騎士の登場

 誰もが状況を飲み込めず声が出ない。それをいいことに、女性は漁小屋にある大きな布を肌に纏ってむき出しの皮膚を隠した。自分の体を確認し、いい感じだろうとでも言いたそうに両手を広げる。

「何してんだ」

 イオタが堪らずに尋ねると、女性は軽い調子で答える。

「ファッションショーだよ。貴族の間では流行ってるんだ。まあ、ここ五年くらいは社交界に顔出してないけど」

 ほかの二人は山猫から人間に姿を変えた女性に見入っていた。灰色の短い髪と双眸、すらっと伸びた背中は二人の頭の中にしまっている思い出と合致していた。その姿を何度思い描いただろう。希望を託したことか。

「ジュン」

 オクトが彼女の名を呼ぶと、応えるように笑う。

「久しぶりだな。オクト」

 感動で胸が詰まったオクトは、思わずへたり込む。一方ウォルフは、信じられないと首を振るばかりだった。

「あの人は非人じゃなかった。これは現実じゃない。信じない、俺は信じないぞ」

「やあ、ウォルフ。元気か」

 ジュンが何気なく彼に手を振ると、ウォルフは震える手を強く握り締めて襲い掛かってきた。地面に振り下ろした切っ先は寸前で止まる。躱したジュンが彼の背後に覆いかぶさり、調理場の刃物を首筋に這わせていたからだった。

「はあ、偽物め。殺すんなら殺してみろ」

「話がかみ合わないな。ちゃんと言葉は通じているのか」

 ジュンは襲われた筈だがなんてことはない風だった。しかし、ウォルフが荒く息をする度に上下する首筋には、しっかりと刃先を添えて離さない。

「会いに来てくれたんだ。俺、ずっと待ってて」

 オクトが涙を浮かべながら感極まって近づいてくるのを、ジュンはぎょっとして見ていた。

「危ない。近づくな」

「もう会えないかと」

 焦るジュンの隙をついてウォルフは上体を起こし、そのまま獣のように四足歩行で走り去っていく。彼は犬の遠吠えを思わせる声を張り上げ、一味と共に引き上げていった。

 混沌が過ぎ去り、静けさの戻った町でイオタは深く息を吐く。

「助かったのか」

 ジュンは調理場に置いてあったライムを輪切りにすると、自分の口に突っ込む。まるで自分の家のように振舞うが、この状況に最もそぐわないのは彼女だった。

「気をつけろよ。不用意に近づくな」

「だって、俺、夢みたいで」

 おおよそ十二年ぶりの再会だった。だが、オクトに対してジュンの対応は味気ない。輪切りにしたライムをオクトの口に突っ込んで黙らせ、肩を叩く。

「現実だ、良かったな。じゃあ私は退散するよ。元気で」

 オクトの口から間抜けな声が出る。立ち去ろうとするジュンを呼び止めようとしたが、口の中に広がる苦味で顔がしわしわになった。

「うえっ、すっぱい。ま、待ってよ」

 伸ばした手を躱してジュンは手をひらひらと振る。そんな彼女の前に現れたのは、住民の人垣だった。

「待て。あんた盗賊の一味か」

 盗賊に散々な目にあわされた敵意と緊張感の合わさった視線が刺さる。ジュンはニヘラと笑って敵意がないこと、両手を上げて戦意がないことを示す。

「まさか。なあオクト彼らに説明してくれ。私は敵じゃないって」

「この女、布の下は素っ裸だよ。いやらしい」

「ちょっとおばあちゃん。捲らないでくれよ。どっちが嫌らしいんだか」

「うちの漁師見習いを泣かして、なにをしていた」

 オクトはライムの苦みで涙目になっていたのだが、彼に弁明する隙はなかった。

 人垣は誰かが吼えると答えるようにヤジを飛ばす。手には思い思いの道具を武器として構えていたので、下手に動くことができなかった。そんな人々を押しのけて現れたのは、足を引きずる親方だった。

