、シランは舌打ちした。
「わかりました。おいくらでしょうか」
「金貨千枚」
それは一介の領主には払いきれない量だった。シランは寝不足と怒りでパンクしそうだった。
「そんな法外な値段、払えるわけないだろう。いい加減にしたまえ。商船組合に訴えるぞ」
ナシュの頭領の目が、ぐらりと暗くなる。シランは彼の豹変に胃が底冷えした。
「貰うもの貰っておいて、払わない。そっちが悪党ではないか」
慣れない外国語を操るのが、余計に無機質さを感じさせた。教会に集まっていた男衆がシランを守るように立ち上がると、ナシュ商船の船員たちも負けじと頭領の傍による。
一触即発という時に、青年の声が響いた。
「船長。ジュンを捕らえました」
ナシュの頭領が声のした方を向けば、そこには縄を引く船員のスピカと、大人しく従うジュンがいた。彼女の灰色の瞳を見て、ナシュの頭領の血が沸騰する。
「でかした」
スピカはナシュの頭領の眼前に彼女を連れてくる。頭領はスピカにもノシメの町民にも目がくれず、ジュンの頬を大きな右手で掴んだ。
「船長、いま状況はどうなっているんですか」
スピカが小声で尋ねると、母国語で気のない返事をする。
「ああ。この街の奴らを奴隷として仕入れることにした。いま交渉中だ。なんなら奪って逃げる。そういや、あのガキも捕まえてきたのか」
スピカが言葉を詰まらせる。頭領がオクトを欲しがっていたことを、三人には話していなかった。オクトの事となると、ジュンが牙を向いてくる可能性がある。ナシュの頭領にはオクトから手を引いてもらうしかない。
「彼のことは、諦めて下さい」
すると突然、頭領の空いた片手がスピカの頬をうちつけた。ジュンはつられて手首を縄で引っ張られ、前のめりになる。
「スピカ。おいっ」
「俺の前で他の男の名前を言わないでくれ。悪い人だ」
その一連の流れをオクトは茂みから見ていた。自分が町に戻ってきた時、最初に歓迎してくれた男。彼がナシュ商船の頭領だと今初めて知った。殴られる友人と、捕らえられた囮役の憧憬の人。今にも茂みから飛び出してしまいたい。
オクトは堪えた。計画では、オクトは皆の前で証言することが先だ。ナシュ商船が離れてから、心苦しいがシランの悪事を暴かなければならない。
「本当にこんな事を望んでいたのかよ、シラン」
突然仲間に暴力を奮ったナシュ商船の頭領を怯えた目で見つめる彼に、盗賊たちを利用する狡猾さは見えなかった。
「お前、オクトか」
上から声がかかり、見上げると親方がいた。鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。当然だ、彼はオクトのお別れ会に真っ先に参列していたからだ。
「親方、どうも。少し静かにしていてもらっても」
「みんな、オクトだぞ!」
言い切る前に、親方の太い腕がオクトを持ち上げた。あまりに大きな声だったから、全員の視線が集まる。もちろん、恐ろしい奴隷商人の目にも留まった。
「親方、みんな、みんな待って、早いんだって」
「お前は簡単に死なないと思ってたぞ」
みなが思い思い口にしながら、オクトを日差しのあるところに連れてくる。ナシュ商船の頭領は、すぐさま船員に指示し、オクトを連行した。
「おい、なんのつもりだ」
親方が鬼のように声を張り上げる。
「こいつは担保。日が沈むまでに金貨千枚、わかったか」
予想外の展開にジュンは計画が早々に破綻したことを知る。それよりも、オクトの身が危ない。クシュ商船の頭領が、人質をそのまま約束通り返す筈がなかったのだ。
「スピカ。こいつは計画通り奴隷にする。焼印を入れるから、お前もこい」
