偽りの道をゆけ

じゅげむ

プロローグ

 木窓の隙間から遠くで燃える赤い炎と、踊る黒い影を見る。言いしれない匂いが鼻腔をくすぐった。

「もう心配ないわ、オクト。悪い人はジュンが倒してくれた」

母が木窓を閉じようとした時、オクト少年の小さい体が隙間を縫って外へ飛び出す。

母の静止を振り切り、乾いた土を蹴る。夜を照らす炎の傍に行けば、熱さで目眩がした。

「なんでこんな所に子供がいるんだ」

炎の傍で蹲り、項垂れる男の目はやつれ疲弊していた。そんな連中が数えるだけで十人程。皆口々に魘されたように呟いている。

「なにがあった。俺たちの雇い主は逃げたのか」

「もうこれだけしか残ってないのか」

「死にたくない」

 泥で汚れた男たちの中から、こちらを凝視する青年の姿があった。蹲りうわ言を呟いてはいるが、目だけは爛々と辺りを見回している。

「俺の弟、俺の弟は何処に」

炎に照らされた顔の影があまりにも恐ろしく、オクトは目線を足元に戻す。すると炎の根源に潜む目に気づいた。

「なあに」

オクトは不思議に思って炎を覗き込む。燃えているのは人間の死体だった。すると突然背後からあの青年が亡霊のように炎の中に手を伸ばして、その燃えた肉片を掴みとる。

「そんなところにいたのか」

恐怖に体が揺らめき尻もちをつく。すると、正面の黒い大きな影がこちらを振り向いた。その影の手には大きな斧、そして鋭い瞳がオクトの体を射抜く。

 息が止まること数秒。

「大きくなられましたな。殿下、こんな所でなにをされているんですか。母君は」

急に背後から体を宙高く持ち上げられ、オクトはその胴を持つ手に安心してしまう。

「ランタナ、僕達勝ったの」

目の前にいる黒い大きな兵士の影が嘲笑う。それをランタナと呼ばれた壮年の男は睨みつけた。

「まったく。ジュンの手前何も言わんが。ああ、我らが勝利を納めました」

「ジュンはどこにいるの」

オクトが無邪気に尋ねる。すると、闇の中で縮こまる敗残兵達が悲鳴を上げた。大きな兵士が苛立ちの声を上げる。

「うるせえ。誰だ、宴の席に捕虜を転がしておいたのは。用済みだ、さっさと全員殺してしまえ」

「私だ。仲間との別れぐらいさせてやろう」

その声に悲鳴が水を打ったように静まる。闇の中から現れたのは、頭の先から爪先まで装甲に身を包んだ戦士。唯一見える目は獣のように爛々と、しかし静かに燃えている。

「ジュン、此度の働きは素晴らしかった。ほら、酒を飲め。お前が主役だ」

ランタナがオクトを持ち上げ、ニコリと笑った。ジュンの名に味方は喜色を浮かべるが、敵の顔色は益々色をなくしていく。

「ジュンの戦い、遠くからずっと見てたよ」

オクトが手を伸ばすと、ジュンが受け取って抱き抱えてくれる。装甲が硬かったが、オクトはそれどころではなかった。

「危ないですよ。もし矢が貴方に当たりでもしたら、私は一生自分を責めます」

兵士に告げた声とは正反対の優しいジュンの声に、オクトは胸を撫で下ろす。

「母様が危ないからって、途中からずっと家にいたんだもん。当たりっこないよ」

ぬっと大きな兵士が前触れもなく顔を近づけてくる。彼の鼻が器用にひくひく動いた。オクトは不思議そうに彼を見る。

「食べてくれるなよ。私たちの守ったものだ。味方に食われたら敵わん」

「まさか、こんなちっぽけな子供。こんな子供をどうしてこいつらは欲しがったんですか」

ランタナが眉間に皺を寄せて男からオクトを払う。

「しっ。お前のような野犬には分からんわ」

「なんだと老いぼれ猿」

争いが始まりそうな雰囲気にオクトは怯えた。ジュンの手が優しく彼の背中をさする。

「喧嘩は止めてくれ。御前だぞ。なあオクト。ランタナ殿とウォルフの言い争いなど見たくはないな」

ウォルフと呼ばれた大男の兵士は、オクトの大きな澄んだ瞳に見上げられたじろいだ。そしてふっと鼻を小さな手で触られ、ウォルフが後ずさる。

「こいつ、鼻を」

「ありがとう」

幼いオクトの花の咲くような可憐な笑顔に、ウォルフを除いて二人は肩の力が抜けた。

ランタナは胸に手を当てて感慨深げだ。

「そのお年で兵士を労うなんて、実に立派です。ああ、惜しい。なぜ我らがこの様な僻地に落ち延びたのか。故郷を遠くから臨むしかない人生など。貴方が成年すれば、きっと良い王になる筈なのに」

