十二年後の港町で
俺はあの日、月が薄赤色に照らされた日のことを克明に覚えている。もう二度と戻れない屋敷を臨みながら、漁猟の小屋で紙に文字を書いていた時。嫌な予感とともに、胸騒ぎがした。母やランタナが死んだ時と同じ、大切な誰かが死んだような喪失感が。
ペンとふやけた紙を握り締め、誰もいないことを確認しながら筆を走らせる。段々と興が乗ってくると、口寂しくなったのか歌を口ずさんだ。
「〽黒い判事がやってきた 剣を片手に道をゆき
骸の影を落としては ゆくよゆくよ何処までも
そうらそうら 凱旋だ 王の首を盗りにゆけ」
町の子供が歌っていた、恐ろしい内容と童謡に似たメロディ。六年の歳月をかけて、前権力者を倒した革命軍団を讃えた歌だ。大人が聞けば顔をしかめるが、俺はこの歌が好きだった。まるで自分まで誇らしくなる、ある騎士を称賛する歌。
「おいぼさっとしてんなよ。たこ墨野郎」
霧が充満する船の上で声をかけてきたのは、イオタだ。日に焼けた筋肉も、霧の中では薄ぼんやりとしている。
「その呼び方やめろ。それに船は問題ない」
甲板で佇む青年は言いかけて、イオタは彼の手からペンと紙を奪った。
「くだらない事に集中してるのが問題ないだと。海の上までこんな上等なもん持ってきて遊んでんじゃねえ」
「返せ。茶化すな」
奪い返すと、イオタは眉間に皺を寄せてオクトの肩を強く叩いた。
「俺はふざけてなんかないね。見張りを怠ると、休んでいる俺たちの命が危ないんだ。オクト、お前は何処か他人事だなあ。俺たちが難破して死んでもいいってか。なあ、オクト」
海は静かだ。何か事件が起きる気配は今のところない。しかし、彼の言い分は正しかった。
漁猟に出て一ヶ月ほど、帰る途中に霧に包まれ身動き出来ず一日が過ぎた。もし何かあれば、交代で甲板に出ている見張りが報告しなければならない。
「悪かったよ」
「は、どうだか。お前は本気で仕事に取り組んでる風でもなし。さっさと辞めてもらって、お堅い陸の職にでもつけばいいんじゃないか」
「拾ってくれた親方に恩返ししたいんだよ。突っかかってくるな」
「苛立ってるのはお前だ。愛しの騎士様がお前のいない間に戻ってくるかどうか、ひやひやしてんだろう」
堪忍袋の緒が切れたのか、オクトはイオタに掴みかかる。彼は待ってましたとばかりに喧嘩を始め、あまりの騒がしさに甲板に親方が出てきた。
「甲板の見張りがそんなに難しいか、ええ、お二人さん」
イオタやオクトよりも大きな男の登場に、二人は姿勢を正す。
「親方、すいません」
「俺はこいつを教育し直してた所なんですよ。親方」
「船では船長と呼べ。歯を食いしばれよ」
二人の雇い主兼船長である男に、鉄拳制裁をくわえる。二人は仲良く頭を抑えてしゃがみ込んだ。
「せ、船長。俺は本当に悪くないんです。オクトがまた紙で遊んでてよ」
親方に睨まれ、オクトは紙とペンを隠せず苦笑いした。その様子に親方はため息をつく。
「オクト。見張り中は私語を慎み、業務に集中しろ」
項垂れるオクトを見てイオタは愉快だと笑う。
「そんな調子じゃ愛しの黒判様が会いに来てくれないぜ」
すると親方の首がイオタの方をきっと向き、恐ろしい形相で睨む。固まるイオタを他所に、親方はオクトに離れるよう促す。
親方は固まる部下の肩に手を起き、静かに告げた。
「二度とその名を口にするな」
「え、あ」
イオタ青年の屈強な体が怯える様は、見ていて哀れな気持ちを起こさせた。
「お前はあいつの目を見たことがあるか」イオタは首を横に振る。「俺は見た。ランタナ殿が制止しなければ、俺はあいつの手で地獄に堕とされていた。あいつの目には、死が宿っていた」
