第2話 蜘蛛

 昆虫の筋肉は、人間を含む哺乳類のソレと、大まかには大差は無い。

 だが、力強さを求めた精度は更に高位の物と言わざるをえないものだ。

 もし、昆虫の筋肉を模した物を大きくして義手や義足に用いたならば、その力は常人の能力の数倍となるだろう。

 昔は絵空事だった此の様な事も、21世紀にはゲノム解析と遺伝子組換え技術により可能となる。

 その成果物も直接人体に用いず、義手などに用いる場合は倫理観の影響を受ける事はないだろう。


 しかし常に人は欲望や理想の為に、法やモラルを破るものだった。

 強い国である手段として、正しいと信じる世界の為に法を犯し暴力を振るう。




 知人を前に、栗林は少し動揺していた。


『逃亡者捕獲に有利な【蜘蛛】とは言え、一体とはな!いや、この短時間に配置できただけでも大した事か?』

「オイオイ、クリケット。余裕かましてるが大丈夫なのか?」

『戦闘するか?私に任せれば可能だが?』

「いや、洗脳されているとは言え、知人と戦うには踏ん切りがついてない。例え相棒任せでも」

『ならば逃げるか。前方は罠が張られている様だし、【研究所へ引き返す】振りをして後方に距離を取れ。後は任せろ』


 目を凝らせば、今来た道以外には、わずかに光るワイヤーの様なものが張り巡らされていた。

 前方の足元にも変に光る筋が見える。


「蜘蛛の巣か?周りを固めといて、糸を飛ばして来るんじゃないのか?」


 アメリカのスーパーヒーローや、映画の蜘蛛怪物は、糸を飛ばして相手を行動不能にしている事が多い。

 栗林の脳裏に浮かんだのは、その様な攻撃だった。


『何を言っている?糸を飛ばして攻撃してくる蜘蛛などは居ない。網状の粘着性罠にして捕まえるか、襲い掛かって押さえ付けて脚で糸を巻き付けるのが常套手段だろ?糸を飛ばすのは巣を張る時と、パラグライダーの様にして飛ぶ時位の筈だ。それとも糸を発射して捕獲する新種の蜘蛛など居るのか?』

「い、いや。居ないかも知れない」


 蜘蛛が捕獲の為に糸を飛ばしまくっていたら、そこらじゅうがベトベトする筈だ。

 フィクションで間違ったイメージを植え付けられたのを栗林は自覚した。


「朴、俺は引き返せば良いのか?」

「それが正しい選択だ!ウインド・クリケット」


 栗林は、バイクのハンドルを切って朴に背を向け走り出した。

 曲がりくねった道を進んで朴の死角に入ると、すぐさま彼の視界が宙に舞い始める。


「おぉっ!どうなった?」

『幹線道路までの道路が閉鎖されているならば森を行けば良いのさ。他に伏兵も居ない様だし、このまま距離を稼ぐぞ』

「ば、バイクはどうする?って、アレッ?」


 広大な中国で、飛んだ先で歩くのは御免だ。気になって見下ろした足元にバイクの姿は無かった。


『移動ユニットなら、我々の背面で稼働している』

「移動ユニット?」


 見上げれば、左右の上部にバイクのタイヤが見えていた。

 恐らくは、衝突から頭部を守るバンパー代りなのだろう。

 流石に背中の方までは見えないが。


『本来は、蜘蛛と同様にコオロギも飛べないが、この移動ユニットを使えば短時間の飛行が可能だ。虫サイズなら蜘蛛相手に飛行は自殺行為だろうが、木々より高く飛べる我々にネットを張ることもできないだろう』


