改造人間クリケット

二合 富由美(ふあい ふゆみ)

第1話 新種

 世の中には、望んで得られる物も確かにある。

 偶然に手にする幸運も確かにある。


 だが、大半は望んでも得られない物や不運にも出会でくわす災いが大半だ。


 望んでいても、その正体が予想と全く別物だったりする事も有る。


 現実世界は、大半がネガティブなものなので、人々は真逆なシンデレラストーリーやハッピーエンドな物語を望み、現実を見ようとしない傾向にあるらしい。






 中国の奥地にある道路を一台のバイクが疾走していた。

 深夜だと言うのにライトも付けずに曲がりくねった道を高速移動している。

 この道は、幹線道路と某研究所を繋ぐ幾つかの道の一本で、舗装こそされているものの、大型車の移動に適していない為に非常用として普段は使われないものだ。


 通常ならば事故を起こすソノ運転をしているのは、全身を黒く細身のプロテクターで覆っている男だった。


「いったい、どうなっちまったんだ?」


 男自身にも、なぜ、このような運転ができるのか疑問な様だ。

 彼は仕事がら大型の運転免許は持っているが、二輪は原付くらいしか乗った事が無い。

 時速百キロ越えでスラローム走行をするなど経験が無かったのだ。

 意識とは別に体が勝手に動くのも、アノ声のお陰らしい。

 運転しながら自身の左手を見ると、グローブ姿から素手へと瞬時に変化した。

 意識をずらすと、左手は再びグローブ状へと変化する。


「いったい何をされたんだ?クソッ!麻酔のせいで記憶も意識もハッキリしない・・・」


 ただ、身の危険を感じて逃げ出したのが現状だった。


 覚えているのは、所長への報告と、目覚めた直後の動かない身体。鼻から入れられようとした【同調ユニット】に恐怖を覚え、噛み砕いて逃げた事だ。

 なぜ、ソレが【同調ユニット】と呼ばれて、自分に認識できたのか分からない。

 なぜ、鼻から入れられようとした物を噛み砕けたのかも分からない。

 背中から音を出せて、周りに居た者が苦しんだのかも分からない。

 なぜ、研究所に無い筈の地下五階にアノような施設が有ったのかも分からない。

 ただ、【あそこは危険だ】と言う本能的なものに突き動かされて、彼は逃げ出した。

 更には、なぜ、この開発中のバイクで逃げたのかも分からない。

 『逃げたいのか?』と言う声に「逃げたい」と答えた後から、体が自由に動き、能力以上の事ができる様になっていた。



 彼の名は【栗林くりばやし隼人はやと】。

 ロボット工学の専門家で、今は中国の【バイオテックラボラトリー】で義手や義足の開発をしている。


 いや、【していた】と言うべきだろう。


 何時の間にか身体をいじられ、脱出しようとしたら、実はソコが職場だったとは冗談ではないのだ。

 確かに技術的には、脳以外の全身をサイボーグ化するまでに到達しているが、それは法的な問題も有るし、何より本人の同意が必要だ。


「鼻から入れようとしたって事は、脳に何かを埋め込もうとしたのか?虫の一部みたいだったけど」


 古代エジプトのミイラづくりでも、鼻から脳を引きずり出していた様に、鼻の奥は脳に繋がる神経が剥き出しになっている。

 曲がりくねった道を一時間ほど走れば、次第に頭もハッキリとしてきた。


『お前が望んだから逃亡しているが、どうにも理解できない!何故に逃げたい?あそこで御前は新たな生物として活躍できたのに』

「俺は、俺の納得しない事には従いたくないんだよ。例え所長でも自分で新種を作り出すのは好まないだろ?それより、御前は誰なんだ?」

『私はクリケット。御前の相棒である補助脳で、このヘルメットに内蔵されている。御前の処理できない事をサポートする為に存在する』

「クリケット?コオロギか?じゃあ、アイツ等の仲間か!」

『相棒の御前が蜂共に従うなら仲間にもなるが、そうでないなら蜂と馴れ合うつもりはない』


 何故か、電波を受信していない事を感じるし、左腕に【WindCricket】と刻まれているので、この声の話は本当なのだろう。