言いながら、親方の筋骨隆々な腕には鳥肌が広がっていく。霧の寒さではない。
オクトはそんな二人を横目に、白い海を臨む。はるか昔に結んだ約束を胸に、この霧と自分の人生を重ね合わせた。先が見えない。
ふと、前触れもなく霧が消えていく。そこには空と海の色彩、そして愛しの港町があった。
「なんだ、近くだったのか」
霧を抜けた安堵で胸がいっぱいになり、苛立ちも何処吹く風だ。
帆を進めれば、港が近づく。そうすると、段々と違和感に船員はざわめきはじめた。
「おい、なんだあの船」
港には見たことも無い巨大で豪奢な船が停まっている。船員みなの胸中の不安は的中し、船の帰還を知らせる鐘を自分たちで鳴らす羽目になった。
「誰も迎えにも来ないのか。おい、船が戻ってきたぞ」
人混みはやがてまばらに船の周囲に現れ、やがて中から高貴な服を纏った人物が息を切らして現れる。
「オクト。お帰りなさい」
船の停泊の準備をしていたオクトが振り返る。周囲が冷やかして口笛を吹くと二人は視線を外した。
「お前たちいい加減にせんか。カリア司祭、これは一体どういうことですか」
親方の威圧にも圧倒されず、金髪をたなびかせるカリアは静かに語り出す。
島国の最南部に位置するこのノシメ港町に、一ヶ月前から大きな商船が訪れたのだ。彼らは遠い別の島からやってきて今もこうしてこの街にのさばっている。問題は普段は漁船の帰りを町中で祝うのだが、どうも町人の関心はその商船に注がれているということだった。
「俺たちは遠い海で漁を終わらせて、やっとこさ帰ってきたんだぞ。迎えもなしか」
船員の中には家族がいる者もおり、見受けられるのはそれだけだった。独り身の者は寂しく佇むのみ。
船員たちの怒りを、ノシメ港町の司祭カリアは頷いて受け止める。
「皆様のお怒りはご尤もです。この商船が訪れてから、街は賑わい、珍しいものに溢れ、皆じつに楽しそうに毎日過ごしています」
「いい事づくめじゃないか。あんたも満更じゃないのか」
「そんなことありません。皆さん、うつつを抜かしているといった風で」
オクトは早々に揉め事から関心をなくし、傍に停めてある商船に近寄った。豪奢な、とても一生かけて稼げないだろう金の装飾が施されている。
「すごいな。一体どこの誰の船だ」
船に触れようとした時、大きな手に掴まれる。それは日に焼けた、繊細な布に身を包んだ男の手だった。自分よりもふた回りも大きなその手をじっと見てしまい、追ってその人物を見やる。柔和な笑顔を浮かべた、禿げ頭が特徴的な男だった。
「驚かせました」
男は見かけによらないたどたどしい言葉で話しかけ、そして小さな袋から丸い色のついた砂糖の塊をオクトの掌に乗せた。
「あ、あの」
「お近付きの印です。遠い海から、帰ってきた。疲れてるでしょう」
カリア司祭の次に労われるのが、初対面の商船の男とは思いも寄らなかった。オクトは微笑み菓子を口に含むと、甘みが舌に広がり脳を溶かす。
「美味しいです。うん、いいお味」
「海の旅は大変ですからね。良く戻ってこられました」
甘味と共に男の言葉が身に染み入る。ふと、彼の首にかけられている紐に視線がゆく。簡素な銀の指輪が通されており、たくましい胸筋の前で輝いていたそれに、オクトは何故か見覚えがあった。
「この指輪を知っておいでで?」
男は柔和な顔つきのままだが、内心は穏やかではなかった。一方オクトは何も知らず首を傾げる。
「どっかで見た気がするんだけど、思い出せない」
男は指輪を掴み、オクトの視線まで持ち上げる。指の内側には丁寧な掘り込みがあり、植物の蔦と星の装飾が施されている。
