第四節 過去の裁判場にて

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 できることなら、もう二度とこの場には立ちたくないというのが姫の胸中だった。

 ここは、王城の中にある大裁判場。多くの法律人、貴族たちが並び、開かれる法廷を見つめる場である。

 今回は緊急の開催ということもあり、傍聴席に座っている貴族の人数はまばらだ。

 事が進んだのもつい先ほどだった。まだこの裁判の存在を知らない者も多数存在する。


 そして、証言台に立たされているのが、魔女と瓜二うりふたつだということも。


 検察側の関係者席に座っているリリアーナ。思考が暗くなり続ける中、前方のセツナ……。

 いや、ミケに目をやる。

 彼女は板付きの手錠をかけられ、下手な抵抗ができない状態だ。


 またしても、セツナとしての意識は消えた。代わりに無感情な状態に戻ったが、何が原因でそうなったのかはまだ不明だ。

 そしてなにより、リリアーナに伝えられた事実は、信じられるような内容ではなかった。


 王城で警備をしていた騎士三人が、首を切り落とされた。

 しかもそれをやったのが、いま証言台に立たされている彼女だというのだ。

 リリアーナの寝室に騎士たちが入ってきたのは、そこへ彼女が侵入する姿が目撃されていたからである。

 状況を鑑識した人物いわく、切断面から吹き出なければいけないはずの血は、全く出ていなかったとのこと。何か炎系の魔法での犯行ではないかと推測した。


 しかし、リリアーナの対面にいる騎士は、犯行が起こった瞬間についてこう述べる。

「違う!! 剣を使っていた! 探せばきっとどこかで見つかる! 指紋か何かで特定しろ!!」

 仲間を殺したこの人物に、早く報いを与えてやりたい。必死な形相がその思考を物語る。


 その望みはすぐにかなうかもしれない。

「ワタシが殺した。既に結論はでている」

 まだ証言の番でもないのに、そう何度もミケは口にしている。取り押さえられてからずっとであり、早くこの場を後にしたいと言わんばかりだ。

 つまりこの時点で、両者の証言に矛盾はない。犯行の証明となってしまっている。


 だが裁判長を務めるリリアーナの祖父……レーター=クレセントムーンは、その声を無視する。

「リリアーナ=クレセントムーンよ」


 その名を聞いたミケは、わずかに目を細めた。


 リリアーナも、この世で一番聞きたくない老人の声に表情をゆがめる。渋々と席を立つ。

「貴様には王族としての自覚はあるか? 民を守る責務と責任を理解しておるか!? ならば、なぜこの魔女の生まれ変わりを即刻突き出さなかった!!」

 容赦のない追求は、リリアーナの心に張り付いてがれないトラウマを呼び起こした。



☆☆☆☆☆



 オルドで行われる予定だったリリアーナの結婚式。その前日を狙って急襲は起きた。

 だが、なぜそんな事態を許したのかという疑問は当然誰でも湧いた。

 結婚式の日程は少し調べれば分かる。しかし襲撃そのものに関しては、警備の配置さえ誤らなければ事前に防ぐことができたはずなのだ。

 敵の魔術使いは、オルド周辺の台地で詠唱を行った。あらかじめ、詠唱場所を確保していたとしか思えないほどにそこだけが筒抜けだった。


 ともなれば、王国に近しい者の中に裏切り者がいる。そういった考えが浮かぶのは必然である。


 事件の数日後、王城内の裁判場で審問会が開かれた。

 リリアーナは証言台に立たされ、実の祖父から一方的な詰問きつもんを受けていた。

「もう一度問おう、リリアーナ=クレセントムーン。貴様の傍にいたセツナ・アマミヤは、帝国の工作員か?」

「……私が城下町で見つけてきました。おじいさまの言っていることはウソっぱちです」

 リリアーナの声にいつもの明るさは無い。未だ拭えぬ悲しみと、この場をしのぐ決意でいっぱいだった。


