白身魚のムニエル

「私も今日は買い出しに行こうと思います」


 目の前にいる桃髪の少女に私はそう言った。


「街へ買い出しに出掛けたい。間違いではないですか?」


 少女は落ち着いた様子で私の言葉を繰り返した。まん丸な目をパチパチさせて私の真意を汲み取ろうとする。


「はい、そう言いました。近頃はリリーに任せっきりですし、今日は一日空いているので絶好の機会かと」


「それは分かるのですが......」


 彼女は途中で口籠る。なんとなく彼女の言おうとしている事には察しがついた。私は獣の耳や尻尾が生えている。人間と少しだけ獣の特徴を持っている姿からネコミミと呼ばれる。人間でも無ければ獣人でもない半端者なのだ。だから私が人間の街でケモミミだと知られれば、獣人のスパイの疑いをかけられ、酷い目に遭う事は避けられないと彼女は考えているのだろう。


「大丈夫ですよ。これでも街では立派な先生ですよ。リリーは私と買い物したくはないですか?」


「それは狡い問いかけです。したいに決まってるじゃないですか」


「そうであれば答えは決まっているではありませんか。一緒に行きましょう」


 私は強引に話を進める。


「心配しなくても大丈夫ですよ。帽子を被ればバレません。もしバレたとしても私は強いですよ」


(ご主人様は攻撃魔法なんて一切使えない癖に)


 リリーが私に聞こえないように、小声で言う。私は彼女の心配を取り除こうと一歩ずつ彼女に近づくと、優しく抱きしめる。


「やっぱり、嫌です。私はご主人様が街へ行くことを許可出来ません」


 彼女は私の腕の中で涙ぐみながら言葉を吐く。その姿を見てようやく正気に戻る。彼女を悲しませてまでやる事ではないと気づいた。


「申し訳ありません、リリー。やはり私は家で待っています。エマと一緒に行って来てください」


「はい。そうして頂けると私は安心です」


「でもリリーだって気をつけなきゃいけないよ。悪い心はヒトだろうとケモノだろうと持ち合わせているのですから」


「はい、気をつけます。もしもがあればご主人様を呼びます」


「大きな声で呼ばないとダメですからね」


「声の大きさは関係ないじゃありませんか。どうせ、こっそりと使い魔を仕向けるのでしょう」


「そんな邪悪なものではありませんよ。私には貴方の無事をただ祈ることしか出来ません」


 一瞬力を強く込め、彼女の事を解放する。それから彼女が外出の準備をする様子を眺める。





「それでは、いってきます」


 扉の前でお辞儀をするリリーを見送る。赤色のタータンチェックのサロペットが良く似合っている。


「くれぐれも気をつけてくださいね。エマによろしくとお伝えください」


「はい。それと今夜、何か食べたいものはありますか」


「うーん......魚が食べたいです」


「ではムニエルなんてどうでしょうか?新鮮そうな白身魚を見てきます!」


「うん。楽しみにしていますね」


 私は彼女の事を手を振って見送った。







 リリーは家から出た。先ずはエマの家に向かう。とはいえ本当に隣にあるので直ぐに着く。ノックして呼びかけると直ぐに返事が返ってきて、扉が開いた。


「はーい、待ってたよー。それじゃあ向かおうか」


「はい。今日はよろしくお願いします」



 エマは目を瞑ると集中力を高める。目を開けると同時に速度上昇の魔法を発する。彼女の足元に青白い光が集まり次の瞬間には発散される。地面の感触を確かめるように足踏みをすると、まるで階段がそこにあるかのように上に上がる。


「凄いです!」


 リリーは声を上げる。彼女にありがとうねと言葉を返すと、リリーの事を抱き上げた。


「それじゃあ、ひとっ走りするからしっかり捕まっていてね」


 そう言うと空を駆け出した。

 数分後には門前まで辿り着いていた。エマはリリーの事を地面に降ろす。


「エマ空便到着です!」


「連れて行って頂きありがとうございました」


「いいのいいの。リリーちゃん抱えるくらい、どうって事ないもの」


 エマは腕を折り曲げて、力こぶを作って見せる。そんな二人のやり取りを気にも留めない様子で人の往来は絶え間が無い。一度自分の位置を見失えば迷ってしまうだろう。


「それにしても凄い人の量ですね」


「だね。迷子にならないように手繋ごうか」


 エマはリリーの手を握る。リリーはそれを受け入れて握り返した。二人は街に入っていく。


 まずは織物屋に行く。

 店に入ると鮮やかで色とりどりな巻物がお出迎えしてくれる。

 ご主人様から頼まれたのは黒の布である。ローブの裏地を補強する為の布である。昔から大切に着ているらしく、内側はつぎはぎなのだという。私が見ても特別に補強した跡は見えなかったので何か特殊な編み方でもあるのだろうか。

