第19話 蚊 虻

 中国の山奥では、多種多様な生物が人間の生存圏にまで侵入するが、この生物は日本の都心部でも見掛ける。

 ブ~ンという高い羽音で有名な【蚊】という昆虫だ。


「中国の蚊は蚊取線香でも万全じゃあないとはなぁ」


 ここ数日ほど、隊員達は蚊に悩まされていた。

 隊員の中には、完全密封されたコンバットスーツを着たまま寝る者も出るが、食事やトイレなど、一日中という訳にはいかない。


「隊長は刺されないんですか?顔とか」

「俺は蚊が嫌う音を出しているから大丈夫なんですよ」


 隊員からの質問に、栗林は気さくに答えた。

 クリケットの能力として背中の羽で、広い音域の音が出せる。

 蚊には嫌いな音域があり、一部の虫除けに使われているほどだ。


「ずいぶんと便利な身体なんですね。あっ、いや、失礼しました」


 成りたくてなった肉体では無い事は、隊員にも話している。

 細かな味覚も生殖能力もなく、他にも幾つかの欠点があるのだから。


「実は、隊員の中で不調を訴える者が出始めましてね」

「補給した水にでも当たったんですかね?」

「腹痛の方ではなく、発熱なんです。今のところ薬で誤魔化していますが」

「他に何か共通点は有りますか?」

「そうですね、強いて言えば【】や【あぶ】に多く刺されている位ですが」

「マラリアや野兎病みたいな物でもあるんでしょうかね」


 蚊によって媒介されるマラリアは、微小なマラリア原虫が蚊の体液を経由して人間に感染する。

 症状は発熱を伴う虚脱感や関節痛などで、致死率は40%近くに至る。


 他にも蚊や虻によって感染する野兎病は発熱と肺炎を伴い、無処置の致死率は10%にも及ぶ。


「皆が予防接種は受けている筈ですが」

「beeingの新種かも知れませんよ」


 蟻やゴキブリを産み出して操るbeeingのサイボーグも居るのだ。

 新種のマラリア蚊ぐらいは作るかも知れない。


「もしコレがbeeingの仕業だとしたら、自衛隊ではどうしようもないですからね」

「戦闘サイボーグが直接攻めて来るより、よっぽど強敵ですよ。目の前の虫を倒しても、後から後からやって来て、本体は姿を隠しているんですから」


 beeingの協力者や洗脳者のうち重要な者には、専用の予防接種が施されているのだろう。

 人類側がワクチンを開発しても、すぐにワクチンの効かない新種を作るに違いない。


「あと、二・三日だと言うのに、我々は足手まといになりますか」

「どのみち、研究所には俺ひとりで行くのですから、元気な方のみ入り口まで同行して下されば結構なんですがね」


 計画の詳細は、中国側にも隊員にも知らせてはいない。

 ただ、栗林の他には副隊長と、船に残った越智だけが知っている。


「一応、人員のローテーションで休ませてはいますが、中国軍側が無理そうです」

「中国軍には監査役として、俺が入る所までは見てもらわないと困るんですが」

「装甲車に乗せて無理矢理にでも連れて行きましょうか」


 ここは日本では無いので、現地軍の立合い無しでの行動はできない。

 少なくとも、beeingの関係施設だと分からないうちは、攻撃できないのだ。


 結局は、バイオテックラボラトリーの百キロ以上手前の町で部隊は滞在し、栗林と装甲車、バイク二台が研究所に行く事になった。

 施設用に舗装された道を三時間走り、栗林達は研究所に到着した。

 町からは、彼等の後をつける様に一台の普通車が走ってきている。


「国連軍の査察だ、通して貰おう」

「御予約を受けていない様ですが?」

「予約を入れたら抜打ちの査察に成らんだろう。中国政府の許可なら取ってある」


 装甲車から中国軍人が姿を現し、強制執行の書類を見せた。

 ゲートのセキュリティは連絡を入れて渋々と栗林達の車を通したのだった。


 栗林達の車が通ってゲートが閉まる寸前に尾行してきていた車が突込み、装甲車を追い抜いていく。

 警備員が笛を吹いて制止するが、逆に栗林達が邪魔になって後を追えない。


「何なんだ?今のは!」

「何にしろ、我々には関係がない。警備員の不手際だ」


 栗林達は何事も無かったかの様に、研究所へと車を進めるのだった。


 研究所の建物に入る所には、更にゲートがある。

 宿舎は別の建物なので、研究所に入っていく所員の姿が目にはいった。

 先の車はジャーナリストらしく、マイクを持った女性とカメラを構えた男が入所前の所員にインタビューしている。


「研究所で何か事故があったんですか?」

「さぁ?」


 女性インタビュアが、所員の口元にマイクを向けている。


「国連軍が来ていますが、何が有ったんですか?」

「何も無いはずだが・・」


 その様子を見ながら、栗林はバイクを降りてコートを着込んだ。


「あなた、国連軍の人ですよね?事件ですか?」

