(2)
努力は必ず報われる。
それはいつも母が口癖のように言っていた台詞だった。目標から逆算して計画を立てなさい。何事も手を抜かずに一生懸命に頑張りなさい。この世は頑張った人が報われるようにできているんだから。
思い返せば、僕はずっとその言葉を指でなぞるようにして生きてきた。
小学生の頃、毎年ゴールデンウィーク明けに童話発表大会が開催された。全校生徒がそれぞれ一冊ずつ、童話や民話などの児童向けの読み物を選び、それを定められた時間内に朗読していく。持ち時間は一二年生がひとり五分、三年生から六年生はひとり七分。そしてその際、手元に資料を持ってはいけなかった。つまり物語のすべてを丸暗記しなければならないということだ。
大会と銘打たれているだけあって、各学年ごとに順位が付けられる。まずはクラス内で選考会が行われ、その中から投票によって代表者を一人選び、その次に学年全体で代表者による発表大会が行われる。そこで最も得票数の多かった生徒に最優秀賞が与えられ、後日、見事受賞した生徒は全校集会の場で童話発表を行い、それから校長先生に表彰されるのだ。
僕はそこで三年連続で最優秀賞に選ばれた。
とはいえ、そこでいくら優秀な成績を収めたからといって、学期末の通知表にその結果が反映されるわけではなかった。そのため、ほとんどの生徒にとってその優先度は限りなく低かった。何時間も童話を読み込んでいる暇があるなら、外で走り回って遊んでいた方がよっぽど魅力的だと考える生徒の方が多かった。中には、童話の内容をまったく把握せずに本番当日を迎える者もいた。
しかし、僕は遊ぶことよりも、毎日家で朗読の練習をすることを優先した。何事も手を抜かずに一生懸命に頑張ること。それが母の教えだったからだ。
僕は様々な練習法を試した。童話を繰り返し音読するだけにとどまらず、ノートに童話の内容を丸ごと書き写したり、録音した自分の声をあとから聴きかえしては声の抑揚を修正したりしていた。もちろん、そこまで必死に研鑽を積んでいたのはおそらく僕だけだったに違いない。だからこその三年連続最優秀賞だったのだろう。決して傲りなんかではなく、僕の朗読は誰よりも圧倒的に優れていた。「福田太一殿──」と体育館の壇上で自分の名前が読まれるたびに、母の言っていたことが正しいと証明されているようで嬉しかった。
中学生にもなると、僕は勉強にも力を入れた。毎日欠かさず三時間は机と向き合い、周りの同級生たちが遊んでいるあいだも僕は問題集をただひたすらに解いていた。昔から勉強が得意な方ではあったが、頭の内部構造に周りと特別な違いがあったわけではなかった。筋肉と同様に、鍛えたぶんだけ発達しただけだ。自分が天才などといった、異質的な類の人間ではないことは自覚していた。
そしてそのうち、周り同級生たちからは真面目だとか変わってるなどと、たびたび嘲笑の標的にされることが増えていた。しかし当人には、自分がおかしいという自覚がまったくなかった。むしろ、どうして周りは真面目に勉強に取り組まないのだろうとさえ不思議に思っていた。それでもやはり、母の言っていたことは正しかった。
僕は難関と呼ばれる高校に進学し、国内でも三本の指には入ると言われている国立大学の受験を難なくパスできた。大学在学中には、優秀な成績を収めた者だけが参加出来る留学プログラムにも参加し、結果的にそのおかげで大手外資系企業から四つほど内定をもらうことができた。周りはそれを凄いことだとやたらに持て
大学卒業後、僕は母に勧められた外資系の大手IT企業に入社した。そしてわずか三年足らずで、年収は年二回のボーナスを合わせて、一千万円近くにまで到達した。学生時代の友人たちはそんな僕のことを成功者だと崇めた。彼らは口々に真面目に勉強しておけばよかったと言っていた。ざまあみろ、とまでは思わなかったが、少しだけ胸のつかえがすっと下りたような気がした。その中には僕のことを嘲笑していた者もいたからだ。
毎月、母の口座に決して少なくはない額の仕送りを振り込むようになったのもその頃からだ。彼女はそのお金を快く受け取り、やがて狭くて古い二階建てアパートの一室から、広くて綺麗な高層マンションに引っ越した。
その出来事は彼女にとっても、ある意味で努力が報われた瞬間だったのかもしれない。彼女はここまで女手一つで、息子のことを一生懸命に育ててくれた。立派に育った息子は母に恩返しをする。日本童話でもよく描かれていそうな展開だった。物語はここで終わりを迎え、その後も二人は幸せに暮らしましたとさ──と結ばれる。
ただし、これはあくまで童話ではなかった。人生は何が起こるかわからない。
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