第二節 王城医務室にて
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人間の現精神状態を確定づけるには、自己申告や第三者からの報告だけでなく、医者の診断が必要である。
既にリリアーナは、ストレス性の精神疾患を患っていた。夜独りでいると、失った大切な人との思い出を回顧してしまう。
それは幸福感ではなく、苦しみとして彼女の心を
白衣をまとった女医、ヒナタ・アラシに下まぶたを引っ張られた。瞳孔の反応の確認だ。
「ふむ。まあ、日常生活に支障はない……。あの薬、まだ飲んでるの?」
「あれがあるから夜ぐっすり眠れるので。必需品ですよ~」
「また空元気か。壊れちゃってることを受け入れたほうが気は楽になるのに」
残酷な指摘で、リリアーナの笑顔は見る見るうちに消えた。強く唇を
大丈夫だと自分に言い聞かせるように。そういった想いからの振る舞いだったが、ぎこちなさが顕著に表れてしまっている。
ヒナタは、王城の医師長として二カ月前に配属されたばかりだが、薬物療法での治療に批判的であった。
机の上にあるカルテに書き込みながら口を開く。
「既に中毒状態だね」
「え?」
「だから嫌だったんだよー。前任者がどんな診断をしたのか知らないけど、もう薬なしでは眠れなくなってる」
リリアーナは天井を見上げ、顔色を青ざめさせる。雨粒のように汗も流れ出す。
「お、終わった……」
「まあ、君が悪夢に耐えれれば済む話だけどね」
ヒナタはペンを置く。身体の向きをリリアーナの方へ戻す。
「もう一つの治療法としては、君の中にあるトラウマを根本から消し去るか」
「……できないから飲んでるんです」
意地悪な提案に、リリアーナは
彼女にとっての恐怖。セツナの死と、その後に待ち受けていた罵倒。
そんな簡単に忘れられるものではない。忘れてはいけないとも思った。
「そりゃあそうだよね。じゃあとりあえず、現状維持ということにしておこう」
ヒナタは立ち上がって伸びをした。壁の方を見つめる。
それを、リリアーナも釣られて見た。
一カ月前の新聞が貼られている。写真には、王国の姫が、負傷兵を治療している姿が写っていた。
その行動をけなす文章も下に記載されている。
「こんな誉れある人物の専属医師になれるなんて光栄だなぁ」
そうヒナタに言われ、苦笑いで返す。
「その日は……近くの国を訪れていて、急に戦闘が始まったから」
「敵兵すら治療しちゃうなんて、君という人間のことがよく分かるエピソードだよ」
王女が勝手に戦地へ近づくこと自体が問題ではある。
王国の兵士を治療するだけならまだよかっただろう。
「帝国の兵士の人も、上に命令されて仕方なくやってる人だっているし、家族もいるんだろうなって……。辛い気持ちは味わってほしくない……」
この行いが影響し、また政略結婚の話は消え去った。
それは良いことだったが、同時に、彼女の世間的信頼も失墜する結果となってしまった。
想いを言い連ねていくにつれ、リリアーナの背が丸くなっていく。
「すみません。あの、でも、これが私なので……」
ヒナタはデコピンを放った。
「いてっ!?」
ダメージを受けた部分を両手で
攻撃した女医は、その様子を見てクスクスと笑う。
「責めてるんじゃなくて、褒めたつもりだよ。他人の為に頑張ろうとする君はとても強い! 聖人だねぇ」
ヒナタはふふんっと笑い、窓の外を眺める。
急に眉間を狭めた。
「……本当に、殊勝なことだ」
「あの……」
「……あー。ちょっともよおしてきちゃった。
「ええ!?」
そそくさとこの場をあとにしていく。
リリアーナは息を
「なん……なんだあ? もう……」
もう特に診る部分もないのに置いてけぼりにされたのだ。勝手にここから出てしまおうかという考えが頭をよぎる。
そんな思惑は、視界に入ってきたある存在によってかき消される。
部屋の窓側隅に、やたら派手な虹模様の箱が置いてあると気づいた。そのときのことだ。
窓の外に誰かがいる……。
吸い込まれるように視線がそちらへ向くと、またリリアーナの心音が速くなった。
セツナによく似た少女……ミケだ。
気づいてもらおうとしているのか、窓ガラスを等間隔なリズムで突き始めた。
昨晩、七階という高所から落ちたはずだ。にも関わらず、傷一つ無くピンピンしている。
リリアーナは慌てて駆け寄った。窓の鍵を回し、勢いよく開け放つ。
「君、昨日はどうやって……!!」
「アノ程度ならば問題外」
「いや、答えになってない……」
「まだアナタから任務を受け取っていない。ソレを聞きに来た」
そう言われても、リリアーナには頼みたいことが何もなかった。昨日から続く恩返しの要請に、また困惑してしまう。
強いて挙げるとすれば、自分が望む姿を拝みたいくらいか……。
そう考え、姫君は指を鳴らす。
「君、昨日の部屋まで来れる?」
「それがワタシの任務?」
「そう……ではないというか、来てからが本番っていうか」
「了解した。直ちに向かう」
