第4話  饉、恨、棺、恨

 饉~ 恨~ 棺~ 恨~


 これはベンの脳内で変換されたチャイム音、「キンコンカンコン」である。

 学校生活の一区切りを告げるこの合図、少年にはいつも「退屈な地獄に向かう葬送曲」に聞こえている。

 各授業の始まりのチャイムはもちろん、授業終了時のチャイムが響き渡っても、


 ―どーせ、次の授業が始まる布石じゃ…。


 などと思ってしまう、悲しき習性なのだ。


 とはいえ、先程のチャイムは昼休憩を告げる音色。

 地獄にあって、唯一の安息の時間とも言えよう。


「…雨。止まん」


 カカシがふいに、ベンに話かけてきた。


「体育館。多分」


 下手くそな韻を踏んだ格好になっているが、この体言止めを訳すると、


(五時限目の体育はグラウンドでなく、体育館でのバスケになるだろうね)


 と、言いたいらしい。


 ベンにとって、バスケやサッカーなどの球技は、地獄そのものだ。

 中学男子がモテるための必須条件といっても過言ではない「カッコええスポーツ」は、モテない挙句にワルにもなれない男子たちにとって「サボりたくてもサボれない強制的全身労働」と化すのである。


 そこでベンはいつもの調子で、カカシにこんなことを問いかけた。


「こちとら朝の猛ダッシュで、運動は足りとるけんなぁ。

 そもそも体育って、運動と勉学のバランスのためにあるもんじゃろ。

 じゃあ、オレの場合は過剰に体力消耗しとるんじゃないかの?」


「は、は、は。大丈夫」


 すると突然、教室のドア付近から、キャアキャアと金切り声が響いた。


「キャハハ! じゃけん、真一はメジャーの中でも、かなり上の方じゃって!」


 見れば複数の女子らが、一人の男子を取り囲んで、相当に盛り上がっているではないか。


「ふん、また女帝キリコらか…」


 ベンは憎々しげにつぶやいた。


 金切り声の主は、紀伊きいリリコ。

 「女帝キリコ」というのはベンの心のうちだけの呼び名だが、その名に違わず、彼女はスクールカーストトップに君臨する学年全体のリーダー格だ。


 この女帝を中心とするグループの構成メンバーは、いずれも校則ギリギリのしたたかな化粧や、ほとんど下着が見えそうな短いスカートを履いており、アクセサリーの類もずいぶんと派手で高そうなものを身につけている。


 重力という概念を振り払った、上向きまつ毛のリリコ帝から発せられる高音ボイス。これはベンとカカシだけでなく、教室内のすべての生徒の会話も遮ったようで、いつものことながら教室中が、ある緊張感を持って女帝の発言に注力し始める。


「いやぁ、メジャーとか上とか、そがな(そんな)ことないって」


 女帝のお褒めにあずかり、笑って応えたのは下倉真一しもくらしんいちである。


「じゃけど真一は、ぶち(とても)カッコよぉなったもんね。

 昔とは比べもんにならんくらい!」


 こう会話を交わすキリコと真一は、実はベンと同じ小学校の出身者でもあった。


 真一は小学校低学年の頃はひどくチビで、いつもアオバナを垂らしており、その風貌から「モンキチ」とのあだ名で呼ばれていた。


 そんなモンキチは、小学六年の頃から、徐々に変わりはじめたのである。

 身長は列の後ろから三番目までのびた。野球部では四番バッターとして功績をあげ、勉強もそこそこにやってのける。髪型も単純な坊主頭ではない「ベリーショート」という流行デザインに仕立て、登校するようになった。


 ベンなんぞ、初めて「ベリーショート」と聞いたときには、イチゴの乗ったケーキしか思い浮かばなかったくらいである。むしろ当時から、起き抜けのままの寝癖だし、雨に濡れれば「ベリーグチャグチャ」と化す。カリスマ美容師も裸足で逃げ出す体たらくなのだ。


 一方モンキチは、中学に上がるか上がらないかの時期から、飛躍的にモテ始めた。

 中学に上がってからは、モテまくるほどにモテた。

 あちらの女子、こちらの女子、女子女子女子から告白された…という噂が、教室内を駆け巡るのも、日常茶飯事のことだった―。


 そして今、キリコがモンキチ言った「メジャー」 という言葉。これはスクール・カースト上位に君臨する連中を示す、彼女らの隠語である。

 無論、それに対して「マイナー」も用意されている。言わずもがな、別段目立つところのない、地味な連中のことを指すわけで、もちろん、ベンやカカシはこれに含まれているのだった。

 はっきりと明確に区別されたわけではない。しかしマイナーであることは疑いようがない。スクール・カーストというものは、暗黙の了解のうちに、自然とみなの中に形成され浸透していくものなのだろう。

 望んでもないのに、気がつけば勝手に格付けされているという不条理な制度。


「ほんま、デリカシーのない連中じゃな…」


 以前までのベンなら、あの金切り声を聞くやいなや、必要以上の不愉快を感じていた違いない。

 が、ここ最近、ベンはある「切り札」を胸のうちに秘めていた。連中に対して優越感を覚えるほどの新しい「趣味」―。

 それがあるから、キリコらのわずらわしさも消化することができていた。


 だが…。

 キリコのすっとんきょうな声は、とどまることを知らない。


「いやー、真一は努力家じゃね!」


 そこに「モンキチ」という要素がプラスされると、やはりベンは胸騒ぎを覚えて、消化不良になってしまうのだ。それはやはり、小学校低学年時代の記憶が影響しているのかもしれない。


 ―ケンジくん、今日遊べる?