「守秘義務があるのでノーコメント」


 駆け寄ってきたインタビュアに、栗林は無表情に返してゲートへと進んで警備員に声をかけた。


「久しぶりだなビンセント。覚えてるか?」

「ドクター栗林?何年も前に行方不明になった筈ですが生きてたんですか?」

「生きていたというか、何というか・・・兎に角、今日は国連の査察役として来たんだ。これが中国政府の許可証というか、強制執行の書類だよ。所長に通してくれ」

「外ゲートから報告は受けてますが、査察官は御一人ですか?」

「そうだ。俺はココに詳しいし顔も知れてる。軍人がゾロゾロ歩いてたら迷惑だろ?」

「確かにそうですが、少々御待ちください」


 報道のカメラも回っているので、荒事にはならない様だ。


「許可が出ました。ご承知とは思いますが、この仮IDで危険区域以外は通行できます。直ぐに所長に会いますか?」

「いや、知り合いに挨拶をしてから向かうから、一時間くらいブラブラするよ」


 ゲート職員が栗林の胸にIDカードを取り付けた。


「持物検査は・・させてもらえないんでしょうね?ドクター栗林」

「こっちも【社外秘】みたいなものがあるんでね」


 ゲートを入る直前に栗林は、手に持っていたフルフェイスヘルメットに気付き、一瞬だけバイクとゲート詰め所を見たが、踏ん切りをつけて鞄とヘルメットをもったまま中へと入って行った。

 規則に伴い、今は【部外者】となった栗林に、警備員が一名同行していく。


 ゲート職員にガードされて報道の者は、所員へのインタビューを諦めていた。

 代わりに国連軍の装甲車へと女性インタビュアがマイクを差し出して詰め寄っていく。


「報告します。十数人を調べましたが、所員の半数以上が洗脳されています」

「御苦労だったな、美咲軍曹。熱があるんだろ、もう車で休め」

「了解です。ありがとうございます」


 この乱入した報道機関も、実は自衛隊員だったのだ。

 マイクには洗脳者の匂いに反応するセンサーが内蔵されており、カメラの映像に顔と判別結果が記録される仕組みだった様だ。


「これだけでも、証拠としては十分だと思うのですが?」

「だが、半数近くは違うのだろう?攻撃対象とするには、サイボーグなどの証拠が欲しい」


 中国軍も、容易には民間施設の攻撃に踏み切れない。

 犠牲が出るなら、その犠牲に見合うだけの物が必要となるのだ。



 研究所に入った栗林は、見知った顔に挨拶をしていた。

 皆が驚きの後に笑顔を返してくれたが、知らない顔も幾つかある。


「施設は変わらないが、人員は変化があるな」

「ええ。ドクター栗林と同様に行方不明になった所員が何名か居ますから。他の企業に引き抜かれたか、軍の開発部に拉致されたか、事件に巻き込まれたか、未だに分からないままです」


 栗林の言葉に、同行者のジャンが答えた。

 彼も顔見知りの一人だ。

 当然だが、洗脳を受けていない者があてがわれている。


「近くの町でも、行方不明者が多いって聞いてるよ。中国はいろいろと物騒だよね」

「ドクターの国、日本って治安が良いんでしたっけ?それと比べたらアメリカも物騒ですけどね」


 研究所員の状況は調べられれば分かる事なので、居なくなったのを下手に隠蔽はしないのだろう。

 実際は、その大半が戦闘サイボーグとなって各国へ飛んでいるか、洗脳や改造に適応しなかったのだろう。


 栗林はゲートで渡された情報パッドを手に、入り口に近い一つの研究室を目指していた。


「スティーブンは現在みたいだな」


 多くの古株所員をファーストネームで呼べる仲に、栗林はなっていた。

 その男の研究室をノックする。


「元気か?スティーブン」

「ハヤトか?生きてたのか?本当にハヤトなのか?」

「そうやって、ポーカーの貸しを誤魔化す気じゃないだろうな?」


 笑いながら抱き付くスティーブンに、変わりはない様だ。


「今日は仕事で来たんだ。だが、手ぶらじゃないぞ!嵩張らない様に小物しか持ち込めなかったが、土産もある」

「なんだ、酒じゃないのか?万年筆?まぁ、仕事ならな」


 警備員のジャンが、一応は品物をチェックしてスティーブンに返している。


「じゃあ、他にも挨拶をするんで、後で会おう」

「そうだな、いろいろ話を聞かせろよ」


 手を振りながら笑顔で別れる栗林は、部屋を出て表情を変えた。


「奴もか!」

『ああ、洗脳されている』


 栗林に関する情報や指示が、全ての洗脳者に与えられているとは限らない。

 彼にとっては、本当に旧友との喜ばしい再会だったのかも知れない。


 だが、栗林にとっては辛い再会となった。


 栗林は警備員のジャンに表情を読まれない様にしながら、所長室に向かうまでに、四つ程の研究室を巡ったのだった。

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