「また始まった」

ウォルフがため息をつく。ジュンが彼に戻るよう指示し、ランタナの前で胸を叩く。

「ランタナ殿。だから私たちがこれから進軍するのです。仇討ちは必ず達成するでしょう」

ランタナの毛むくじゃらの豪気な顔が、ふと寂しそうにジュンを見た。

「いつ出るんだ」

「明日の朝には」

オクトは急なことに驚いてジュンの顔を見た。それはランタナも同じだったが、引き止める真似はしなかった。ただ、ポツリと。

「庭が広いと寂しくなる。君の弟も連れ立って出ていくのか」

「当然です」

「そうか」

ランタナがオクトの母がいるであろう屋敷を振り返る。

「時に、捕虜はどうします」ジュンはオクトの耳を塞いで尋ねた。「彼らの部隊長はもう戻っては来ません。全員焼きますか、それとも奴らの教義に則って埋めますか」

ジュンの囁き声に捕虜は過敏に反応する。自らの命を危機に晒され、脅えていた。ランタナはそれを感じ取り、首を振る。

「よい。戦で拾った命だ。彼らの好きにさせよう。寄せ集めの傭兵集団だ。何も出来まい」

ジュンが険しい顔で抗議しようとした時、ランタナの背後から近づく影を見つけ、声を上げた。

「クラズ様、この様な所に来てはいけません」

その名にオクトは気まずそうに顔を背けた。母のクラズは息を切らして駆け寄ってくる。

「はあ、オクト。急に出てきちゃダメでしょ。ごめんねジュン」

ジュンがオクトを手渡そうとするが、オクトは離れようとせずジュンの足元に縋りついた。

「やだ。オクトといる」

「まあ。赤ちゃんね」

クラズが口に美しい手を当てておどける。

「赤ちゃんでもいいもん。ジュンから離れない」

ジュンが困った顔でクラズの顔を伺うと、彼女は可憐にウインクをした。

「すっかり懐かれちゃったわね。名付け親らしく」

「やめて下さい。私なんかがおこがましい」

「変な喋り方。それに声も低くしてる。貴方それ似合ってないわよ」

クラズが笑うと、ランタナは恭しく胸に手を当てて語りかけてきた。

「ジュンは我々の代わりにこれから長い戦に出るのです。クラズ様、その為に必要な事だと、どうかご容赦下さい」

柔らかい彼女の頬から、スっと笑顔が消える。

「そう。戦が職業ですものね。ずっとここにいて、続いていくものだとばかり」

クラズは美しい黒髪を耳にかけ、オクトのおでこにキスをして去っていった。

「お前と過ごした日々、得難いものだった」

ランタナはジュンの肩を叩いて宴に戻る。残されたジュンとオクトは互いを見合った。

「どうされますか殿下。いつもの原っぱで星でも見ますか」

オクトがムッとする。

「僕もジュンのその喋り方好きじゃないな」

ジュンは笑いながら賑やかな喧騒から離れた。その時オクトは自分たちを物陰から覗く目に気づく。しかし、その目には敵意ではなく奇妙な憧れを感じた。ジュンは何も知らず原っぱに腰を据える。

星が無数に輝く夜空の下、微かに鼻腔を擽るのは燃える死体の香り。しかし、その空間には虫の音と草花の湿った香りでかき消してくれた。つい先程終着した、戦の死臭をすべて。

