第3話  ビッグ・ビガー・ビゲスト

 八時二十九分―。

 ベンはなんとか、二年二組の教室への駆け込みが成功したようである。


「おぉ、はぁ、よぉ、カカシ…」


 息を切らし、タオルで頭を吹きながら、ベンは自席の隣に座る少年に声をかけた。


「……五日連続」


 カカシこと島村高志しまむらたかしは、直毛の長い前髪の奥から、ギョロ目をのぞかせ応えた。

 この、単語のみのそっけない返事を訳すると、


(五日間、ギリギリとはいえ、間に合っているね)


 と、言いたいらしい。


「ハァ、ハァ…あぁ、今日は、ほんまに遅れるかと思ったで」


 ベンは、重苦しいカバンを剥ぎ取りながら、もう一度ため息をつくと、突然饒舌になってまくしたてた。。


「…ほんま、あの坂はきっついわ! どうにかならんのか!

 傾斜もアホみたいに急じゃけん、崩れんように、土のう積み上げとるじゃろ。

 それよりオレが校長じゃったら、校舎ごと山の下に移動したりとか…、

 ロープウェイを設置するとか…、ほんで、動く歩道の設置とか考える。

 ちょっと工夫すりゃ、みんな助かるのに!」


 お為ごかしの仮面をかぶり、悪徳政治家でも口にせぬような虚言マニュフェストを掲げるベンの様子が、毎度のことながら可笑しかったのだろう。カカシの口角が、ニヤリと上がった。


 カカシ少年は、めったなことでは声を上げて笑わない。

 笑わないどころか、「口数」をリアルにカウントできてしまえるのではと思うほど、言葉を発すること自体、圧倒的に少なかった。

 たまに口を開いても、先のように義務教育の概念をすっ飛ばしてきたかのような「文法」無視の単語会話なのである。

 それゆえ、基本的に自分から話題を振ったりすることも当然、ほぼ皆無であった。


 ところがこのベンとカカシは、互いに、唯一の親友同士でもあった。


 別々の小学校出身で、中学一年のとき初めて同じクラスになった。

 妄想家でネガティブで理屈っぽいベンと、ジッと黙って相手の話を聞くカカシ。この正反対ともいえる気質が、有効的かつ友好的に働いたようで、クラスが二年連続で同じだったこともあり、およそ行動をともにしているのだった。


 そんな勝手知ったる相手だから、ベンの口上は、とどまることを知らない。


「うむ。我ながら動く歩道は、ええ思いつきじゃ。

 あの新築の体育館なんか、少子化の進む昨今、無駄じゃろ?