「この指輪は通り掛けの島で、ある男から金貨十枚で購入したものです」
「金貨十枚だって!」
オクトは思わず驚嘆する。金貨十枚は、オクトのような漁師が一生かけて稼げるかどうかわからない額だ。異国の男は自慢げに指輪を眺める。
すると二人の様子を伺っていた船員が自分にも菓子が欲しいとせがみ出す。そんな有様に親方は怒り心頭だった。
「だああっ。お前らなにやってる。恥ずかしくないのか。大の男が菓子欲しさに手を出しやがって」
「でも親方。めっちゃ美味しいですよこれ」
親方の制止も聞かず、菓子を貪る船員とニコニコ笑顔で配る異国の男。親方は男から菓子袋を奪い、自身の口の中にすべて収めて突き返した。全部飲み込み、男を睨む。
「そんなに美味かねえな。やいお客人。男衆がいない間ノシメ港町にのさばっていたようだな。お前のボスを呼べ。俺が来たからにはでかい面させんぞ」
「じゃあ食べなきゃいいじゃないですか。お菓子」
無駄口を叩く船員を親方はきっと睨む。一方で船の男は柔和な顔を少しも崩さず、微笑んだ。
「船の中で少々お待ちください。さあ、ナシュ商船にどうぞ」
男は近くにいたナシュ船の船員に合図を送り、親方を豪奢な船へと案内する。そして彼を船内に案内し終えると、異国の男の目つきがガラリと変わった。すると男は、船の傍の影に潜み控えている青年に声をかけた。青年が闇の中で身構える。
「どうされましたか」
「おい、あの若い男が見えるか」
先ほどの外国語とは異なる、慣れた母国語で荒々しく男は青年に語りかける。男が示したのは、オクトだった。呑気に口の中の甘味の名残に浸っている。
「先ほど船で来訪した彼ですか」
「ああ。あいつは金になる。俺が調教していい奴隷にしてやろう。なぜかわかるか」
影に潜む青年は、話したこともない異国の彼を不憫に感じた。商船を騙った奴隷船の頭領に目をつけられるなんて。
「いえ、私にはどの猿も同じに見えます」
ナシュ商船で現れた彼らは、ノシメ港町の人間を猿と独特の呼び方をした。勿論表向きでは絶対にしない。
「教えてやろう。あそこの船の奴らはみな特権階級ではない。平民だ。だが、あの男の所作は誰かに教えられて身につけたものだろう。恐らく元貴族だ。お前のようにな」
男は跪く青年の肩を足で押さえつけ、土をこすりつける。青年は何も言わなかった。
「では、逃亡者ジュンを捕らえてから、奴隷候補を船に積み込みますか」
微動だにしない青年に興味が失せたのか、男は足元の砂を青年の顔にひっかけた。
「そうだな。まずしなければならないのは、ジュンを見つけること。だがお前に単独行動させるのはやはり不安だ。恥知らずの父親の様に、奴隷に憐憫をもってしまうんじゃないかとヒヤヒヤするぞ」
青年は顔を上げない。
「そのようなことは決して致しません。私は母国の平穏の為、永遠に服従を誓いましたので」
男は白々しいとばかりに鼻で笑って去っていく。青年は服に付着した土を払って、ゆっくりとオクトに近づいていった。
一方オクトは、もう少し菓子が欲しかったなと思いつつ、魚の荷を運んでひと仕事終えようとしていた。
「親方、商船の人を怒らせてたりしないかなあ。あの人は口よりも先に手が出るタイプだから」
オクトの心配を他所に、年配の船員は笑う。
「あいつは肝っ玉が座ってるぜ。酒呑んだ時に聞いたんだがよ、なんと元傭兵で、あのランタナ殿と剣を混じえたって言うじゃないか」
「へえ。そうなんだ。知らなかった」
オクトは知らないフリをする。
「だろ。ビックリしてよ、俺は。親方に色々聞こうとしたんだが、どうもはぐらかしやがる。俺はノシメに来て日が浅いから分からんが、オクトはなんか知ってるか」
