ハンバーガー
私の目の前にはツルツルとした紙に、丸く包まれたものが置いてある。
「ご主人様、これはなんでしょうか?」
向かい側に座っている青髪の女性に尋ねた。彼女は私のご主人様である。頭の上に獣の耳を生やしているが、鋭い牙も、硬い爪も、寒さを凌ぐフカフカの体毛も持ってはいない。『ネコミミ』と呼ばれる獣人である。
私たち人間の里には、獣人に出くわしてはならないという掟があるほど、恐れられている種族である。
だが、ご主人様は私が小さい頃に森で倒れていた所を助けてくれた恩人である。何故倒れていたか、その前はどんな暮らしをしていたかなど記憶が定かではないが、身寄りがないことは確かだった。私はそれからご主人様と一緒に暮らしている。
「開ければわかります。開けてみてください」
包みからはとても良い香りがしている。すんすんと鼻から息を細かく吸い込む。お肉と油の匂い、それと少し酸っぱい匂いがする。包み紙の中に食べ物が入っていることはわかった。
私は言われた通りに、包みを自分の方へ引き寄せて中を確認する。中からはサンドイッチのようにパンで挟まれたものが顔を見せた。
ご主人様の方へ目を向けると口角をあげながらニヤニヤと満足そうに笑っていた。魔法学校の先生には見えないほど、だらしがない表情に思わず笑みを零してしまった。
私がなぜ笑ったのかはわからない様子で、ご主人様は鼻歌なんかを口ずさみ始めた。
「ご主人様。この包みにはなにが入っているのですか?」
「ハンバーガーという食べ物ですよ。名前だけ聞いてもさっぱりだと思うので、──さぁ
ご主人様は手元にあった紙袋から、私の目の前にある包みと同じものを取り出すと、私に見せるように開けて見せた。半分ほど包みを開くと、クシャクシャと手でまとめ、両手で包むように持った。私も促され、真似をするように両手で持つ。
私の準備が整ったのを確認するとご主人様は大きく口を開けてハンバーガーにかじり付いた。
「んっーーーん! おいしいです!」
だらしがないご主人様に見届けられながら、私は手に持っているまだ温かいそれに、かじり付いた。
私は思わず目を見開いた。柔らかいパンに歯を立てると、トマトの
だが、ここまでは前座であることがはっきりと理解できる。下の歯により貫かれたパンの壁からは、ジューシーなハンバーグが登場するからだ。
何と言ってもこのミートソースが本当に美味しい。スライスされたトマトの酸味、ハンバーグから溢れる肉汁、さらにはパンにもよく合っている。最終的に全てを包み込んでいるのが彼であることは間違いない。
「気に入ってくれたみたいですね」
「はい! すごく美味しいです」
しばらく食べ進めていると、ご主人様が紙袋からゴソゴソと何やら取り出し始めた。
「私はうっかりしていました。とても重要なものを忘れていましたよ」
ご主人様は左手を紙袋に突っ込んだまま、右手の人差し指を立てると、クルクル回す。
これはご主人様が説明を始める時の癖なのだ。背筋に力が入るのを感じる。私に理解できるかはわからないが、青い瞳に一心を捧げる。
「リリーも気づいた所だと思いますが、この赤いソースはめちゃめちゃに美味しいです。だからこそ、ここだけに留めておくのは勿体ないとは思いませんか?」
「へ?」
気の抜けた声が出た。心の中の小さな私は、頭を抱えながら「何を言っているのですか」とで呟く。
ご主人様の瞳はキラキラと輝いているように見える。私の答えを待っているのだ。待てをされている犬のようにも見える。頭の上に生えた耳が時折、ピクピクと動くのが愛くるしい。
「──そうですね。包みの下にも沢山溜まっているようです」
「ふふ、ではこれに絡めて食べてみてください!」
紙袋から出てきたものは黄色の山のようであった。細長い棒が幾本も連なっている。スンスンと鼻を啜ってみると、油の幸せな香りが漂ってくる。
「フライドポテト。良い香りですよね。お芋を揚げたものなので、怪しいものではないですよ」
「失礼ですが、ご主人様の事を疑ったことなど一度もありませんよ。私はただ、初めてなものに臆病なだけです」
「あらら、私もリリーが怪しいなんて言いたかったわけではなくてですね。それに臆病なことが必ずしもわる──」
「全部わかってますから」
私は慌てて言葉を並べるご主人様のことを止め、ポテトを一本手に取る。カンナ掛けをした木材みたいに表面は四角くに切りそろえられているので摘まみやすい形だ。言われたとおりソースを
「んっー!」
想像を優に超えるおいしさであった。
おそらく塩やスパイスで味付けされているであろうポテトに、ミートソースを付けるという行為。一見すると、塩辛くなり過ぎてしまうように思える。ただそんな杞憂は彼にかかれば一瞬で抜き飛ぶ。
どうしてこんなにも、まろやかな味わいで包み込んでしまうのだろうか。農園でトマトさんと、牛さんと、お芋さんが手を取り合って、はしゃいでいる様子が浮かんでく──きそうなくらいである。本当に美味しい。
「リリーも遂にこのおいしさに気づいてしまいましたか。もう引き返せませんよ」
「元より戻る気などありませんよ。それよりご主人様、先程から口元が真っ赤でございます」
「ふふふ、そういうあなたも最初の一口目から付いたままですよ」
「っえ⁉」
「よいしょ!」
ご主人様はペーパーを取り、席から立つと、傍まで来て私の口元のソースをふき取る。
「はい、綺麗になりましたよ。あまりに愛らしかったので、自分で気が付くまでは黙っているつもりでしたが、我慢できませんでした」
まだソースが付いたままのご主人様は笑う。
「私もお礼にご主人様の口元を拭かせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「それは嬉しい提案ですね! 断る理由がありません。全部食べ終わったらお願いしますね」
「なぜ私は途中で拭き取ってくれたのですか⁉」
「心配しなくても、また拭いてあげるから大丈夫ですよ!」
「そういうことではなくてですね! 二回拭けてラッキーとか思って──」
ご主人様は「早く食べなければ」と席に戻っていく。私はこれ以上言っても、何も起こらないことはわかっているので、自分も再度ハンバーガーと向き合う。
しばらく、お互いが声らしい声をあげずに黙々と食べ進めていると「リリー」と名前を呼ばれた。その声に反応するように私はご主人様の方へ顔を向ける。
「あなたと一緒だと何を食べても美味しいですね」
「そんなの今更ですよ。──私もそう思います」
私の目の前にはハンバーガーよりも魅力的に見えるご主人様がいる。
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