聞いてないぞ、とジュンがスピカを見るが彼は殴られて沈んでいる。無理やり三人を船に乗せ、船は陸を離れた。どうやら沖で待機するらしい。港の方で町民たちが叫んでいる。
計画の立て直しを考えるよりも早く、ジュンはナシュ頭領に懇願した。
「あいつは見逃してくれ。代わりに私が奴隷になろう」
甲板の上で屈強な男たちにオクトは押さえつけられる。ジュンが話した異国の言葉が分からなかったが、スピカの反応を見て、尋常じゃない事を口走ったのだとわかる。ナシュはジュンの灰色の目を見つめた。
「お前を連れて帰るのは、島の王の勅命だ。わかるかい、ただの奴隷商人の俺が独断で傷をつけてみろ。俺の首がとぶ」
ナシュは取り合わないと言うよりも、ジュンの覚悟を値踏みしている風だった。その時、ジュンは彼の胸にある紐に通された指輪を発見した。
全身の血液が凍る。彼女は出来るだけ平静を整えてナシュの胸に手を当てた。
「連れて帰れ、とだけだろう」
ジュンはどうにかしてオクトの焼印を回避したかった。しかし、スピカが腫れた頬の痛みに耐えて叫ぶ。
「やめてください。こんな奴の奴隷なんて」
ナシュが部下に指示すると再び体を殴られる。オクトは彼女が何を言っているのか分からなかったが、ナシュのジュンを見る視線、彼女の肩に回した手の指の動きに嫌悪感をもった。
「甘い誘惑だな。いじらしい、俺の為を思っての発言だったらどんなに良かったか。こんなガキにそこまでの値打ちがあるのかね」
ナシュの視線が、今にも噛み付いてきそうなオクトと目が合う。彼は意地悪く笑い、三人を連れて船の底、竈のある熱の篭った一室に向かった。顔を厚い布で隠した船員が、興味深げに一行を見る。
「はあ、熱い」
あまりの熱気にオクトの気が朦朧とする。しかしジュンは静かに竈を見ていた。これから起こることを危惧するように。
ジュンは船員たちによって服を脱がされ、上体が裸のまま座らされた。両腕を固定され、彼女は黙っている。オクトは気が触れたように叫んだが、ナシュに腹を一発殴られた。
「黙って見てな」
オクトは鳩尾の痛みよりも、ジュンの体をなぞるナシュの指への怒りでどうにかなりそうだった。
「仲間を思う勇敢な君には、特別な焼印をプレゼントしよう。さて、何処がいいかな」
這い回る手を、ジュンはじっと耐える。泣きも喚きもせず、目を閉じてやり過ごした。
「この船の砲弾は山まで届くかな」
ふとジュンが脈絡のないことを言う。オクトはその言葉を聞き取れた。自分たちに話しかけてると感じる。すると、ナシュの片手が不機嫌そうにジュンの顎を持ち上げた。
「猿の言葉を使うな。俺の奴隷になるなら、みっちり調教してやらんと」
そして竈番の船員から焼印を入れる棒を渡される。赤く燃えている金属の先端を押し付ければ、奴隷の仲間入りということだ。ジュンはその先端が頬の近くを通っただけで、熱さと緊張で肺が震えた。
「はあ、はあ」
ナシュは優しくジュンの頭を撫でる。
「怖がるな。新しい一歩と思え。脇腹にいれてやる。ここが一番似合うよ」
ジュンは口に木の棒を噛ませられ、間髪入れず焼印が押し当てられた。数秒の慟哭と肉の焼ける音が竈部屋に響き渡る。
「頭領、もうよろしいのでは」
竈番がナシュに話しかけるが、彼は手を緩めない。
「ダメだ。こいつが気絶するまで」
スピカとオクトが暴れても、ナシュの元には程遠い。やがて唸り声が聞こえなくなり、焼印を外すとジュンは、ぐったりとナシュにもたれかかった。
「ジュン、ジュン」
オクトがみっともなく声を上げるのを、ナシュは苛立たしげに見やった。
「聞くに耐えん。俺のものを気安く呼ぶな」
右の脇腹に、円を中心に星の並ぶ焼印が刻まれている。そこからは白い湯気が蛇のように立ち上っていた。