 そして、いくら待伏せできていても、短時間で広範囲に罠を張る事はできないだろう。


「だが、車で追われたら・・・って、いざとなれば道を無視して飛べば追えないのか・・・」

『地上での移動速度も、我々の方が速いしな』


 恐らくは、このバイクも含めて【ウインド・クリケット】なのだろう。


「コオロギは飛べなくともバッタは飛べたよな?以前に特撮でバッタの怪人がいたが、なぜ飛ばなかったんだろう?」

『現実には、推進機無しに羽ばたきだけで人間サイズを飛ばす事が不可能だからじゃあないのか?』


 21世紀初頭では、ジェットスーツやフライボードで時速二百キロ10分間の飛行が可能となっている。

 ただ、この機能を内蔵した姿で生活や格闘をするのは、重量的にも不可能だ。

 人型ヒーローに飛行能力を付加すると、戦闘能力は激減するのだ。


 ウインド・クリケットも、バイクに模した【移動ユニット】をオプション化する事で走行や飛行を実現している。


『森を抜けて街道に出る。まだ街道への出口付近はガードされているだろうが、その途中までは手が回らないだろう』

「お前、なかなか頭が良いなぁ」


 この出口も、朴の他には人員が居なかった。

 普通なら捕獲には複数人で当たるのがセオリーだ。

 短時間で十分な人手が集められていないのだろう。


『バレないうちに、高速で森を突っ切るぞ』

「前言撤回!この速度じゃムリムリムリムリィ~」


 崖により死角となった場所から低空飛行で森に突っ込んだ。

 勿論、速度は百キロ近い。

 ゆっくり飛ぶのは、飛行体にとって燃費が悪いのだ。


「うあぁぁぁぁぁぁぁ・・・」

『騒ぐな!エコーが聞こえにくい』


 ヘルメットのゴーグルには、周囲の木々の配列が表示され、的確なコースが検索され続けていた。


「ちょ、超音波ソナーかよ?」

『コオロギは音を発し、音を聞く。これぐらいは機能拡張の一つだ』


 注意をはらうと、背中の音響ユニットが作動しているのが彼にも分かった。

 クリケットは蝙蝠の様に音を利用していたのだ。


「・・・・・・・・・・」


 安全と分かっているジェットコースターでも声が出る事がある。

 ましてや、ヘルメットのクリケットと栗林の脳は何らかの形で繋がっているらしく、目を閉じても映像が入ってくる。


「・・・・・・くっ!」


 声を出さない様に必死に歯を食い縛り、5分ほど我慢すると、やっと木々が無くなった。


『用心の為に二つ隣の道付近の幹線道路に出たぞ』

「ふぅ~!やっとか」


 案の定、幹線道路と言えど深夜の田舎道に灯りも人影も無い。

 日本と違って中国の田舎では、道があっても照明は村や町の部分にしか設置されていない。


「でも、この道路の途中に、奴等が居るんだよな?こっちが【仲間】って分かるんだから、向こうにも分かるんじゃないのか?」

『私には研究所で見た奴等の【匂い】が分かるが、御前には【例の装置】が埋め込まれていないためか、共通の【匂い】がしない。そのうえ、この短時間で【移動ユニット】や【ウインド・クリケット】の形状や能力が十分に伝わっているとは思えない。田舎道を疾走するライダーが気になるだろうが、指示された警備を優先するだろう』


 通常走行モードのウインド・クリケットは、ハーレーダビットソンタイプのバイクとフルフェイスヘルメットのライダーにしか見えない。

 恐らくは、街中に紛れる為の擬装なのだろう。


 特撮ドラマでも、怪人が一般人に化けているシーンは多々あった。

 現実には、顔だげでもアノような極端な変身は立体フォログラムでも無ければ無理がある。

 肉体的変形には膨大なエネルギーとシステムが必要になる。そんな無駄を保持するよりは、人目の無い所まで車などに乗って移動する方が、その分だけ強くしたり有用な能力を付ける事ができるだろう。


 または、ウインド・クリケットの様に、体格と顔だけは人間のままにしておき、特殊装備をオプションにしておくのも手だ。


 ミニマシンやマイクロマシンで表皮を構成するのも手だが、それらは形を維持しているだけでもエネルギーを消耗する。

 それだけのエネルギーを維持し続ける戦闘マシーンには、どんなエネルギー源があると言うのだろう?


 戦闘怪人に、大規模な変身や光学迷彩、フォログラムなどを搭載するのは、まだまだ未来の話となるだろう。


 朴の場合も服の下に隠れ範囲と、顔面の額が少し変わるだけだ。


 栗林はクリケットの言葉を信じ、再びバイクに変形した【移動ユニット】に股がり、田舎の街道を走り出した。

 まだ、知り合って間もないが、彼には他に頼る者もない。


 今度はちゃんとヘッドライトを灯し、40キロ前後での走行だ。

 ほぼ真っ直ぐな道だが、普通の人間には野性動物など何が飛び出してくるか分からない道だ。


「どこに行くんだ?」

『近くの・・・と言いたいが、少し離れた村で、電力と水を確保したい。今の飛行で移動ユニットがガス欠に近いのだ。提供された地図によると、二三軒の民家がある筈だからな』


 生物の様な高効率な我々は気が付かないが、大出力機材のエネルギー切れは直ぐに来る。


「ガス欠はヤバイじゃないか?だが、いくら人手不足でも確かに近くは見張りくらい居るかもだけど」

『監視エリアを抜けたら、一番燃費のいい走りを選択すれば計算上は大丈夫だ』


 街道の途中にある、研究所への道の接点には、確かに車が止まっていた。

 近所に町などは無いので、朴同様に各地に配置された【仲間】が急遽にかき集められたのだろう。


 真夜中に田舎を走り抜けるバイクに視線を送るものの、彼等はクリケットの読み通りに栗林の後を追うことはしなかった。


 こうして栗林隼人は、中国の夜闇に消えていった。

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