第3話 予備バックアップ
栗林隼人の失踪から、既に半年以上が経っていた。
都内の橋のたもとにある公園前に一台の車が止まり、男が降りてきた。
周りを気にしながら彼は、公園のベンチに腰をおろす。
タバコを一本吸い始めると、近くの茂みからホームレスらしき薄汚れた男がスポーツバッグを抱えて姿を現したのだ。
「タバコを一本もらえませんか?オーバーインテリジェンス」
「マロンか?久しぶりだな。御前は吸わないだろう。元気だったか?」
「ああ、十年ぶり位か?まぁ、元気と言うか何と言うか・・・」
この呼び名は、一部の人間しか知らないものだ。ある種の合言葉と言えなくはない。
学科は違うが、ある目的の為に
「突然、『大学時代の借りを返せ。グラッセより』とメールをもらったのには驚いたよ」
「御前が、まだ裏アカウントを使っていたのは助かったがな」
【グラッセ】とは、勿論【マロングラッセ】を意味し、【マロン】を直接名のらない為に使われたのだが、日本人なら誰でも察するだろう。
「メールを貰ってから調べたが、御前は指名手配を受けてるぞ。確か『バイオテックラボラトリーから試作機を盗んだ』とかでな。以前の俺ならいざ知らず、今の俺は公安の【ホワイトハッカー】なんだから、御前じゃなけりゃ捜査員を同行していたところだぞ。いったいどうしたんだ?」
「それが、とんだ【試作機】なのさ。兎に角、車で移動できるか?」
「ああ、勿論だが・・・自家用車なんだ、汚さないでくれよ」
「この服の柄は塗装だ。汚れじゃあない」
車に近付くと、栗林は車輌の後で立ち止まった。
「すまないが、後ろを開けてくれないか?」
「何だ荷物か?」
越智は車に乗り込むと、運転席から後部トランクドアを開けた。
栗林は、トランクルームの中をまさぐると、薄いシールの様な物を剥がして、黒く鋭利に変化した爪で切り裂いて捨てたあと、扉を閉めて後部座席に乗り込んだ。
「あれっ?荷物を入れたんじゃないのか?」
「いや、トランクに虫が入り込んでいたみたいだったんだ」
「そうか。で、何処に行く?」
「先ずは、スマホやパソコンを、この袋に入れてくれ」
「電波を遮断する袋だな」
携帯やモバイル機能があるツールは、位置情報を割り出す電波を出している。
「実は、この近くに某大学の薬学科分校があるんだ。場所は・・・・」
越智は、栗林の言う通りに車を進めた。
「中に入るのか栗林?許可は必要なんじゃないのか?」
『エンジン連動の発振器の類いは無い様だ』
「分かっている。大丈夫だよ越智」
裏門から入る時に、栗林が後部席の窓を開けてIDを出すと、守衛はゲートを開けてくれた。
「『笹木』って、それは偽造IDか?」
車のドアミラー越しに、越智にもIDが見えた様だ。
「【栗林隼人】は、祖国日本にも指名手配の連絡が来ている。中国出国時に国籍ごとマフィアから買った」
「よく、そんな金があったな」
「中国の富裕層の家から拝借してきたのさ」
「御前なぁ~」
越智は眉間を押さえながら車を駐車場に停めた。
栗林の後を追う様に、越智は建物の地下室へと入り、機械室へと入っていく。
「御前、鍵まで持っているのか?」
「名目上は、俺は薬学被験者の一人だが、ここの教授が学生時代の後輩でな。数年前から施設の一部を借りている」
「数年前?その教授は俺も知っている奴か?」
栗林は、首を横に振った。
二人が行き着いた場所には空調音と共に巨大な機械の箱が光を発していた。
「これは、ネットワークサーバーだな?これを盗んで・・・な訳はないか」
「これは、数年前から設置されている、バイオテックラボラトリーの【バックアップミラーサーバー】の一つだ。俺は研究所でシステムの保守を任された一人で、ミラーサーバーの設置は各担当者に任され、場所も担当者しか知らない。研究所には中国国内に有ると報告してあるが、実際には中継器があるだけだ。この中にバイオテックの秘密もバックアップされている」
「犯罪の証拠って訳か!だが、栗林の担当なら、サーバーの内容を消されてないか?」
「それには手続きも含めて丸一日かかる。だが、俺は半日で電話を掛けて、日本での回線を物理切断した」
部屋の壁には、黒く焦げた電話回線ボックスがあった。
電話を掛けて、暗号の
ある意味ではハッキングやウイルスからサーバーを守る手段と言えなくはない。
「バイオテックは、中国だけじゃなく、アメリカ政府高官にも顔がきく大企業だ。多少の秘密なら握り潰されるぞ。それに御前は窃盗犯だろ?」
「そうだな。だが、俺が盗んだと言われているのはコレだ」
栗林はカツラを取り、上着を脱いだ。
「これは、バイクのライダースーツ?いや、違うな・・・。バイオテックの義手技術か?事故にでもあったのか?」
「事故など無い。薬を盛られて目が覚めたら研究所で、こんな体にされていた。もう少しで物理的に洗脳までされるところだった。麻酔が効きにくい体質が幸いしたと言うか、災いしたと言うか」
栗林は、テーブルに置いてあった10センチ角のガラスキューブを掴んで握り潰した。
越智は、落ちたガラスの破片を触って、硬質ガラスである事を感じた。