「オクト、イオタ」

 よろめきながらも二人に歩み寄ろうとする親方の足が止まる。親方の瞳には、場違いなジュンが映っていた。見たこともない女性だったが、灰色の瞳を見ると動けなくなるほどの恐怖を感じた。

「ジュンは盗賊じゃない。黒判の騎士なんだ、ちょっとみんな聞いてるか」

 オクトが声を上げる。しかし、住民はぶつける怒りの矛先を、町の異端者であるジュンに向けていた。

 ジュンという名を聞いても皆反応がないのも当然だった。この町を興したランタナと、戦で命を拾った傭兵たちのほとんどは破傷風や流行り病で亡くなっている。今いる住民たちはイオタのように、ここで戦があったことや、ランタナ、クラズ、オクトのことなど興味がない移民ばかりだった。

 オクトがジュンに近寄るが、住民たちに連行されていくのにジュンは抵抗もない様子だった。むしろ、近寄るなと手を払う仕草をする始末。

 やがて日が傾き、怪我をしたものは教会で治療を受け、残った者で今後の話を酒盛りしながら話し合った。その様子を、漁でとれた魚を厨房で調理しながらオクトは盗み見ている。

「あいつらはまた来るぞ」

 話題の中心は盗賊への対処だった。町の男たちはみな何かしらの傷をこさえながら、食べ物を並べ輪になって頷く。

「盗賊の頭領、あいつは非人だ。俺は見た。耳が狼のようでな、手が熊手みたいにでかい。ありゃあ山犬の非人だ」

「逃げるときなんか前足を使って、馬より早かったそうじゃないか」

 話に尾ひれがつく様に、オクトは思わず冷笑が漏れる。

 非人は、世界中どこにでもある集団の中での異端者の呼び名だった。不思議な術を使うもの、研究をするもの、協力的ではないもの。だが元々は容姿が人間ではないものを指した。あのウォルフ・ライエは、その代表のような存在だ。

「あの女も非人の仲間に違いない。尋問官はあんたでいいな」 

 恐ろしい形相で爺さんがカリアを指す。彼女は今回の騒動で唯一の無傷だったが、隣町に応援をかけたので仕方ない結果だった。しかし優しい彼女は、そのことに引け目を感じているのだろう。

「は、はあ。司祭として尽力致します。ですが、確証はあるのでしょうか」

 若い彼女に年配の住民は畳みかけた。

「そんことわかりきってるだろうが。あいつはよそ者だ、商船のやつらが来てから変な奴が増えたと思った。インチキ占い師や、うさんくさい髪切り屋、そして裸の女」

 うさんくさい髪切り屋、オクトは思わず切り口を入れていた刃で手を切りそうになる。散々うまい汁を吸っておいて、その言い方はないだろう。しかし、集団の会合では大きな声を張り上げたものが主導権を持つ。オクトはうんざりだった。

「あんたも元は余所者だろう」

 思わず呟くと、あたりが静かになる。オクトは出来上がった魚の切り身を皿にのせて、会合の連中に配っていった。

「ほら、白身魚にライムのソースをかけたんだ。酒に合うよ」

 オクトが気を利かせて言っても、住民の目は冷たい。彼の頬が引きつった。

「随分な言い方だな。オクト」

 さっきの呟きが聞こえていたのだろう。地獄耳はこれだから嫌だ。

「ああ、さっきのは気にしないで。俺今日疲れてて、変なこと言っちゃった」

 年輩の男がオクトの運んできた刺身に手を伸ばし、頬張る。周囲があまりにも静かなものだからか、歯が魚と唾をかみ砕く音がやけに大きく聞こえた。

「お前がやれ」

「何を、ああ、今日はたくさん料理を作るよ。夜通し話し合いするんだろ」

 こっちは疲れてさっさと寝たいなんて、口が裂けても言えない状況だ。老人の目が光る。

「女を尋問しろ。全てを吐かなければ、皮膚でもなんでも切り刻め。喋れるように舌だけは残しておけよ」

 恐ろしい言い分にオクトは凍り付く。カリアも年配の彼の言葉には賛同しかねるのか、恐る恐る制止した。

「何もそこまで。彼女が何をしたって言うんですか」

「そもそも若い連中がしっかりしていれば、こんな事態にはならなかったんだ。ええ、若くして司祭になったからっていい気になるなよ。早くに両親が死んでお鉢が回ってきただけだろうが」