 審問会は、レーターの意向で進められるイビツな形式だ。

 彼の裁量次第で、どんな刑でも与えられる。この場で彼以外の発言など無意味に等しい。

 だがリリアーナは、セツナの名誉を守るため、必死に立ち向かっていた。高い位置で座る祖父をにらみ続ける。


 両者の間にある天井では、大きな木箱が宙づりとなっている。

 それが何なのかは分からないが、ろくでもないことだというのは察せた。


 裁判長レーターは、不愉快そうに眉を潜める。

 すると、手元に置いてあった小さな物体を、彼女のいる方へ投げた。

 それは姫君の肩に当たる。跳ね返って床へ落ちた。

 リリアーナは、その小さな物体……エンブレムを拾い上げる。あらゆる角度から見てみた。


「ロッカーから出てきた。帝国の紋章が象られている。あの女が、帝国とつながっていた証拠じゃ!!」

 こんな物を付けていた覚えはない。卑しい祖父の言い分を、リリアーナは真っ向から否定にかかる。

「物さえあればいくらでも言えるよ! 証拠になんてならない!!」

 何かしらの罪状を課せられることが避けられずとも、この場にいる聴衆が違和感に気づいてくれればいい。それが、現時点で最善の手段だ。


 しかし祖父は口角を上げる。

 その笑みは、自分が優位に立っていると言いたげなように映った。


 レーターが横を向く。手招きすると、扉から二人の男女が入ってきた。

 一人はメイドで、もう一人は料理人。二人とも、この王城内で働く使用人だ。

 リリアーナとの距離が近づくにつれ、彼らはその表情を曇らせていく。

 特にメイドの顔色は悪い。今にも倒れそうなほどだ。リリアーナと向き合うように配置された。


 レーターは自身のあごでる。

「君たち。セツナ・アマミヤと共に働いていたようじゃが、あれはどういうことかの?」

 伸ばした指先は、リリアーナが持っているエンブレムの方を向いていた。


 問われた二人は、口元が震えている。

 何かを恐れているのか。互いに顔を見合わせた。


 その躊躇ちゅうちょに、老人は怒鳴りちらす。

「単純な質問じゃろうッ!? そのエンブレムを見たことがあるのか! ないのか!!」

 二人のおびえは増し……。


 ついにメイドのほうから答えが出てしまう。

「あります……。私だけではありません。皆、セツナさんがそのエンブレムを身に付けていることを……知っていました……」

 そう彼女が言った直後、傍聴席はざわつき始める。セツナが何者だったのかを決定づけるものとなったからだ。


 しかし、リリアーナは当然認めようとしない。

 もともと帝国の人間であったことは事実だが、そんな分かりやすい証拠を残すほど抜けた子ではなかった。

 死人に口はないので、ウソでも押し付けてしまおうという魂胆だ。今の証言も、レーターに命じられたものに違いないと確信した。


 反論しようとしたが、先にレーターの口からさらなる暴挙が飛び出た。

「貴様らは知っていたんだろう。セツナ・アマミヤが帝国出身だと! だが何も言わなかったのう? 先の襲撃も、報告を怠った貴様らのせいじゃ!!」

 あろうことか、何の罪もない二人に責任を擦り付け始めたのだ。

 あまりに横暴すぎる。言われた二人も慌てふためき、許しの懇願を始めた。料理長にいたっては、額を床に付ける。

 その姿がおもしろく見えたらしく、レーターは吹き出す。しかし咳払せきばらいで冷静を装う。


「お前らのような無能はいらん。共にギロチンの刑じゃ」


 リリアーナの心が黒くよどむ。

 無実の者を自分の主張のための材料とし、挙句の果てに命まで奪う。

 冗談ではなく、彼ならば本当にそうする。城の使用人たちなど、使い物にならなくなれば、また新しい人材を入れればいい。そう割り切っているからこのようなことが平気で言えるのだ。

