第6話  タッパ

 津々浦町の最北端、山に囲まれた場所は、「内ノ里(うちのさと)」と呼ばれる地域である。

 それぞれの山は、頂上から瀬戸内海の景色を一望できるくらいの高さがあり、その斜面には昔ながらの建屋も、最近できたばかりの新築の家も点在し、町の四分の一くらいの人々が住んでいた。


 そんな山の傾斜面を今、一台の自転車が急スピードでくだっていく。

 まだ新品に近いのだろう、ピカピカのマウンテンバイクにまたがっているのは、黒澤忠晴くろさわただはるという少年だ。


 夏休みを目前に控えた、土曜の午後。

 梅雨明け宣言がなされたからか、太陽はいよいよ鋭さを増し、セミどもは道路脇の林で、賛美歌に勤しんでいた。

 黒澤少年は、それらを背中で受け流しつつ、


「このスピードじゃったら、ものの十分で着くの。へっへ」


 ニヤリ、と笑みを浮かべた。

 切れ長の目は動かず、口角の端だけが上がる不適な笑いである。


 坂を下りきったあとは、海岸沿いの国道を、ひたすら東に向かって漕ぐ。

 慣れた手つきでハンドルのギアをチェンジすると、後輪がガチャンと音を立て、ペダルに荷重がかかった。

 横目に見える瀬戸内の海面が、まばらに光をチラつかせている。潮の香りが混ざった風が、ツンツンに立てた髪の毛を、勢いよく通り抜けていった。


「あそこらへん行くの、久しぶりじゃな」


 目指すは、町東部の海沿いの地域「安浜(やすはま)」である。

 数日前の夜、以前同じ少年野球チームに所属していた先輩から、とつぜんメールが届いたのだ。


【次の土曜に、安浜の波止場近くの、イシバシストアに来れる?】


 メールの上では流暢に話しているが、「無口男」こと、島村高志しまむらたかしからだった。読者の皆様には紹介済みの、カカシである。

 野球チーム時代に万年補欠でもあった無口男が、自ら誘いをかけてくるのは珍しい。

 詳しく聞いてみると、続いてこんな返答があった。


【バンドを結成するんじゃけど、ヒマじゃったら参加せん?

