チョコレート

 店内の割引商品が所狭しと詰め込まれているワゴンゾーン。


 私は今。そのワゴンの中身を見ながら頭を悩ませている。


 お菓子、お酒、おもちゃ、ご飯。


商品のジャンルはバラバラ。この子たちの共通点は割引のシールが貼られているということだけである。


 私を悩ませているのは、その中でも小さめの手提げ袋であった。


この手提げの中には小箱が入っていて、さらにその中にはチョコレートが入っているのだ。


そうバレンタイン用のチョコレートである。


 なぜ。このバレンタイン仕様の手提げ袋は、こんなにも魅力的にも見えるのだろうか。可愛すぎるのだ。


焦げ茶色の袋なのだが、テカテカツルツルの加工が施してあり、つい手に取りたくなってしまう。ねじねじと編まれた紙紐の持ち手にもキュンとしてしまう。


 隣にあるのは大胆にも桃色や朱色のハートマークが沢山あしらわれている袋であった。


なぜかこの時期だけは背中を押されているような、誰かに許されているような気がする。


かわいいものも、ハートマークも、恋する気持ちも、想いを伝えることも。その全てを。



 今日も家で私の帰りを待っていてくれている、可愛らしい小さな桃髪の従者にあげたらどうかと考えている。



 ただ、一つ問題がある。


 割引シールが貼ってあるということは、もうバレンタインデーは過ぎているということだ。


 それも一日や二日ではない。


 先日がその日であったことに今このワゴンを見て気が付いたのである。


 これは言い訳であるが、最近は魔法学校の教師としての仕事が忙しかったのだ。それに加えてバレンタインとは縁がない。


私はチョコレート食べることが出来ないである。


 私は人間ではなく獣人。それも狼の耳が生えているので、チョコを食べると死……には至らないものの、とても具合が悪くなるのだ。


私に気持ちを伝えるような、近しい間柄の生徒は、そのことを知っているので気を使われているのか貰ったことがない。


 いや、本当の事を言おう。


私は少々疎まれているので生徒に限らず、あまり学校の中に親しい間柄の人間はいない。



そんなことを考えていたら無性に腹が立ってきた。明日は休みだし、チョコを食べてやるか。


 思考が自暴自棄になった所で愛らしい従者の顔が浮かんできた。


そもそも、リリーにあげる用で見ていたのだ。



 こういう行事ものの商品は、その日を過ぎると価値が落ちてしまうようで、定価の半額の値段である。


見た目は変わらないし、まだ全然食べられるものであるが、一日でも過ぎれば半額である。


特別な機会でもなければ、こんなお高いチョコレートを定価で買う気にはなれないので、正しい判断であると思うが、どうも寂しく思えてしまう。


 この子たちの価値は変わらないのに安くなっている。


どうせどこかのお偉いさんが定めた行事なのだ。


自分は今日がバレンタインです、と14日以降の日を決めてしまえば、お得に想いを伝えることができる。


ただ、14日以降にバレンタインのチョコレートを渡すのは、なかなか勇気がいる行動である。


先程のだれかに許されているような気持ち。


すなわちバレンタインの加護がないのだ。


これでは単純なる愛の告白である。


この時期ならではの、奥ゆかしさはどこかへ消えてしまう。



 そもそも素敵で尊い気持ちに、値段やら、お得やらという言葉を使うのは絶対に間違いである。


 全てはバレンタインデーを忘れていた私が悪いのだ。



「割引のついた商品を大切なリリーに贈るというのは、事情を知らない彼女からすれば、自分はこの程度で十分だと、かえって傷つけてしまわないでしょうか」



 もうこの子たちはギフト用でなく自分用、ただのチョコ用としての面構えなのだ。


自分たちには荷が重いと訴えかけているようにも感じる。



 私の食の都合上、まだリリーにチョコレートを食べさせたことが無いので、特別な感情は抜きにして買うことにした。















「何か楽しいことでもあったのですか。今日は一段と、ニヤニヤしていて流石に変ですよ。何か企んでいるのはわかっています」


 桃髪の少女は、向かいに座る私へ怪訝な顔を送る。


 チョコレートを買って帰ってきた私は、彼女が作ってくれたご飯を食べ終わった所である。


今晩は焼き魚であった。


私の大好物。とても美味しかった。



「今晩のおさかなが美味しかったのもありますが、今日はリリーにおみやげを買ってきましたよ。とても美味しいものです」



 私は椅子の下に手を入れて手提げ袋を引っ張り出すとそれを少女に手渡す。


あらかじめ、値引きのシールは剥がしておいたのだ。