ナシュはオクトのそばに居る部下に指示し、オクトを地面に座らせて腕をまくった。何が行われようとしているのか、スピカは大声で叫ぶ。
「話が違うじゃないか」
「おや、何がだい」
「ジュンはこいつの代わりに焼印を」
「俺は、このガキを奴隷にしないなんて、一言も言ってないぞ」
ペテン師は狡猾に笑う。スピカは唇を噛んだ。
その時、ジュンの足が傍にあった石を残った力で蹴る。ただの反射反応のようだったが、周囲は何気なくその動作に意識が持っていかれた。
これは合図だと気づいたのは、スピカとオクトだった。スピカは素早くしゃがんで船員の片足を持ち上げて体勢を崩す。オクトは慌てる後ろの船員の頭に頭突きをかました。スピカは今すぐにでもジュンの所に飛びかかりそうなオクトの後ろ首を掴んで、部屋を飛び出る。
「おいスピカ」
「指示を聞いたろ。砲弾だ」
スピカもジュンの声は聞こえていた。オクトは後ろ髪を引かれる思いでスピカの後に続く。狭い船の中、素早く的確に動かないと追い詰められてしまう。
山に撃てと言っていたのは、言葉通りに捉えていいのか。頭の中で思考が回る。スピカは意を決して甲板に出ようと言う時、オクトが彼の手を掴んだ。
「なあ。なんでジュンは焼印を入れられたんだ。あれ、どういう意味だ」
今聞くことか、と苛立って手を振り払う。
「意味なんて知るか。あいつはいたぶるのが好きなんだよ。無駄口を叩くな」
「信じていいんだな」
スピカは唾を飲み込んだ。オクトにはナシュが彼を奴隷にしようとしていたことは伝わっていない。スピカが彼を奴隷にしようと近づいたことも、こちらから話さなければ知ることの無い事実だ。しかし、ジュンが代わりに焼印を受けて違和感を覚えたのだろう。
オクトの不安げな顔を見て、スピカは自分の愚かさを嘆いた。
「あとで話す。俺を信じてくれ」
甲板には一人しかいなかった。残りは船の中に居るとでも言うのか、疑問だったが考える余地はない。呑気に海を見ている見張りに短剣を構えてスピカは近づく。彼の肩を叩き、振り向いたその喉元に刃先を近づけた。
「わっ」
「動くな。大人しくしろ」
「イオタ」
オクトの顔を見て、イオタと呼ばれた青年も驚いて彼の顔を見てる。イオタは信じられないと呟き、スピカの剣を押しのけてオクトの肩に触れた。
「お前、生きてたのか」
「イオタこそ、なんでここに。ここは奴隷船なんだぞ、何してるんだ」
揉める二人を横目に、スピカは甲板に空いてある穴に飛び込んだ。
「お前ら、話は後だ。砲弾を撃つぞ」
オクトは現実に戻され、スピカの後に続こうとする。
「悪い。今急いでるんだ。お前も早くここから出ろ」
オクトはイオタに言うと、穴に飛び込み大砲の並ぶ砲手室にきた。
「砲弾って、これか」
オクトがぼさっとしている間に、スピカは玉を大砲に詰め込む。
「ああそうだよ。田舎モンは初めて見たかい。これを山に撃てと、ジュンは俺たちに言った。意味はわからんが、やるしかない」
スピカがオクトに大砲の後ろに座れて指示する。
「お、俺か」
「早くしろ。俺はあの町のことはてんでわからん。人のいない所に照準を合わせろ」
そう言われて、簡単に出来るものか。だがやるしかない。オクトは大砲口から見える僅かな隙間から故郷を臨んだ。町は人がいる、山は、しかし中腹は教会や屋敷がある。上の方は人が来ないだろう、いや、もしかしたら珍しく山菜採りに行っている人がいるかも。なら町と山の狭間が狙い目だ。
「でもなあ、山に登り始めた人がいるかも」
「さっさとしろ。今しか狙い時はないんだ」
「わかってるよ。黙っててくれ」
二人が怒鳴り合いをし、イオタがそれを上から心配そうに覗いている。
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