 僕はドラムやることになって、友達のベンって子がギター。

 一緒に文化祭にも出ようや】


 ということである。

 ぼんやりしたカカシの方が、どう考えてもヒマのようには思えるが、


【ヒマじゃけん、いいっすよ笑 いつにします?】


 黒澤少年はこのように承諾し、そして今日は初顔合わせの日であった。


「…そういや、モンキチさんもバンドやるらしいしの。絶対に負けん」


 モンキチこと下倉真一。

 当時「安浜ファイターズ」四番バッターだった男で、「内ノ里グリーンズ」エースだった黒澤少年と、直接対決したことがあった。

 そこで敗北を喫した、苦い記憶—。

 黒澤少年は舌打ちした。

 不快な気分のまま、マウンテンバイクをひたすら走らせていると、思いのほか早く安浜地域に入ったようである。

 向かう先に、目的のイシバシストアが目に入った。店の入り口に、二人の中学生らしき男子が立っている。


高志たかしさん…と、隣のあれが、ベンさんじゃな」


 遠目に見ても、なんとも地味で情けなさそうな二人ではないか。

 黒澤少年はまたもニヤリとし、正面の二人に突っ込んでいく。スピードは落とさない。

 驚く地味男どもの顔が、ぐんぐん近づいて、


「お、おい!」


 声を上げる先輩らの目の前で、車体をターンさせ急ブレーキをかけたのである。

 飛び退いた天然パーマことベンが、あ然と、こちらを見た。


「…………」

「どうも、どうも」


 言いつつ、黒澤少年はサドルから腰をあげた。

 地面に立ち背筋を伸ばすと、ベンがさらに驚いた顔をする。

 そう、その辺の高校生にも劣らぬくらいの上背があるのだから、だいたい黒澤と初対面の人は、このような反応を示すのである。

 旧知の先輩ことカカシは、いつもと変わらぬ口調である。

 ボソリと言った。


「…ひさしぶり」

「へへへ。高志さん、今日は僕からカツアゲでもするんすか?」


 黒澤はヘラヘラと笑ってみせた。


「まぁ、冗談はやめにして。石橋ベンさんっすね。モンキチさんのバンドとやり合うって聞いとりますよ。やっちゃりましょうや」

「お、おぉ…」


 我にかえったベンの顔が、ほころんだ。真一をモンキチと呼び、臆していない様子に、好感を持ったようだ。


「話が早いの、じゃあ加入オッケーってことか」

「はい。モンキチさんに恨みを晴らせるときがくるとは、思ってなかったすわ」

「どうやら、利害関係が一致しとるみたいじゃの」

「へへへ。ところでボク、何の楽器やりゃぁええんすか?」

「今んとこ、空いとる席はボーカルかベースじゃ。

 オレもカカシも、ボーカルって柄じゃないけん。好きな方、選んでええよ」

「じゃあ、ベースで」


 即答だ。

 ベースというものがなにかはよく知らないが、「歌う」という行為は、なんだか責任が重くのしかかりそうで、避けようと思ったのだ。

 黒澤少年、こういうところは抜け目ないのである。


「じゃあ改めて、よろしくお願いします、ベンさん」

「お、おぉ…。おいカカシ、やったのぉ」


 ベンが、カカシを振り返り嬉しそうに言った。

 まぁ、こ奴らにしてみれば、人望のないところからの棚ボタであったろう。

 バンド結成に向けて飛び級だ。


「じゃけどベースって、なんぼくらいするもんなんすか?」


 黒澤少年は現実的である。


「バイクくらいするんすか?」

「ん…。バイクが、なんぼするんか知らんけど、ピンキリじゃ。

 ちなみにオレのギターは中古で三万円じゃった」

「へー。じゃあ、貯金でなんとかなりそうっすわ」


 野球をやめてから、ちょくちょく叔父の工場を手伝って稼いだ小遣いで、こと足りそうだ。

 いずれはバイクを買うために…と考えていたものだが、いかんせん、免許はずいぶん先でないと取れない。

 それまでにまた、貯めれば良いと判断したのだった。

 それより、モンキチに受けた遺恨を晴らすべきである。


「ちなみに練習場所は、うちの二階を使うけんな」


 と、ベンがバンドの活動に向けて、説明をし始めた。


「ほれ、見上げた真上が倉庫になっとるんじゃけど。

 荷物を端に寄せりゃ、なんとかスペースはできる。

 壁も厚いし、窓も海に向いとるじゃろ。昼間なら近所迷惑にもならんじゃろ」

「ははぁ、なるほど。お膳立ては整っとるんですね」


 と、そこへ、


「おっ、いらっしゃい」


 ラッキーストアの入り口から、デニム地のエプロンをした若い青年が現れた。

 この人が、バンドを教えてくれる光平ニーチャンか…と、黒澤少年はチラリと見返した。


 大人だから不思議でもないが、自分よりも身長が高い。

 また、この辺ではあまり見ないほどの、さわやかイケメンではないか。


「初めまして。黒澤忠晴っす。へへへ」

「ベースやることになったんよ。一個下の子」


 ベンが補足した。


「なるほど、これでひとまず、楽器のメンバーがそろったな」


 ニーチャンは、嬉しそうに微笑んだ。


「タッパがあるし、きっとステージでベース構えたら、かっこよく映えるね」


 うなずいてから、ニーチャンが黒澤少年の肩を、ポンとたたいた。


「タッパってええな。それ、お前のステージネームにしようで」


 ベンも嬉しそうである。

 なんだか勝手に呼び名を決められてしまったが、


「まぁ、なんでもええですよ」


 特にこだわりはなかった。

 何より「ステージネーム」というのは響きがカッチョいいではないか。

 ここに晴れて、ベン、カカシ、タッパ…と、メンバー三人となったわけである。


「もう一人、歌える子がいるといいな」


 と、ニーチャンが言う。


「オレとカカシの人脈じゃぁ、ここまでが限界かの…」


 ベンが弱々しくつぶやく。

 妙な落ち込みようが面白く、ついタッパは口を挟んだ。


「ボクも友達おらんすけどねぇ。なんとかなるんじゃないすか?」

「なんとか?」

「どうせ、まだ楽器もないんじゃし」

「そうか。は、は」

「へへへ」


 黒澤の皮肉な物言いに、少しベンの雰囲気も和らいだようである。

 そして、黒澤は直感で、このネガティブそうなベンと、無口のカカシでは、進む話も進みそうにない…と思った。

 そこで、一つのアイディアを提案する。


「なんなら今から外歩いて、良さそうなやつ探してみません?」

「良さそうなやつ…」

「ええ。スカウトっすよ」

「うん。いい」


 静かに、カカシが同調する。


「お、おぉ。じゃあ、行ってみるか」


 と、様子をニコニコと見ていた光平ニーチャンが、店の奥を指して言った。


「それなら、熱中症になるといけないから、冷蔵庫から好きなジュース持ってけ」

「ありがと、ニーチャン」

「すいません…」


 ベンとカカシが、店奥に向かって歩き出した。どうやらいつものことらしい。


「ほら、タッパも、好きなの取ってきな」


 光平ニーチャンが微笑みかけた。

 なんだか得も言われぬ気恥ずかしさと、嬉しさを感じつつ、タッパはやはり口角だけをニヤリと上げて、先輩二人の後を追ったのだった。

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