「ああ、えっと」
言い淀むオクトに、イオタは通りざまに怒声を浴びせる。
「無駄口叩いてると親方に言いつけるぜ」
「おお怖い」
年配の船員はさっさと荷運びに精を出す。オクトはイオタの怒声のお陰で余計なこと言わずに済み、ほっと肩をなでおろした。
荷運びが終わり、漁船組は午後すべてが休憩になった。オクトもその内の一人だった。寝むりこける者や街の変わりように浮かれる者も居る中、オクトは迷わず小高い山の方に向かう。緑に囲まれた林の中に、巨大な白い屋敷があった。
「旦那様、お疲れ様です」
集中していたオクトは呼び止められ、足に急ブレーキがかかる。
「え、俺」
呼び止めたのは、うねる長髪を後ろでまとめた好青年だった。笑うと目尻がくいと上がって愛嬌がある。
「長い船旅お疲れ様です。どうでしょうか、髭を整えていきませんか」
オクトは自身の顎に手を当てると、確かに手入れをしておいた方がいい伸び具合だった。しかし、青年の服装を見るにこの街の人間ではない。恐らく商船の一派だろう。
「ああ、いいよ。また次の機会に」
避けようとするオクトの進路を華麗に塞ぐが、青年の笑顔を見ると嫌な気が不思議と起きなかった。
「そうだ、料金は半分にしておきます。どうか髭だけでなく髪も手入れさせてください。今日が特別な日になるように」
オクトの視線がふと山の屋敷に移る。特別な日、もし今日ジュンが帰ってくるとしたら。そんな期待に火がつく。
「じゃあ、やってもらおうかな」
青年は笑顔で頷いて、道の端に寄って準備を進めた。椅子に腰掛け、青年は手製のクリームをオクトの頬に塗り始める。
「旦那様は肌が滑らかですね。魚を食べてらっしゃるからですか」
「お世辞が上手いね。それに喋る言葉も流暢だ。君はあの大きな船からやってきたんだろう」
「流石。旦那様の慧眼には恐れ入ります」
オクトは慣れない褒め殺しに、つい口元がニヤついてしまう。
「褒めても何も出ないよ。いや本当に君の言葉は聞きやすいし、腕もいい。うっかり寝ちゃいそうだ」
理髪師の青年の目がぎらりと光る。手に持った剃刀が髭を整え、そして白い首筋に到達しようとする。
「寝ていただいても結構。すぐ終わりますから」
「教えてくれた先生がいい人だったんだろうね」
青年の手がぴくりと止まる。オクトの静脈を這う寸前だった剃刀は、再び顎に移った。
「時に、これからどちらへ」
「あの山の中にある屋敷にね。用があるんだ」
青年は顔を上げ、その厳かな建物をちらと見る。
「シラン、領主でしたか。あの方の屋敷にですか」
「そうそう。あれね、俺の従兄弟が住んでるんだよ。もう絶縁されちゃったけど」
青年は今剃り終わった後で良かったと安堵する。もし作業中であれば、驚いて手元が狂い確実にオクトの皮膚を裂いていた。
ナシュ商船に攫う予定の奴隷をうっかり殺したとなったら、自分が殺されてしまう。
「あの、それってどういう」
オクトは整えられた髭を撫でつけて満足そうに笑う。
「喧嘩したんだよ。俺って口喧嘩弱いから、追い出されちゃって。まあ昔の話だから、知ってる人なんて二人ぐらいさ」
「ええ、でも、そうなると。貴方は領主と血縁関係があるのではないですか」
「あるけど、喧嘩しちゃったし。もうだいぶ昔のことだよ」
オクトが元貴族だろうというナシュ船の頭領の狙いは当たっていたのだ。しかし、本人があまりにも楽観的なので青年は混乱した。
悠々自適に屋敷で暮らす従兄弟に追い出されて、自分は漁船に乗っているなんて。あまりの転落ぶりだろう。その事を知る者も数える程ならば、孤独の辛苦に身を焦がしている筈だ。
なのに、何故そんなにもあっけらかんとしている?