「これから長い旅に出る。心細いこともきっとたくさんある。そんな私に、紋章をくれないか」

オクトはキョトンとした顔をしたが、ジュンの目は全てを見透かしていた。

「それがあると、頑張れるの」

「もちろん」

オクトは懐にしまった純銀のペンダントを渡した。ジュンは彼を抱えた時、いつもと重さが違うことに気づいてたのだ。

「これをギュッと握るとね、安心するんだ。だから、ジュンも大事にしててね」

「ああ。嬉しいよ」

ジュンの目は闇の中でギラリと光っていた。

「母様には言っちゃダメだよ。ランタナにもだよ」

「当然だ。二人だけの約束」

ジュンは銀のペンダントを受け取り、懐にしまう。オクトは嫌な気配を感じた。

「必ず返しに来てね」

ジュンはぎょっとする。大人しい素直なオクト少年にしては、釘を刺すような鋭さがあったからだ。

「分からない。とても長い戦になる。政治も荒れるだろうし、帰ってくるのがいつになるやら」

「長くてもいいよ。ずっと待ってるから。信じてる」

ジュンの言い訳を遮るように、オクトの小さな手が差し出される。ジュンは戸惑ったが、結局根負けしてその手を握り返した。

「世界が終わっちゃうまで。待ってるよ、僕の騎士」

 悪戯っぽく笑う。幼い彼の笑みはジュンには眩しかった。夜の闇で向けられるには、自分に向けられるにはあまりにも眩しすぎる。

「なんでそんなに待ってくれるんだい」

「帰ってきたら、僕と旅に出てよ。色んな所を見てみたいんだ、ジュンと一緒に」

「それは良いね」

 子供の願いを叶える気などさらさらなかった。ジュンは冷酷な人間ではなかったが、楽天的な思考を持っている訳ではない。この先の長い旅はジュンの予想通り、六年に渡った。そして僅かな平穏の後、ジュンは寒空の下で磔にされていた。

ジュンは磔台で夜空を見て、ふとその時を思い出した。立派な装甲は剥がされ、薄汚い服に身を包まれ空を見上げるしかない。ふと、北極星の遠い輝きがあの笑顔と重なった。

「国を荒らす魔女め。燃えて焼け死ぬがいい」

群衆がこちらを睨めつけてくるが、ジュンは何処吹く風だった。今まさに処刑されようと言う時に、ジュンの胸中はかつての約束がふっと湧いてでた。

「最期に言い残すことはないか。せめてもの慈悲だ、聞き届けようじゃないか」

傍で青白い顔の神父が宣う。闇夜に浮かぶその顔は、自分よりも虚ろだ。彼の疲労と恐怖が伝わる。

「罪は、謝れば許されると思いますかね」

ジュンの頭の中にはあの幼い少年が浮かぶ。必ず戻ると約束したのに、達成せず終われば幻滅するだろう。永遠に待つ馬鹿もいるまい。

「罪は決して消えません。謝罪は貴方の心を軽くするかもしれませんが。貴方のしたことは、その程度では誰も許しはしないでしょう。だから、炎で焼かれ魂が転生することも無い」

神父はジュンの胸中など知ることは無い。磔台にいる哀れな女にそう答えた。

一方ジュンの目は遠くでこちらを見物するふたつの影を見ていた。二人の青年。共に戦を乗り越えた青年と、自分の被っていた鎧をそっくりそのまま着こなす男。

「黒判の目も、貴方の地獄行きを見届けるでしょう。可哀想ですが」

黒判、あの鎧を着ていると目しか外部に見えない。その鋭い目から地獄へ導く黒の判事と言われたものだ。今は、あの男が成り代わってしまったが。

「さっさとしろ。声が煩くなってきた」

処刑人が急かす必要も無いほど、民衆の声は大きくなり神父を焦らせた。そして、神父は前に体を向き直る。

「魔女の処刑を執り行う。罪状、国家反逆罪、呪殺、不作」

「夜が暗いのも私のせいなんだろう」

ジュンが小言を言うと処刑人が強く窘める。そして長々しい罪状が述べられた後、足元の薪に火がくべられた。

ジュンはおかしいぐらい静かで、慌てる素振りもない。

「いい火だな。香りが特に」

あまつさえ自分の足を燃やす火にすら賞賛を与えるので、処刑人は気味悪がった。

「さっさと死んじまえ。赤い炎は地獄行きだ」

その時、空に光る満月が桃色に光った。民衆はどよめき、体の半分を炎に飲まれ意識の酩酊していたジュンの目が光る。

「赤は、いい色だ。お前らとは意見が合わんな」

ジュンは釘に貫かれた両手の力を込めて引き抜き、思い切り炎の中に全身を落とす。

その時の夜空を、遠くにいたオクトも見上げていた。彼方で何が起こっているかなど分からない。だが、薄桃色の月が照らしだしたのは、誰かの罪でも消し炭になった魔女でもない。

そっと、死に損ないの逃げ道を隠してくれるだけだった。

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