 何より、動かなかった体を動く様にしてくれたのが、【彼】なのは間違いない。


「蜂?この件に所長は関わっているのか?」

『蜂のトップは女王蜂だが、それが誰かは知らされていないし興味もない』


 栗林にとって【蜂】【女】と聞いて一番に思い浮かぶのは研究所の所長だった。

 所長は、クリスティーナ・リーと言う女性昆虫学者だ。

 彼女は中国で新種スズメバチの群れに襲われ、片目と指の何本かを失った。

 その犠牲を乗り越えて彼女は蜂の論文を書き上げ、学会でも有名人となった。

 その後も彼女は昆虫に関する論文を幾つか発表し、他分野の学者と協力して義手や義足の研究所を立ち上げた。


 昆虫の筋肉を遺伝子操作して作った【インセクトマッスル】・・・一般には【バイオアクチュエータ】と呼ばれる物を開発してからは、義手・・と言うよりサイボーグ技術は格段に発展し、以前とは比べ物にならない製品を作っている。

 だが、所長にとって義手などは隠れ蓑に過ぎず、実際にはバイオアクチュエータを作る過程のクローン技術を使って身体の治療を行う事だと多くの所員が知っていた。

 法規制の緩い中国に拠点を作り、マッドサイエンティストとも呼ばれる者達を集めて、表向きは義手などの開発で成功を納めている。

 彼女は今も眼帯と手袋をはめているが、その下にはクローン再生された生身の目と指があるとの噂だ。


 そんな生身に拘る所長が、今回の様な人体改造に関わるとは思えない。

 噂だが、クローンによる臓器提供や、先天性疾患を遺伝子調整されたクローン臓器を作ってくれる組織があると聞く。

 少なくとも俺は、所長が困っていり人々を助ける為に、この研究所を作ったと信じている。


「蜂と言えば、蜂の中には他の昆虫の幼虫に卵を産み付ける【寄生蜂】ってのが居ると聞いた事がある。種類は違うが、カマキリに寄生して行動を支配する【ハリガネムシ】ってのも居たな。研究所ラボの研究員には、所長の他にも昆虫学者が何人か居たっけな」

『鼻に入れられようとしたアレは、それに準じた物だったのだろう』


 共同開発をする上で、研究員の得意分野や経歴は公表されていた。

 トップが女性だけに、職員や研究員に女性が多いのは企業のアルアルだ。

 当然だが昆虫学者の比率も高い。


 やがて幹線道路に出ようとした所でバイクが減速し、停まった。


「どうした?まだ安全圏とは言えないだろう?」

『いや、【仲間】だ。識別臭がする』


 昆虫は、臭いや音で仲間の識別をするものらしい。

 見ると、幹線道路への出口に一人の男が立っていた。


「サミエル・パク専務・・今は議員か?」

「久しぶりだな、栗林研究員。いや、今はウインド・クリケットか?」

「クソッ!お前もそっち側なのかよ」


 栗林は、クリケットの言った【仲間】の意味を理解した。

 朴は研究所の元職員で、今はこの地方の議員をやっている男で、栗林とも顔馴染みだ。


「何故、手術から逃げ出した?存在意義と力が手に入って、充実した人生が送れるぞ」

「それは【洗脳】だろう?【存在意義】とかは自分の手で見つけるものじゃないのか?」


 栗林は、小声でクリケットに逃げたい意思を再度伝えた。

 フルフェイスのヘルメットは、口元の動きが見えないので気付かれる事は無かった。


「学者は知識や技術力はあっても非常識なんだな。個人の理想は社会に受け入れられない。それは妄想とも言える。愛も存在意義も、相手から求められてこそ成立するのが現実だ」

「そう言えば、あんたはバツイチだったな」


 朴の顔が、一瞬歪む。

 女房に逃げられた事を覚えているなら、全くの別人になってしまう訳でもないようだ。


「説得は失敗か?ならば力ずくしかない様だな。お前よりは旧型だが、侮るなよ」


 上着を脱いだ朴の背中から、合計四本の腕が伸び、額に複数の点が浮かび上がる。


『蜘蛛か?捕獲には最適な者だな』

「感心してる場合か!」

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