騒動の中で

 オクトは遠のく幼馴染の背中を見送っても尚、考えずにはいられなかった。

 自分が行けば事態が収まる訳では無い。だが、一人だけ安全な場所にいることは出来なかった。そして街に辿りつく頃には、聡明な司祭の幼馴染の言葉が胸に深く突き刺さった。

 立ち上る煙。止まない騒音、悲鳴。

 街を襲来した男たちは嫌らしい笑みを浮かべながら、陽の当たる明るく平和な町を破壊しては楽しんでいる。馴染み深い町人達の顔はひきつり、悲鳴が溢れていた。

「どうして」

 オクトの口から出たのは罵声でもなく、純粋な疑問だった。何かしなければならないのに、何から手をつけていいか分からない。家を荒らす男、火をつけて回る男、腰を抜かして立てない住民。

「やめなさいよ」

 ふと女性の甲高い声が聞こえ、オクトは男に物を盗まれまいと引っ張り合いになっている女性に駆け寄った。男が業を煮やし銅剣を抜いたところを、オクトはすかさず殴って倒す。

「お、お怪我は」

 殴ったオクトの方が青い顔で震えながら女性の方を向く。住人では無い、垢抜けた化粧の人だった。

「ありがとう。貴方も早く逃げないと」

「いや、俺は戦わないと」

 言いながらもオクトの声は震えが止まらなかった。

「おーい、おーい」

 争いの最中で聞き覚えのある声がする。オクトは女性に逃げるよう促し、港の方に向かった。そこには、陸地を離れたナシュ商船に必死で手を振る青年がいた。

「君、髪切りの、スピカ」

 スピカが振り返ると、彼も驚いたようだった。

「あんたさっきの」

「ここで何してるんだ。もしかして、置いていかれたのか」

 ナシュ商船はさっさと海に避難したようだ。スピカは図星をつかれてぐうの音も出ない。

「乗り遅れたんだ。置いていかれた訳じゃない」

「どっちにしても間抜けだな」

 オクトの言い分は最もだったが、今言うことでは無いのは確かだ。スピカは怒りと恥で混乱している。

「こっちに仕事させといて銅貨一枚も払わないあんたに言われたかないね」

「怒るなよ。必ず今日払うつもりだったんだ。気に障ったなら謝るから」

「その銅貨も全部盗賊に盗られちまう所だろうが。商売あがったりだよ」

「いい加減にしろ。喧嘩してる場合か」

 混沌の最中で言い争う二人の元に、木箱を両脇に抱えた親方が現れて仲裁する。

「誰だあんた」

 スピカに親方がきつい視線を送ると、彼も唾を飲み込んで黙る。

「オクト、そいつと一緒に俺たちの積荷を守れ。いいか、あんな奴らに好き勝手させるな」

 親方は木箱をオクトに押しつける。

「親方はどうするんですか」

「こんな風にされて、ランタナさんに申し訳立たんだろうが」

 親方は腰に提げた古い銅剣を叩く。漁でも幾度も助けられたが、彼の背中がいつも以上に頼もしかった。

「お前何泣いてんだ」

 スピカの呆れ声も耳に入らない。オクトは乱暴に頬を拭った。

 盗賊たちは家の中から食料を漁っていたが、その数が次第にオクトたちの方に集まってきた。というのも、一際大きな男が足音を鳴らしながら向かってくるからだった。

「おいおい、あの趣味の悪い商船はさっさと逃げたのか。しまったなあ。こんな湿気た街襲ったってどうにもなんねえよ」

 体躯が親方の二回り以上、獣臭い皮の服を纏った大男だった。鉤鼻をひくつかせ、犬のように空気の匂いを嗅いでいる。一目見て、彼が盗賊団の首領とわかった。

「イオタ」

 オクトは思わず叫んだ。大男の手には、散々引き摺られてボロ布のようになった同僚がいたからだ。

「こうなりたくなかったら食料を寄越しな。あとは、そうだなあ。港町の女を食ってみるのもいいかもなあ」

 大きな口から鋭い犬歯を覗かせて下品に笑う。そしてイオタを親方の足元に放るが、親方はピクリとも動かなかった。

「お、親方」

 オクトが呼んでも反応がない。大男がのそのそと親方に近寄り、彼を見下ろす。

「耳が聞こえないのか」

「なんでここにいる」

 大男が眉間にシワを寄せる。親方は腹の底から湧き上がる不安を押しとどめながら尋ねた。

「なんで、か。嵐に合った時もお前は嵐にそう尋ねるのか」

 周りが囃し立てるが、親方は大真面目だった。

「お前はエイプル革命軍のウォルフ・ライエだろう」

 盗賊の一団が静まり返る。ウォルフと呼ばれた男は顎を撫でた。オクトは木箱の傍を離れ、対峙する二人に迫る。彼の、ウォルフと呼ばれた男の顔をよく見たかった。

「エイプルねえ。二度とその腐った男の名を口にするなよ。反吐が出る。お前は何者だ」

 背後で火薬か粉塵爆発が起こったのか、一軒の家が爆発する。

「俺は、ランタナ殿に命を救ってもらった者だ。この街はランタナ殿が一から作り上げた街なんだ。頼む、あの人の仲間だったならもうやめてくれ」

