食べ損ねる日

「では、これで今日の講義は終わりです」


「「「ありがとうございました」」」


 私の終わりを告げる声に生徒の声が返ってくる。

 それからガサゴソと荷物を鞄に詰め込む音がする。私も後ろを向いて一息吐くと、荷物を鞄に入れ始めた。


「エリン先生質問いいですか」


 声が掛けられた。私は手を止めて彼の方へ向いていいですよと伝える。


「先生って結婚しているんですか?」


 彼の言葉を聞くなり、教室中の生徒の視線が私の元に集まった気がする。プライベートな問いを聞かれたことよりも、生徒たちは意外にも私について興味があるようなのが意外で驚いた。真面目に取り合わなくても良かったのだが、この子たちには自分がどんな風に見えているのか気になった。


「どうしてそう思ったのですか」


「先日、大通りで小さい女の子と一緒にいるのを見かけたからです」


 彼が言っていることは正しかった。私には一緒に暮らしている少女がいる。街に一緒に行くことも時々ある。


「凄かったんですよ。荷物を頭上で持ち上げて歩いていました。あの重力操作の魔法を教えてくださいよ」


 明確に記憶している出来事を思い出した。


「私は結婚していませんし、その子は私のこど......」


 そこまで言いかけて口が噤んだ。意識的にその先の言葉を口にしたくはなかったのだ。私は一度咳ばらいをする。


「とにかく結婚はしていませんから。これ以上は詮索しないように」


 私は逃げるように教室から出た。








「はぁー」


 学校の私室に逃げ込んだ。ストレスが多い環境で唯一の安心できる場所であった。教師としてどうかと思うが、電気を消しておけばノックに応じることもしなくていいし、私の為に用意された部屋なので誰かが無断で入ってくることもないからだ。


 少女の名前はネリネという。私の子供ではないが、事情があって彼女がもう少し幼かった頃から一緒に暮らしている。彼女は健気に私の身の回りの世話をやってくれている。私としては彼女には幼子なりに育ってほしかったのだが、森の魔女わたしに引き取られた時点でそれは叶わぬ願いだったのかもしれない。私の望みから離れるように彼女は私の事を敬い、従者になりたいと申し出るのにそう時間はかからなかった。


「私とリリーは親子のように見えたのでしょうか」


 ぽつりと口を衝いて出た。

 胸に手を当てて、落ち着いて思考を回す。嬉しさと不安感のどちらともがあった。私は頭上の耳を触る。髪の毛はおろか種族が違う。むしろ類似点を探す方が難しい。それでも彼女の隣にいて違和感なく母親に見えたのであれば願ってもないほど幸福な事であった。


 気持ちが落ち着いて来たので私室から出る事にした。帽子を被り直して鏡の前に立つ。今ここにいるはずのない彼女の姿が見える。居ても立っても居られなくなり、すぐに私室から飛び出した。









「リリー!」


 私は家の扉を勢いよく開けた。学校を急いで出た後、物凄い速さで街を駆け、森を突っ切ったので息が上がる。上手に魔法が使えればこの程度の距離で疲れる事はないはずだが、私はどうも下手なのだ。


「何かありましたか?」


 リリーはしゃがみ込んでいる私に駆け寄って来て、立つのを助けてくれる。

 彼女に介抱されて家の中に入り、ソファーまで行く。それから彼女は私の隣に腰を掛けて心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「不肖ながら私に話してはくれないでしょうか?」


「何かあったわけではないのです。ただ無性に貴方に会いたくなってしまって」


「へ?」


 リリーは素っ頓狂な声を上げる。


「可笑しな話ですよね。やっぱり忘れてください」


 私はそう言うとソファーから立ち上がり、2階に上がろうと歩き出した。すると、腕を引かれた。


「待ってくださいよ。まだ良いも悪いも言ってません」


 私は彼女の方へ体を翻す。


「わかっているつもりです。私の為にご主人様はお仕事をなさってくれていると。ですが、私だって寂しいですよ。早く帰って来て欲しいと切に願っています」


 口をあんぐりとさせるだけで言葉が出せなかった。体が抜け殻になったかのような衝撃が走っている。

 伸ばされたリリーの手に引っ張られるがままにソファーに座る。それから失礼しますと言い、私の膝に彼女は座った。


「ほら、私の事が恋しかったのですよね」


 リリーは私の体に体重を預けるようにもたれかかる。私は彼女を受け止めるように両腕で抱き締める。

 体は暖かくとても小さい。だけど、抱き締められているのは私ではないかと錯覚するくらいの安心感で心は満たされていく。


「リリーは本当に小さいですね。とても立派な従者なので子供だと言う事を忘れてしまいますよ」


「そうですか?こんなのはご主人様の真似っこに過ぎませんよ。ご主人様なら私にこうしてくれると思う事をやっているだけですよ」


「それなら、いつまでも側に居てください。」


「はい。お望みであれば」


 しばらくの間その場から動く事はしなかった。








 気がつくと、すっかり日が暮れていた。リリーを膝の上に乗せたまま寝てしまったようだ。彼女もすやすやと寝息を立てているようだった。私は起こさぬように彼女の頭を撫でる。


「今日は寝てしまいましょうか」


 私はリリーの頭と体を守るように腕を回すと、体を横に少しずつ倒して、ソファーに寝転ぶ形をとった。


「おやすみなさい」


 私は目を瞑った。

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