 オクトが好き勝手言う彼に掴みかかろうとしたが、太い腕が彼を引き剥がす。親方の太い腕だった。彼の腕も皮膚がはがれて血が固まっている。

「今はそんなことしている場合じゃない。行くぞ」

 オクトは親方に首根っこを掴まれて外に引きずり出された。漁師たちが体を休める漁小屋からは、住民たちの笑い声と炎の明かりが漏れている。オクトは無性に腹が立ったが、親方が静かな目で彼を見つめる。

「お前たちだって、ただ逃げ回ってただけじゃないか」

「落ち着け。俺たちは協力し合う関係なんだ。俺たちがいない間、彼らが町を守る。不作の時は、魚を提供する。人は一人では生きていけない。な、ランタナ殿も言ってた」

「もうとっくに死んだ」

 ランタナとクラズが屋敷を構え、残った敵である傭兵たちが十二年という歳月をかけて出来たのが、このノシメ港町だった。ゼロから作り上げ、漁もしたことがなかった彼らに漁を教えたのは、移民である先ほどの年配の男だったとオクトは記憶している。親方は彼に頭が上がらないのも重々承知していた。

 すべてが順調に見えるが、オクトの胸には常に穴が開いていた。死んだ身内に、華やかな栄光の道を進むジュン。帰還を待つばかりで、時間は恐ろしい速さで進みオクトはもう二十だ。シランに家を奪われ、オクトの昔を知る人間は片手で数えるほどもいない。

「ランタナ殿とクラズ様は、いつでも海からお前を見ている」

 暗い海を振り返るが、波が揺れるだけだった。

「すいません。親方」

「いいってことよ。辛い時はなんでも言え」

「なら、今からジュンの所に行って色々聞いてみます。親方も」

 オクトは修繕の手伝いやらで、ジュンとは別れたっきりになっていた。本心は早く彼女の元に馳せ参じたい、オクトは気持ちを切り替えてそういった。だが、親方の顔からはさっと生気がなくなっていく。

「悪い。厨房が空いちまったから、俺が入らないと」

「そんなの他の奴にやらせたらいいでしょう」

 親方は後ずさる。彼はオクトについて行く気がないのだろう。

「悪い。ジュンってやつには、会いたくない」

 いつでも勇気をもって船員を守ってきた彼の目には、はっきりと怯えが浮かんでいた。誇り高い海の男の彼も、出会ったときは雇われの兵士だったことを覚えている。

 かつて幼いオクトの前で、炎の中に散逸する弟の死骸を抱き上げた傭兵の男が、今の親方だ。命日には必ず弟の墓標に花を手向ける優しい彼に、ジュンとの再会はあまりにも酷だ。

「なら、俺だけで行きます。あの小うるさい爺さんに言っといて下さい」

 親方の顔にようやく笑みが浮かぶ。

「ああ。言っておくよ」

 オクトはジュンが幽閉されているであろう、町の倉庫の前にやってきた。その門の前には、教会で治療を真っ先に受けていたイオタが門番として突っ立っている。

「寝ておかないと傷に障るぞ」

 イオタは腫れて開かない右目をさすりながら、枯れた喉で答える。

「町がこんな目にあっているのに、じっと寝てられるかよ」

「本当は、あの爺さんに言われたんだろう」

 カリアをなじった、厭味ったらしい老人の顔が浮かぶ。イオタも同じものを思い描いたに違いない。

「若い奴が働かないでどうするんだってな。動けないなら見張りでもしてろ、女だから逃げ出そうとしても捕まえられるだろってな」

 あの老人なら言いかねない。イオタのぐちゃぐちゃになった鼻から、雫のように鼻水が垂れた。オクトは思わず吹き出してしまう。

「ふ、お前、鼻水」

 オクトに指さされ、イオタが袖で拭う。

「あのウォルフってやつ、今度会ったら覚悟しておけよ」

「やめとけ。なんたってエイプル革命軍の一人だったんだから」

 調子よく語るオクトに、イオタの視線に疑いの色がかかる。

「お前、あいつのこと知ってたみたいだな。この納屋にいる、ジュンってやつのことも」

 イオタは昔この地で戦があったことは知らない。また、この町にやってきた移民の多くはそのことなど知りもしない。皆生きるのに精いっぱいで、そんな歴史は語られもしなければ葬り去られる一途だ。