 ウォルフはせせら笑う。

「あんな男の仲間なもんか。俺の主人が世話になっただけの、ただの猿さ」

 ウォルフの腕が見かけによらぬ素早さで親方を薙ぎ払う。倒れたイオタが手を伸ばすが、漁小屋にぶつかって項垂れていた。

 銅剣を振りかざす暇もない。オクトは丸腰のまま、ウォルフと対峙する。暑い夏の筈が、底冷えするような恐怖に足が震えた。

「あんた、ジュンの仲間か」

 ウォルフは不愉快そうに唸った。

「馴れ馴れしく呼ぶなよ。お前もあの人の昔馴染み面するのか。温情はないぞ」

 ウォルフが一歩進めば、オクトは思わず足を下げてしまう。彼の腰につけた大きな斧が鎖と共に鳴れば、オクトの奥歯がガチガチと震えた。

「ち、違う。俺は」

「可愛いなあ。震えちゃって。だがお前は許してやらん。あの人の名を気安く呼んだ罰だ」

 ウォルフは足元に転がるイオタの手を踏みつける。イオタの悲鳴と共に骨の折れる音がした。

「止めろ」

 オクトが叫ぶと、余計にウォルフは喜んだ。

「おっと。気づかず踏んづけちゃった。避けとかないとな」

 ウォルフが太い幹のような足を払えば、イオタも漁小屋に突っ込んでいく。足の力が強かったのか、中まで転がっていった。オクトは堪らず彼の元へ走る。

「なんなんだあいつ」

 スピカは親方が置いていった木箱に身を隠すが、ウォルフの抜け目のない双眸は獲物を逃がしはしなかった。

「お前ら、俺はあのガキに灸をすえてやる。もう一人は商船の船員だ。人質にしろ」

 ウォルフが漁小屋にずかずかと足を踏み入れると、オクトが傷だらけのイオタの肩を背負っている所だった。出口はウォルフの後ろにしかない。彼は腰の斧を掴んで、刃先を床に滑らせる。

「お前だけでも逃げろ。オクト」

「そんなことできるか」

 イオタは息も絶え絶えだが、同僚の身を案じて語り掛ける。当然だが、オクトは彼を見捨てる気にはなれない。普段は喧嘩ばかりだが、ウォルフに勇敢にも立ち向かった男だ。

「オクト。ああ、あの人が気にかけていた子供か」

 ウォルフは毛皮のフードを外すと、耳の位置には毛深い獣の耳がついていた。オクトとイオタは驚いて見入ってしまう。

「わあ。なんだそれ」

 ウォルフはオクトの言葉に興味を持たなかった。そして似合わない笑顔を顔に張り付ける。

「懐かしいな。再会のハグでもしようじゃないか。ええ」

 ウォルフの軟化した態度にオクトは胸なでおろすが、ウォルフは傍にあった調理台に突然斧を叩きつけた。深々と刺さった刃に、二人は背筋が凍る。

「な、なんだ」

「お前なんぞと会ったところで、もうどうにもならない。あの人はいなくなった。薄情者どもめ、裏切ったことを後悔させてやるからな」

 ぶつぶつとこぼす言葉は聞き取れなかったが、気味の悪いその様にイオタは気が滅入った。

「気狂いの非人め」

「そんな汚い言葉はいけないなあ」

 イオタはウォルフの地獄耳に口を閉ざす。

 二人は絶体絶命の危機に瀕していたが、オクトはウォルフの言葉に居てもたってもいられなかった。

「ジュンは死んだんですか」

 沈黙が流れる。ウォルフは気がふれたように開いていた瞳が細められる。彼は調理台に突き刺していた斧を引き抜こうとするが、深く刺さっていたのかびくともしない。

「おい、早く。俺を置いていけ」

 イオタが急かすが、ジュンは胸に沸いた不安の正体を知りたくて仕方がなかった。

「やっぱり。だったら今の黒判騎士は」

「やっぱり、だと」

 ウォルフは足を斧の柄に置き、体重をかけると調理台が真っ二つになった。そして斧を手に持ち、何も言わず二人との距離を詰めていく。ウォルフに答える気はないようだった。

「オクト走れ。俺はいいから、俺は」

 イオタが叫ぶと同時に、ウォルフの巨体が二人に急激に迫る。その時二人の背後にある木窓を突き破って、灰色の毛並みが立ちはだかった。

 獣の咆哮が響き、鋭い爪がウォルフの纏った毛皮の上から前足を振り下ろす。

 二人を守るように立ちはだかったそれは、灰色の毛並みの大きな山猫だった。山では見たこともない艶やかな体毛が、窓からこぼれる夏の日差しに反射して煌めく。

 異様な状況を前にして、オクトの胸中にも奇想天外な直感が芽生える。

「ジュン」

 山猫が振り返る。毛並みと同じような灰色の双眸には、たくましさが宿っていた。すると、獣の毛並みが徐々に肌色に変わっていったのだ。猫の足は毛をなくした人の肌になり、目の前には傷だらけの女性が立っている。

 彼女こそが、オクトの待ち望んでいた騎士そのものだった。

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