第7話 王妃の動揺

 

「はぁ、はぁ……ようやく捕まえたぞ」


 男は荒い呼吸を繰り返しながら、エメルダの腕を掴む手に力を込める。


 一方、エメルダの方は痛みからか、苦しそうな表情を浮かべていた。



「貴方っ、彼女を放しなさい!!」


 マーガレットは咄嵯に叫ぶと、エメルダを助けようと駆け寄ろうとする。いくら主従の関係といえど、彼女を見捨てることはできない。だが、そんな彼女の行く手を阻んだのは他でもないエメルダ自身だった。



「ダメ!! 来ないでください!」


 エメルダの鋭い声を聞き、マーガレットの動きがピタリと止まった。



「でも……」

「お願いします。私はいいんです。だから、どうかマーガレット様はお逃げください……」


 懇願するような視線を向けられてしまえば、もうマーガレットには何もできない。


 それでもなお躊躇していると、今度は男の手が首筋に伸びてきた。



「おい、余計なことを喋るんじゃない! この場で貴様を殺したっていいんだぞ、女狐め!」


 男はエメルダの首筋に当てたナイフを軽く動かす。刃先が皮膚に触れ、僅かに血が流れ出した。



「許せない……!」


 その瞬間、マーガレットの中で何かが弾けた。

 気がつくと、彼女は無我夢中で飛び出していた。そして、渾身の力を込めて男に体当たりする。



「ぐはぁ!?」


 不意打ちを食らった男は体勢を崩し、その場に倒れ込んだ。


 マーガレットはその隙を逃さず、エメルダを庇うように身体を割り込ませた。



「今よ、早く逃げましょう!」


 エメルダに向かって叫んだ直後、目の前にいた彼女の気配が消えた。


 否、消えてしまったのではない。エメルダは男に忍び寄り、隠し持っていたナイフを胸元に突き立てていた。



「グハッ!?」


 何が起こったのか分からず、男が目を大きく見開く。しかし、次の瞬間には口から大量の血液を吐き出した。


 そのまま、男は何が起きたのか理解できぬまま絶命した。


 それを見届けたエメルダは、素早く男から離れると、マーガレットの方に向き直る。そして、彼女はいつものように微笑みかけた。


 しかし、マーガレットは笑えなかった。

 何故なら、エメルダの顔が返り血によって真っ赤に染まっていたからだ。



「はぁ。まったく、次から次へと予定外のことをしてくれましたねマーガレットさん」

「え? ……エ、エメルダ??」


 先ほどまでとは打って変わって、冷めた口調で話す彼女にマーガレットは戸惑う。


 一体どうしたというのだろうか。その豹変ぶりに、マーガレットの思考が追いつかない。


 そんな混乱の中、エメルダはゆっくりと口を開くと淡々と言葉を続ける。まるで、他人ごとを語るかのように――。



「せっかくサウジッド目前まで貴女を連れてこれたのに、最後の最後で邪魔をされては困るんですよ。全く、本当に手間をかけさせないで下さい」


「ど、どういうことなのエメルダ! 邪魔ってどういうこと!?」


「ふふふ。貴女って人は、救いようのないお人好しですね。まさか本当に私が、貴女の味方だと思っていたのですか? すべては私たちが仕組んだものだったというのに」


 エメルダはクスリと笑うと、マーガレットの頬に手を伸ばす。そのまま彼女の顔を引き寄せると、耳元で囁いた。



「私の本当の名はエルダ=サンフィールド。ふふっ、そうよ。実は私、サウジッド帝国の人間なの」


 そう告げられた途端、マーガレットの視界がぐらりと揺れた。ふらつき、頭から髪飾りが落ちてカランと音を立てる。まるで足元の地面が崩れ落ちていくような感覚に襲われ、彼女は必死に踏み留まった。



「陛下も可哀想よねぇ。あんな小細工で、本当に浮気したと勘違いされちゃうなんて。本当に愛していなかったのはどちらの方なのかしら?」


(最初からわたくしは騙されていたってことなの!? それにサンフィールドってことは、ロックスさんと同じ家名……)


 エメルダの正体にショックを受けている間にも、話は進んでいく。



「遅かったわね、お兄様」

「まったく。どこの誰かは知らないけれど、余計な手間を掛けさせてくれたよね」

「ロックス様……」


 背後から霧のように現れたもう一人の人物を見て、マーガレットは愕然とする。


 そこに居たのは、エメルダと同じく血まみれになったロックスの姿だった。


 彼は心底うんざりした様子で、溜息をつく。そして、憐れみを込めた瞳をエメルダに向けた。



「申し訳ないです、マーガレット陛下。本当はもっとスマートに事を運ぶ予定だったのですが、まさかここまで抵抗されるとは思いませんでした。これは完全に僕の失態ですね」


 そう言うと、ロックスはマーガレットの腕を掴み上げる。地面に落ちていた髪飾りが彼の足に踏まれ、グシャリと潰れた。



「貴方たち、わたくしをどうする気なのですか! いったい何が目的なのです!!」


 マーガレットは二人に向かって叫ぶが、彼らは何も答えようとしない。


 それどころか、ロックスはマーガレットを拘束したまま何処かに歩き出そうとしていた。



「お待ちなさい! まだ質問に……」

「はぁ、うるさいなぁ」

「ふふふっ。いいじゃない、お兄様。せっかくだから教えてあげれば?」


 エメルダの言葉を聞き、ロックスが面倒くさそうな表情を浮かべる。だがすぐに諦めたのか、小さく肩をすくめるとマーガレットに視線を向けた。


 そして、彼の口から発せられたのは、衝撃の内容だった。



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