「はあ。なぜそれを俺に」
オクトは申し訳なさそうに笑う。
「実は今金がないから。その話を担保に、ちょっと支払い待ってて欲しいんだよ。俺オクト。君は」
「スピカ」
思わず突拍子もない話に面食らい、理髪師の青年スピカは答えてしまう。
「おっけい。スピカ、君は本当にいい腕してるね。今日中には払いに来るから、じゃあ」
元気よく去っていくオクトの背は、段々と山の中に消えていった。スピカは腰につけた皮のホルダーに道具をしまう。
遠くなり街の人混みを抜けて、迷いなく去っていった背中の影をスピカは呆然と見送った。彼ともう少し話したい、そんな叶う筈もない願いがスピカの胸にあった。
「なんなんだあいつ」
そんな迷いを振り払うように頭をふる。この港町はナシュ商船が寄港してから一週間、まだ穏やかだが頭領の罠にはまればけつのけまでむしり取られ、無惨な状態になる筈だ。住民に余計な情は不要だろう。自分だけで手一杯なのに、人の心配までしていられない。
「よお。髪切り屋、頼むわ」
気が抜けていたスピカは、はっと顔を上げる。目の前には顎髭に似合わぬ猫目の中年男がいた。スピカは慌てて椅子に座るよう促す。
「どうぞ。お座り下さい」
客は自分に背を向けて座る。そうしないと髪が切りにくいからだ。しかし、その男はスピカの正面を向いて座るので、顔が目と鼻の先にある。
「髪切り屋よ、ちょっといいか」
「あの、髪切れないんですけど」
ニヤけた口元は緊張感がないが、瞳は笑っていなかった。背筋を寒気が走る。
「髪はいい。さっきの若い男のことでちょっくら話があるんだ」
スピカは背中に忍ばせた短刀に触れようとしたが、あまりにも間合いが近すぎるので下手に動かず笑って誤魔化す。
「〽黒い判事がやってきた 剣を片手に道をゆき
灰の瞳が覗き込む お前はお前は地獄ゆき
さあてさあて どうするか 死が二人を分かつまで」
ふとスピカが後ろを見れば、町の子供たちが物騒な歌詞を歌っていた。中年男もその子供たちをじっと見つめていると、親方と呼ばれていた男が怒鳴って子供が散り散りになっていく。
「そんな歌を歌うな」
ナシュ商船から戻ってきたのか、親方の口の周りに少し食べかすがついていた。船でもてなしを受けたのだろう。
中年男の注意がそれている間に逃げようとしたが、それを察知して中年男の足が遮るように伸びる。スピカは苦笑いして再び腰を下ろした。
変なやつにちょっかいをかけてしまったと、内心後悔したがもう遅い。中年男は笑みを絶やさず、スピカという獲物に照準を定めていた。
「心配するな、すぐ終わる。あんたが素直に従ってくれりゃあ」
「俺はこの街に来て少ししか経ってない。勘弁してくれ。なにも話すことはない」
「さっきのガキはオクト、だな」
確信を持った言い方だ。嘯いた所ですぐばれる。スピカは素直に頷いた。
「そ、そう聞いた」
「やはりな。あいつは他に何か言ってなかったか。随分親しそうに話してただろ。なんでもいい。境遇や、そうだ、手紙のこととか」
話が全く見えず首をかしげる。その様子に中年男は察したのだろう。聞く相手を間違えた、そんな表情に緊迫した空気が緩む。
「手紙、ですか」
てんで中年男が何を言っているのかわからない。スピカの不安そうな表情を見て、段々と中年男も自身が的外れな相手に声をかけてしまったことを悟る。
「いや、しまった。この町に来たばっかりというのは本当だったか。いやはや、なれないことはするもんじゃねえな。すまない」
先ほどとは打って変わった人懐っこい顔に、スピカも気が抜けてしまう。
「あの、もういいでしょうか」
「本当に悪かったよ。仲良さげにはなしてたから、ついつい」
中年男がなぜオクト青年の事情を知りたがるのか、スピカには興味がない。中年男のはぐらかすその仕草からは、どうしてもうさん臭さが抜けなかった。
「他のお客様が来られますので、席を空けて頂いて宜しいですか」
「ああ、すぐどくよ。でもさっさとこの町からは消えたほうがいい」
「はあ」
「腹ペコの荒くれ共がやってくる。町から早々に出ろ。若いやつが死ぬのは見たかねえな」
中年男は悪戯っぽく笑い、馬の尾のような僅かな送毛を揺らして去って行った。
スピカはオクト然り中年男然り、水を差されたようで一気に体に疲れがたまってしまった。しばらく何も考えられない。しかし客はやってくるので、スピカは断れず着席を促す。その時には中年男の忠告など頭からすっかりと消えていた。
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