「えっと、まあ。一応彼らは有名というか。それよりも、よくあの二人の名前覚えてたな。お前ボロボロだったろ」

 無理やり話を逸らしたが、イオタは深く追求しなかった。

「まあな。名前があるんなら、誰だってその名で呼ばれたいもんだ」

「非人だってお前言ってたのに」

 イオタの眉間が深くなる。

「俺が馬鹿だったんだよ」

 あの時威勢の良かった姿はすっかり形を潜めている。しかし、ただしょげているだけじゃないのがイオタのタフな所だった。

「お前が出自を語りたがらないのは、シラン坊ちゃんのためか」

 核心を突かれ、オクトはぐうと喉を鳴らす。真実の追求のために、そのタイミングを見計らっていただけだったのだ。こんな狭い町で本音をさらせば、明日には町中に広まっているだろう。オクトは口ごもる。

「あの、それは、その」

「もともと住んでた家をシラン様とその母親に奪われておいて、よくへらへらしてられるもんだ。俺だってそれぐらいのことは知ってるぜ。お前は腑抜けだってな」

「なんだって」

 カッカするオクトを前に、イオタは陽気に笑う。

「悪い、悪い。言いたくないことの一つや二つ、みんなあるもんな」

 普段ならここで喧嘩が始まるのだが、どうも様子がおかしい。

「本当に調子が変だぞ」

 イオタの瞳は疲れがたまっているのか、はたまた秘密を隠しているのか暗い色を宿している。

「なんてことはない。お前ここに何しに来た」

 本来の目的を思い出し、オクトは納屋に向き直る。

「会合の結果、俺がジュンに尋問することになったんだ」

「大丈夫かよ」

 イオタは不安そうに彼を見る。

「知り合いなんだ。長年のね」

「頭が痛くなってきた。まあ、その親し気な呼び方は止めたほうがいい。また老人たちに変な噂を立てられたくなかったらな」

 イオタが納屋の錠を開け、オクトが中に入ると扉が閉じられる。陰気臭いにおいの染みついた一室には、上部の窓から注ぐ月明かりしか届いていない。その窓の下には、窓の格子であった残骸が落ちていた。

「なんだこれ」

 思わずその破片を手に取る。

 特に気にも留めず中央の柱に括りつけられたジュンの方を見る。そこには縄で括りつけけられたジュンと、その傍でもたついている女性がいた。まだ真新しい旅装束に身を包んだ、黒髪の女性だ。

「この縄硬いわあ。本当」

「後ろ後ろ、人がいるぞ。ハルシャ」

 ジュンにハルシャと呼ばれた女性が振り返ると、彼女とオクトの目線が合う。彼女はジュンを助け出しに来た仲間だろうか。本来なら争いが始まるはずが、オクトと彼女は面識があった。あのウォルフたちとの戦いで荷物を奪い返した人だ。

「やだ、貴方、今日助けてくれた子じゃない」

 オクトはハルシャの侵入者らしからぬ陽気な声に面食らう。ジュンは何も言わず、彼女のお陰で緩んできた縄を内側からいじっていた。

「あの、何してるんですか」

 ハルシャが言葉を詰まらせ、ジュンの方を振り向く。ジュンは何も言うなと首を振ったが、彼女の朱のひいた唇はわなわなと震えていた。

「ごめんなさい。知り合いが捕まったって聞いて、居ても立ってもいられなくて。私ハルシャ。旅の占い師なの。彼女、腕利きの用心棒でね。私彼女がいないと、また誰か探さないといけないわ。彼女ジュンって言うんだけど、捕まったのは何かの間違いよ。彼女ちょっと言葉足らずだけど、寂しがり屋で気の良いひとなの」