 沸点が限界まで達する。これが自分を誘い出すためのわなだとしても、黙って見過ごすことはできない。


「こんなことが許されると思ってるんですか!」

「何が不満じゃ? 貴様のすぐ傍にいたのは、帝国の者だったのじゃぞ!! それをこいつらは隠していた!」

「全部セツちゃんが仕向けたのなら、あの子自身も死んじゃったなんて変だよ!!」

「どこがじゃッ!! 帝国の工作員は、道具同然だと聞いた! 使い捨ての道具に命の保証など与えるか!?」


 土台はできつつあった。レーターは流れに身を任せ、言葉を続ける。

「まさか……。あぁ、そうか。貴様らはあの女に脅されていたのか」

「なっ……!?」

「だとしたら話は別じゃ。何もとがはない。セツナ・アマミヤは、多くの心を惑わせた魔女であった!」


 リリアーナは、より強く歯噛はがみする。なにを言っても通じないと悟った。

 その怒りのままに言葉を吐き出す。

「私の大切な人を……侮辱するなんて……!!」

「なんじゃぁ? 悪魔のような顔つきをしてぇ。あの女に毒されおったか」

 余裕めいた顔を浮かべ、その視線はやがて横を向く。


「そう言ってるが……。どうじゃね? ルミナス君」

 被告人側の席に座っているルミナスも、使用人たちと同様の面持ちだった。伏せがちのまなざしで小刻みに震えている。

「君から見て、セツナ・アマミヤという使用人は、どのような人物だったか」

 問いかけに、一瞬だけルミナスは唇をんだ。


 しかし、それもほんのわずかな時間だった。

 彼女は口を開く。



「……極めて狡猾こうかつで、残忍な性格の持ち主でした。娘の命を盾に、わたくしにも脅迫を」


 そう語り出すルミナスを、リリアーナはぼう然と見つめた。

 続く言葉も真実ではない。



「そしてリリアーナが城門を破壊したのも、全てセツナ・アマミヤの指示でした」

「…………え?」



 ──違う。そんなわけない。

 あれはセツちゃんに会う前、私が勝手にやったことなのに──。


 思考がゆがんでいく。権力に屈するだけならまだしもだ。

 娘の行動を、ウソで塗り固めた。

「なに言ってるのお母さま。ウソだよね……?」

 そんなにもあの老人のことが怖いのか。娘を裏切るより恐ろしいことなのか。


 うつむきながら、ルミナスは静かに首を横に振った。その反応から本意でないことは分かる。

 しかし納得がいくわけではない。リリアーナにとって、絶対に許せるものではなかった。震えながらも、母へ反論を試みようとする。


 それを、またレーターは計画的なまでに遮ってきた。木槌きづちで台をたたく。

「もう怖がることはない、リリアーナ。正直にあったことを話すのじゃ」

 疑心暗鬼になる。この場にいる全員……傍聴席にいる人たちまでもが信用できなくなっていた。

「貴様は彼女に脅されて、今回の件を黙っていた。そうじゃな?」

 誰も味方ではないのでは……。


 その疑念は、すぐに確信へと変わる。

「とんでもない魔女だ!!」

 聴衆の一人が立ち上がった。セツナを非難する。

 そこから同調者が続く。やがて罵声の嵐と化した。

 そうは思っていなかったであろう人々も、それに釣られたり合わせたりするように声を荒らげ始める。


 リリアーナは顔を青ざめ、背も曲げる。

 この場に来た時点で、既に結末は決まっていた。いっそ出席を放棄してしまったほうがよかったのかと己を悔やむ。

 セツナの為にと握っていた拳が、力無く解かれた。そしてそのまま項垂れる。


 ルミナスは、前のめりになって小声を発した。

「リリアーナ……。言いなさい」

「いやだ……」

「でないとどうなるか……分かるでしょう……?」

 重苦しい言葉に釣られ、リリアーナは視線を上げる。

 前方にいる二人の使用人。涙ながらに震えるその姿を、目の当たりにする。


 ……いっそ、自分が裁かれるのなら、それでいいかと思った。あの世で大好きな人に会えるのだから。

 だが、いま直面しているのは、実際にはなにも悪くない者たちへの罰である。自分が否定の声を上げれば、彼らも死ぬ。

 そんな結末を許してはならない。ならないが……。


 死の間際に、セツナが何か言おうとしていたのをを思い出す。

 なんらかの追求……。今まさに起きている事態だ。


 自分に責任を押し付けろと、こうなることを見計らって伝えようとしていたのか。

 しかしそれは、セツナを盾にするという行為に他ならない。小さく首を横に振る。


 その動きを見た料理人は、目から輝きを失くす。

 口元からはヨダレが垂れ落ちる。己の死を悟ったのか。

 あまりの壮絶な姿に、リリアーナの決意もまた揺らぎ始める。


 同時に、自分が何者であるのかという自問が始まった。

 救うべきはセツナの名誉か。それとも無実の人の命か。

 分かりきっているはずの選択なのに、答えを出すのをためらう。

 そもそもセツナは何を望んでいた? 最期になんと言った?



 ……それを思い出し、ぽつりと言葉を漏らす。

「……私の……幸せ……」

 否定すれば、彼らは死ぬ。そしておそらく自分も死ぬ。

 そんなことを、セツナは望んでいるだろうか。

 ようやく気づいたときには、言葉を発するのが早かった。



「脅、され……ました」

 決断と悔しさが釣り合わない。

 途切れ途切れになりながらも、なんとか声を振り絞る。

「セツ……セツナ……アマミヤに……脅さ、れました……。怖くて、言い出せません、でした……」

 こんなに息苦しいと思ったことはない。身体中の酸素が奪われたかのような感覚に襲われる。それでも言葉をつなげた。


 そびえる人間は、優しい笑みをこぼす。

「本当のことを言えたな。すばらしい。偉いぞ我が孫娘よ」


 勝ち取ったのは無力感だ。

 自分の命も、無実の者の命も守ることはできたが、結局セツナの名誉を取り戻すことができず。その事実が、リリアーナの精神を擦り減らせる。


 そんな彼女への嘲笑いは、まだ終わっていなかった。

「ではやれ」

 裁判長の指示により、横にいた警備の騎士たちが動きだす。四隅から伸びているヒモの前にそれぞれが立つ。


「レーター=クレセントムーンのもと、魔女にふさわしい最期を与える!」

 木箱を吊っていたそれらのうち、二本が緩められる。次の瞬間には勢いよく落下。

 激しい衝撃音とともに、木の外面だけでなく中のモノも散らばる。


 最悪の想定が頭をよぎった。リリアーナはあえて中身を見ようとせず、咄嗟とっさに下を見る。

 その意志に反してだ。

 弾んだそれは、視界の端に入り込んできた。

 そこにあったのは、見覚えのある黒鉄色の布と。




 未だ感触が忘れられない、しなやかな──………………。

 正気は崩壊し、絶叫が木霊した。

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