第8話 王妃が目撃したものは

 

「この町が邪魔なんですよ。サウジッドにとって、産業的に」


 ロックスは心底忌々しそうに呟く。その発言を聞いて、マーガレットはハッとした。


 この国の経済は、主に農業と商業によって成り立っている。だが、近年になって、この国では大きな変革が起きていたのだ。それは――。



「キワト炭鉱ですか」


 マーガレットの指摘に、ロックスとエメルダは同時に首肯した。



「我がサウジッドでも、石炭の供給は最重要課題でしてね。海からやってくる雪雲で冬季は特に冷える。民を寒さと飢えから救うためにも、この鉱脈は是非とも我が国のものにしておきたいんですよ」


 サウジッド帝国は山に囲まれており、冬場は深い雪で覆われる。そのため、毎年のように凍死者が出るような厳しい環境なのだ。


 そんな国民を救うべく、サウジッド皇帝はある決断をした。


 それが、国内で新たに大規模な炭坑を開発することだった。調査チームを編成し、調査すること数年。ようやく新たな炭鉱を発見することができた。


 だがひとつ問題があった。この鉱脈がボルケ領とサウジッド帝国で挟まれていたのだ。



「せっかく極秘裏に採掘を始めたというのに、この国のアルフォンス王がボルケ領の温泉開発を始めてしまった」


「ボルケ領の領主が源泉の調査をしている時に、偶然にも炭鉱の存在に気付いてしまったのよ」


「まったく、このままでは我が国が得られる石炭の量が半減してしまうよ」


 そう語る二人の表情には焦りが滲んでいた。彼らとしても、せっかく見つけた貴重な資源を失うわけにはいかないのだろう。



「そこで、我々サウジッド帝国が考えたのは――」

「マーガレットさん。貴女をこの町で葬り去ること」


 エメルダはニッコリと微笑むと、マーガレットの頬を撫でる。


 その仕草はまるで恋人同士のようだったが、彼女の手からは大量の血が滴っていた。


 マーガレットは背筋が寒くなるのを感じた。彼女は自分の身に起きていることを理解してしまったからだ。



「この国で二番目に高貴な人物が殺されでもすれば、否が応でもその責はボルケ領主に向く」

「そうすれば炭鉱の開発なんてしている場合じゃなくなるって寸法ね。ふふっ、お兄様ったら本当に賢いわ」

「……」


 エメルダの楽しそうな声とは裏腹に、ロックスの表情はけわしいものだった。


 彼はギリッと歯ぎしりすると、マーガレットの身体を突き飛ばす。呆然としていた彼女は、そのまま地面に倒れ込んだ。



「まぁ、そういうことです。貴女の身柄さえ確保できれば、過程はどうでもいい。さようなら、マーガレットさん」


 ロックスは剣を構えると、ゆっくりと近づいてくる。エメルダもまた、両手からナイフを取り出した。



 もはや、万事休す――と思われた、その時。


 突如として、エメルダの背後から影が現れた。

 その人物はあっという間にエメルダへと詰め寄ると、彼女を思いっきり蹴り上げた。


 エメルダの体が宙に浮いた隙に、その影は隣にいたロックスに向かって片手剣で斬りかかる。



「ぐぅっ!」


 咄嵯に反応できたロックスは、なんとか攻撃を受け止める。


 だが、完全に不意を突かれたのか、彼は体勢を大きく崩した。そこへさらに畳み掛けるように、もう一太刀を浴びせた。



「はあああっ!!」


 影の人物は手に持った剣を振るい、ロックスの胴をいだ。


 深々と斬られたロックスは、苦悶の声を上げながら地面へと倒れる。


(いったい何が……)


 状況が呑み込めず混乱するマーガレット。


 しかし、すぐに彼女を救った人物の姿を目の当たりにしてハッとする。そこに居たのは、見覚えのある人物だった。



「アンジー……?」


 そう、そこに居たのは紛れもなく、かつて自分付きの侍女だったアンジーの姿であった。



「遅くなりました、マーガレット様。よくぞご無事で」


 アンジーはマーガレットの手を取り立ち上がらせると、背中に庇うようにして前に立つ。その凛々しい姿はまさに騎士と呼ぶに相応しいものであった。



「チッ、どうして貴女がここに……」


 ロックスの代わりにエメルダが立ちはだかると、忌々しそうに舌打ちをする。対するアンジーは冷静な様子だった。



「主人の危機とあらば、駆けつけるのは当然のこと。それに私は元々、ボルケ領の人間ですので」

「なるほど、それで私達の計画を嗅ぎつけてきたというわけね」


 エメルダは納得したのか、小さく肩をすくめる。そして次の瞬間、凄まじい速度でナイフを投げ放った。


 しかし、その攻撃をアンジーは軽々と弾き返す。それを見たエメルダは驚いた顔をしていたが、やがてニヤリと笑みを浮かべた。



「へぇ、少しはやるみたいね。でも、これはどうかしら」


 エメルダは懐から新たなナイフを取り出すと、再び投擲の姿勢を取る。その動作を見て取ったアンジーは、すぐさま動いた。


 二人の命懸けの戦闘に目を奪われ、思わず固まるマーガレット。だが、そんな彼女の肩を誰かが掴んだ。


 ハッとした彼女が振り返ると、大きく目を見開かせた。



「大丈夫か、マーガレット」

「あ、貴方……!!」


 そこには、騎士を引き連れ、自らも鎧で武装してやってきた夫、アルフォンス国王の姿があった。


 彼は優しく微笑むと、マーガレットの身体を抱き寄せる。



「もう安心するがいい。私が来た以上、お前に危害が及ぶことはない」


 アルフォンスの言葉に、マーガレットの瞳に涙が浮かぶ。


 一方、アルフォンス国王の瞳には、激しい怒りの炎が燃え盛っていた。それはエメルダとロックスに向けられたものである。


 二人は既に満身創痍の状態であったが、それでもエメルダは必死に立ち上がっていた。


 しかし、それも長くは続かない。遂に力尽きたエメルダが膝をつく。その隙を狙って、アンジーは一気に間合いを詰めた。



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