 体裁整えるより、まずは安全性と実用性のある登下校ルートの確保。

 そしたら未来ある若者らに、よっぽど有意義な学校生活を…」


 パープーの未来人の御託を遮るように、もう一度チャイムが鳴った。

 ホームルームである。


 生徒らが自席につくと同時に、ドアが開いて、担任の河合亜沙実かわいあさみ先生が、さっそうと入って来た。


「おはよう! 出席とるね」


 このアサミ先生、アメリカからの帰国子女で、担当はもちろん英語だ。

 もともとは県内の出身らしいが、東京に住んでいた期間も長かったらしく、日本語は主に関東弁(標準語のことを地元民はこう呼ぶ)なのである。

 他の先生たちがみな広島弁なだけに、どうも違和感があって目立つのだ。


 いや、目立っているのは、言語に限らない。

 ハツラツとした立ち振る舞い、キビキビとした所作も去ることながら、何よりもそのルックスが、生徒らの好感度に大いに貢献しているようでもあった。


 教職ゆえか、ほとんど化粧っ気がない。

 にも関わらず、それが逆に大きい瞳と薄い桜色の唇を際立たせ…。

 「出過ぎず、引っ込みすぎず」の、絶妙なバランスが保たれているのだ。


 これをベンの母親は、家庭訪問のあと、こう評したものだ。


「ほんまに品のある、ベッピンさんじゃ」


 そして今、そのベッピンさんは出席を取り終わると、


「はい、じゃあみんな、このまま教科書出して」


 テキパキと授業の準備を促した。

 まさしく一時限目は、英語である。


「こっから一日、長いのぉ…」


 ベンは思った。

 彼に好きな教科はなかった。得意科目もない。中でも英語は得意でない。こればっかりは、先生が美人でもカバーし切れない。

 今では、授業の内容そのものに「矛盾」すら感じるようになっていたのである。


 たとえば、


「ディスイズ、アン、アッポー」


 という例文がある。

 目視した上で、対象が「リンゴ」かどうかが分からないような相手であれば、そりゃコミュニケーション以前の問題ではなかろうか…と、考えるのだ。


 他にも、


「ナイス・トゥー・ミーチュー。マイネーム・イズ・ケンジイシバシ。

 プリーズ・コールミー・ベン」


 果たして初対面でいきなり、ニックネームを自己申告するだろうか。

 「イタいやつ」認定を受けること必至だ。


 昨年、教科書の冒頭に載っていたこの文を見たとき、ベンの脳裏には嫌な記憶が蘇った。


 ―小三の二学期。

 関東から転校生としてやってきた浅野たまきの、初日の自己紹介の件である。


 教壇に立って、当時の先生から紹介されるや否や、彼女はこう叫んだのだ。


「初めまして、浅野たまきです!

 タマちゃんって呼んでね!」


 元気いっぱいに、


「キラッキラ☆

 ニッコニコ☆」


 な、目を輝かせた。

 この行動こそが、彼女にとってマズかったのだろう…と、ベンは考える。

 よそ者が、初めての場所に単独で飛び込んでいく場合。

 その人物が、


「有名人じゃ!」


 という黄金の冠を持たない以上、細心の注意を払うべきである。

 個人情報保護が叫ばれる昨今、相手に望まれぬ自己主張は、悪い意味で違和感でしかない。

 そう、羨望はおろか、


「ヤベェ、場違いなやつ!」


 と、見られること請け合いだ。

 あわれタマちゃんは、中学生になった今でも、本人が望んだ愛称で呼ばれることはなかった。そのふくよかな体型と、クリクリお目々の印象からか、


「アザラシちゃん」


 海棲哺乳類の呼び名が定着し、現在にいたるのであった—。


 このように、ベンは英語の教科書を開くたび、なにかいたたまれぬような、複雑な気持ちになってしまう。

 グローバル社会が世に叫ばれて久しいが、いつか海外に行った際、ネイティブで覚えるのが筋ではないかと、結論づけている。


 事実、アサミ先生の英語だって「現地経験あってこそ」の、最たる実例ではないだろうか…。


「Yes、じゃあ、この過去形を否定文にしてみて」


 アイ・ディドゥント・スタディー・イングリッシュ…。

 黒板に書かれてある文章とは別のことを考えつつ、ベンはビシバシ生徒をあて、回答を促すアサミ先生を見た。


 背筋の通った細い体ではあるが、白ブラウスの上から、確かな膨らみの区画が際立っている。アメリカンな主張の激しさ、ジャパニーズの奥ゆかしさの見事なコンボである。

 スリーサイズは上から、アメリカン、ジャパニーズ、ジャパニーズ…といったところか。和洋兼ね備えた芸術的な曲線美といえよう。これほど見事な彫刻を、ロダンでも甚五郎でも彫ってみるがいい。

 妄想小僧は、若い女性像の脳内デッサンをし始めた。それはそれは熱心に…。


「Good、次は比較級ね」


 ―オォウ、ビッグ・ビガー・ビゲスト。


 このモードに入ると、ベンは、


「英語もまんざら捨てたもんじゃないか…」


 と、時々思うのであった。

 おいこら真面目に授業を受けろ、と言ったところで、この小僧の耳にはきっと届かないであろう。

 なぜなら今、こ奴自身が、「考える人」のような彫刻と化しているのだから…。

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