すると少女は、軽々と飛び跳ねた。
外側の一階窓、その縁に着地。そのまま壁に指を突き入れる。
リリアーナが口をあんぐりと開けている間に、少女は壁伝いに進みだす。ロッククライミングでもしているかのような格好だ。
「ままま待ってぇ!!」
呼び止めると、ミケは平然とした様子で下を向く。
「同行するか?」
「行けない!! というか……」
苦笑いを浮かべてから、二本の指を立てる。
「二時間後くらい目安でお願いします……」
「その間、ワタシは何をしていれば?」
「自分で考えてください……」
言われたミケは、わずかに目を逸らす。
また視線を合わせ、質問を投げかけてきた。
「魔女を探している。ドコにいる?」
王女の身に、悪寒が走る。
その顔でその質問をされたことに、皮肉めいたものを覚えた。
「…………もう、いない、けど」
「そんなはずはない。確かにこの世界にいる」
「誰かと勘違いしてるよ。そっか、王国外の人なら分かんないかも……」
「では、また現地で」
ミケは、壁をよじ登るにしては異常な速さで離れていった。
見送りながら、リリアーナは思い詰める。
魔女という
だが、それがもう一般的な認知なのだろう。また無力さがこみ上げた。
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王女が城で幽閉されているともなれば、返ってそれを好機と捉える者もいる。
多くの人物が訪問を申しでてきた。ねぎらいの言葉とともに、自分の主張を並べようというのだ。
事が事であるため、王国側から丁重にお断りするという対応が基本ではある。それでもなお、面会を申し込む者は後を絶たない。
よって、一部の貴族や種族の長、リリアーナと親しい人物は謁見を認められた。
しかし、リリアーナの発言は一切認められていない。訪問側が一方的に
体調が思わしくないため、仕方のない処置である。……とされているが、リリアーナ本人は不満だらけだ。長い時間を無言で過ごす。苦痛以外のなにものでもない。
ベッドに重く腰かけ、今日も客人の連鎖が始まる。
第一に訪問してきたのは、クレセント王国の中でも力のある貴族の一人だ。
リリアーナの存在が民に安心をもたらし、帝国との戦争を勝利に導く……などと硬い話ばかり。
第二にやって来たのは、大陸の北西に位置するエルフの里からの使者だ。耳の長い彼女は、リリアーナが囚われているという
実質的にそうではあるが、リリアーナを救おうと、里の戦士を派遣するとまで申しでてきた。姫君は、苦笑いで首を横に振った。
第三に……腰の曲がったローブの老人。
男は貴族でもなんでもないというが、なぜか王国の許可が下りてここまでやってきたそうだ。
リリアーナは、扉の前に配置されている衛兵に目配せした。彼らもよく分かっていない様子だ。
老人は、しばらく身の上話を言い続ける。
すると突然目の色を変え、声を張り上げた。
「姫様が不幸に陥っているのは、ここが貴方に適した時空ではないからなのです!! 我々、異空審問官は、この不幸から脱する術を知っている!!」
その名称で場の空気が変わる。衛兵たちはすぐ動きだす。
拘束を前に、異空審問官の宗主であるゴウ・シマは、両手を大きく広げた。
すると彼の頭上に、黒紫の球体が出現する。
その中で映る光景を見た。
リリアーナは、目を見開いたまま硬直する。
「異空こそ目指す場所なりッ!! 人には、幸福を選択する権利があるッッ!!」
ゴウが衛兵たちに両腕を
怪しい言葉を叫びながら、扉の向こうへ連れられていった。
リリアーナは、ほっと胸をなでおろす。
だが、球体の奥に見えた姿を思いだし、またすぐに胸が押しつぶれそうになった。
王女用の書斎。椅子に座り、面倒そうに事務作業を続ける自分。
その隣には、指差して指示する彼女の姿があった。
もっと脳裏に焼きつけておけばと後悔した。
幻影を追うあまり、こじつけにも近い思い込みが浮かぶことは多々ある。
しかし今回は、あまりにハッキリと、そして記憶の中よりも鮮明な光景だった。その
ヌッと手が出てきたのはそのときだった。
「ぎょわあぁッ!?」
窓の下からだ。縁をつかむ鈍い音に、思わず背筋が伸びた。
彼女は、軽々とジャンプして部屋に入る。
「到着した。任務を告げよ」
「しゃ、しゃべるときは、なるべく小声で」
会話を警備の者に聞かれるわけにはいかない。それゆえの指摘だ。
すると少女は、口をパクパクと開閉し始める。
唇同士の擦れ合う音しか聞こえない。
リリアーナは眉を狭める。耳を彼女の顔に近づけ、詳細な音を聞き取ろうとする。
「調整した」
「ちっちゃッ!?」
確かに声は発している。しかしあまりに小音すぎる。通常の距離では聞き取ることが不可能に近い。
「もうちょっとおっきな声で……!!」
やや怒鳴り気味に言う。
ミケは首をかしげた。
「なぜ注文を次々と変える? 人間は非効率的な生き物だ」
リリアーナは眉間にしわを寄せる。だが落ち着き、当初の目的に切り替える。