 私からしてみれば料理でさえもご主人様にはまだ及ばないと思うのだが、裁縫に関しては逆立ちをしてもご主人様と同じくらいには上手くならない気がするのだ。


「黒の布だっけ。これはどれを買えばいいんだろうね?」


 リリーが思い耽っているとエマが黒の布が置いてある棚を見つけた。

 ある人に言わせれば白は200色あるらしいが、黒は300色あるらしい。このお店にある黒の布でさえも数十種類以上はあった。ただ、私に違いなどわからなかった。


「エマさん、この黒とあの黒って同じに見えませんか?」


「うん。全く同じだね」


 私は自分の目を疑い、エマおねぇさんに確認をしたのだが、彼女もまた私と同様に見えているらしい。


「ご主人様は違く見えているのでしょうか」


「何か細かい名前とか聞いてるの?」


「いいえ、残念ながら黒としか聞いていません」


「エリーがそんだけしか言わなかったって事は行く気満々だったんだね」


 残念そうに私を見送ってくれたご主人様の顔が浮かぶ。私の気持ちを理解して折れてくれたのだと分かるのだが、後悔している自分もいる。もし、この場に彼女がいれば人差し指をくるくると回しながら、色の違いを熱弁してくれたのだろうか。


「まぁ、これで良いんじゃない?」


 エマは名前に黒とだけしか入っていない布を指差す。


「そうですね。私達には区別がつかないですからね」



 私達は黒色の布を買って店を後にする。

 次は色々と食材を買いに行く。








 この街の市場ではおおよそ思いつく限りの食材が手に入る。王都と名前がつくだけあって、全ての物流はここに集まってくるのだ。

 リリーはエマに連れられて、野菜に肉に魚、小麦などを選んでいく。そこで食材の目利きを教えてもらうのだ。


「リリーちゃんはまだ幼いのに偉いわね」


「いえいえ、ご主人様に仕える身ですので」


「エリーはこんな可愛いメイドさんがお家にいて、幸せ者だね」


 リリーはエマに褒められて、顔を赤くする。側から見ていれば、まだ推定10歳ほどの少女が親のことをご主人様と慕い、流暢な言葉遣いで家事をこなしているのは何とも不思議で、裏がある事は間違いないのだが、そこに触れたことはなかった。


 それには幾つか理由があるのだが、友人が少女に酷いことをしていないというのは、隣で嬉しそうに野菜と向き合っている彼女の事を見ていればわかることであるからだ。


「エマおねぇさん!こちらに来て頂けないでしょうか?魚はどのように選べば良いのですか」


 エマがぼんやりとしていると、リリーは魚売りのお爺さんの前で手を振っていた。エマは今行くよという返事と共に手を振り返した。


「嬢ちゃん!何の魚を買うのかね?」


 リリーが魚売りに話しかけられていた。だが、背筋をピンと伸ばして固まっている。


「あー。この子人見知りが酷くて」


 エマはすかさずフォローを入れる。リリーはご主人様とエマ以外と話す事が苦手なのだ。


「そうなのかい。嬢ちゃん悪いことをしたね」


 魚売りの謝罪に対してリリーは頭を下げる。エマはそんな彼女の背中に腕を回して安心させる。それから鮮度の良さそうな白身の魚を買い、店を後にする。


「申し訳ありません!」


 エマに手を引かれて歩くリリーが謝罪を口にする。彼女にそんなに気にしなくても良いと言葉を返すがどこか不服そうであった。


「貴方のご主人様は人と話せないぐらいで失望する人なの?」


 リリーには酷な質問だと分かっていてエマは問いかける。初めから答えは一つしか存在していないからだ。

 勿論少女は首を横に振る。


「だったら胸張らないとね。従者が背中丸めて歩くなんて、そんな失礼なことないからね」


 リリーは、はいと短く頷くと涙を袖で吹いて深呼吸をする。エマはそれを見届けると再び歩みを進めるのだ。


「帰りはどうしようか?そういえばあの森って馬車出してもらえるのかな」


「厳しいかもしれませんね。魔女の森という名前がついていますからね」


 荷物が想像以上に多くなってしまったので困り果ててしまった。二人とも両腕が塞がってしまっているので息のようにエマがリリーを抱える事が出来なくなったのだ。こういう時は大体馬車に乗るのが便利なのだが行き先を魔女の森と告げれば逃げ出すか険悪な雰囲気になることは間違いなかった。


「ごめんね。私がリリーちゃんにも身体補助の魔法をかけてあげられれば良いんだけどね」


「いえいえ、であれば途中の街道まで連れて行ってもらいますか」


 二人は馬車乗り場まで移動する事に決めて、歩き出した。


「おやおや、両手に沢山の荷物お困りの様ですね?」


 聞き慣れた声が正面から聞こえた。

 青い髪に魔女の帽子を被った女性が向かってくる。


「ご主人様!」


 リリーは駆け出して魔女の体に飛び込んだ。魔女は優しく受け止める。


「買い物は全て出来ました?」


「はい!」


「偉いですね」


 魔女はリリーの頭を撫でる


「私も頑張ったからいい子いい子してよー」


「もう。仕方が無いですね」


 エマは魔女に向かって膝を曲げて頭を差し出す。



「それでは門前に荷馬を待たせてあるので帰りましょうか」


「はい」

「ありがとー」


 二人が抱えていた荷物は宙に浮き出した。


「重かったですね。私が運びますよ」


「ちょっと目立ちすぎじゃない」


 その様子を見にした周りの人達は何やら騒めき始める。


「ほら、早く行きますよ」


 リリーの手を握った彼女はズイズイと歩いて行く。


「ちょっと待ってよね!」


 こうして魔女に連れられて二人と四つの袋は無事に森へ帰って行くのであった。



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