「戦闘用か?いろんな意味で違法じゃないか?被害者は告発を・・・洗脳なんて本当にできるのか?」
「中国でも知人が変容していたし、日本でも関係者が数人居たので殺した」
「殺したって・・御前は、そんな奴じゃ無かっただろ?人の為になる義手とかを開発したいって、あれほど」
「あの所長に感銘をうけていたからな。だが、肉体的にも変化したが、こんな状況じゃ考え方も変えなくちゃ生きていけないんだよ。越智が自由を確保する為に【警察の犬】になった様にな」
この二人は、大学時代にネットワークハッカーとして暴れていたのだ。
栗林がハード面で、越智がソフト面で協力していた。
企業や政府の陰謀を暴露したり、悪い奴の銀行口座から金を引き出したりしていた。
「確かに俺も栗林も変わっただろうが、その体は変わりすぎだろ」
「痛覚が鈍いうえに、触覚や味覚もおかしい。更に生殖能力がゴッソリ無くなっている。こんな体を望む奴が居ると思うか?」
「童貞のまま死ぬのは浮かばれないよな」
「童貞ちゃうわい!」
一瞬、顔を真っ赤にして壁を叩いた瞬間、コンクリートが崩れ落ちて、鉄筋が姿を現した。
「すまん、そこは信じる。一緒に風俗に行った仲だものな」
研究や技術向上に注力し過ぎて、【年齢 = 彼女居ない歴】なのは間違いないが、そこは【男のプライド】というものが残っている。
しばらく息を整えてから、栗林は咳を一つして話を戻した。
「このサーバーには、俺にも開けないファイルや、不可視ファイルがある。この身体の事や、誰が何を企んでいるかとか、それを見れば分かると思うんだ」
「そこで、元ハッカーの俺を頼ったって訳か!」
サーバーには、研究員の研究成果や計画などが保管されており、誰でも参照できる様になっていた。
だが、それらのデータ容量とサーバーの容量、残りの空き容量との間に、明確な誤差が生じているのだ。
閲覧できる一般の研究成果にも、ウインド・クリケットの体に関係ありそうなものは有るが、身体の全てが解明できる内容ではなかった。
【鍵】は、開けない、見えないファイルに有ると、栗林は確信していたのだ。
「実はな、日本の公安や米国のFBIが隠してる案件に、栗林の体に似た奴が関わっているんだ。人型だが人間じゃなく、防弾と怪力、速度と特殊な肉弾戦で殺人や誘拐をする組織らしい」
「どう見ても【そのまま】じゃないか?」
栗林は、この半年で自分の身体の能力を調べ倒していた。
それにはクリケットの協力も大きかったが。
「組織名も【Beeing】とだけ分かっている」
越智は、テーブルにあった紙に綴りを書いた。
「【Beeing】?Bee・・・やはり蜂か?」
「【ハチ】って、あの昆虫の【蜂】か?」
「ああ。奴等は蜂の神経系の一部を人間の脳に埋め込み、蜂の社会性で【支配】するらしい」
「それが【物理的に洗脳】なのか・・・」
越智は、栗林の黒い体をしみじみと見て、口を開く。
「じゃあ、御前の姿も蜂なのか?地蜂ってところか?」
「いや、もう少しオプションが必要だが、この身体は【コオロギ】らしい」
栗林は、スポーツバッグからフルフェイスヘルメットを出すと被った。
最初は見慣れたバイクライダー姿だったが、幾つものパーツでできたヘルメットは変形し、巨大な目と触角、大顎を持ったコオロギの頭に姿を変えた。
肌色の指は鋭い爪と化し、手首には鋭い刃先が幾つも競り出てきた。
脹ら脛の筋肉の一部が、膝を起点に回転して太腿の大きさを数割り増しにした。
「コレがコオロギか!」
「ウインド・クリケットと呼ばれている」
ウインド・クリケットがシャドウボクシングの様に、宙にパンチや蹴りを放つと、越智の髪が乱れる程の風が舞った。
必死に目を開けて見ていたが、そのパンチや蹴りは速すぎて目に見えないでいた。
「身体の各所から吹き出る噴射で、機動力や破壊力を増しているんだ」
「それが
栗林と同じか、それ以上の力を数で持っている相手なのだ。
孤高のヒーローでは数の暴力には勝てないのが、物語りではない現実というものだ。
「どうだ、栗林。ここは俺を通して公安と協力しては?御前は重要な戦力であり情報源だから、身柄も公的に保証できると思う」
「大丈夫だろうか?モルモットとして解体されるのがオチじゃないのか?」
「そんな勿体ない事は、俺がさせない」
解体してみたが分からなかった、模造できなかったでは、一部の生の情報や戦力を失うことになる。
それに、既に警視庁のシステムに関与している越智を敵に回す危険性は、大変大きいと言えるだろう。
研究所のサーバーとして栗林が組んだ情報源のハードセキュリティに精通しているのも越智である。
そんな経緯で栗林達は公安に連絡を取り、警視庁の地下駐車場にまで来ていた。
「
越智の車を降りた栗林に声を掛ける、ブラウンのトレンチコートを着た男が居た。
「リック、御前もなのか?」
それは、研究所で警備にあたっていたリチャード・ギースだった。
彼は頭から被る様なマスクを付けると、その二の腕が伸びて湾曲した折り畳み式の刃物が飛び出してきたのだった。
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