枕元に置いていた物を手に取り、ミケの前に差し出す。
メイド用のホワイトブリム。セツナの形見だ。
「ソレにこだわるのはなぜ? 人間にはもっと大きな欲があるはず」
「とりあえず、君がこれを付けて、私に見せてくれたらもう満足なので」
「実行すれば、ワタシは本来の任務に戻る。ソレでいいのか?」
軽く思考する。現実的な願いとしては、どうしてもこれ以外に思いつかない。
そもそも、この死者と重ね合わせる行為自体が、リリアーナにとっては禁忌に近しいものだ。
「……後ろ、向いてくれる?」
自分の欲望を
言われた本人は、特に嫌がるそぶりを見せない。うなずいてから、身体の向きを百八十度変えた。
彼女の背後が、途端に無防備と化す。
リリアーナは、どうしたらよいのか分からなくなってしまった。
好きにしていいのかと思いながらも、自分のワガママで動いてくれたことに申し訳なさを感じだす。
ただ、ここまできたらだ。緊張のまま、髪にそっと手を伸ばす。
頭にホワイトブリムを載せる。
少女の身体がビクッと跳ね上がった。
「あっ! ごめんね? くすぐったかった?」
ミケはガクッとうつむく。次の反応を見せない。
リリアーナは気にしつつ、載せた物へ再び手を伸ばす。頭頂から耳にかけてをすっぽりと覆わせた。
最後に、後頭部へと回した
……つけ終えたのだが、ミケは一向に振り返らない。
「おーい。終わりましたよー?」
さすがになにか様子がおかしい。振り向かせようと、彼女の肩を指で突く。
そんなとき、扉をノックする音が聞こえてきた。
「リリアーナ王女ー! お入りしてもよろしいでしょうか」
エキュードの声だ。面倒な客でないのは良いことだが、これからというときの
「んもー、またかよぉ。……ねぇ」
ミケは、いまだ大きな動きを見せない。彼女の肩をぽんぽんと
「見つかったら面倒だよ? 逃げて逃げて」
己が欲望より、彼女の身を案じた。それゆえの呼びかけだったのだが……。
「うっ──」
わずかな
少女の身に、明らかな変化が訪れた。
灰がかっていた髪の色が、みるみると明度を落としていく。完全な黒となる。
そうしてすぐ、少女は身体の向きを反転させた。
対面する形になる。リリアーナは、思わず息を
ようやく振り返った彼女は、どこか不安げに視線を散らしている。
先ほどまでの無表情が
ホワイトブリムまでつけたその姿は、どう見てもセツナだ。しかもお
本人ではないと分かっている。
なのに、早まる心臓の鼓動で息苦しさを覚える。
これはいけないことなのだ。死んだ人を重ね合わせて見てしまうなど、とても失礼な行為である。
だが同時に、こうも思ってしまう。
セツちゃんとの新しい思い出が作れたようで、少し
ミケがついに視線を合わせてきた。
また一つ心音が跳ねる。彼女の澄んだ瞳に、自分の姿が映っている。それだけでも待ち焦がれた感覚だ。
今度は、抱きしめたいという欲求に駆られる。
震える両手が、無意識に伸びていく……。
「リリアーナ……様?」
呼ばれたリリアーナの動きが止まる。
全てを理解するまで時間を要した。
今までと違ったのは、自分を見てくれるその表情だ。
冷静だが、少し
それはまさしく、生前の彼女そのもので……。
するとミケは、自身の唇に触れる。
直後、身をよじるように横を向いた。
「え。ね、ねえ!?」
リリアーナは呼びかけるが、そこから身体の向きを変えようとしない。
わずかに見える横顔は……ほんのりと紅潮している。
ミケであるはずの彼女は、口の開閉を繰り返す。
「あの後……どう……なったのですか?」
今度は顔全体を両手で覆い、やや声が上ずる。
「すみません……。自分から言いだした手前ですが、あのような経験は無かったもので……!」
「ちょっと待ってよ……」
すると彼女は視線を落とす。
いま自分が着ている、際どい格好を直視した。
特に股間部の食い込みに気づき、顔が
このタイミングで寝室の扉が開かれる。
エキュードとその弟子、ロゼットが顔を見せた。
姫君ではない別人物の姿に、二人の男は目を丸くする。エキュードにいたっては剣を抜いた。
「何者だ!? 王女から下がれ!!」
「違うのエキュード! 彼女は私が呼んだ……」
一方のロゼットは目を細め、彼女の姿をじっと見つめた。
やがて、その違和感に気づいたようだ。声を張り上げる。
「どういうことだ……。なんで生きてやがる!?」
その顔つき。髪の色。目の色。メイドの装備……。
該当するパーツ達が、ただ一つの結論を導かせる。
「セツちゃん……?」
握り合わせた両手を胸に当て、リリアーナは、恐る恐る近づいていく。
「あなたは……セツちゃん、なの?」
黒髪の少女は、視線をあらゆる方向にかたむける。どこなのか認識したようだ。
リリアーナの瞳に視線を合わせた。
「リリアーナ様。結婚式は……もう終わったのですか?」
二人にとって、これが本当の意味で始まりの日となった。
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