 一気にまくしたてられオクトは困惑した。だが、町の老人が言っていたインチキ占い師はきっと彼女のことだろう。しかし、ジュンがハルシュのお喋り具合に項垂れてるのを見る限り、彼女は嘘をついているようではなさそうだ。

「寂しがり屋なんですか」

 オクトが茶化して聞くと、ジュンは首を振る。

「まさか。君こそ、ここになんの用だ」

「そんな言い方ないでしょ。せっかく会いに来たのに」

 オクトはジュンの前に膝まずく。彼女が自身のもとを去ったのは、一二年前。自身が八歳の時で、彼女が二十だった。おかしいほどに彼女の見た目は変わらない。歳月を経て、より凛となった顔立ちに眩暈がした。

「なんだ。恨み節を言いに来たのか。殿下」

「意地悪だなあ。その、随分久しぶりだから、緊張して」

 ジュンは縛られながらも、乾いた笑みをこぼして余裕な態度だった。

「君は随分立派な男になったな。見違えたよ」

 懐かしい瞳を覗くと、働き詰めで心身が擦り切れそうなときに助けてくれたあの夜の思い出が、鮮明に脳裏に蘇る。オクトはたまらず目元を手で隠した。再会に涙を見せるのは、多少なりとも恥ずかしかった。

「あら、二人とも知り合いなの。ああ、ジュンがこの町で会いたいって言ってたのってこの子のこと」

 ハルシャ、とジュンが嗜めるが彼女は止まらない。

「どういうことですか」

 オクトが涙を拭い、彼女を見上げるとハルシャはかわいらしい笑顔を浮かべている。

「彼女ね、町中を探してたの。会いたい人がいるって。私たちは一緒に旅してる仲だけど、絶対会うから町から出ないってうるさくて」

 ジュンは鬱陶しそうに彼女の名を呼ぶが、ハルシャは面白いのか口元を隠して微笑むばかり。オクトもつられて笑みがこぼれた。

「ええ。ジュンそれ本当。最初あんなに素っ気なかったのに」

「彼女素直じゃないのよ」

 二人はジュンが何を言っても談笑を続ける。

「あー確かに。昔からそういうところあったかも。でも絶対に約束は守ってくれるやつだったな。そういえば、銀のペンダントのこと覚えててくれたんだね」

 二人で交わした約束だ。銀のペンダントを必ず返しに来るという。彼女が律儀に覚えていることに、オクト自身は嬉しかった。しかし、その質問を機にジュンは押し黙る。

「そんな高価なもの持ってたの」

 ハルシャが顔を覗くと、ジュンの顔は心なしかばつが悪そうだった。

「いや、それは」

「純銀だから重かったろ」

 オクトが尋ねると、ハルシャは飛び上がりそうな勢いで驚いた。

「ああ、だからあんなに探してたのね。そんな高価なもの、返さずにいたら海の女神様から怒りの鉄槌が来るわよ」

 ジュンの顔がさらに曇る。その様子にいち早く気づいたのはオクトだった。

「どうしたの」

「貴方、顔色悪いわよ」

 二人の善意の視線に晒される。意を決してジュンが口を開いた時、外から何かが倒れる音がした。三人が視線を移すと、扉の隙間から夜風が流れてくる。隙間から微かに見えたのは、男の腕だった。

 イオタだ。オクトは瞬時に立ち上がって近寄るのと同時に、ジュンが叫んだ。

「安易に近づくな! なにかおかしいぞっ」

 混乱し焦った青年の耳には届かない。扉を正面から開け、青い顔で瞼を閉じて昏倒するイオタの肩を揺らす。

「おいっ、傷口が開いたのか。しっかりしろ」

 イオタの目がかすかに開き、乾いた唇から声が漏れる。

「逃げろ」

 オクトの視界が暗闇に包まれる。背後から布を被せられ、そのまま地面に何度か頭を叩きつけられた。意識が泥に沈む中、ジュンの声が遠くで聞こえている。

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