「これは何ですか?」


「怪しいものではありませんよ。中を開けてみてください」



 少女は机の上に手提げを置いて、中を覗き込む。


四角い箱が入っていることを確認すると、左手で袋の口を広げながら右手を突っ込んで、箱を取り出す。



出てきたのはピンク色の紙製の箱であった。



 彼女は私の顔色を窺うように顔をこちらへ見せる。私はどうぞと微笑んだ。


 リリーは箱の横に付いたテープを剥がして上蓋を持ち上げる。



「──っうわぁ!」



 少女は箱の中で姿を見せる、黒色の宝石のような見た目の数々に驚きの声を上げた。



「ふふふ、驚きましたか? とても綺麗ですよね」


「はい。これは食べられるのですか?」



 少女は大きな目をキラキラと輝かせながら尋ねる。



「そうですよ。さぁさ、一つ口に放り込んでみてください」



 リリーは箱の中を一通り眺めたあと、お花型のチョコレートを指で摘み出す。


生唾を飲み込むように喉を一度動かすと。それを口へと放り込んだ。


 歯と硬いチョコレートがぶつかる。


次第に広がるのは中毒になってしまうほどの凶悪すぎる甘さであろう。


 リリーの目がさらに大きく見開くのを確認した。


 次第に瞼は落ちていき、キュッと結んだ口が横に広がるように綻んでいく。



「うーーーん!」



 彼女は頬に手を当てながらとても愛らしい声を出す。



 チョコを食べる従者があまりに可愛いせいで、居ても立ってもいられなくなった私は席から立ち上がって彼女の頭の上へ腕を伸ばす。


 サラサラの髪の上に置いた掌から、彼女の温かみを感じる。


 少女は突然の私の行動に驚いたのか、目を開けて上目遣いで私に目線を向ける。


 それから掌を左右に優しく、頭頂部に沿うように動かすと、彼女は目を瞑って受け入れてくれたようであった。















「ご主人様。嫌なわけではないのですが、それ以上続けられては眠たくなってしまいます」



 頭を撫で始めてどれくらいの時間が経ったのか分からないほど、揺蕩いでしまった。



「申し訳ありません。そうです、チョコレートはどうでしたか」


「(だから嫌なわけではないと……)とても甘くて濃厚で味わったことのない感じがしました」



 何か小声で言っていた様な気がするのだが、はっきりとは聞こえなかった。



「気に入ってくれた様なので、私も嬉しいです」


「私へのお土産は嬉しいのですが、ご主人様も一緒に食べませんか?」


「私は体の都合で食べられないので、リリーが全て食べてしまってください。日持ちするものなので明日以降でも大丈夫ですよ」


「そうでしたか! 失礼しました。それなら毎日一つずつ食べますね!」



 そう言うと、ニコニコと笑顔を見せるのであった。



「嬉しいですけど、そんなに大切にしなくてもいいですよ。食べたければ、また買ってきてあげますし」


「いいんですよ。ご主人様に貰ったことが私はこれ以上なく嬉しいのですから。次々ともらっていては嬉しさも半減してしまいますよ」


「そういうもの……ですか」



 結局、彼女にはバレンタインという行事についてを教えはしなかった。


もう充分喜んで貰えたので、私としては満足だったし、彼女にお返しのことを考えさせたくなかったのだ。


リリーがもう少し大きくなったら。


もしかしたら、私へバレンタインのプレゼントを贈ってくれるかもしれない。


 それ以上に嬉しいことはないなと私は思うのであった。



「ご主人様。ニヤニヤとしている所悪いのですが、お願いしてもよろしいでしょうか」


「──は、い。なんでしょうか。私にできることでしたら何でも聞きますよ」


「……寝るときに先程の続きをしてもらいたいのですが。──ほわほわと、すごく気持ちが良くて」



 少女はもじもじと体をくねらせながらお願いを告げた。



「ふふふ、そんなのお願いに入りませんよ。むしろあなたが許してくれるのであればいくらでも撫でさせてもらいますよ。こちらからお願いします」


 少し早口になってしまう。


 私はお皿を擦るような感じで右手を素早く空中で動かした。



「優しくしてくださいよ。頭の毛がなくなってしまいますから」


 少女はそう言うと頭を両手で覆い隠した。


 私はもうこのチョコレートのお返しを、もらってしまったのかもしれない。


 テーブルの上に置いてある四角い箱。


 左の隅がぽかりと空いたスペースが光って見えた。


 まさか、自分が口にできないものでこんなにも満たされた気持ちになるなんて思いもしなかった。

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