 ―じゃあ、明日は家に行ってもええ?


 …あのモンキチが、今では学年随一のモテ男とは…。

 中学に入ってからは特に、モンキチと会話を交わした記憶もほとんどない。

 いつから、こんなに差が付いたんだろう。

 やはり不愉快な気分に苛まれたベンが、集団から視線を外そうとしたときである。

 

 ピキピキピキピキッ

 ジャジャーン


 細い金属が弾かれる音が耳に飛び込んできた。


 これは…!

 ベンはすぐに気がついた。

 弦楽器の音。

 アンプを通していない、生のエレキ・ギターの音色である。


「えー、めっちゃ上手いじゃん!」


 女帝グループの一人、中井美咲なかいみさきが叫んだ。


「うちのブラバン部、来週、三年生を送るコンサートやるじゃろ?

 それに、ゲスト参加してもらうことになっとるんよ」


 と、同じく一味の村松菜月むらまつなつきの声もあがる。


「へへ。三曲ほど弾くんよ、オレ」


 応えたその声は、間違いなくモンキチのものだった。


 ―モンキチが…、ギター?


 しかもかなり上手いと、ベンは直感で思った。

 そっと立ち上がって、もう一度その様子を伺う。椅子に座ったモンキチが抱えているのは…。

 確かに、ギターだった。

 部室かどこかに置いていたのだろう。昼休憩になって引っ張り出してきたようだった。


「やっぱ、メジャーな男子は違うわ!」


 改めて女帝に評され、モンキチはまんざらでもなさそうに鼻先をかいた。


「そういや、少なくともこのクラスに、他にメジャーって言えるような男子、

 おらんよねぇ?」


 中井美咲なかいみさきが、女帝に向かって、判断をあおぐように尋ねた。


「うーん、そうじゃね…」


 女帝の「品定め」が始まろうとしている。

 思わずベンは、目を背けた。

 他の男子らも、同じようだった。


「確かにうちのクラスは、ロクなんがおらんのんよねー」


「リリコのハードルは高いけんねぇ」


「ほんまよねぇ。アハハ!」


 聞こえよがしに宣言できるほど、女帝権力はクラスを席巻しているのである。

 彼女にたてつくこと、それはこの学校社会においての安保条約の破棄を意味する。

 そんな教室の雰囲気を飲み込みつつ、女帝のキンキン声は、さらにエスカレートした。


「ほんま、真一はブレイクしたんじゃけど…、逆に劣化したやつらもおるし」


「えー、だれ、だれ?」


「まー、誰とは言わんけど、いろいろおるじゃん。

 アニメばっか見よぉるようなやつとか、本ばっか読んどるようなやつとか。

 全然しゃべらんのもおるし、ブクブク太っとるのも、どうかと思うわ」


 これは、学校の漫画同好会に所属する男子グループや、ベンとカカシ、また、いつも窓の外をぼんやり眺めるメタボリック体型の池部将吾いけべしょうごを指しているらしい。

 まったく、なぜにこの女帝グループは、罪なき庶民を巻き込もうとするのか…と、ベンは歯を強く食いしばった。無意味に恥をかかされているような気分なのだ。

 そして、次のキリコの言葉こそが、強烈かつ的確にベンの耳を射抜いたのである。


「ほんま、マイナー系のやつらって―」


 ギリギリギリ…キリコ帝の弓がしぼられ、


「話も通じんような奴らじゃもん。終わっとるよねー」


 放たれた矢は爆弾矢だったようだ。ベンの耳を貫通し、脳内で炸裂する。

 仮に「平家物語」の那須与一がキリコ、ベンが平家方の侍なら、やんややんやの所業であったろうが…、残念。そうは参らぬ。


「そうじゃね!

 話ができんってほんま、かわいそうにねぇ! ハハハハ!」


 ―おいおいおい。話が通じん?

 お前らがいつ、オレとまともに話そうとしたんじゃ。

 頼むけん、ほっといてくれぇ。

 なんで無差別に弓を引くんじゃ!


 こう言ってやりたいベンだが、当然そんな度胸はない。

 すると、輪の中から、モンキチの声がした。


「おーい…。おい石橋ぃ。お前じゃ」


 チラと見返すと、


「ちょっとゴミ箱のふた、開けてくれんか?」


 ベンのすぐ側にある、ポリ製のゴミ箱のことを言っているのだ。

 モンキチは、飲み終わった給食の牛乳パックを放って捨てたいのか、野球の投球フォームをしている。

 みな、牛乳パックの行方がそんなに気になるのだろうか。女帝たちだけでなく、クラス中の視線がベンに集中しているようだった。


「……………」


 黙ってふたを開けると、すぐさまパックは飛んできて、


 ドコン!


 音を立て、見事にゴミ箱の中に入った。

 そのとき、刺さったままのストローから牛乳の一雫が飛び出し、ベンの頬に命中したのである。


「おぉー! ストライク」


 それだけ言うと、連中はもう、違う話題で盛り上がり始めた。

 マイナー男子のことなど、もはや眼中にないのである。


 顔を紅潮させ、ふたを閉じるのが精一杯なベン。

 隣で心配そうにするカカシの気配を察しつつ、情けないやら恥ずかしいやらみっともないやら…。頬から顎に向かう牛乳の一滴が、やたら冷たく感じる。

 と同時に、昼休憩終了のチャイムがレクイエムの重々しさでもう一度、学校全体に響き鳴るのだった。


 饉~

      恨~

           棺~

                恨~

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