第9話 毒蟻

「巨大ムカデと小さい蟻のコラボかよ!」


 サイズは1センチくらいと見慣れたものより大きめの蟻だが、それが黒い絨毯の様に迫り、逃げる人々の体じゅうに赤い発疹の様な傷を残す。

 一旦は真っ黒になった人間は小刻みに痙攣し、やがて動きを止めた。


「軍隊蟻か?それも毒蟻なのか?みんな逃げろ」


 クリケットは、切り離されたムカデの一体を掴み取り、越智達の避難している所まで跳んだ。


 手に持つ死体に刃を刺し、流れる血潮で皆の周りに大きな円を描いく。


「暫くは、この円から出るなよ」

「同士討ちを防ぐ為の、奴等の体液か?」


 クリケットは、毒蟻達が巨大なムカデには取り付かない事を見ていたのだ。

 その予測通り蟻達は血糊に接触すると、それを乗り越えようとはしなかった。


「ムカデは自衛隊に任せるとしても、蟻は厄介だ」


 自衛隊が、この大ムカデを自然災害と見たか、他国からの生物兵器と見たかは分からない。

 だが、意外と奮戦してくれている。


 ムカデの血にまみれたクリケットにも、蟻が襲い掛かる事は無かったが、彼の能力では踏み殺すのが精一杯だ。

 なのでムカデの死骸を集めては、その血を広範囲にばら蒔いていく。


 蟻の毒については日本での馴染みは少ない。

 だが、南米大陸原産のヒアリは、アルカロイド系の毒を持っており、痛みや痒みの他にアナフィラキシーショックを起こす場合がある。

 当然だが、Beeingの送り出す蟻が、その程度の危険性である筈はなかった。


 大怪獣ムカデが暴れまわり、毒蟻が這い回って地獄絵となった機動隊で、裏口側から逃げる存在にクリケットは気が付いた。

 新たに【Beeingの匂い】がしたからだ。

 毒蟻からは匂いがしないので、大ムカデから離れた所では目立つのだ。


「女王蟻か?さっきまでは匂いもしなかったが・・・・」


 災害を起こしている張本人が敵前に現れるなどと言うのは子供向け番組にしか有り得ない。


 蟻地獄の時もそうだが、敵の手が届かない所から攻撃するのは、射撃同様に常套手段だ。


 毒蟻を送り出している大元は、離れてはいないが隠れているものだ。

 その匂いは、ある程度の毒蟻をばら蒔いて、撤退する蟻のサイボーグなのだとクリケットは考えた。


「見付けた・・・と思ったら、御前か?」


 大ジャンプして向かうと、それは公安内部の協力者【野崎】だった。


「この匂いは・・・アンプルか!」


 恐らくは、小瓶に詰めた体液を服に掛けたのだろう。

 野崎のズボン付近からだけ、匂いはしていた。


「チクショウ!来るなぁ~」

「逃がすかよ」


 クリケットは、塀を乗り越えようとしていた野崎を捕まえ、公安職員の居る所にまで引き摺っていった。


「御前には、まだ聞きたい事が有るからな」

「俺がどこまで知ってると思ってるんだ?」

「Beeingとクリスティナ・リー所長は繋がってるのか?」


 クリケットの知る限りクリスティナ・リー所長も、昆虫学者時代に似た様な事を言っていたと聞いた事がある。

 実際に【女王蜂】は彼女なのか?とも考えた。

 だが、蜂に襲われてからは方針を変えた筈だった。では、昔の信奉者達の仕業なのか?


「クリスティナ・リー?ああ、バイオテックラボのトップですか!なかなか詳しんですねクリケット。だが、俺を痛め付けても【女王蜂】の正体は知りませんよ。それは【働き蜂】達も同じですが」


 匂いによる本能で従っている者に、情報は必要ない。

 いや、説明できない。

 説明能力のある者に、情報は提供されないのが【秘密】の守り方だ。


「ここでも虐殺をしといて【人類の存続】とは片腹痛いな」


 公安職員の一人が野崎に詰め寄った。


「Beeingは、人類を滅ぼそうとは思ってないんですよ。ただ、数を調整したいだけと聞いてます」

「そうして、自分達サイボーグだけの楽園を作るのか?」

「楽園も何も、サイボーグにまで成る者は生殖能力を放棄してますから。私も家庭を持つつもりがありませんがね」


 そう言って野崎はクリケットの方を見た。


 実際に、家庭を持たない刑事は多い。

 仕事が忙しく、交遊関係が少ない事と、暴力団などに家族を人質に取られる事があるからだ。

 親の家には数年に一度の帰郷で済むが、自宅にはそうもいかず、尾行されれば直ぐに発覚してしまうのだ。


「調整だと?」


 この【野崎】の言う通り、確かに環境破壊の要因の一つには人口増加がある。住む場所の為に自然を破壊し、増えた需用を賄う為に農地を広げて森を切り開く。


 1960年代に一億だった日本の人口は、半世紀足らずの間に一億三千万と三割増しにもなっている。

 その間、日本の国土は一割も増えてはいないのに。


 加えて生活レベル向上の為に一人辺りのエネルギー使用量は年々増加し、空気や土壌は汚染される。また、工場の稼働や新設の度に排出される産業廃棄物により、土壌だけではなく生態系も汚染されるのだ。


 高度成長期以後の日本は、その【負の部分】の大半を海外に依存している為に国民の多くが認識不足に陥っている。

 目の前だけを見て『大丈夫』なのだと。


「将来的に人々は、食料や環境を求めて争いを始めるだろう。現在のままだと、人類の文明は、多くの環境を巻き添えにして百年以内に滅びるという予測さえある」


 越智も、その認識は持っているらしく、野崎の言動が狂人の戯れ言でない事を語った。


 客観的には、その人口を自然環境の許容範囲以下に押さえれば、【周りにある自然の恵み】だけで存続させる事も可能だと言えるらしい。


「人間の数を調整するだと?何様のつもりだ?」

「勿論【人間様】ですよ。これはあくまで【人間による自粛】なんです。自由主義の国家でも【法による自粛】は必要でしょ?人間の警察も政府も、目先の事にとらわれて、その【自粛】をやらないから人類が破滅に向かってるんじゃないですか!そんな怠慢な貴方達に政府や警察を語る資格が有ると思っているんですか?」

「・・・・・・・」


 【協力者】と言えど、理論武装している様だった。


「御存知ですか?哺乳類が生存に必要な自然環境の面積は、一個体のサイズによって違う事が統計学によって知られています。ネズミよりも人間の方が広い面積を【消費】しないと【環境を喰い潰す】ことになって自滅する。今までの人間は、他の生物の分まで喰い潰してきたから存続できた。だが、それも限界に来てるし、地球の総人口百億なんてマトモじゃあない」

「一体、何人殺すつもりなんだ?」

「確か、日本の面積での人間サイズなら一千万人くらいが統計学での計算だった筈ですよ。」


 公安職員達は、口を開けて呆然とするしかなかった。

 数体のサイボーグを犠牲にしたとは言え、その数人が殺傷した人数は数百人に及ぶ。

 実際に公安職員も三分の一にまで減っている。


「一割以下じゃないか!残りの一億二千万人は殺すのか?」

「競争と戦争好きの人達が、何を言ってるんですか?今までが【異常】なんですから」

「オカシイのは御前等Beeingだろ!」

「好きで虐殺なんてしませんよ。先祖達や、社会を構成している大部分のやってきた【ツケ】を払わされているんですから」


 野崎の言う事に論理的な反論はできなかった。

 ただ、自己防衛本能が現状打破を叫び、【兎に角は否定しろ】と騒ぎ立てている。


「更に恐ろしいのは、クリケットを含むサイボーグ達が、ワンオフの【一点物】じゃなくて、既に【量産品】だと言う事だよ。それに連携取られたら、首都くらい滅びるんじゃないかな」


 越智がノートパソコンのデータを見て、可能性を示唆した。


「防衛体制も【協力者】が邪魔するから、ズタズタになるだろうしな」

「まさか、ここまてBeeingの魔手が伸びているとは思わなかったしな」


 更に、インフラや情報操作ができる彼等なら、絵空事ではないのだろう。


「既に我々Beeingの行動は始まっているんですよ。貴方達には成す術などありません」


 野崎は既に勝利宣言をしている。


「あのムカデの様な物は兎も角は自衛隊に任せるとして、蟻の様な奴は元のサイボーグを倒さない事にはどうしようも無いぞ」


 本体が姿を現さない戦闘ではクリケットにもどうしようもない。


「小さな虫を使うサイボーグか・・・・待てよ?まさか、世界各地で増えている病気や、ゴキブリによる農作物の被害もBeeingの仕業なのか?」

「さてなぁ?俺がソコまで知らされていると思うか?」


 公安の一人が気が付き、野崎に詰め寄るが、末端の協力者に不必要な情報が与えられる訳もない。

 自白剤を使われたら困るなら、最初から教えなければいいからだ。


―――――――――――

参考資料


ゾウの時間ネズミの時間

中央公論新社/本川達雄 著

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